小夜瑞奈
「んーどこ行ったんでしょうね……?」
あたりをきょろきょろと見渡しながら、小夜は瑞奈とともにプールサイドを歩いていた。
しばらく瑞奈と一緒に兄を追い回して、プールサイドや流れるプールを何周かぐるぐるとしていたが、そうこうしているうちについに姿を見失った。
「あっ、この中かも」
トイレの建物付近にやってきたところで、瑞奈が指をさして立ち止まる。
確かに慶太郎の姿が消えたのはこのあたりだ。
おそらくトイレに逃げ込んだのだろうと、外で瑞奈と一緒に待ち伏せをする。
兄づてにプールの誘いを受けたときはどうなることかと思ったけども、今日はすごくいい感じだ。
道中瑞奈のほうからゲームしよう、なんて話しかけてきて、そのあとも一緒に魔物退治しよう、と働きかけてくれて、前回までとはまるで感触が違う。
少し無理をしているような感じもあるけども、頑張って仲良くしようとしてくれているのが伝わってきて、それがすごく嬉しい。
もしかして何かあったのかな? とも疑ってしまうが、これまでの自分のアプローチがやっと功を奏したのだ、とそう思うことにした。
(やっぱり一緒にお出かけしたりすると、仲良くなれるのかな?)
それならまた今度どこかに誘おうか、などと考えていると、
「いきなり何すんだよ、ふざけてんのか!?」
突然耳に突き刺さった怒鳴り声に、小夜ははっと我に返る。
声のしたほうを見ると、トイレ出入り口の前で、見るからにガラの悪そうな感じの男性が瑞奈を威嚇するように見下ろしていた。
「なんとか言えっつってんだよ!」
瑞奈はただうつむいてしまっていて、何一つ言葉を発しない。
いったい何がどうしたのかわからなかったが、小夜は血相を変えて瑞奈の前に割って入ると、大きく頭を下げた。
「すみませんごめんなさい、ごめんなさい!」
「ごめんなさいじゃねーんだよ、何なんだっつってんだよ」
男性が今度は小夜のほうに食ってかかってくる。
怖い。きゅっと体がすくみ上がるのを感じて、ぶるぶると膝のあたりが震えだす。
「黙ってたらわかんねーだろ、おい!」
再度怒鳴りつけてくるが、隣の瑞奈も同様に、すっかり萎縮してしまっている。
何がどうして、今がどういう状況なのかつかめない。
仮に理解したところで、もうすでに頭は真っ白で、うまく説得するようなことはできないと思った。
でも、どうにかしないと。
その一心で、小夜は声を振り絞るようにして、ひたすらに何度も頭を下げ続ける。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
小夜が上ずりぎみに甲高い声を上げると、背後で何人か足を止める気配がして、視線が刺さるのを感じだす。
それでもなお謝罪の言葉を連呼していると、相手の男もばつが悪くなったのか、大きく舌打ちをしたのち、肩を怒らせてその場を立ち去っていった。
「だ、大丈夫ですか?」
すぐに顔を覗き込んで尋ねるが、瑞奈は力なくかすかに頷いただけだった。
顔面蒼白で、見るからに顔から血の気が失せている。
「どうしたんですか? いったい何が……」
再度問いかけるも、瑞奈は答えてくれない。
瑞奈の持っていた浮き輪が、傍らに転がっているのが目に入る。
「とりあえず……行きましょう」
まだ少し注目を浴びている気がした小夜は、浮き輪を脇に抱えると、瑞奈の手を引いて人のいないプールサイドの隅のほうへと移動した。
ひと目もなくなって小夜のほうは幾分落ち着きを取り戻したが、瑞奈はなおも黙ったきりだった。
心配になって顔色を伺おうとすると、瑞奈は突然その場にへたり込んだ。
「瑞奈が……間違えて叩いたの。瑞奈が悪いの」
その言葉と先ほどの状況から察するに、おそらく瑞奈が慶太郎と間違えて、いきなり浮き輪で相手を叩いてしまったようだ。
確かに髪の色といい、背格好といい、後ろ姿がとてもよく似ていた。
瑞奈はそう言うなり、膝を抱えるようにして顔を伏せて、黙り込んでしまった。
小夜は慌てて近くに膝をつくと、横からどうにか笑いかける。
「い、いやぁ、でも紛らわしいんですよねぇ、あれ系の人って……」
「悪いのは、瑞奈だから……。すぐこうやってドジして、嫌われる……ダメな子。ダメ人間」
(どうしよう、どうしよう……)
なんとかして、励まさないと。
落ち込んだ背中を見て、気持ちが急激に焦りだす。
いつか見たような光景、状況。
急にそれが頭の中でダブって、目の前が真っ白になる。
――本当バカすぎるよオレ……。一人で舞い上がって、超かっこ悪いよな……。
「そんなことない!」
気づけば、小夜は声を張り上げていた。
頭を覆っていたもやもやを、吹き飛ばすように。
「ダメだってドジだって、いいじゃないですか! わたしは、それで嫌いになったりしません!」
声を上げながら、ふと思った。
ダメダメだって、かっこ悪くたって……いいんだって。
あのときだって、そうやって、言えばよかったんだって。
それなのに……。
「違うの! 学校でも、みんな勝手に、眠り姫だとかって……本当はそんなんじゃないの! わかってるんでしょ! 姫とかなんとかって、変なふうに持ち上げないで!」
小夜の勢いに当てられてか、瑞奈も負けじと鋭い声で言い返してくる。
瑞奈にこんなふうに声を荒らげられたのは初めてだったので、思わず反射的に謝ってしまいそうになる。
けれど、そうはしなかった。どうしてもここは、譲れなかった。
「眠り姫じゃなかったら……じゃあ、ポンコツ姫!」
「へっ……」
瑞奈がぽかんと口を開けたまま固まる。
予想だにしなかった言葉が出てきて、驚いたのかもしれない。
「ポンコツ姫かわいくていいじゃないですか! ドジっ子! 萌えですよ!」
いつしか声を張って熱弁していた。
小夜の勢いに気圧されたのか、瑞奈は口を挟むことなくただぼうっと話を聞いていた。
「お供します! もう魔物を追いかけるのはやめて、今度はあっちの波のプールで遊びましょう!」
そう言って立ち上がると、小夜は脇に置いた浮き輪を拾って、丁寧な仕草で差し出した。
瑞奈は戸惑った表情で見上げていたが、小夜が笑いかけると、最後には浮き輪を受け取って立ち上がった。
今度は小夜が先導するようにして、いざプールのほうへ戻ろうとする。
するとそのとき、ちょうどこちらに向かって近づいてきた人影が、行く手に立ちふさがった。
「なんだよ、こんなとこにいたんかよ。……なんかあったんか?」
今度こそ兄だった。
慶太郎は不思議そうな顔で小夜と瑞奈を交互に見下ろしてくるが、小夜は目も合わせずそっぽを向いて答える。
「……別に何も」
「そうかよ。つーか真希さんたち知らね? 見当たんねーんだけど」
今さら出てきても遅い。
ナンパで知り合った、という相手の尻ばかり追いかけ回して、もはやかける言葉もない。
だいたい髪なんか染めて、似合ってもいない格好をして……紛らわしいのだ。
(本当の、お兄ちゃんだったら……)
「行きましょう」
小夜は瑞奈の手を引くと、慶太郎を無視してその場を立ち去った。
見習い妹のはげますアビリティ発動