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借金の保証人になった優しい田舎のおじさんのダンジョン配信  作者: 月瀬 リュカ


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19/38

第19話 借金がなくなっても

借金がなくなったからといって、畑のトマトが勝手に収穫されるわけではない。森健司は朝露の残る畑で赤く熟した実を一つずつ籠へ入れていた。腰を屈め、色を見る。触りすぎないように指先で張りを確かめ、出荷できるものと家で食べるものを分けていく。昨日までと何も変わらない。違うのは一つだけ。胸の奥にずっと引っかかっていた数字がなくなった。三百万円。今はゼロ円。

「……やっぱ気楽だな」

口にしてみると、思っていた以上に実感があった。催促状を見た日も、健司は「なんとかなる」と考えていた。実際、なんとかするつもりだった。だが気にしていなかったわけではない。肥料を買う。燃料を入れる。農機具が壊れる。剣を買う。防具を買う。何をするにも頭のどこかで三百万円があった。今はない。籠がいっぱいになる。健司は両手で持ち上げた。軽い。いや、普通の人にとっては軽くない。

《身体強化Ⅰ》。

岩崎から移ってきた能力。今では意識せず使っている。

「これだけは、まだ残ってるんだよな」

借金がなくなったからといって、移ってきた技能が元の持ち主へ戻ることはなかった。

《剣術Ⅰ》。

《身体強化Ⅰ》。

《気配察知Ⅰ》。

《火炎魔法Ⅰ》。

四つとも、今も健司の中に残っている。本鑑定を受ければ、もっと詳しく分かるかもしれない。問題は、その料金だった。

「高いんだよなあ」

ピィ。すぐ横の支柱。モチが止まっている。

「お前もそう思う?」

ピィ。

「だよな」

ゴンは少し離れた日陰で寝そべり、こちらを見てもいない。健司はいっぱいになった籠を家の前まで運ぶ。そこでは母が洗濯物を干していた。

「母さん」

「何?」

「今日、配信で借金なくなったって言っていいかな」

母の手が止まる。

「私に聞くの?」

「一応」

「健司の借金だったんでしょう?」

「そうだけど」

「もうないんでしょう?」

「ない」

「じゃあいいんじゃない?」

「そうか」

「隠すことなの?」

「いや」

母はそれだけ言うと、また洗濯物を干し始めた。健司は少し笑う。母に聞くと、大抵のことが妙に簡単になる。


そのまま朝の作業を済ませた。今日は直売所へ野菜を納品し、そのあとギルドへ向かうつもりだった。借金はもうない。それでもダンジョンへ行く。最初は三百万円を返すためだけに戻ったはずで、危険な場所へ好き好んで通う気などなかった。ところが今は、少し違っていた。

「鎧蜥蜴、もう一回見たいんだよな」

前回は一度だけ、前脚の付け根へ剣を当てた。傷は浅く、倒すには至らなかったので、無理をせずそのまま撤退した。それでも、戦えないとは思わなかった。やり方を変えればいける気がしている。しかも今は《火炎魔法Ⅰ》もある。標的までまともに届かない程度の弱い魔法だが、使い道はあるかもしれない。

「燃やすんじゃなくて、驚かすくらいならな」

ピィ。

「モチは今日は留守番」

ピィ!急に声が大きくなった。

「ダンジョン行くから」

ピィ!

「危ない」

モチが健司の帽子へ飛ぶ。

「乗っても駄目」

ピィ。

「ゴンと待ってろ」

ゴンは耳だけをぴくりと動かした。モチはその背中へ降りると、抗議するように一度鳴いた。

「帰ったらブルーベリー」

静かになった。

「分かりやすいな」


◇


直売所へ着くと、いつもの職員がすぐに声をかけてきた。

「健司ちゃん!」

「おう」

「今日はトマト多い?」

「あるよ」

「ナス?」

「ある」

「キュウリ?」

「少し」

「米?」

「急に生えない」

「分かってるよ!」

荷台からコンテナを下ろす。職員が一つ持つ横で、健司は二つまとめて抱えた。

「もうその持ち方普通になったな」

「身体強化あるから」

「本当にスキルだったのか」

「鑑定した」

「農業じゃないのか」

「農業もある」

「何でも農業に戻すな」

倉庫へ運び込まれた野菜は、そのまま直売分と通販分に分けられていく。通販の注文は、まだかなり多いらしい。

「今日も配信するのか?」

「ダンジョン」

「畑じゃないのか」

「元々ダンジョン配信」

「そうだったな」

職員が本気で忘れていたような顔をしたので、健司は呆れて言った。

「忘れるなよ」

「最近、野菜売ってるところしか見てねえから」

「俺だって魔物倒してるよ」

「ゴンは?」

「家」

「モチは?」

「家」

「じゃあ今日は見なくていいか」

「俺は?」

「トマト置いたら帰っていいぞ」

「みんなひどいな」


◇


ギルドへ着くと、受付には白花しずくがいた。

「森おじさん!」

「おう」

しずくは一拍置いてから、健司の肩のあたりへ視線を向けた。

「……モチは?」

「やっぱりか」

「何がです?」

「いや」

健司は受付へ探索者証を差し出した。

「今日、借金ゼロって配信で言う」

しずくの顔がぱっと明るくなる。

「本当に完済したんですね」

「昨日の夜、確認した」

「三百万円」

「ゼロ」

「おめでとうございます!」

しずくの声が思った以上に大きく響き、近くにいた受付職員や探索者が何人かこちらを振り返った。健司は少しだけ照れくさくなる。

「ありがとう」

しずくはまだ物足りなさそうだった。

「もっと喜んでくださいよ」

「喜んでるよ」

「全然見えない」

「母さんにも言われなかった」

「お母さんは?」

「よかったねって」

「森家、全体的に反応薄くないですか?」

「三百万消えたから十分」

「そこは数字なんですね」

しずくはドローンの貸し出し手続きを進めながら、話題を今日の探索へ戻した。

「それで、今日は?」

「鎧蜥蜴」

「またですか」

「もう一回だけ」

「火炎魔法試すんです?」

「燃やさない」

「じゃあ?」

「ちょっと考えた」

健司は指先で小さな火を作るような仕草をしてみせた。

「火を出したら、顔そっち向くだろ」

しずくは少し考えてから、健司の意図を探るように聞いた。

「……目くらまし?」

「そこまで強くない」

「注意を逸らす?」

「そう」

《火炎魔法Ⅰ》。

《火炎魔法Ⅰ》の威力は低い。なら、無理に攻撃へ使う必要はない。右側へ火を出して魔物がそちらを見た一瞬に、自分は左へ回る。それくらいなら今の火力でもできそうだった。

「囮にするんですか」

「使えるかなって」

「森おじさん、魔法使いっぽくない使い方しますね」

「火力ないからな」

「普通は鍛えて火力上げようって考えるんです」

「時間かかるだろ」

「かかります」

「じゃあ今ある分で」

「節約家ですね」

「借金なくなったばっかだから」

「もう返済しなくていいんですよ」

「癖になった」

手続きを終え、健司はダンジョン入口で配信を始めた。タイトルは――。

【借金完済】田舎のおじさん、鎧蜥蜴にもう一度挑む

開始から十秒もしないうちに、コメントが次々と流れ始めた。

《完済!?》

《0円!?》

《おめでとう!》

《三百万終わったw》

《森おじさんおめ》

《借金返済配信、最終回?》

健司は歩きながら、流れていくコメントへ答えた。

「ありがとう」

《嬉しそうじゃない》

「嬉しいよ」

《顔がいつも通り》

「どういう顔すればいい?」

《万歳》

健司は言われるまま、片手だけを少し上げた。

「ばんざい」

《雑w》

《やる気なさすぎる》

《もう片方も上げろ》

「剣持ってる時に両手上げるの危ないだろ」

まだ入口付近で、剣すら抜いていない。

《今ならできる》

「しなくていいだろ」

視聴者は普段より速い勢いで増え、二千人を越えたと思ったら、すぐに三千人へ届いた。

《結局誰が払ったの?》

「俺が四十万」

正確には自分で払ったのは四回。十万円ずつ。合計四十万円。

《残り260万は?》

「向こう」

《草》

《最初からそうしろ》

《森おじさん40万損してるじゃん》

健司は少し考えてから答えた。

「まあ、そうだな」

《能力増えたんでしょ?》

コメントはさらに続いたが、健司は足を止めずに歩きながら答える。

「そこは詳しく言わない」

《怪しい》

《気配察知は言ってた》

「それは言った」

《剣うまくなった》

《最近力強い》

《火出せるって噂》

そこで初めて、健司の足が止まった。

「何で火知ってる?」

《訓練場で見た人いる》

《ギルドで火の練習してたおじさん》

《三メートル》

「誰だよ見てたの」

《ライターおじさん》

「やめろ」


◇


第一階層へ入ると、《気配察知Ⅰ》が前方に一体の反応を拾った。ゴブリンだ。

「前いる」

健司が剣を抜いたところで、曲がり角からゴブリンが姿を現した。一歩踏み込み、そのまま一閃する。戦いは一撃で終わった。

《剣術も強くなってるよな》

「前よりは」

《農業?》

「これは違う」

《ついに農業を捨てた》

「捨ててない」

第二階層へ向かう途中、また一つコメントが流れた。

《借金なくなったら配信やめる?》

健司の歩みが少しだけゆっくりになる。それは自分でも考えたことだった。母にも言われた。借金がなくなった今、もうダンジョンへ行く必要はない。

「やめないと思う」

すぐにコメントが返ってくる。

《お》

《続く!》

《よかった》

「毎日かは分からんけど」

《畑配信も》

「そっち?」

《ゴン》

《モチ》

《お母さんの塩むすび》

「俺のダンジョンは?」

《たまに》

「主従逆転してるな」

それでも、続けることは嫌ではなかった。理由の一つはもちろん金だ。農業だけより収入源は増えるし、農機具や家の修繕、ゴンや母との生活を考えれば、金はいくらあっても困らない。けれど、それだけでもなかった。

「昔より楽しいんだよ」

健司は、少し照れくさそうにぽつりと言った。

《ダンジョンが?》

「うん」

若い頃、Dランクだった健司は、もっと稼ぐことや上へ行くことばかり考えていた。周囲との競争も気にしていた。だが今は四十六歳だ。畑があり、帰る家もある。無理なら帰ればいい。今日が駄目なら明日にすればいい。それで十分だった。

「今は急がなくていいからな」

《いいな》

《おじさんの余裕》

《でも鎧蜥蜴に行く》

「逃げるかもしれないよ」

やがて目的地へ近づくと、《気配察知Ⅰ》が大きな反応を一つ捉えた。

「いた」

そこにいたのは鎧蜥蜴だった。灰色の硬い鱗に、太い尾。低い姿勢でこちらを警戒している。健司はまず周囲を確認した。他の気配はない。通路の幅、壁までの距離、そして逃げ道も十分にある。

「やる」

《きた》

《鎧蜥蜴リベンジ》

《火魔法!》

健司は右手に剣を構え、左手へ魔力を集めた。

「左でも出るかな」

意識を集中すると、左手の先に「ポッ」と小さな火が灯った。

「いける」

《小さい》

《ライター》

「うるさい」

鎧蜥蜴がこちらに気づき、頭を上げた。距離は十五メートルほど。最初はゆっくりと前へ出てきたが、十メートル、八メートル、六メートルと詰まったところで、一気に速度を上げて突進してきた。

「来た」

健司は横へ動いて突進を避けた。速い。だが前回すでに見ている動きだ。鎧蜥蜴は急停止すると、そのまま太い尾を薙ぎ払ってくる。健司はさらに下がってかわし、まだ攻撃には移らない。一度、二度と動きを見て、前回との違いがないか確かめた。

《慎重》

「前回より速くはなってない」

《同じ個体?》

「分からん」

背中の鱗は剣では厳しい。頭も同じだ。狙うなら、前回傷をつけられた前脚の付け根しかない。ただし鎧蜥蜴も健司へ正面を向け続けるため、簡単には側面を取らせてくれない。

「じゃあ」

健司は左手から小さな火球を放った。火は三、四メートルほど飛び、鎧蜥蜴の右側にある壁へ当たって「ボッ」と弾ける。鎧蜥蜴の頭が、ほんの一瞬だけそちらへ向いた。

「見た」

その瞬間、健司は反対側へ踏み込んだ。

《身体強化Ⅰ》。

《身体強化Ⅰ》で一気に側面へ回り、前脚の付け根へ下から斜めに剣を走らせる。刃は前回より深く入った。鎧蜥蜴が吠え、傷ついた脚が一瞬崩れる。直後に尾が飛んできたため、健司は欲張らずすぐに距離を取った。

《入った!》

「でもまだ」

鎧蜥蜴はまだ立てる。ただ、左前脚から血が流れ、動きもわずかに鈍くなっていた。

「火、使えるな」

《攻撃してないw》

「囮」

再び鎧蜥蜴が突進してくる。傷のせいか、さっきよりわずかに遅い。健司は横へ避け、壁際へ寄った魔物が方向を変えようとした瞬間、今度は左側へ火を飛ばした。頭がそちらへ向く。その隙に右へ回り込み、同じ前脚へもう一度剣を入れた。今度はさらに深い。鎧蜥蜴が倒れた瞬間、太い尾が床を叩いた。健司はぎりぎりで後退し、目の前の石が砕けるのを見た。

「危な」

《おい》

《今のやばい》

「だから近づきすぎたら駄目」

鎧蜥蜴は倒れたが、まだ死んではいない。傷ついた前脚はもう使えないようで、残り三本の脚だけで身体を動かそうとしている。健司は近づかず、その場で待った。

《とどめ》

「まだ」

《行けるだろ》

「尾ある」

実際、倒れたままでも尾は大きく振られた。攻撃範囲は広く、十分危険だ。健司は急がず、一分、二分と距離を取ったまま様子を見る。鎧蜥蜴はまだこちらを睨んでいた。

「長いな」

《魔物だからな》

「こっちも急いでない」

健司が少し横へ回ると、鎧蜥蜴も追おうと身体を動かす。しかし前脚が使えないため、思うようには向きを変えられない。後方へ回れば尾が危険で、頭は硬い。そんな中、身体が傾いた一瞬だけ腹側が見えた。

「……そこか」

健司は斜め上へ火を飛ばした。今度は顔の前ではなく、わざと少し高い位置だ。鎧蜥蜴が反射的に頭を上げ、その瞬間、腹から首の下が露出する。健司は踏み込み、そこへ剣を突き込んだ。鱗のない部分は柔らかく、刃が深く入る。鎧蜥蜴が激しく暴れたため、健司はすぐに剣を抜いて下がった。床へ血が広がり、魔物は数歩だけ動いたあと崩れ落ちる。それでも健司は近づかなかった。《気配察知Ⅰ》で反応が弱まり、やがて完全に消えたのを確認してから、ようやく息を吐いた。

「……倒した」

《うおおお》

《鎧蜥蜴撃破》

《Eランクおじさん強い》

《火魔法仕事した》

《火力ゼロなのに有能》

「ゼロじゃないぞ」

《壁焦がした》

「焦げたな」

慎重に近づき、まず尾が動かないことを剣の鞘で確認する。背中の鎧鱗にはほとんど傷がなく、大きく傷ついているのは前脚と首の下だけだった。

「火で焼いてないから素材きれいだな」

《やっぱそこw》

《金》

「大事」

しずくから通信。

『森おじさん、聞こえます?』

「聞こえる」

『一人で解体しないでください』

「駄目?」

『鎧蜥蜴は持ち込み回収申請できます。鱗傷つけると値段落ちます』

それを聞いた健司は、すぐに素材へ伸ばしかけた手を引っ込めた。

「じゃあ触らない」

《早い》

《金の話だと素直》

位置情報を送って回収班を待つ間、健司は壁際へ座った。昼には少し早いが、今日は塩むすびを二個持ってきている。

《本編》

「鎧蜥蜴倒した直後だぞ」

《でも本編》

「ひどいな」

一口。うまい。

《火炎魔法どこで覚えたの?》

健司は塩むすびを食べながら答えた。

「秘密」

《絶対借金関係》

「秘密」

《ニヤニヤしてる》

「してない」

《借金なくなってスキル4つ増えた?》

健司はそこで言葉に詰まった。

「何で四つ?」

《返済4回って言った》

《10万×4》

《剣術、身体強化、気配察知、火炎?》

「お前ら怖いな」

《当たり?》

「言わない」

《当たりだw》

「言わないって」

全部を隠しきるのは難しいのかもしれない。毎回配信で見られていれば、戦い方や能力の変化にはいずれ気づかれる。それでも、仕組みそのものまで話す必要はなかった。

《肩代わり》。

《肩代わり》については話さない。今後また何が起きるか分からないし、自分でもまだ理解しきれていないギフトだ。軽々しく広める気にはなれなかった。


やがて回収班が到着し、鎧蜥蜴の処理を任せる。健司もそのままダンジョンを出て、ギルドへ戻った。


◇


受付では、しずくが待っていた。

「お疲れさまでした」

「疲れた」

「でも無傷」

「そこ大事」

「鎧蜥蜴、初討伐ですね」

「うん」

「Eランクになってからかなり順調ですよ」

「スキル増えたからな」

「認めるようになりましたね」

「鑑定で出たから」

査定の結果、鎧蜥蜴の鱗、魔石、肉、その他の素材を合わせて九万六千四百円になった。損傷が少なかったことも高値につながったらしい。健司は明細を見て目を丸くした。

「高い」

「状態いいですから」

「十万近いじゃん」

「ほぼ」

さらに配信の応援額が三万八千七百二十円。合わせれば十三万円を超える。健司は改めて明細を見た。

「……借金ないんだよな」

「ないです」

「これ全部返済に回さなくていい?」

「いいです」

「すごいな」

しずくは思わず笑った。

「そこですか」

「今まで入ったら十万残すかどうか考えてたから」

「貯金してください」

「農機具」

「貯金も!」

「軽トラもそろそろ」

「森おじさん!」

「何?」

「まず残してください!」

十八歳のしずくから四十六歳の自分が家計指導を受けている。その状況がおかしくて、健司は苦笑した。

「母さんみたいだな」

「誰がですか!」

「怒り方」

「森おじさんが雑なんです!」

配信の最大同時視聴者は六千三百十四人。過去最高の数字を見て、健司はまた驚いた。

「六千?」

「完済と鎧蜥蜴ですね」

「この辺の人口より」

「もうその比較やめません?」

「分かりやすい」

「森おじさんにだけです」

そこへギルドマスターがやってきた。

「森」

「おう」

「鎧蜥蜴倒したって?」

「一匹」

「配信見た」

「仕事しろよ」

「してるわ」

横でしずくが笑っている。ギルドマスターは健司の探索者証に表示されたEランクを見ながら言った。

「昔より慎重になったな」

「四十六だぞ」

「昔はもう少し突っ込んでた」

「若かったから」

「今の方が長生きする」

「そのつもり」

ギルドマスターは腕を組んだ。

「ちょうどいいか」

「何が?」

ギルドマスターは端末から一件の依頼情報を表示し、健司の前へ向けた。そこには《第二階層北側農業区画跡・採取調査》とある。

「農業?」

「昔、ダンジョン内で試験栽培やってた区画があるの知ってるか」

「知らん」

「お前が引退したあとにできた」


「ダンジョン」と「農業」という二つの言葉が並んだ途端、健司の目つきが少し変わった。

「何育ててた?」

「魔力野菜。薬草。地下環境向け作物」

「へえ」

「数年前に区画閉鎖。最近、奥で植物系魔物が増えてる」

「それで?」

「正式な討伐依頼じゃない。調査。採取。現況確認」

依頼条件はEランク以上で、一人でも受注可能。危険を感じた場合は撤退して構わない。健司は依頼書へ目を落とした。

「これ」

「お前向きじゃないかと思ってな」

農家で、元Dランクの探索者。今はEランクだが、危険なら無理をせず、採取や植物の知識もある。確かに自分向きの依頼ではあった。

「配信していい?」

「一部制限ある。場所は申請時に説明する」

「報酬?」

横から、しずくが小さな声で呟いた。

「そこからなんですね」

ギルドマスターは笑って答えた。

「基本調査料三万円。指定素材が取れれば別」

健司は金額を聞いて頷いた。

「悪くない」

「受けるか?」

健司はすぐには答えず、もう一度依頼書へ目を通した。植物系魔物がいる閉鎖された農業区画。分からないことも多い。

「一回、資料読む」

ギルドマスターは頷いた。

「それでいい」

「現地行くかはそのあと」

「お前ならそう言うと思った」

健司は依頼書のコピーを受け取った。隣でしずくがその様子を見ている。

「森おじさん、興味ありそうですね」

「農業区画って何だよ」

「ダンジョン内農業の実験施設です」

「土?」

「人工培土だったはず」

「水は?」

「魔力水路」

「照明?」

「魔力灯」

「肥料?」

「そこまで私に聞かれても!」

健司は依頼書を見たまま、かなり興味を惹かれていた。借金がなくなればダンジョンへ行く理由も減ると思っていたのに、どうやら逆らしい。また一つ、行ってみたい理由が増えてしまった。


◇


夕方、健司が帰宅すると、ゴンが門の近くまでゆっくり出てきた。背中に乗っていたモチは、健司を見るなり飛び立って近くへ寄ってくる。

「ただいま」

ピィ。

「鎧蜥蜴倒したぞ」

ピィ。

「興味ない?」

健司がブルーベリーの袋を見せると、モチの声が急に大きくなった。

「ピィィ!」

「そっちは分かるんだな」

玄関から母も顔を出した。

「おかえり」

「ただいま」

「怪我した?」

「してない」

「よかった」

「今日、大きいトカゲ倒した」

「食べられる?」

またその質問か、と健司は少し笑った。

「多分」

「持って帰ってきた?」

「肉は売った」

「あら」

「今度食べる?」

「おいしいなら」

「調べとく」

夕飯はカレーだった。ひと口食べようとしたところで、健司の手がふと止まった。

ふと《火炎魔法Ⅰ》のことを思い出しただけだった。

「どうしたの?」

「いや」

「辛い?」

「普通」

カレーはいつも通りうまかった。食後に羊羹と茶を出してもらい、健司は何となくスマートフォンを開く。金融会社のページはもう確認する必要がない。それでも染みついた癖で残高を見てしまう。表示は〇円。健司は思わず少し笑った。

「何笑ってるの?」

母が不思議そうにこちらを見る。

「ゼロ」

「何が?」

「借金」

「昨日もゼロだったでしょう」

「そうだけど」

「増えてないならいいじゃない」

「増えたら怖いよ」

「もう保証人になっちゃ駄目だよ」

その言葉に、健司の手が止まった。母は何でもないことを言ったように、普通に茶を飲んでいる。

「……うん」

短い言葉だったが、妙に胸へ残った。

「もうならない」

それだけは、はっきりと言えた。健司が机に置いたギルドの資料を、母が横から覗き込む。

「何それ?」

「ダンジョンの畑」

「畑?」

「昔、ダンジョンの中で野菜育ててたんだって」

母は首を傾げた。

「日が当たらないのに?」

「俺もそこ気になった」

二人で資料を眺める。閉鎖された区画には人工培土と魔力水路、魔力灯が残り、今では野生化した植物や植物系魔物までいるらしい。読んでいるうちに、健司は少しずつ面白くなってきた。

「今度見に行ってみようかな」

母が聞き返した。

「畑を?」

「うん」

「うちの畑あるのに?」

健司はそこで言葉に詰まった。

「……そう言われるとな」

母はさらりと続けた。

「草、まだ残ってるよ」

「明日やる」

「先にそっちね」

「はい」

借金がなくなっても、ダンジョンへ通うようになっても、使える魔法が増えても、結局いちばん先にやるのは家の畑だ。その順番だけは何も変わらなかった。


◇


その夜。健司が寝る前に見た配信のコメント欄では別の話が盛り上がっていた。

《借金完済したならタイトル変わる?》

《借金返済ダンジョン配信じゃなくなる》

《田舎のおじさんの普通のダンジョン配信》

《普通ではない》

《農家が火炎魔法覚えてる時点で普通じゃない》

《次は何返すんだ》

《もう借金ないぞ》

その中。一つ。妙に多く評価されているすぐにコメントが返ってくる。

《借金返済編、終わっただけじゃね?》

健司はそれを見て、

「編って何だよ」

と呟き、スマートフォンを伏せた。明日はまず家の畑の草取り。その次に、余裕があればダンジョンの農業区画を見に行く。借金返済から始まった探索者生活は、どうやら借金がなくなったくらいでは終わらないらしい。



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― 新着の感想 ―
おなじみのじゃれ合いとか言葉遊びじゃないのに何度も何度も同じこと聞いたり言ったりするやりとりは何なんですかね 直売所の人、認知症なんでしょうか 魔物にもランク付けして情報出せないですかね どれぐらい…
この19話に続けて20話がくっついて掲載されてしまっています。 そのせいで次の話に進んだはずなのに同じ内容の話が始まって混乱しました。
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