唯李のお誘い
陽が傾き始めた頃合いにプールはお開きとなり、改めて集まった一同は、真希の提案により近くのファミレスで一度休憩を取る。
その後、バス組と車組に別れて帰宅。
先に小夜を家に送り届けたあと、成戸宅までやってきて、悠己と瑞奈を見送る。
車内には唯李と真希二人だけになって、後はもう帰るだけ。
しかしマンション前の路地で停車させたきり、真希がなかなか車を走らせようとしないので、唯李は後部座席から身を乗り出して尋ねる。
「どしたのお姉ちゃん? 車の走らせ方わかんなくなった?」
「そんなわけあるか。……ねえ唯李、次のデートの約束はしたの?」
「は? つ、次のデートって何よ? べ、別にデートとかじゃないじゃん?」
「なんでよ? せっかくプールで二人きりにしてあげたのに」
この言い草、どうもうまいこと分かれたなとは思っていたが、やはりあれは姉の策略だったのか。
「ダメよ? デート終わりに次の約束を取り付けておかないと。次は週末の花火大会よね、もうここで決めるしかないわね」
「き、決めるって、ちょっと待ってよ! ていうかなに急に、お姉ちゃんのお眼鏡に叶ったの? なんかボロクソにされてるだけの気がしたけど」
勝手に話が進んでいるが、真希の中で何か悠己の評価が上がるような出来事があったとはとうてい思えない。
さきほどもファミレスで「今日ろくに泳いでないのによく食べますね」などと煽られていた。
てっきりマキマキ好感度ゲージはガンガン下がっていると思ったのだが。
「んーそれはねえ……女友達からの評価っていうのは、すご~くポイント高いのよ? 不本意ながら」
「え? どういうこと?」
「唯李も成長したのね。よしよし」
真希が突然優しい声で頭を撫でてきて面食らうが、これは絶対なにか企んでいるやつに違いない。
ブンブンと頭を振って真希の手を払う。
「もう、人がせっかく……。とにかく花火大会は自分で誘いなさい? 花火はちょっとわけが違うから……ここでオッケーされたら、もう勝ったも同然。告白もオッケー同然なのよ」
「ほ、本当に?」
「逆にそこで断られたらもう脈なしね。だからもうある種告白してるようなもんなの。誘うだけでオッケーもらえたらそれでもうオッケーなんだから、気は楽でしょ?」
「な、なるほど……?」
うまく言いくるめられている気がするが、妙な説得力があるのもたちが悪い。
「だからほら早く、今行ってきなさい」
「い、今? そ、それはいいじゃん、あとでラインでもなんでもすれば」
「それはダメよ。気分が盛り上がってるうちに直接誘うと、成功確率が60%も上がるという海外のキカツタ大学の研究結果があるのよ」
なんだかそれっぽい研究結果があるらしい。
そうは言うが、帰りはみんな疲れて車の中でぐでっとしていて、気分が盛り上がっていた感はあまりない。
「だから今行くのよ、い・ま」
「でも今行ったら不自然だしおかしいでしょ」
「別になんでもいいわよ、忘れ物した~とか適当に言って」
「いや何も忘れてないし、そもそも今日家行ってないし」
「いいから行きなさい」
最後は半ば強制的に車から追い出された。
唯李は一度立ち止まって建物を見上げたあと、ちらっと後ろを振り返る。
車の中から「はよいけ」と言わんばかりに真希が鋭い眼光を光らせてくるので、意を決してマンションに入っていく。
しかし階を上がり、部屋のインターホンを押す寸前で手が止まった。
やたら緊張している自分がいることに気づく。心臓がバクバクいっている。
(断られたら……どうしよう)
断られたことにして、戻ろうか。そんな考えが一瞬頭をよぎる。
(隣の席キラー風だったらいけるんだけどな……)
よくよく思えば今それはダメなのだ。
そもそも忘れかけていたが、隣の席キラー脱却というのが夏休みの目的ではなかったか。
ただこれまでの経験からすると、こちらからの誘いを断られた記憶はあまりないように感じる。
前回の言いなりデートのときは半分怒りに任せて、前日にいきなり雑に呼び出しをしてものこのこやってきたのだ。
(……そんなビビることないんじゃ? いつものノリで行ってそれでOKならウマウマじゃん)
そう思うことにして自分を奮い立たせると、唯李はインターホンのボタンを押した。
やがてドアを開けて迎えでた悠己は、不思議そうな顔をした。
「あれ? やっぱり唯李だ。何やってるの?」
第一声がこれである。
まあこれぐらいは予想していた。
「え、えっと、急にトイレ行きたくなっちゃって、貸してもらおうかなって……」
「あぁ、またトイレか」
「またってなによまたって」
今回のことで完全にトイレ近い女扱いされている。
はっきり断っておくが今日は何一つ粗相はしていない。
とはいえとっさに考えた言い分としてはそれなりに自然ではある。
一応一度トイレに入るだけ入って、少し時間を置いてリビングへ向かうと、ダイニングテーブルを布で拭いていた悠己と目が合った。
用を足したならさっさと帰れ、とでも言われそうな気がして、焦った唯李は先んじて声をかける。
「あ、あのさ、悠己くん、今度の……は、は……」
「歯?」
「歯磨き粉ってどれでも一緒だよね」
「そう?」
何を言っているのだ。
いきなり一言目で誘うのではなく、まずは花火というワードを出して流れを探っていくべきだろう。
「そ、そういえばさ、今週花火大会あるよね~」
「あー……そういえば」
まったく意識していなかったかのような悠己の反応。話の進みが遅すぎる。
ここはもう、多少強引でもいくしかない。
「て、ていうかさー悠己くんさ、花火大会行くよねー?」
「いや、行く予定はないけど」
ぴしゃりと閉められた。
ある程度予想の範囲内だったとはいえ、思いのほかシャッター感が強い。
他の子と行く予定、などという考えうる限り最悪な状況だけは避けられたが、口に出してしまったが最後、もう今度こそ後には引けない。
「い、いやー、あたし花火行く予定だったからさ、一緒に連れてってあげてもいいかなーとか思ったり思わなかったり……」
「ごめん。花火はちょっと……」
途中で遮られた。
悠己にしては、珍しく険しい顔をした。
「ど、ど、どうして?」
「あ、いや俺は……瑞奈が行くって言うなら、行くけど」
そう言って、悠己はソファに横たわっている瑞奈のほうを見た。
(なんだよそれどんな理由だよ、どんだけ妹大好きだよこいつ……)
とっさにそう思ったが、そこがいいところでもあるのだ。
だいたい悠己が瑞奈をさしおいて花火に行く、なんてことを言うはずがない。
誘うなら二人セットだ。それこそ瑞奈を誘うなら余裕だろう。
ちょっと言えば「花火行く行く! 行くに決まってるじゃん!」と乗ってくるに違いない。
「瑞奈ちゃんも行こうよ! 花火!」
すぐにソファに近寄っていって、瑞奈に声をかける。
今日は遊び疲れたのか、瑞奈はテレビを前に眠たそうにぐったりとしていた。軽くまどろんでいたようだ。
「ねえねえ花火花火!」と言うと、目を開けてゆっくり首をもたげた瑞奈は、唯李の目も見ずにぼそりと言った。
「……べつに行きたくない」
あまりのやる気のなさに、はああ? とあんぐり口があきそうになる。
(べつに行きたくないって何よ? ていうかなんでそんなテンション低いわけ?)
ついさきほどファミレスや車の中では、小夜と仲よさげにキャッキャウフフしてたくせにだ。
もしかしてお前とは行かねーよ、で悠己と二人結託しているのか。
だとしたら本気でヤバい。
花火がダメなら食べ物で釣ろうと、
「きっと屋台もいろいろあるよ! かき氷とかたこ焼きとか食べようよ!」
「……べつにいい」
(え? もしかしてこれガチ脈なし? 嘘やん?)
まさかの敗北決定が決まりつつある。
しかしこのままおめおめと帰ったら、真希に奈落の底までプギャーされるに違いない。
ここで引くわけにはいかねえと、唯李はしつこく食い下がっていく。
「え、え~どうして? 行こうよ行こうよ、楽しいよ? 一緒に夏キラーしようよ!」
さらに声を張っていくが、瑞奈はうんともすんとも言わずまたも微妙な反応。
そうこうしているうちに、急に背後から悠己に肩を掴まれた。
「いいよ、唯李」
「え?」
「いいから」
こちらもなぜかめったに見せない真顔……どころか厳しい表情をしている。
まるで何か触れてはいけない案件にでも触れてしまったかのような空気。
(いやどんだけだよ、脈なしとかってレベルじゃねえぞこれお葬式やぞご臨終やん……)
しかしここまでくると、逆にどうしてこうも拒むのか気になってきた。
お前がうるさいから一緒に行きたくないんだよ、と直球で言われればまだあきらめはつくのだが、いまいちそのへんがはっきりしない。
業を煮やした唯李は、再度瑞奈に尋ねる。
「なんで行きたくないの? 花火楽しいよ?」
「……人いっぱいだし、迷子になるし」
「そしたらあたしがずっと手繋いでてあげるよ。瑞奈ちゃんが迷子にならないように!」
当初の目的をすっかり忘れて、そんなことを口走っていた。
だけど悠己が、瑞奈が、どうしてか後ろ向きになっているのが、見るに耐えなかったというのもある。
唯李がじっと見つめていると、ややあって、瑞奈はゆっくり顔を上げた。
「……じゃあ、行く」
(いぃよしっ!)
と唯李は心のなかでガッツポーズを決める。
同時に結局そんな理由か、と胸をなでおろして、
「じゃあ、悠己くんも行くよね」
振り返ってそう言うと、なぜか悠己は目を見張るようにして瑞奈を見つめて立ちつくしていた。
かたや瑞奈も気まずそうに顔を伏せて、またも押し黙った。
(……いやだから何よこの空気どんだけよ? 誰と花火行くのがそこまで重大な決断だよ)
OKはされたものの、やはり空気は依然として重い。
なんだかいたたまれなくなってきた唯李は、
「じ、じゃあね! 詳細はのちほど!」
そう言い捨てて逃げるように部屋を後にした。




