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11-yuri

ちかの家を出た後、俺はまっすぐ自宅に向かった。ちか……いや、千景だ。千景の初めて見る表情に、胸が縛られる思いがした。俺は彼を傷付けた。その考えだけが頭を支配していた。


「伝えなきゃ良かったのかな……」


 千景と初めて下駄箱で出会った時、一目惚れをした。もちろん友達という意味で。目が合った瞬間に、この人と仲良くなるんだろうなと思った。だって、時が止まった気がしたから。教室に入ると、彼と同じクラスだった。出席番号も前後で、自然と話す機会が増えた。千景は、ボードゲームが好きだとよく言っていた。一人じゃつまらないからと誘ってくれた。俺もボードゲームが好きになった。俺たちで、部活を作ろうと言い出した。笑顔が眩しかった。央子以外に、俺を引っ張ってくれる人がいるんだと思って、びっくりしたんだ。そこから、もっと一緒にいる時間が増えた。俺は恵まれていたらしい容姿のせいで勝手にもてはやされることはあるけど、普通の友達として見てくれて、普通に一緒にいてくれる人は千景だけだった。千景と一緒にいる時間が、学校の時間以外の、全ての辛い時間を忘れさせてくれた。遊んでいて不意に手が触れ合うとき。机で突っ伏す彼を起こすとき。そんな些細なことでも意識するようになった。千景は、俺がこんな事を考えているなんて、思ってないんだろうなぁ。嫌な事を忘れて過ごしていると、ある日、ジャージへ着替える千景が、昔の話を教えてくれた。

 俺、昔階段から落ちたんだ。三年くらい前かな。ほらこの傷。

 そう言う彼が、腕にある痛々しい傷跡を見せてくれた。


 見たことがある、と思った。


 あの日の光景は鮮明に覚えている。目と鼻の先でうずくまって動かない男の子。その男の子の腕にも同じ傷があった。まさかと思って、その日付を聞いた。八月十九日。悪夢の日と全く同じだった。確信めいた疑惑が、ほとんど正解だと悟った。そして同じ夢を見ていると知った時、運命だと考えてしまった。きっと神様が俺たちを導いてくれたんだと。俺が事故の夢を見て、千景に同じ事故の夢を見せて、これ以上想い合う人々の事故が無くなるように世界を変えてくれたんだろうと。そして、央子と夢で会わせて、央子のことを思い出させようとしたんだろうと。

 彼は名前だけでなく、顔……というか雰囲気が央子に良く似ていた。千景は俺を身代わりにしたのかと言っていたけど、きっと、心の何処かでその感情があったんだろう。でも、央子は俺を見てはいなかった。誰にでも優しい女の子だった。千景は違う。俺を一番近くに置いてくれた。自分の身を削ってまで世界を変えようとしてくれるヒーロー。そんな彼を好きになったんだ。でも、変に見透かされていた。こんな稚拙な感情を。



『プルルルルル――』

 急にスマートフォンが鳴り響いた。電話の相手は央子の母親からだった。


『悠李くん、今大丈夫かしら』

「はい。どうかされましたか?」

『……落ち着いて聞いて欲しいの』


 ぶちぶちと、自分を保っていた心が千切れていく音がした。央子の体調が崩れ、もう数日しか持たないかもしれない。なるべく早く面会に来てくれ、と早口で告げられた。彼女は事故の影響で意識がはっきりしていなかったが、それ以上に心臓が限界を迎えており、ずっとずっと手術の機会を待っていた。しかし彼女の体は待つことさえ許さなくなったのだ。いてもたってもいられず、アスファルトの上を走り出した。

 玄関の前で立ち止まる。こんなに走ったのはいつぶりだろう。体育でも、千景と並走するばかりで、全力で走ることはほとんどなかった。荒れた息を整えて、空を見上げる。澄んだ空に三つの星がうっすらと輝いていた。疲れ切った手で玄関の鍵を開けて、家の中に入る。室内は車の走る音だとか室外機の音だとか、頭の中に雑音を入れてくれる物がない分、思考がクリアになっていった。

 リビングから音は聞こえない。心配だ。いつも通り帰宅後の手洗いうがいをこなして寝室のドアを開ける。そして床で狼狽える母を抱き抱え、ベッドへ寝かしつけた。手を握り、布団をかけて、寝室を後にする。

「もう、俺はどうしたら良いんだろ……」

 何もかも俺が悪いんだ。千景を困らせるのも、央子が怪我したのも、母が事故現場を見てから時々フラッシュバックを起こすのも、俺が……俺が、公園に行きたいだなんて言ったから。窓の外の星々。一つが雲に隠れて見えなくなっていく。


 あぁ、そうか。

 俺が始まりなら、俺が終わらせれば良いや。

 

 玄関のドアをゆっくりと閉め、自転車に跨り、俺は星空の下を走り抜けて行った。


――



 夜が深まる頃、俺は央子の病室に着いた。

 中に入ると、入り口に看護師が二人、そしてご両親が彼女の側で泣いていた。その光景を見て、彼女に死が近付いていることかま現実だと、思い知らされた。悠李くん、来てくれてありがとうと声をかけられたが、返せる言葉がなかった。軽く会釈をして、恐る恐るベッドに近付く。ぼんやりとした光のもとに照らされた彼女の顔は、いつも以上に険しく見えた。


「……ちか…………いかないでよ……いつも引っ張っていってくれたでしょ……そんな早く、先に行くなんて、だめだよ……」

 反応はない。

「ねぇ……まだ……まだ……伝えたいこと沢山あるんだよ……行きたい場所も、話したいことも……紹介したい人もいるんだ……」

 反応はない。

「まだ早いよ……早すぎるよ……」


 握った彼女の手は、温もりを忘れようとしていた。俺を引っ張ってくれた手が、こんなにも頼りないものになるとは思っていなかった。

 窓枠に飾られたうさぎがぽとりと床に落ちた。俺があげたうさぎのぬいぐるみ。握られないまま終わってしまう。

 身体の中に何もかもなくなるまで泣いて、泣き疲れていつの間にかそこで寝てしまった。空っぽで真っ暗な身体なんて、もういらない。



――



 朝。目を覚ますと、そこは教室だった。

 誰もいない、見慣れた教室はどこか寂しい。

 窓が開いていた。そこに行くことが正しいと思えた。


 後ろから俺を呼ぶ声がした。



 ……だめだなぁ、ほんと。


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