Теплий Назад(ライマの暖かみ)
「どうやらこいつは無事なようだぞ」
岩陰でうずくまっているエリアの元に、エマーヘルがダンゴムシを持ってきた。あのマシンは二百キロは少なくともありそうだが、彼は汗一つかかずに持ち上げて二百メートルほどの距離を歩いてきてしまった。成人男性のドラクラットならば、これくらい朝飯前である。特に彼は黒人を元にしたドラクラットであるため、その力は他の人種を元にされたドラクラットよりもさらに力を持っているのだ。一番力が弱いのはアジア系であるが、それでも黒人タイプに比べれば、の話でアジアタイプでも車なら持ち上げることができる。ただ、それ以上重くなると重みで肉体が壊れるので人間状態では一トンが限度であった。無論、竜の状態なら車の二台や三台くらい持ち上げることは可能だ。
「ここに置いておくぞ……もし落ち着いたのなら言ってくれ。道を進もうじゃないか」
彼は優しく言って彼女に背を向け離れるが、十歩もしないうちに彼女の声が彼を呼び留める。
「待って」
彼は振り返ることなくその場に立ち止まる。
「大丈夫、行けるから」
その声は深く、そして悲し気であった。だが、これ以上ないくらいに落ち着いている。吹っ切れたということなのだろうか。
「そうか。無理はする必要はないからな。時間はある。お前はまだ若い」
「ありがと……」
エマーヘルはまた歩き出す。背後では砂利を踏みしめる音が聞こえた。彼女が立ち上がったのだろう。エマーヘルは満足そうに微笑むとライマの元へと向かい、旅を再開することを伝えた。するとライマは彼にある提案をした。それを聞いたエマーヘルは少々困ったような顔をしたが、遠くに見えるエリアの姿といつになく真剣な表情で見つめ返してくる彼女の表情を見返して、黙ってうなずいた。
「乗れるかはわからんがな」
そう言ったエマーヘルに対してライマは眉間に皺を寄せ不機嫌そうに語気を荒げた
「それは私のお尻が大きいということですか!」
「なっ!」
どうしてそう捉えるんだ、と驚いたエマーヘルは彼女を叱りつけるとさっさとエリアの所に行くように促した。
「バカッ!お前はどうしてそんな素っ頓狂な捉え方をするんだ!」
すると彼女は悪戯そうに笑い返すと冗談だと伝え走り出した。
「こういう時こそ楽しい気分が必要ですよ」
「まったく……」
彼女の言うことにも一理あるような気がしたエマーヘルは、彼女の言葉を繰り返しながら変身した。
「こういう時こそ楽しく、こういう時こそ楽しく……か。ライマらしいといえばライマらしいのだろうか」
もしかすると彼女の村での慣習なのかもしれないが、そんな些末事はどうだってよかった。気の持ちようというのはこの長く辛い旅路には必要なポジティブさなのだろう、と。
「エリアー?」
エリアはダンゴムシの状態を確認していると、向こうからライマの呼ぶ声がしたので顔を汚したまま振り返った。
「あれ、ライマ。どうしたの」
すこしだけの手荷物を持ったライマが笑顔で走り寄ってきた。
「実は、あなたのその走る輪っかの後ろに乗せてもらえないでしょうか」
「え?」
思いもよらぬ提案に、彼女は困惑して返答に詰まる。後ろにどうして乗りたいのだろうか、ライマは跳べるというのに。
「いえ、そのやはりエリアに一人で地上を行かせるのはなんだか冷たい気がしまして」
「なんだ、そういうこと。大丈夫だよ」
このままでは断られそうな雰囲気を感じたライマは、慌てて理由を見繕いどうにか提案を飲んでもらえるように頼み込んだ。
「それに、それにですね……えっと、やっぱり女の子同士でお話ししたいこともありますし、エマーヘルってちょっと話しづらい雰囲気があるじゃないですか?私としてはいろいろお話しながら旅をしないとなんだかつまらないなーって」
困ったような笑顔を浮かべる彼女に、エリアは少し考えると軽く頷いてタンデムを許可した。提案を承諾してくれたことに安心したライマは、エリアの手を握るとぶんぶんと力強く振って喜んだ。見た目は美しい女性だが、力はまるっきり人間の男よりも強く今までこれほど力強く腕を握られ振られた経験のなかったエリアは、痛みに顔をしかめながらもそれに黙って応じていた。
「でも、二人も乗れるかなあ」
いいとは言ったものの、そもそもこの輪っかに二人も収まるかがわからない。ライマが小さな子供ならいいが、生憎と正反対にとても発育の良い成人女性の体格をしている。その身長は百七十もあるエリアよりも大きいのだ、果たして。
「うーん……」
悩んだエリアは、マニュアルを引っぱり出してどうにか出来ないかページを探ってみた。何やら見慣れぬものを読んでいることに興味をひかれたライマは背後から覗き見た。
「リガーラの文字ですね。私は読めませんねえ……あ、これ見たことありますねえ」
と、彼女が頭の横から突き出してきた指先が指していた単語を見て、エリアは怪訝そうな顔で彼女の方を振り返る。
そこに書いてあった単語は「kill」
「リガーラの村を遠くから観察したことがあったのですが、あ、あなたを探しに出る途中です。これが家屋の壁におっきく書いてありましたねえ。なんという意味かは知らないですけど。エリア、読めますか?」
英語もわかるエリアはどう答えるか迷ったが、あんまりわからないと言葉を濁してごまかした。
「そうですか」
ちょっと残念そうに見えたが、エリアはライマに最初に意味を知る人間の言葉がkillになるのは嫌だったので、これで良かったのだと自分に言い聞かせた。別に彼女は人間の言葉をまったく知らないわけではないのだが。
「これ、かな」
エリアは前半にある機体の座席の調整についてのページに目を止め大雑把に目を通し求めているドンピシャな内容がないか確認していった。二、三捲ったところで、それをようやく見つけたエリアはジッとそのページを読み込んでいく。そして一旦読み終えると今度はダンゴムシの横に座りこんで手順の通りに動かしていった。
「まずレバー……捻って前に押し出す、それで次に……なるほど……ほうほう……?……あ、はいはいなるほどね、もっと分かりやすく書いてよ……ぃよいしょっと」
エリア自身もなんとなくこうだろうという感じで動かしてはいたのだが、ライマにとっては目の前でエリアが行っている機械の操作はとても神秘的らしく、とても不思議そうな表情でそれを眺めていた。彼女の中では、一種のリガーラに対する理想のようなものが生まれていた、リガーラと暮らせばこのような機械を扱えるようになるものなのだ、という。
「ほら、ちょっと広くなった」
エリアの言う通り、操縦系統が少し前に押し出され座席も五センチほど後ろにずれた。これならライマを後ろに乗せられることが出来るだろう。
「ハイ」
まずライマに跨ってもらう。が、その前にあることに気づきライマを止める。
「髪、髪結んでから服の中にしまって」
「?わかりました」
意味が理解できていないライマは言われた通りに髪を縛ると胸元に入れ込んだ。エリアはマニュアルを読んでいて知っていた。髪が長いとタイヤに巻き込まれてしまうのだと。特にこのマシンは背中の真後ろすぐにタイヤが来ているライマの髪なんて余裕で巻き込んでしまうだろう。凄惨な事故になる前に気づけて良かったと安心した。
ライマは髪をしまうと少し慎重にシートを跨ぎ、スカートを緩めて跨りやすいようにした。
「変わった座り心地ですねえ。なんだかドキドキします」
「そお?」
自分が初めて座った時は座り心地など確かめる余裕はなかったので、そういった感動を味わえる新鮮さが少し羨ましいような気がした。
「座れると思うけど」
自分もお尻が小さいというわけではないので確証はなかったが、ライマほど肉付きがいいわけではないので大丈夫だろうと楽観視していた。ライマの名誉のために言っておくが、彼女はデブではない。
「……座れた」
エリアは、背中に感じる感触と、温かみに違和感を覚えていた。
「じゃ、ベルト引っ張って」
「ベルト?あ、これですか」
ライマは背中とシートで挟んでいたベルトを二対引っぱり出すとエリアの方へと引っ張って渡した。
「よーし、じゃ、始動」
キーを捻ると、問題なくエンジンは起動し胸を撫でおろしたエリアは、アクセルを踏み込んだ。初めて味わう地上を高速で走る感覚にライマは顔を輝かせて喜んでいた。
「面白いです!」
「そう、良かった」
若い二人のドラクラットを乗せた異形の乗り物は、東欧の大地を進んでいく。




