1話
あの夏に置いてきたはずだ。
思い出せないという点で、きちんと埋葬できたか些か不安ではあるが、おそらく大丈夫だろう。
戻りさえしなければ蓋は開かない。
焼けるような暑さだ。
子供の頃には地面に這いつくばって遊んだ気もするが、今やもうそんなことはできない。
大人になったからだけではない。
地面が熱すぎる。
「太一さん、そんなにとろとろ歩かれてはミミズのように日干しになりますよ」
妻だ。
名を直子という。
「わかってるよ。だがこう暑くてはまともに歩くこともできないよ。」
私は貧血のような目眩を感じながらやっとこさ歩いている。
妻は私よりも細いのに、どこからあんな元気が湧いてくるというのか、いつもチャキチャキと良く動く。
かく言う私は、日がな1日ぼーっとただ生きている。
「貴方が行くと言い出したんですからね。ちゃんと隣を歩いてくださいな」
「わかったって。しかし暑いな。なんともアイツの家は遠くて敵わん」
今朝方友人から電話をもらった。
なんでも田舎から干物がたくさん届いて、食べきれないからもらってくれと言う。
ついでに相談に乗って欲しいと。
私も妻も魚は好きなので、有難く頂戴しようということになった。
「魚に釣られてこんな日に外出するなぞ、馬鹿みたいだな」
「何を言いますか。こういう用事でもなければ2人で出かけることもないのに」
妻との間には子供はいない。
何となくそういう雰囲気を作るのが苦手で、いざ始まってもへろへろと気が萎えてしまうのだ。
寂しい生活とまでは言わないが、やはり子供が欲しいんだろうなと思うことはままある。
「猫でも飼おうか…」
道路脇の塀の上を歩く猫を見つめながら呟いた。
「いいですね。お魚をつつく楽しみが増えます」
コロコロと笑う妻の顔を横目に見ながら、満更でも無さそうだと安堵する。
煙草屋の角を曲がると、友人の家が見える。
これまた酷く傾いた、おおよそどうやって崩れずに耐えているのか見当もつかないようなぼろ家だ。
「おーい、来たぞー」
ガタガタとうるさい戸を開けながら、奥に向かって声をかける。
「おーう、暑い中ごくろうさん」
大きな男がぬぅっと顔を出す。
「あや!直ちゃんも来たんかい!すまんねぇ、こんなきったねぇ所へ呼びつけて」
妻同伴だと伝えるのを忘れたか…
あたふたと床に散らかった新聞やらを端に寄せる大男を見て、直子が笑っている。
「大丈夫ですよ。主人の住処も同じようなものですわ」
「失敬だな。俺はこんなに散らかさないし、女性を家に呼ぶこともないぞ」
「まぁまぁまぁ!とりあえず上がってくれ。今お茶でも入れるからよ」
積み上げた座布団から綺麗そうなのを選び、ちゃぶ台をでんと真ん中に置き、家主は奥へ引っ込んだ。
「まさか出涸らしが出てくるわけじゃないだろうな」
「失礼なことを言うもんじゃありませんよ。」
「だって見ろよこの家の有様を」
「太一さんのお仕事机の周りもこうですよ」
私はジオラマ制作を生業としているため、資料写真やら材料なんぞがたくさんあるが、こんなに散らかしていただろうか…
「おいおい痴話喧嘩は家でやってくれよ」
大男がお茶を運んで来た。
ありがたいことに冷たい麦茶だった。
「これはありがたい。まさかお前の家で冷たい飲み物にありつけるとは思わなんだ」
「こんな暑い中熱いもの飲んだら体中から水が出っちまうだろうよ」
大男、齋藤拓郎は豪快に笑いながら直子へ麦茶を勧めた。
「ありがとうございます。歩いて来たものだから喉がカラカラで。主人なんかはミミズと競走するくらいの速さで歩くものだから、暑くて暑くて」
「好きに言えばいいさ。それで、相談ってのはどんなことなんだ?」
先程の豪快さとは打って変わって、拓郎は途端に目を泳がせた。
「いやぁ…その、なんだ。何とも説明が難しくてな」
「お前が言語化が苦手なのはこちらは百も承知だ。断片的でもいいから話してくれ」
彼の話を要約するとこうだ。
昔まだ私らが学生だったころ、ある物を砂浜に埋めた。
いや、埋めたはずだという。
はっきりと断言はできない。
そしてここ何日か、夢に当時の情景が出てくる。
それがどこだったのか、何を埋めたのか、何故そんなことをしたのか、全く思い出せない。
そんなことがあるだろうかと彼は言う。
「うーん…何を埋めたのかすら思い出せないというのはな」
「昔ご覧になった映画とか、本で読まれたとかではないのでしょうか?それを夢に繰り返し見るうちに、実体験と混ざってしまったとか」
「いやなぁ、俺もそういう可能性も考えたんだが、なんせ新聞以外に本は読まねぇし、映画もヤクザ物時代物ばっかりでな」
「出てくるそれは九十九里の浜なのか?」
「だと思うんだが、夢から醒めたら細かい所は忘れっちまうからなぁ」
浜辺に何かを埋めた。
何を何故埋めたのか……
「その状態で俺達に相談されたところで、何も答えてはやれないよ」
「そうよなぁ。まぁそんなに真剣に悩んでたわけじゃねぇのよ。夢とはいえ何となく不穏でな。そういう経験がお前らにはあるかどうか聞きたかっただけだ」
「それで言うとそんなことは無いなぁ」
「逆はたまにありますわ。何かする時にふと、これは見たことがあるなぁ、どこだろうと思うといつぞやの夢だったとか」
「正夢か、デジャブか…まぁそういうことなら無いこともないな」
「そうよ。それなら俺も何度かはある。だが今回は逆だ。なんとも気味が悪いような気がしてなぁ」
「そんなに不思議なことでもないだろう。たまたま夢に出てきた場所が知っている場所に似ていて、どこかで得た別の情報がいろいろ混ざって、現実感を出してしまってるんじゃないか?」
「そうか…そういう考え方もあるな。まぁお前の顔が見たくて、相談と持ちかけたら取りに来てくれるかもしれねぇと思ったところもあんだよ。ほら、干物だけだと俺が届けに行かなきゃなんねぇからな。でも直ちゃんも来るんだったら、やっぱり俺が届けに行った方が良かったなぁ」
再び大男はガハハと笑った。
笑った拍子に家が揺れた気がして、こちらが不穏な気持ちになった。
その後お互い少しばかり近況報告をし、同級生の噂話に興じた後、家路についた。
道すがら妻は、
「齋藤さんて面白い方よね。豪快で見ていて気持ちがいい」
と言った。
続けて
「でもあの方、もしかしたら何を何故埋めたのか、少なくともどちらかはわかっている気がします」
とも言った。
「何故そんなふうに思うんだ?」
「なんと言いますか……なんとなくです」
妻は勘が鋭い。
特に対人間の時に存分に発揮される。
何故私なんかと世帯を持ったのか甚だ疑問に思うほどに。
連れ立って歩く道すがら、昼間見かけた猫と再会する。
近くで良く見たら、大きな顔のオスであった。
おまけに少し不細工だ。
「昼間話してらした猫の話、本気ですか?」
妻に問われ、一瞬言葉につまる。
考えていたことを見透かされたようで居心地が悪かった。
「あそこのドラ猫と違って可愛い猫ならな」
妻はふふふ、と笑った。
それは、猫を買うという理想と現実を垣間見た私に対してなのか、それともドラ猫と呼ばれた猫に対してなのか…




