飼い主探し
結論から言うと飼い主探しは難航していた。
最初は川辺の周辺で聞き込みをしていたが情報がない。
聞けばカテリナもこの街は初めて来たとのことで土地勘の無いイリア達はどこを当たるべきかも検討がつかなかった。
その結果、こうして街中を彷徨ってしまっているという状況である。
「目撃情報とかもう少しあるといいんですけどね」
「日暮れ前にはなんとか飼い主が見つかるといいが、疲れてはいないか?」
「大丈夫です!鍛えてますから!早くワンコちゃんの飼い主さん探さないとですし!」
その時イリアのお腹が盛大に鳴った。
ぐぅ~きゅるきゅる
ガッツポーズまでして気合を見せたイリアだったが、妙にしまりが無くなってしまう。
しかも女性とは言えイケメンの隣で呑気にお腹を鳴らすというのは非常に恥ずかしい。
「…あははは」
「ははっ。空腹のようであればこの飴でも舐めているといい」
「あ、ありがとうございます」
その時パンの焼けるいい香りがしてきた。
小麦の甘い香りはバターと合わさっているのか、香しい香りとなって鼻腔に運ばれてくる。
イリアにピタリと寄り添うように歩いていた犬の鼻も、この香りに反応してかぴくぴくと動いている。
口が少し開き、何度も舌なめずりしている。
「パンならワンコちゃんも食べれますよね」
「あ?あぁ、大丈夫だと思うが」
「よし、ワンコちゃん!ご飯タイムにしましょ!」
「ワン!」
今まで首元を下げてゆっくりと歩いていた犬もイリアの言葉に答えるように吠え、イリアと共にダッシュでパン屋まで駆けた。
パン屋のショーケースには焦茶色で魅力的なパンが所狭しと並んでいる。
イリアは口の中でじゅるりと溢れた唾をごくりと飲み込むと、隣に鎮座するように座った犬も舌なめずりをした。
フランスパンにデニッシュ。バターロールにシナモンロールまである。
(うーん、甘い系のクリームパンがいいかな。でもウィンナーロールも捨てがたい…)
両方という選択肢もあるがカロリー的な問題を考慮すると悩むところである。
ショーケースを前にうんうん考えていると、すっとイリアの横にカテリナが並んだ。
「こちらのパンと悩んでいるのかな。ならば両方買えばいい」
「いやぁ…ちょっと食べすぎになるかなぁと」
「ん?そなたは十分痩せている。むしろしっかり食べた方がいいだろう」
思わずお腹に手を当てて考える。
かなりの誘惑だ。
だが旅でカロリーを消費すると言い訳をして最近食べすぎであることを実はカインに指摘されている。
そんなことを考えているとカテリナはひょいひょいと持っていたトングでクリームパンとウィンナーロール、そして白パンをトレイに乗せると会計をした。
その行動は颯爽としておりあまりにも自然な行動だった。
カテリナはそのままイリアに腕を絡ませるようにして店の外に出るとパン屋の横にある階段にイリアを座らせた。
「さぁ、食べるといい」
「えっ?」
「半分こしようじゃないか」
(イ、イケメンだ…)
元々中性的な顔立ちの美形で、イケメンボイス。
加えて紳士的な振る舞いでイリアをエスコートした上にこの気遣い。
(惚れてまうやろーー!)
と、脳内で前世で聞いたことのあるフレーズが頭に浮かんだ。
「ほら、そなたも食べるか」
カテリナはイリアの隣に腰掛け、白パンを一口大にちぎると犬の前に差し出した。
犬はクンクンと匂いを嗅いだかと思うと勢いよくそれに食いつき、もっと欲しいのか尻尾をパタパタさせた。
「わんわん」
「そうか、もっと食べるか。ほらゆっくりお食べ」
カテリナが差し出したパンをガツガツと食べる犬の様子からかなりの空腹だったのだと推察された。
嬉しそうにパンを食べるワンコの頭をそっとカテリナが撫でている。
その手つきは優しく、犬などの動物に慣れているようであった。
カテリナの手は長い指がとても綺麗だったが、右手の甲に痣のようなものが認められた。
それは紫色をしておりカテリナの白い肌に非常に目立ってしまっている。
(痣?いえ、何かやけどの跡みたいな感じ?)
しばし凝視してしまったイリアであったが、あまり不躾に人の傷口を見るのは失礼だと思い、犬に優しい眼差しを向けるカテリナにそっと視線を戻した。
「カテリナさんはやっぱり教皇を見に来たんですか?」
「まぁそんなところだ。そなたは?」
「私は旅の途中でたまたま」
「そうか。旅の途中で犬の飼い主探しをするなんてお人好しだな。犬が生きようと死のうとそなたには関係ないことだろ?現に、この土地の人間はこの犬が石を投げられようと、川に投げ込まれようと無関心だった。旅人ならなおさらこのような面倒ごとに関わらなくてもいいのではないか?」
「えっ?!カテリナさんがそれ言っちゃいます?カテリナさんだっていい人ですよ?」
「我が?」
「だって、この子が溺れてるのを見て、すぐに飛び込んだじゃないですか」
あの時、川の流れは確かに早くはなかったが、水は冷たいし、服を着たままでは自身も溺れる可能性もあった。
なによりあの短時間で川に飛び込んで犬を助けようという決断をするのは難しいだろう。
それはひとえにカテリナが小さな命を救おうと必死だったことであり、彼女が優しい人物であるという証明だと思う。
カテリナはイリアの言葉を聞いて一瞬目を伏せた後、少し呆れたように言った。
「そんなに簡単に人を信じるものではない。例えば…我が悪い人間で、そなたを殺そうとしているかもしれないぞ」
「え?…ふふ、それはないですよ。人を殺すような人がこんなに優しく犬を撫でたりしません。動物は賢いから悪い人と良い人の区別がつくと言いますし!」
カテリナは少し苦笑しながら老犬の柔らかな毛を撫で続けていた。
その様子を見て不意にイリアはマシュの事を思い出していた。
元々ふらりと現れる不思議な犬ではあったが、王都を追放されてからは姿を見ていない。
(今頃どこにいるのかしら…)
少しの懐かしさを覚えたイリアは、パンを食べ終えて満足そうな犬に、マシュにしていたように抱きつき、わしゃわしゃとその毛を撫でた。
犬は気持ち良さそうに目を細めてイリアの手を受け入れてくれている。
(飼い犬…にしては痩せすぎだわ)
イリアは犬を撫でたまま様子を見た。
(でも首輪は上等な革製のものだし…それにこれは小ぶりだけどサファイアだわ)
黒の首輪にはぽつぽつと小さなサファイアがあしらわれている。
飼い主は金持ちであることは確定だ。
老犬で食が細いから痩せているのかとも思ったが、パンの食べ方を見てそれは否定された。
ということは…
(食べ物を与えられてないのかもしれない)
それは虐待を意味する。
「さて、そろそろ飼い主探しを再開するか。今度は街の東側に行ってみようか?」
「それなんですけど…」
イリアは少し悩んだ。
犬が虐待されているのであれば、飼い主の元に戻すのは得策とは言えない。
だがこのまま犬を保護して連れ去るわけにも行かない。
「どうした?」
カテリナに虐待の可能性を告げようとした時だった。
「旦那様ぁ!おりましたぜ!」
声と共にバタバタと足音が近づいてきた。
それは前歯が出て三白眼の小柄な男で、イリア達の前で止まるとぴょこぴょこと跳ねて後ろに声をかけている。
手招きしている方向を見ると、オールバックに薄いブルーの入った色つきメガネをかけた六十歳過ぎの男が貫禄もあらわに登場した。
「こいつぁ、間違いないシュモンでっせ!」
前歯の男がイリアの傍らに座っていた犬にずずいと顔を近づけて言った。
「おお、確かに。探したぞ、シュモン」
前歯の男が従者で、色つきメガネの男がこの老犬の飼い主だろう。
飼い主は老犬の前に仁王立ちになった。それを見た犬は震えながら後退り、イリア達の後ろに隠れた。
「ほら、帰るぞ!ヘイズ」
「了解しやした。ほら、こい!」
ヘイズと呼ばれた従者は持っていたリードをシュモンにガチャリとつけると、シュモンは逃げるようにして暴れた。
「おら、静かにしやがれ!」
ヘイズはシュモンを一喝し、ゴンと頭を殴ったので、シュモンは小さく悲鳴を漏らした。
「ちょ…ちょっと!何するんですか?!」
イリアは慌ててシュモンの頭を抱えるようにして庇った。
「なんだ貴様ら。貴様がこいつを盗んだのか!」
「な…」
開口一番にそう言われてイリアは絶句した。
「まさか!この子が石を投げられていたので保護したんです」
「ふん…まあいい。こいつは返してもらうぞ」
「待ってください!シュモンが嫌がってるじゃないですか!」
「ぐだぐだ五月蝿い。は?金が欲しいのか?ヘイズ」
「へい!」
飼い主の男がヘイズに顎で指図すると、いつもそうしてるのか皆まで言わずにヘイズはイリアに金貨を差し出した。
「ほら受け取れ」
「そういう問題じゃないです。…失礼ですが、この子にちゃんとご飯食べさせてますか?こんな風にいつも殴ってるんですか?」
「…何が言いたい」
「虐待じゃないですか?」
イリアは飼い主の男を少しだけ睨んで言うと、男はぴくりと右の眉を上げた。
シュモンを抱えながら上を見上げているイリアを、下卑た者を見るようにして鼻で笑う。
「儂の犬だ。どうしようと勝手だ。行くぞ、ヘイズ」
「へぇ!…お前、邪魔すんじゃねー」
「きゃ!」
イリアはヘイズに突き飛ばされた。
同時にシュモンは引っ張られ悲痛な鳴き声を上げた。
「くそバカ犬が!!」
苛立った飼い主はシュモンを殴ろうと手を振り上げた。と、同時にその腕をカテリナが止める。
その目には怒りの炎が見えた。
「それ以上はやめたまえ。この犬は渡せない」
「は?なんだ貴様は!もっと金が欲しいのか?この強欲め!」
男はカテリナに捕まれた腕を振り払うようにして振り回すと、反動でカテリナがよろめく。そして、彼女のお腹を足蹴りした。
カテリナは後ろに倒れそうになりたたらを踏むと、痛みのためかお腹を抱えた。
男はというと汚いものが触れたかのようにカテリナが掴んでいた場所を手で払う。
「ふん。これだから下賤のものは嫌だ。金目当てか?やはりお前達が盗んだのか?なんなら警察に突き出してやる」
そう言ってカテリナの襟首を握り持ち上げた。
カテリナは長身であるが、それよりもガタイがよく長身である飼い主の男に持ち上げられ苦しそうに顔を顰めた。
「カテリナを離しなさい!彼女は虐められて川に投げ込まれたこの子を、躊躇なく川に入って助けてあげたの!飼い主探しだって付き合ってくれたし、この子のためにご飯買ってくれた。誰が飼い主かも分からないのに見返りのためにできるわけないでしょ!!」
イリアは立ち上がって一気にそう捲し立てた。
飼い主の男は任侠映画の役者のように威圧的でこちらに睨みを効かせた。
だがイリアは怯まなかった。むしろ逆にキレた。
「トリステン家訓その1!目には目を!歯には歯を!…サプレア!(空撃)」
叫んだイリアは同時に男に向かって手を突き出すと、そこから真空の刃が繰り出される。
風と共に男の腕を切り、同時にその服をボロボロにして吹き飛ばした。
ついでにシュモンを繋いでいたリードも切り落としたので、ヘイズの手からぽとりとリードが地面に落ちた。
「な…なに?!」
自分の服が突然バラバラとなり、ほぼ半裸状態になったことに男の理解は追いついていない。
目を丸くしてこちらを見ている。
今度は形勢逆転。
地面に尻餅をついてイリアを見上げる男に対し、イリアはそれを冷たく見下ろした。
「この子は引き取らせていただきます。それとも…下賤な者のお金が必要ですか?」
イリアはわざとらしく先程ヘイズが渡そうとしてきた倍の金貨を男の前に落とした。
金貨が互いにぶつかり合い金属特有の音を立てながら男の前にばら撒かれる。
「えーい、こんな老いぼれ犬なんて不要だ!くれてやる!!行くぞ、ヘイズ!」
「へ、へい!!」
飼い主の男はサングラスの中の細い目でガンくれながら立ち去っていく。
ヘイズはシュモンをどうするのか分からないようで何度か男とシュモンを交互に見たあと慌てて主人を追って行った。
「ふん」
イリアはそれを見送った後、カテリナとシュモンの元に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ。すまなかった」
シュモンも心配そうにカテリナの脇に座り、つぶらな瞳でその顔を見上げている。
「それにしても…そなたは本当にお人好しだな。まさか引き取るとは。旅の途中だろう?犬を連れての旅なんて大変ではないか?」
「まぁ…そうなんですけど。でも虐待されると分かっていて返せないですよ」
これからの旅のことを思うと確かに犬を…しかも老犬を連れての旅は大変だろう。
シュモンにも無理をさせてしまうかもしれない。
でもあのままあの飼い主に引き渡してはシュモンが死んでしまう可能性があったことを考えれば最善ではないかもしれないが最良の選択であったと思う。
「うーん、確かにこれから長旅になるし…シュモンを歩かせるのは大変かしら。打身も治ってないし…馬車を購入するとか…あーでも山越えとかあるみたいだし」
どうすればシュモンと共に旅ができるか思案していると、カテリナが提案してきた。
「我が引き取ろう」
「え?でもカテリナさんも旅の途中ですよね?」
「ああ。だが我はまた王都へ戻る。帰りの馬車を手配しているし問題はない」
確かにシュモンもカテリナに懐いているし、馬車での旅であればシュモンも辛くはないだろう。カテリナであれば虐待もしないし、むしろ可愛がってくれそうだ。
「…では、すみませんがよろしくお願いします」
「承知した。では我は戻るとしよう」
「シュモン、カテリナさんに可愛がってもらうのよ。元気でね」
イリアの声に応えるようにシュモンはワンと元気に吠えた。
最後にもふもふを堪能したイリアはもう一度カテリナに頭を下げた。
「カテリナさん、飼い主探し付き合ってくださってありがとうございました!」
イリアがその場を離れようと一歩踏み出した。全ての問題はクリアされて清々しい気分だ。
その時ぐいと腕を引かれ、イリアは百八十度回転した。
見れば目の前にカテリナがいる。
「先程の飴だが…」
「飴?あぁ、いただいたものですね。後でいただきます」
「返してくれないか?」
「えっ?!…いいですけど」
突然の申し出にイリアが戸惑っていることを察したようで、カテリナは眉を顰めて申し訳なさそうに説明した。
「その…それは妹にやる約束をしていたんだ」
「そうだったんですね!」
飴は小瓶に入っており乳白色のそれは、日光に照らされて鈍い光を放っている。
確かに綺麗な代物でなかなかお目にかかれないもののように見えた。
さっきは空腹で悲壮な顔をしていたのだろう。
優しいカテリナはお土産であるのを譲ろうとしてくれたのかもしれない。
「すみません…あまりの空腹で見苦しい顔をお見せしました。はい、お返ししますね」
「すまない」
「いえいえ」
その時聞き慣れた声がした。カインだ。
「あ、イリア。良かった見つけられた」
前方からやってきたカインの両手には色々紙袋が抱えられている。
旅に必要なものの買い出しをしてくれたのかもしれない。
「あ、では連れがきたので失礼しますね。カタリナさん、シュモンをよろしくお願いします」
「あぁ」
イリアはシュモンにも手を振ってカインの元へと向かったのだった。
そんなイリアには後に残されたカテリナの呟きは聞こえなかった。
「簡単に人を信じるものではないのにな。…そなたとはもっと違う形で会いたかった」




