二人だけの約束
ラヴィリアは思い出しながら一つ一つ語った。
「……王都から別邸に到着して、その頃はまだ従者がたくさんいましたから、みんな慌ただしくしていました。荷物を運び込んだり、建物も補修が必要だったり、お掃除も済んでなくて」
「うん」
「わたくし、皆の邪魔をしないよう何日かお庭……建物の残骸のある荒地でしたけど、そこで一人で過ごしておりました。今思うと、あそこがかつて神殿のあった場所なのでしょうね。
その時におかしな石に出会ったんです」
ラヴィリアは奔放に伸び盛っている草むらに、必ず黒い石があることに気付いた。拳大の、ただの黒い石である。光の加減でほんのり赤く見えるような気もする。
初めは黒い石があるな、と思っただけだったが、どうもおかしい。
それなりに広い庭を散策していると、気がつけばそこに黒い石がある。さきほどあった場所になく、目を転じるとそこにある。振り向くとそこにある。気付くとラヴィリアのそばに常にある。
そういう、不思議な石だった。
もちろん動いた気配などない。鳥や小動物が動く気配の方が濃厚だった。石が転がったような気配も、跡も見当たらない。
ラヴィリアは動かないくせに自分についてくる、拳大の黒い石を手に取った。ただの黒くて冷たい石だ。少しゴツゴツしていて重い。
なぜこれほど目に入ってくるのか、わからなかった。
「その石を持った時にですね、悪戯心が沸いたのです。従者は忙しくて構ってくれませんし、療養とはいえ普段は元気なものですから。寂しくてつまらなかったのでしょう」
「悪戯心……?」
「石に名前を付けたのです。
『ブラッド・ロックス』と」
「!!!」
「ブラッド、遊んで、とお願いしました」
ラヴィリアは今でも明確に思い出せる。
降り注ぐ太陽光と濃い草いきれと、ごつごつした冷たい黒い石。光の当たる所は透明感のある赤に見えるような気がする。そんな黒い石を顔の前に掲げて、友達のように話しかけた。
あなたの名前は、ブラッド・ロックス。
だってあなた石だもの。だけどとても変な石。
わたくしと遊んでくださいな。
「それって……」
「別邸で封じられていたのは、魔物ではなく悪魔でした。十数代前の王は悪魔を封じていたのです。
悪魔は名前を与えられる事で契約が更新され、生まれ変わるのだそうです。知らなかったとはいえ、わたくしは悪魔に名をつけてしまいました。しかも遊び相手として」
石に封じられていた悪魔は、名前を得て復活した。もともと封印も緩くなっていた。自由に居場所を変えることができるくらいには。
石に名前をつけ呼びかけた瞬間に、ラヴィリアの目の前に黒髪の男が現れた。前触れもなくいきなりそこに立っていた。
黒くて細い、先端にに鉤の付いた尻尾。コウモリのような形の大きな羽。捻れた二本の黒い角。端正な顔立ちに、見たこともない血のような赤い瞳。人外であることが一目で知れた。
生まれたままの姿で現れた悪魔は、無言のままラヴィリアを振り返り、破顔した。
「我の、主?」
「……え?」
「今食うか、育てて食うか」
「はい?」
「育てた方が美味そうだ。ぐふふふふ」
血のように赤い目を爛々と輝かせ、ブラッドは手を伸ばした。
契約者がラヴィリアであることが本能で知り、本能のままラヴィリアを求めたのだ。だからそのままの姿でラヴィリアを抱きしめ、まさぐった。……全裸のまま。
命に関わること以外で許可なくわたくしに触れることを禁じます、とブラッドに初めの命令を下したのは、その直後のことである。
「……遊び相手として契約してしまったので、ブラッドは今でもあんなに幼い思考なのだと思います」
「あれは、幼いというか……充分に悪辣だけどね」
「メニエール王妃はわたくしがブラッドと契約をした事を知らないでしょう。
まだ生き延びてるあの小娘、くらいには思っているでしょうけど」
「そうだろうね。
だけど、誰にも予測のできない、想定外のことがあったから、ラヴィは生き延びられたんだ。俺もそんなことの連続だ。そうでなければ、俺たちはとっくに死んでる」
「……エディ。わたくし、このままでいいですか?」
「どういうこと?」
「ブラッドとの契約を解除しないと、ここにいられないとか、ありますか?」
悪魔と契約した女だ。不吉なことには違いがない。教会にバレてしまったりしたら、本当に死罪にだってなりかねない。王族の地位だって剥奪されてもおかしくない。その配偶者であるエドワードにも影響は及ぶ。
エドワードはラヴィリアの手を握った。そんなことでエドワードがラヴィリアの居場所を奪うと思っているなら、心外だ。
もう、ほんの少しでも離れていたくないのに。
「悪魔との契約が奇跡的なものだとして、俺はその奇跡には感謝しかない。君を生かしてくれたんだから。
君の居場所を奪う理由なんかにはならない」
「……エディ」
「悪魔と契約したという、真実なんていらないんだ。
ラヴィが契約したのは悪魔じゃなくて、『闇の上位精霊』。それでいいじゃないか」
「そんな、ブラッドを闇の上位聖霊にする、なんて計画。
世間を誤魔化すためのわたくしの、ただの思いつきですよ」
「何が悪いの? 彼の人外の力だって、精霊だからで説明がつく。すごく理にかなってる」
「でも」
「ラヴィはここにいてくれ。それが今の君の仕事だから」
「エディ……」
「君がいてくれないと、俺が困るんだ」
ひゃあ!
と声を上げたのはソーラだ。
エドワードとラヴィリアはハッとした。
会話に入ってこないからちょっと忘れていた。ソーラとマシューも同席していたのだった。
マシューはにやーりとしながら、ものすっごく何か言いたげにエドワードを見ているし、ソーラは目をキラキラさせて次の展開を期待しながら二人を見ている。
エドワードはうめき声を上げて、そのままかくんとうなだれた。
実の母親の前で何やってんだと思う。と同時に、こういうのめちゃくちゃ好きなんだよな母ちゃん、と自分の母を分析していた。このあと、あることないこと、ないことあること全て引っくるめて、周囲に喋り散らかすんだろう。
想像すると、とてもエグい。
「……マシュー、母ちゃん連れて、その辺一周してきて。頼む……」
「はいよ」
「ええー、やだあどうしてえ?
もうちょっと多めにイチャイチャしよう? 大事なことよお」
「勘弁してくれ……」
「エディって普段頼りないくせに、結構大胆なこと言うわよねえ。『いてくれないと、俺が困るんだ』……だって、きゃあ!
やだあ、もう、どのツラ下げて言ってんだか。この父ちゃん似の平坦な顔して」
「母ちゃん、もう精神的に死にそうだから、早く行ってくれるかな!」
顔面を片手で覆ったエディが怒鳴った。中身は血まみれかと思うほど赤い。
マシューは上機嫌でエドワードに告げた。
「珍しく俺はエディに同情している。この後の母ちゃんのしゃべくり行動は、国王陛下しか止められないからね」
「うー」
「同時におまえのことを、場を弁えとけよ馬鹿だなあとも思っている。姫さんしか目に入ってないにしても、程があんだろ?」
「ゔーー……」
「ほら母ちゃん、鍛錬場行こう。あっちにも、おもしれー要観察物件が生息してる」
「なになに?」
「ジュードってやつが、プライド高かったのが叩き壊されてからの一方的ラブ見直し案件進行中で、すっげ見物」
「なにそれ面白そう。まず外見から説明、次に相手の情報、詳しく」
「気の短そうな朴念仁で、相手はカリンて女騎士でさあ……」
目を煌めかせたソーラが、マシューについていそいそと貴賓室を出ていった。マシューが出ていく前に、にやーりと笑ったのがとてもムカつく。
残されたエドワードとラヴィリアは、疲れた顔でお互いを見合わせた。
ふと気づいたのは、ずっと手をつないだままでいたこと。気まずくて手を離すつもりが……離すのがもったいなくてそのままになってしまった。マシューのにやーり、はこれのことだろう。後で何を言われるのか。
だって、こんな機会あんまりないから……。
手をつなぐなんて、初めて会った日に、ラヴィが病が出ないか確認したときだけだ。
そうでもないと、手をつなぐ機会なんてなくて……って。
あれ?
ラヴィと手をつなぐって、今までないけど。
そんな機会、欲しいな。欲しい。
そうか。
……機会がなければ、作ればいいじゃん。
「ラヴィ」
「はい」
「ラァヴィィィ」
「……はい?」
「ちょ、ちょっと待って。そんなに待たせるつもりないけど待って。
何言ってんだ俺、テンパってんな俺。ちょっと、落ち着くまで、待って」
ラヴィリアは大人しく待った。
大体こういう時のエドワードは、余計な気を使って余計なことを考えて余計な思考にがんじ搦めになっていたりする。そんなに気を使わなくていいのに、とラヴィリアは思っているものの、心の動揺が顔に出るエドワードを見て目を保養しているので、止めない。
ためらってはいるけどひとつ山を超えたい、そんな苦渋に満ちた顔をしている。もう、いっそ頭をよしよししてあげたい。
「……ラヴィ」
「はい」
「あー…………あのね。
お願いが、あるんだけど」
「なんでしょう」
「い、一日一回。一回でいいから」
「はい」
「…………………ラヴィと手をつなぎたい」
「?!」
ラヴィリアは目を見張ってエドワードを見つめた。つないだエドワードの手が、緊張で冷えていくのがわかった。エディが、言葉にするのを緊張してる。その、内容が……
「手をつないで、君と話したい。だから、君がいてくれないと、困るんだ」
情けなさそうに、床を見て話すエドワード。
おそらくエドワードは自分のことを、理屈っぽくてガキっぽくて格好悪い、と思っているのだろう。確かにアイドル王子が言うセリフではない。
だけど、ラヴィリアはアイドル王子など求めていないのだ。エドワードの本心が聞けたことが、とても嬉しい。ラヴィリアの想いを信用してくれてる、と思うとキュンとなる。
エドワードはふいにつないだ手に力を込めた。ラヴィリアの小さな手が包まれる。
エドワードの顔から血の気が引いていた。緊張が頂点に達しているのだ。
「それと」
「……」
「いいいい一日に、一回!」
「……」
「………………キスもしたい」
「……」
「したい、と思ってる」
「……」
「……ダメかな」
血の気が引いて白っぽくなったエドワードが、ようやくラヴィリアを見た。ラヴィリアは、自分がじわっと赤くなっているのを自覚した。一瞬何を言われたのか理解できなかったが、思考が追いついてきたのだ。
ラヴィリアはほんの少し勇気を出した。繋いだ手を動かして、エドワードの指と自分の指を絡めた。
真っ赤になったラヴィリアが、おそるおそるエドワードを見上げ、目を閉じた。エドワードがゆっくり近付く気配がする。
指を絡めたままの二人は、唇を重ねた。
初めての時と違って、優しく温かさを感じる口付けだった。ゆっくりとお互いの柔らかさを確認して、繰り返す。お互いを身近に感じる。ちゃんとここに、好きって伝えた相手がいる。こんなに近くで感じる。
そっと唇を離した後、お互いの目を見た時に、二人はほっこりと笑顔になった。
幸せってこういうこと?
ラヴィリアはエドワードの素の笑顔を、今までで一番近くで見た。こんなに近くで、この笑顔。これより素敵な時間が、他にあるだろうか。
あ、それじゃあ……
急にラヴィリアの顔に陰りがさした。一点を見つめて、何やら思い悩んでいる。
真剣な表情を見て、エドワードは大いに焦った。
うわ、ちょっと待って。今の俺、何か重大な落ち度でもあったか。もしかして、下手すぎたってこと!
……でも、さっき笑ってたよね?
内心アタフタしまくっているエドワードの方に、ラヴィリアは心持ち体を寄せた。アイスシルバーの髪がエドワードの肩に触れた。悩み深いラヴィリアは、思い詰めたように囁いた。
「……それは、ダメです」
「だ、ダメ、なの?」
「ダメです。ダメダメです。
それじゃ納得できません」
「ダメ、なのか……」
「 一回じゃ、ダメです」
「は?」
「一日二回、にしましょう」
エドワードの頭が真っ白になり、思考が全てふっ飛んだ。
その日から朝夕二回、手をつないでキスをする、という二人だけの約束ができた。
只今、らぶきゅんをお届けしましたことを、ここにご報告申し上げます。