幕間:カイン視点①
いよいよ明日はエリオットとアリシアの婚約パーティーが開催される。
イリアは何故か嬉しそうに部屋へと戻っていったが、多分負けず嫌いで正義感の強いイリアのことだ。
「ぎゃふんと言わせてやる!」
などと気合を入れてるのだろう。
エリオットとの婚約破棄でさえ平然としていたイリアなのに、エリオットの愚行とガイザールの危機を前にしてクーデターをすると決めたのだろう。
カインは今回の婚約破棄については納得いかなかったし、なんなら自分がエリオットと刺し違えてもいいくらいの気持ちであったのでイリアに逆襲される姿を見れれば溜飲が下がるだろう。
「いやー、イリアちゃんは凄いなぁ」
カインの目の前に座りワイングラスを傾けながらレヴァインが言う。
夕食後にこうしてカインの部屋に来ては共に酒を飲んでいこうとする兄は、今日も今日とてワインを楽しんでいる。
自分とは違うハニーブロンドの髪を何とは無しに見ていた。
目鼻立ちも髪の色も自分とはやはり似てはいない。
半分は血が繋がっているが多分お互い母親の特徴を受け継いだのだろう。
「ねーカイン。お兄ちゃんは、イリアちゃんをカインのお嫁さんにしたいんだけど」
「そうは言っても本人にその気がないんだから仕方ねーだろ」
「さっさとものにしちゃえばいいんだよ!ほら、隣同士の部屋にしてるんだし、夜這いだよ夜這い!」
「はぁ、簡単に言うなよなぁ」
カインは深くため息をついた。
そしてそのまま窓の外を見た。
窓から見える庭の植木がざわざわと音を立てて揺れているところを見ると風が強いのかもしれない。
目の前に置かれたワイングラスを持ち一つ呷るとそのまま目を閉じ、聞こえないはずの風の音を思い出していた。
※ ※ ※
カインがディボに拾われたのはイリアがやってきた年齢よりは少し上だったが、そう変わらない少年だった。
いや少年というよりは幼い子供と言った方が正しいだろう。
カインはガイザール国境の森に捨てられたのだ。
最初は意味が分からなかった。第一王妃がやってきたと思うと、男達に攫われ、そして森に打ち捨てられた。
遠ざかっていく馬車をただ茫然と見送ったのを鮮明に覚えている。
城に帰りたくても帰り道も分からない。
夜になれば得体の知れない動物の息遣いや遠吠えが聞こえてきて半泣きで走った。
城に帰るために昼は森を彷徨い、夜は闇を恐れながら身を縮こまらせて朝を待った。
「お兄様、お兄様」
カインが唯一心を許せる肉親であり、自分を可愛がって面倒を見てくれた兄。
レヴァインは勉強をすれば褒めてくれ、共に剣術を学べば凄いと言ってくれる。
カインは兄が大好きだった。
どんな時も傍に居てくれた兄がきっと助けに来てくれると信じていた。
だがそんな願いは叶うことなく、何回かの昼夜を繰り返した日にカインは空腹で動けなくなってしまった。
「兄上…どうして助けに来てくれないの?」
鼻の奥がツンとして、目に浮かんだ涙が目尻から流れる。
仰向けに倒れて見える空がやけに高くて、それが届かぬ希望のようで、カインはそっと目を閉じた。
ざわざわと森の木々が音を立てて、カインの耳に届く。
そんな時、カインの目裏が暗くなり誰か人の気配を感じてカインは弾かれるように起き上がった。
「お兄様!?」
「あー。起きちゃったか」
「お兄様じゃない?」
「うん、僕はディボ。君は…」
「カインです。カイン・ランディックです」
「え…?攻略対象?」
「?」
「あぁ、なんでもないよ。そうか…君がランディックの」
ディボと名乗る男はうーんと少し考えた後に、くるりと周りカインに背を向けた。
「あ、あの…」
「カイン、ついておいで。お腹が空いているだろう?」
一瞬の躊躇い。
(この人はいい人?悪い人?)
考えたが答えは分からない。ただ紫と青の二色の瞳に映るのは善意だ。
カインは意を決してディボへとついて行った。
それがカインとディボの出会いだった。
後に知ったのだが、第二王妃の息子であったカインは第一王妃に疎まれており、第二王妃が亡くなったことを機に王位継承権を持ち、邪魔であったカインを殺す目的で森へと捨てたのだった。
第一王妃の息子であるレヴァインの王位継承を確たるものにするためだったのだろう。
そんなことは知りもしない幼いカインは、ただ漠然と「王家に捨てられた」という事実だけを受け止め、ディボと共に暮らすことになったのだった。
それから二年ほど経った頃だろうか。
カインは人嫌いのディボのために森に入ってくる人間を排除するのが日課になっており、いつしか「森には魔獣がいる」という話になっていた。
「じゃあ師匠!俺、見回り行ってくるわ」
「分かった。気を付けて行ってくるんだよ」
その日もいつものように森の見回りに行くことにした。
ディボはそう返事をしてサマーチェアに寝そべって本を読みながら見送ってくれる。
そう、いつものように。
だがそこに珍客が現れた。
金の豊かな巻毛を靡かせ、若葉を思わせる意志の強い瞳の少女。
自分よりもずっと幼い彼女をカインはいつものように森から追い出そうと戦いを挑み…そして負けた。
(う、嘘だろう?!)
初めて、しかも自分より年下で小柄な女の子に負けたのだ。
カインはしばし信じられなかったが約束通りディボの元へと案内する。
聞けば王家が魔法の力を欲して婚約を強要したために逃げたとのこと。
(こいつも王家に振り回されたのか。俺と同じか…)
自分の境遇もありカインはイリアに親近感を抱いた。
カインとしては王家のせいで行き場を失ったイリアを受け入れることに賛成だったが、肝心のディボは首を縦に振らない。
だがイリアは諦める事なく、そして予想外の交渉の末に弟子入りすることになり、カインの妹弟子となったのだ。
イリアは口を閉じていれば良いところのお嬢様に見えるがその中身はカインの予想を超えるぶっ飛びぶりだった。
勝ち気で負けず嫌いで努力家。
魔法の制御が上手くいかなくても何度も何度も諦めずに練習していた。
そしてカインにはよく分からないがフィールドワークと言っては山に分け入り泥まみれになってくる。
天真爛漫という言葉が似合う人物だった。
そんなイリアだったが、カインは一度だけイリアが泣いているところを見てしまった。
あれはイリアがカインと共に住んで一年経つか経たないかの時だった。
イリアに一通の手紙が届いたのだ。
それは王都にいる両親が寄越したものだった。
手紙を見たイリアは少しだけ顔を曇らせた。
「ん?両親からか?なんか悪いことでも書いてあったのか?」
「はっ!あ、ううん、なんでもない。私、魔法の練習に行ってくるね」
「おう。またあの野原に行くのか?」
「うん。あそこなら魔法の制御が失敗しても被害がないから」
「そっか。なんか天気悪くなりそうだから雨降る前に帰ってこいよ!」
「分かったわ!行ってきます」
そんな会話をしたのち、イリアは足早に出ていった。
それから夕方になり、予想通り雨が降り始めた。
だがイリアは一向に帰ってこなかった。
「あいつ何してんだ?…なんかあったのかもしれねー」
カインはイリアが訓練している野原へと迎えに行った。
灰色の厚い雲が天を覆い雨粒が音を立てて大地へと降り注ぐ。
野原の空は広く、雨を遮るものは何もない。
その中でイリアが雨に打たれたまま立ち尽くしていた。
「おい!イリア!何してんだ!!」
「カイン…」
「こんなに濡れて!早く帰るぞ!」
カインは持っていた傘にイリアを入れるとその手を握った。
驚くほど冷たいイリアの手は小刻みに震えていた。
「イリア?…どうしたんだ?」
いつもとは違う様子のイリアにカインは戸惑いながら声をかけた。
「魔法の制御が…何度やってもうまくいかないの」
ポツリと呟くイリアの頬から一筋の雫が流れる。
雨か、それとも涙が。
そしてイリアはもう一言、言葉を続けた。
「私が死んだら、お父様やお母様は悲しむかしら」
今にも消えてしまえそうなイリアを見てカインは何と声をかけていいのか、口を開いて、そして言葉を飲んだ。
何故、イリアが死ぬことになるのかよくは分からなかった。
心当たりがあるとしたらここ最近、魔法の修行がうまくいかずに悩んでいたこと。
そして先ほどの両親からの手紙のことだ。
「とりあえず帰るぞ」
カインは悩んだ末にイリアの手をぐっと掴んで引っ張るようにして家へと戻った。
半ば小走りにして家に帰り、カインは作っていたオムライスをイリアの前に置いた。
着替えはしたものの、タオルを頭から被って座っているイリアは俯いていたが、コトッと音を立てて置かれた皿に気づいて顔を上げた。
「ほら、とりあえず食えよ。なにを落ち込んでんのか俺にはわかんねーけど、お前には俺がいる!どんな時にも力になるし、守ってやる!それに魔法が制御できねーくらいで落ち込むなんてお前らしくないぜ!」
いつもとは打って変わってあまりにも儚げなイリアを見て、カインはそう言って励ました。
イリアは驚いた表情をした後、少しだけほっとしたように息を吐いた。
「そうね。私らしくないわね」
「ああ、ほらこれ食って元気だせよ」
「うん。…美味しい!」
ようやくイリアの顔に笑みが浮かんだ。
そして今度はカインを見つめ、にっこりと笑った。
「うん、元気出たわ!ありがとう、カイン」
「おうよ」
「カインが作る食事って、食べると元気が出るの。優しくて暖かくて、カインみたい。うん、カインの味、好きだな」
微笑みながら好きと言われて、カインは思わずどきりとした。
そんなカインには気づかないイリアは言葉を続ける。
「カインは魔法使いね」
「は?魔法使いはお前だろ?」
「ううん。こんなに元気が出る食事なのはカインの魔法がかかってるのよ、きっと」
そう言ってイリアはオムライスをまた口に運んだ。
カインのオムライスは正直オムライスと呼べるような大層な代物ではなかった。
余った米にありあわせの食材をぶっ込んだもので、包んでいる卵もぐちゃぐちゃだし、味だってケチャップが少ないせいで薄味になったしお世辞にも上手いとは言えない代物だ。
だがイリアはそれを元気が出ると言って嬉しそうに食べてくれた。
(こいつは妹弟子だから、俺が面倒見て守ってやらねーとな)
正直、もうあんな辛そうな顔は見たくない。
イリアが笑ってないと調子が出ないし、死ぬほど心配してしまう。
きっと兄であるレヴァインもカインに対してそう思ってたのかもしれない。
ふとそんなふうに思った。
(でも食事一つでこんなに元気になるなら…もっと上手いもの作れるようにならねーとな)
そう思いながら、カインは美味しそうにオムライスを食べるイリアを見つめるのであった。




