Un dragon affirmatif passé neutre(辟易の竜人)
一瞬にして男にやられたエマーヘルも今起きていることを信じられずにいた。今まで自分がパワー負けをしたことは無く今のは不意を突かれたとはいえ、それでも巻き返すことはできたはずだ。だが、男が押さえつけてくる力は自分の起き上がる力よりも強く彼の後頭部は床から離れられずにいた。
「やめてください!」
ライマが悲鳴を上げて男の腕に縋りつき引き剥がそうとするが、それでもようやく少し頭が浮き始めたほどで、容易に引き剥がせそうにもなかった。
「……これで祈祷師か、聞いて呆れる」
男はそう吐き捨てるとエリアの方に向き直り、濡らしたタオルをエリアの顔に当てた。
「闇竜族……」
男はどこか感傷に浸るように呟きながら彼女を見つめていた。その眼は憎しみでも軽蔑でもなく、哀れみといった感情を感じさせるような色をしていた。両目が深紅に染まる彼の眼と、両頬に刻まれた赤い紋章が彼が炎竜族の一員であることを如実に示していた。
「申し遅れましたね、エリアを助けていただきありがとうございます。私はライマ・エラ・フラクラクラカット、祈祷師をしています。こちらはエマーヘル・カイブレイント……貴方の名は?」
自己紹介をしていないことに気づき、彼女は姿勢を正して彼に礼と名を述べた。男は二人を一瞥すると、再び目線をエリアに移した。彼がやけにエリアを気にしている上に闇竜族に対する嫌悪感を感じられないことに、二人は何か事情があるのではないかと察する。
「俺は、ドレス・アーティアイア・ベルジャーガン。旅をしていた……ここは俺の故郷だ」
「ドレス……ドレス?」
ライマにはその名に思い当たる節があった。それはまだ彼女が十代前半だったころのことだった。訪れた旅人が大人たちと話していたのを、暖炉の前で祖母の膝の上でウトウトしていたころだった。はるか東の森の村にとても力に優れた子供がおり、十の歳で既に大人を投げ飛ばせるほどの力をもっていると。確か、ドレなんとかだかバレなんだかとかいっていた記憶が微かにあったが、すっかり記憶の片隅に置いてきてしまっていた。
「まさか、貴方が……」
「そうかもな」
彼は興味がなさそうに曖昧な返事をすると、上着を脱いで雑に放り投げた。上着の下から現れた彼の鍛え上げられた筋肉に、二人は息を飲む。
「随分と鍛えられているのですね」
ライマは初めて見る量の筋肉に、すっかり感心してしまっていた。
「鍛えてはいない。生まれつきだアーテアンの加護があるとかなんとか言われているが、ただの異常だ」
アーテアン、それは東のドラクラット達に崇められているという概念の一つ。神のような生命或いは人物のような存在ではなく、象徴のようなものでアーテアンは剛力の巨大な神聖なる概念だ。彼は生まれながらにして逞しい体つきをしていたために、アーテアンにあやかってアーティアイアという第二の名を与えられている。
ドラクラットにも西洋の人間のようにミドルネームのようなものを持つものは少なくない。いつ、どうやってその風習が広まったのかはわからないが、迷い込んだ人間から聞いたという説や逆に人間に伝わったという説もあるが、定かではない。ライマもエラという名を持っているが、これはミドルネームではなく加護の言葉で、ようやく生まれた祈祷師となる子供が病や事故で死に連れていかれぬよう成長の途中でつけられたものだ。エラ、は万能な加護の言葉だ、これさえつけておけば万病、事故、災害大抵の物からの不幸から守られるとされている。
ライマは気になっていたことを彼に思い切って尋ねてみた。
「どうしてあなたはエリアを助けたのです。普通のドラクラットなら闇竜族を恐れたり忌み嫌うはずです。ですがあなたはなんの躊躇いもなくあの子をディエンラーを中断させてまで」
そう問われて彼は一度上を見上げると、すぐにまた目線を降ろしてわからない、とだけ答えた。
「わからない、意味が分かりません」
「そうだろうな、俺にだってわからん。だが、少なくともこんな美しい少女が死にゆくさまを見ているわけにはいかなかったのかもしれん。そして、この腐りきった村にも耐えられなかった。だから俺は今まで旅をしていたんだ。もしかした……いや、何でもない」
彼は寂しそうにそこまで言うと、口をつぐんで立ち上がり奥へと消えていった。彼が奥に引っ込むと、二人はエリアの元に寄ると、その痛々しい顔に自らの愚かさを悔やんだ。キニエイテンテス村でも見張っていなかったためにエリアに重傷を負わせてしまった、次いでこの村でも自分たちが面倒を避けたがったばっかりにこんなことにしてしまった事実に、自分たちには予知に従い一族を導く資格などないのではないだろうかと思い始めていた。
自分たちではいざという時に力を奮えない、己の自己保身がまだ働いてしまっているようだ。この時二人の考えは一致していた、エリアを力で守ってやれる方法はただ一つ、二人は目を合わせると立ち上がりドレスの消えた奥へと向かった。
「何だ」
すぐにでも旅に出られるように支度を始めていたドレスは、エマーヘルたちが神妙な顔つきで自分の前に立ったことに妙な予感を覚え顔を背けながら支度をつづけた。二人はそれでもかまわないという風に両ひざをつくと彼に頭を下げた。
「ドレス・アーティアイア・ベルジャーガン、貴方に戦士としてお願いがある」
彼は嫌そうな顔もせずにただ無表情で振り返り、二人の並んだ後頭部を見つめていた。二人が何を言わんとしているのか、おおよその見当がついていたが自分でもすぐには答えを出せないので、その時間稼ぎのために話をつづけてもらった。
「エリアは予知に選ばれし一族再興の鍵、しかしあの子は闇竜族故に多くのドラクラットから狙われています。あの子は既にここと一つ前の村で酷い怪我を負わされました、私たちではあの子を力から守り通すことはできません、それ故に、どうか、どうか貴方に旅に同行をお願いしあの子を守ってはいただけないでしょうか」
それは彼の予想通りの言葉であった。旅自体は構わないが、旅は常に一人で彷徨ってきたもので連れがいたことはない。この場合は自分が連れなのかもしれないが、今はどうでもいい。問題は、この旅が遥かに危険なものであるという予感が著しかったということであった。ドラクラットの感覚がそう訴えている、この先あのエリアとかいう少女が同胞によって命を狙われ続けることはもう既に明らかとなっている上に、それに巻き込まれて自分も狙われる可能性は十分である。力には自信があったが、かといって無敵というわけでもなく彼女を守れるかすら定かではなかった。
終わりの予想できないそのやっかいな旅を自分はする度胸があるのか、一族の再興という名誉を受けるつもりがあるのか。彼は内心ではこの種族はリガーラとの戦いに敗れた時点で滅ぶべき存在であったという認識であった、それをどういう理由あってかリガーラと同化し今日まで生きながらえている。そうして常に閉鎖的で尚且つ復讐心と閉塞感に束縛されてきたために全体が淀み腐り始めていることを、旅の中で見てきた。そんな一族を救う意味とは?いくら闇竜族とはいえ、一族を救うと予知に出た少女を忌み嫌いあまつさえ殺そうとする。そんな同胞に、彼は心底辟易しかけていた。
しかし、そんな彼も傷ついたあの少女を見ると幾分かその諦めが緩和されていることに気づいていた。あの少女とはまだ一度も言葉も交わしてはいないが、彼女から感じられる純粋さと、初めて見る闇竜族という存在の美しさに彼は心を動かされていたらしい。
五分ほど黙っていた彼はやがて二人の方に頭を向けると、黙って頷いて見せた。彼が同意したのを見てエマーヘルとライマは、安心したように喜んで見せる。
後悔をしなければいいが、彼は頷いた後にそう思った。




