Голубая луна(今宵の月は青白く染まるだろう)
三人の招かれざる竜人が、キニエイテンテス村を後にしようとしていた。荷物をまとめた三人は、お涙長大な別れを惜しまれるわけでもなく淡々と極めて事務的な様子でこの因縁深き場所を去る。中でも三人のうちの一人、黒い髪をした少女はとりわけ二度と訪れてなるものかと憎しみだけを抱いていた。この村にいい思い出など殆どない、あるとすればそれはクイリという被虐者の少女との出会いと彼女を結果としてここから解放できたことだろう。いつか、初めてできた同じ種族の友人と再開できたなら、そう願いを込めて、キニエイテンテス村の空を見上げてうつむいた。
しばらくの間寝たきりになっていたエリアは、体がなまっていないかと肩をぐるぐると回した。痛みは感じられず、体が回復したことに喜びを覚え微笑む。
「ああ、次はどこに行こうか」
エマーヘルが腰に手を当てそう言った。エリアは知らないと首を横に振りライマは懐から地図を取り出し広げて今いるあたりを探していた。どうもライマは地図を読むのが苦手らしく、五分くらいたっても現在地を見つけられずにいた。そんな彼女を見て、エリアはどんなに複雑な地図なのだろうかと覗き込んだ。
「え?」
見れば別に複雑というわけでもない、自分が見た、ムゥロにある昔の書物の保管してあるこじんまりとした図書館に飾られていた古い時代に作られた世界地図を思い出し比べてみると、どうもこちらの方がかなり簡素、というよりは拙いものではあったが、かといって酷く間違えているようには思えない出来であった。
「今ってさ」
このあたりじゃないの?とエリアが予想で東欧のあたりを指さす。そこだという確たる証拠はないが、ムゥロが昔イタリアとフランスと呼ばれた国の境目にあったということ、そして竜になって湖に着水後、出会った婦人がロシア語を話していたことを見てそのあたりじゃないだろうかと勘で指を指してみたのだ。エリアの予想は正しく、このキニエイテンテス村は旧ウクライナの黒海からしばらく東に行った場所に位置していた。
「あら、ここ……ああ本当ですね。書いてあります」
と、ライマが指を指した場所には、象形文字のような見たこともない文字が列記されていた。これでキニエイテンテスと読めるのは不思議だったが、もっと奇妙だったのは、初見であるはずのその文字を何の苦もなく彼女が読めたということであった。これは竜語でエマーヘルと会話したときと同じ感覚だ。知らなくても意識は知っているのだ。
(いや、どっかで見たなあ……あ)
象形文字に見覚えがあったのを感じていたが、彼女はそう、あのどこかの老軍人、名はなんと言ったか。とにかくあの竜に対し異常な執着心を持った男の部屋で見かけた記憶がうっすらとあるような気がしていた。果たして彼にはこの文字が読めるのだろうか。もし読めるようになったのならきっと歓喜するのだろうな、と笑ってしまう。
「どうかしました?」
ライマの不思議そうな問いかけに、エリアは慌ててなんでもないと否定すると、地図を見ながらこことかはどうかと話を逸らす。
「んーサリエナですか。それなら東にしばらくでしょうか。エリアが飛べないので三日位はかかることになりそうですよ」
「大丈夫かな、多分」
「無理は禁物ですよ。あなたはまだ病み上がりなんですから」
「大丈夫大丈夫」
きっと。
そこにエマーヘルが彼女に尋ねた。
「いいのか?」
「何がさ」
「お前は確かイタリアとかいう場所のあたりに住んでいたのだろう。サリエナだと遠ざかることになるが」
エマーヘルの指摘に、エリアは顔を伏せる。そんなことは、わかっている。本当は戻りたい。戻りたくてしかたがない。もしかすると家族の誰かが生きているかもしれないのだ。そう思うと郷愁にあてられて、涙がにじみそうになる。だが、帰れなかった。それは家族の死に向き合わなければならないという現実が、帰れば待っているためだ。きっと皆死んでしまったのはわかっている。けれどどこかで、一人くらいなら、という未練が残り続けて燻っている。行かなければその火種は残り続けるが、戻ればそれははっきりとする。だから、戻りたくなかった。それに慣れ親しんだ故郷の変わり果てた姿を見たくないという気持ちもあった。
「いいの」
彼女は涙を拭ってそう気丈にふるまって見せると、二人は彼女の気持ちを理解し、尊重してそれ以上は何も言わなかった。
「サリエナか、確か水竜族と木竜族の村だったと記憶するが」
「さあ、どうでしょう。私は存じませんねえ」
「知らないの?」
エリアの問いかけに、二人はそうだと答えて見せる。
「お前だって世界中のリガーラの村のことなんて知らないだろう?」
「まあ、そうだけど」
言われてみればそうなのだが、彼女はそういうつもりで尋ねたのではなくドラクラットの繋がりは深いものだろうという認識で尋ねてみただけだったのだが。
「さあ、行こうか。食糧もいただいてきたし、水も三日くらいなら持つだろう」
来た時よりも増えた荷物を足に括りつけたエマーヘルとライマは、まずエマーヘルが先に変身して飛翔し、次いでライマも同様に飛行を始める。そんな姿を見て羨ましがりながら、彼女は隠してあったダンゴムシに跨りエンジンをかけた。あれからずっと野ざらしで尚且つしばらくぶりにエンジンをかけたにも関わらず順調にかかったことに、これを作った国の機械の丈夫さを感じながらエリアは指示に従い進んだ。
東欧の森を、奇妙な一輪機械が走る。木々をすいすいと避けながら進む輪っかは、時折地面のおうとつや枝によって飛び跳ねつつ進み続ける。
(すまなかったな)
エマーヘルがテレパシーで突然詫びてきた。
「どうしたの」
前にも説明した通り、このテレパシーは竜から竜人には一方通行である。が、ついこうして返事をしてしまう。
(まさかあのような場所にお前を連れて行ってしまって。お前はまだドラクラットについて知らない。だからお前のドラクラットへの第一印象を決める大事な機会だったというのに。私は……迂闊だった)
「そうだね。私は……辛かったよ」
聞こえないのをいいことに、彼女は本音を返した。
彼は続ける。
(あのような腐りきった村も存在するのだ。悲しいが、我々も意思を持った生き物だ、そういう輩もでてくるという言い訳をしてしまう自分が情けない。きっと、あの村はいずれ滅ぶ。滅びてもらわねば困る)
意外な言葉を聞いたエリアは呆気にとられたが、気を取り直して小さく頷いた。
(こういうのもなんだが、きっとお前はこれから行く村の先々で歓迎されないだろう。先に宣言しておく。それはお前が闇竜族であるがためだ。またあの時のようになるかもしれない。その時は殺していい。許す。俺とライマでお前を守ろう)
「殺していいの?つまりそれは痛みに耐え憎しみを燃やし竜に変身しろってことを言いたいんだよね」
(一族全体のためなら、村の一つや二つ、滅ぶのも仕方のないことだ)
その彼の言葉に、寧ろエリアは不信感を抱いた。なら問いたい。それがもしエマーヘルやライマの故郷であったとしてもか。家族であったとしてもか。滅ぼしてよいと。全体を救うためにこれから何十人もの数少ない同胞を失うのも仕方のない犠牲だと。ならばつまり、自分の命も、二人の命も!
「私は、悪魔じゃない……」
どうしてそうも憎しみと業とを背負わされなければならないのか。
森を進んでいく少女は、涙を流した。




