イケメンボイスの人
王都を出て一週間あまり。
ランディック王国との国境に近い街であるラフデンという街までイリア達は来ていた。
街は活気に満ちていた。
中心部には大きな川が流れており、その川に沿ってある石畳の道路をせわしなく人が行きかっていた。
「謎の流行病!そこで聖女アリシアが現れ、聖水によって人々を癒した!彼女こそ、救国の聖女!」
橋のたもとには人だかりができており、イリアはその中に紛れるようにして目の前の寸劇を見ていた。
背の小さいずんぐりむっくりの男が揚々としてセリフを言い、それに合わせてプラチナブロンドの髪の女性が進み出て祈るようなポーズをした。
その脇にそっと立ったのは金を帯びた薄緑の髪の男性だ。
「聖女アリシアは見た目だけではなく、心根も優しい女性だ。多くの人に救いの手を差し伸べる!そして救国の聖女、アリシアと我が国の王太子エリオット殿下は直ぐに恋に落ちた!」
浪曲師の男がそう言うと、二人の役の男女は見つめ合い抱き合った。
「あぁ…アリシア。そなたは美しい!どうかその心を私にくれないか?」
エリオット役と思われる役者がそう言えば、アリシア役の女優が切なそうに一瞬目を伏せたのち、クルリと男性に背を向け顔覆った。
「殿下をお慕いしております。ですが貴方様にはすでに婚約者がいます。どう足掻いても貴方とは結ばれることはできません」
「私が愛しているのはそなただけだ。かの婚約者は政略結婚だ。だがこの気持ちを隠すことはできない。いっそ、二人で逃げようか」
「エリオット様」
「アリシア」
そうして二人は口づけをする(正確には演技をしているのでフリをしているだけなのだが)。
「愛し合う聖女と王子。だがそんな真実の愛で結ばれた二人の仲を割こうと現れたるは悪役令嬢イリア!婚約者の座を奪われたと逆恨みしたイリアはアイリスに非常な仕打ちをする。その所業はまさに悪役令嬢!」
浪曲師がそういうと今度現れたのはイリアとおぼしき女性だ。
金の髪を振り乱し、半狂乱で叫ぶようにしてアリシアを足蹴にした。
「アリシアめ!!このままいけば私は贅沢な暮らしができるはずなのに!お前のようなものなど死んでしまえ!!」
倒れこむアリシア役。
それを何度も蹴るイリア役。
そしてイリア役が中央で叫ぶ。
「お前を殺してやる!!」
そうしてアリシア役に切りかかろうとするのをエリオット役が止める。
「アリシアを傷つける人間は何人たりとも許さない!」
「ぎゃあああ」
「悪役令嬢イリアはエリオット王子によって返り討ちにされ、真実の愛で結ばれた二人はこうして末永く暮らすことになったのだ!」
最後はエリオット役とアリシア役が熱い抱擁を交わしたところで寸劇は終わった。
周囲の観客は盛大に盛り上がり、大きな拍手が起こった。
役者たちの前には大量のコインが投げられる。
それをイリアの隣で見ていたカインが悔しそうな声で唸るように言った。
「くそ…イリアのこと、好き勝手に言いやがって!」
「本当よね!信じられないわ!良くもまぁあんなに脚色したものだわ!」
イリアは憤慨した。
それを聞いたカインも深く頷いた。
「だよな!確かにエリオットは心変わりしたけど、イリアはあんなことしてないのによ!」
「私、あんなに髪を振り乱したりしてないわ!」
「え?」
「そりゃ確かに女子力に欠ける部分もあるけど…あと目の下にも隈を作ったりもするけど…あんな魔女みたいな恰好はしない!」
「怒るところそこか?」
「ん?それ以外に何か怒る要素あるかしら?」
イリアとしてはあんな幽鬼のような容貌で描かれるなど不本意以外の何物でもない。
だがカインはなにやら別なことに対して怒って言うようだ。イリアはそれが何か理解できず首を傾げてカインに尋ねた。
「いや…殺そうとしたところとか、悪役令嬢だとか」
「あぁ。まぁフィクションだし、別に気にしてないけど」
現在悪役令嬢イリアを倒し、エリオットとアリシアが真実の愛で結ばれるというこの話は各地で大人気だった。
今回は寸劇だったが、劇場で長編として演じられることもあるし、小説としても売り出されてベストセラーになっていた。
「これで経済が回るんだからいいんじゃないかしら?」
「本当お前って…まぁ、気にしてないならいいけどよ」
「それより行きましょ。宿屋を見つけないと日が暮れちゃうわ」
イリアはそう言って群衆から抜け出そうと人をかき分けて行くと、後ろから誰かに押されてしまい大通りにつんのめるようにして人混みから出てしまった。
「わ!」
「おや…大丈夫かい?」
柔らかい衝撃と共に頭上から凛としたアルトボイスが降ってきた。
耳に心地よく艶のある声は女性とも男性とも言えない音域で、ずっと聴いていたいと思わせる魅力があった。
(わ…超イケボ)
声の主を見上げてみると端正な顔が、自分を覗くように見ている。
一瞬驚いたようにオレンジの目が見開かれたかと思ったがすぐにそれは無くなり、猫を思わせる少し吊り目のチャーミングなものに変わった。
「一人で立てるかい?」
「す、すみません!」
その時イリアは自分がその人物に抱きしめられていることに気づき、慌てて離れた。
一歩下がってみればその人物は華奢な男性のようにも見えるが、すらりとした体躯の女性にも見える。
ウェーブのかかった薄紫の前髪はサイドだけ長く、後ろはショートカットになっているのも性別不明に見える原因かもしれない。
「今日は人が多い。そなたのような華奢なお嬢さんは気をつけて歩かないとまたぶつかって怪我をしてしまうかもしれぬ。気をつけるといい」
「はい。助けてくださってありがとうございました」
「ではな」
颯爽と去っていく後ろ姿をイリアは見送る。
(男性?女性?私より背が高かったし男性かしら?)
格好も黒のパンツに黒のロングブーツを履いていたから多分男性なのだろう。
「イリア!」
「あ、カイン」
はぐれたと思ったカインも後ろの群衆から抜け出して傍に駆け寄ってきた。
道端での寸劇を見に観衆が集まっていたのを差し引いても、街は人でごった返している。
先程助けてくれた男性も言っていたがかなりの人出である。
「随分と賑やかな街ね。ザクレよりも人が多いくらいね」
「それなんだけどさ、さっき聞いたんだけどなんか明日教皇がこの町に来るんだと。流行病で人が不安だろうってことで慰問が目的らしい」
「あー、それで周辺の街の人やら巡礼の人やらがこの街に来てるのね」
「あぁ、だから早く宿を確保した方がいいな」
イリア達はそう言いながら宿探しを始めたのだが、どの宿も満室であった。
街にはかなりの宿屋があるのですぐに部屋を取れるとタカを括っていたイリア達だったが予想外にも全て断られてしまった。
夕方前から宿探しを探していたのだが全く宿が確保できず、気づけば日も暮れてしまっている。
正直歩き回りすぎてへとへとだ。
「うーん、教皇効果舐めてたわ」
「だな。あー、ここはどうか?」
カインが示した宿屋はイリアが今まで探していた宿屋よりも若干値が張りそうだった。
まだ旅が続くことを考えると節約は必要だが街の真ん中で野宿というわけにも行かない。
今までは低価格〜中ランクの宿屋を見てきたがこの価格帯の宿屋は覗いていない。案外少し高い宿屋の方が空きがあるかもしれない。
そう思ったイリアはカインの提案を受け入れ、宿屋のドアをくぐった。
「いらっしゃいませ」
「すみません。今日部屋空いてますか?」
「ええ、大丈夫ですよ。一泊でよろしいですか?」
「はい」
「承知しました。では、ご案内します」
フロントの眼鏡をかけた男性が礼儀正しく受け答えをした後に、ロビーにいたベル係の女性スタッフに目配せをする。
パリッとしたメイド風の制服を着た年嵩の女性が小さく頷くとイリア達の荷物を受け取って部屋へと歩き始めた。
ベル係は道すがらイリア達に気さくに話しかけてくれた。
「道中お疲れになりましたでしょう?どちらからいらっしゃったの?」
「王都からです」
「まぁ!そんな遠くから。やはり教皇様を見に?」
「あ、いいえ。ランディック王国へ行く途中なんです」
「そうだったんですね。ご夫婦で隣国まで行かれるなんてハネムーンかしら?」
「ふ、夫婦!?いやいや俺達は」
ベル係の女性の言葉にイリアもカインも驚きの声を上げた。
カインが慌てて訂正しようとするがベル係は聞いていないようで話を続けている。
「ふふふ…。お二人とも赤くなって初々しいですこと。私はランディックの出身なんですが新婚旅行にぴったりな場所もあるんですよ。あ、ぴったりと言えばフタミウラの夫婦樹に行けば夫婦円満が末永く続く様になりますよ」
「え、いや俺たちは違くて!」
「あぁ、でも夫婦樹の先は死の森も近いので行かないように気を付けてくださいね。死の森に入ると呪いで死んでしまうって言われてますので。…さぁ、ここですよ。どうぞ」
一方的に話していたベル係の女性は部屋のドアの前でピタリ止まり、ドアを開け荷物を部屋へと運んだ。
「こちらがお二人のお部屋です」
「お二人の…部屋?」
「ええ、見晴らしのいいお部屋ですよ」
確かにイリアが泊ってきた安宿と比較しても広い部屋で一人で使うには贅沢である。
ベッドもダブルベッドのようでこれならば旅の疲れも癒えそうだ。
「では私はこちらで失礼しますね」
「え?もう一部屋は?」
立ち去ろうとするベル係に慌ててカインが尋ねた。
だが女性は不思議そうな表情を浮かべて言う。
「?本日はこちらの部屋しか空室はないですよ。ご夫婦で別の部屋になさるのですか?ご夫婦で過ごすには狭いかもしれませんが…」
「え?いや、困る!物置でもいいからもう一部屋頼む!」
「えぇ…でも、お客様に物置でお泊りいただくわけには…。申し訳ありませんが、この部屋で我慢してくださいませ。あ、もしかして…」
なるほどと女性は何かを察したようで、うんうんと頷いた。
「喧嘩するほど仲が良いと言いますし…より仲を深める機会だと思ってくださいませ!では、ご夫婦水入らず、ごゆっくりとお過ごしください!」
「ちょ…!え?え?ええ??」
「ふふふ、素敵な夜を」
硬直するカインを残したままスタッフは仕事は終わったとばかりににこやかに、そして意味深に笑ってパタリとドアを閉めて出て行ってしまった。
静寂が部屋を支配する。
(んーと?部屋は一室しかない。ということはカインと同室になるってこと?)
イリアも戸惑いを隠せないでいるが、それ以上にカインが動揺しているようだった。
「困る!!俺、物置でもなんでもいいから部屋無いか聞いてくる!」
「カイン、それは無理だと思うわ。カインは一緒の部屋だと嫌?」
イリアとしては着替えの問題はあるがそれは備え付けのシャワールームで着替えればよいのだから問題はないだろう。
それとも自分では気づいていないがイリアが寝相が悪いとか寝言が激しいとかいう他の理由があるのだろうか?
それはそれで恥ずかしいが、部屋が空いていない以上は同室は仕方ないだろう。
「嫌っていうか…お、お前は嫌じゃないのか?」
「え?私?別に嫌じゃないわよ。ベッドもダブルベッドだから二人で寝れなくないでしょ?」
「な…ね、寝る!?」
「あ、カインにとっては窮屈よね。なら私がそこのソファーで寝てもいいわよ」
「は、えっと、そういう問題じゃなくて!男と二人だって分かってるのか?」
「ん?だってカインとでしょ?」
「なにかあったら…その…な」
赤ら顔でカインは歯切れ悪く何かもごもごと言っているがイリアには聞こえない。
(もしや、カインは私が女だからソファーで寝させられないとか思っているのかしら!)
優しいカインのことだ。きっとイリアに気を使っているのだ。
それならば全然問題ないのに。
「もう!ベッドのサイズが気になるならほら!」
「うぉ!」
イリアはカインの袖ぐりを掴んだままベッドにダイブした。
ぼすんぼすんと二つの音がして、イリアとカインの体が柔らかいベッドシーツに沈む。
「ふふふ、ほら二人でも十分寝れるわよ」
仰向けに倒れたカインの顔を上から覗き込めば目を丸くして驚いたまま固まっている。その表情を見て、イリアは思わず笑ってしまった。
まるで十二年前に初めて会った時のようだった。
あの時はカインと戦って彼を穴に落としたのだ。その時の表情と同じだ。
「ふふふ…カインったら何その顔!昔、穴に落とされた時みたい」
「お、お前なあ!突然何するんだよ!それにそれは忘れろ!」
カインとしては屈辱の記憶なのだろう。
顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。
イリアはカインの横に並んで寝転んだ。
「でも懐かしいなぁ」
「あーあの時はびっくりしたな。魔法ぶっ放すのもだけど、王都から一人で来たって言うんだからな」
「そうだったわね」
あの時は一人でディボのところまで行ったが、今はカインがいる。
一人だったら寂しい国境までの旅だったかもらしれないが、カインの存在は心強いし、一緒の旅はとても楽しかった。
「カインありがとうね」
イリアがそう呟くとカインがこちらを向いた。そのダークグリーンの瞳をぼんやり見ながらイリアは思っていたことをぽつりと話した。
「どうしたんだよ急に」
「ちゃんとお礼言いたいなって。今回、また昔みたいに一人で旅をしなくちゃならないと思ってたからカインが来てくれて嬉しい。やっぱり一人は心細いから。それに馬車で側にいてくれるって言ってくれて嬉しかった」
弱音を吐くのは苦手だ。
だけどカインには素直に今感じていることを話したかった。
カインはイリアの言葉を聞いて抱き寄せ、髪を撫でた。
「お前が望むならずっと側にいるからな」
「ふふ、昔もそう言ってくれたわ」
「昔?」
「ほら子供の頃熱出したことあったでしょ。あの時一人で寝るのが心細くて一緒に寝てって強請ったじゃない?」
「そんなことあったか?」
「うん、あったの。こうやって二人で横になって、頭を撫でてくれたわね」
あの時のカインの温もりは忘れられない。
今回も抱きしめてくるカインの腕の温もりが心地よくて、徐々に瞼が重くなってきた。
これまで安宿だったのでこんなふかふかなベッドが久しぶりだったのもあるし、一日中歩き回っていた疲れが出たのかもしれない。
(お風呂入って…洋服着替えなきゃ…)
そうは思っても睡魔がイリアを襲う。
だけどこれだけは言っておこうとイリアは眠気に足掻らいながらカインに尋ねる。
「ねぇカイン。私ができることない?あったら遠慮なく言ってね」
「そうだな…」
思案するカインが発する言葉を聞こうとしたイリアだったがとうとう睡魔には勝てず、最後までその言葉を聞くことなくイリアは眠りに落ちていった。
「イリア、嫁に来てほしい…って寝たのかよ!」
意を決したカインの直球プロポーズは残念ながらイリアの耳には入らなかったようだ。
寝息を立てるイリアを見て苦笑したカインはゆっくりとイリアを抱きしめていた腕を解いて寝かせた。
予定通りカインはソファで寝ようと体を起こそうとした時だった。
ゴロリと寝返りを打ったイリアががしりとカインを抱きかかえた。
「えっ?お、おい!!放せって!」
「すーすーすー」
カインは足掻くが熟睡モードのイリアは一向に腕を解いてくれない。
「無意識かよ…。はぁ…今日は寝れねーな」
カインはガシガシと自分の頭を掻いた後、諦めてイリアと寝ることにした。
とはいうものの好きな女と同じベッドというのはかなりの我慢を強いられる。
理性をフル動員しながらカインの夜は更けていった。




