第九章 1)医務室の惨状
プラーヌスは旅を急いているようであった。
しかし彼と共に旅に出掛ける前に、足を運んでおかなくてはいけない場所があった。
医務室だ。そこには先程の戦闘で続出した怪我人たちが、何人も運び込まれている。
私が行っても役に立つかどうかわからないが、この当のナンバー2として顔を出さないわけにもいかない。
もちろん、プラーヌス自らが怪我人たちを見舞うべきだと思うが、彼がそんなことをするわけがない。
医務室は惨禍を極めていた。
血の匂いと、痛みに呻く声が辺りに充満して、私は入り口の前に立ちすくみそうになった。
この悲惨と呼応するように、あの女性の不気味な泣き声まで聞こえていた。
まるでその女性は、どこかでこの塔の光景を見て、そのあまりの光景に嘆き悲しんでいるかのよう。
予想以上の惨状に、そこから逃げ出したかったぐらいだった。
しかし怪我人の数はあまりに多く、到底狭い医務室に入りきらないで、廊下に寝かされている者もいた。
一方、看護人の数はまるで足りていないようで、どうやら私の手ですら必要とされた。
アビュも、そしてあのフローリアも、他の看護人たちと共に働いている。
それを見ると、ここから逃げる気はさすがになくなった。
老医師ミオンも老体に鞭打って駆け回り、少しでも助かりそうな見込みの患者に治療を施していた。
しかし彼の表情は暗く曇っていくばかりだった。簡単に言えば、さっきまで怪我人だった兵までもが死んでいくからだ。
「おい、お前、シャグランと言ったな」
医務室に入るや否や、その老医師が私を呼びつけてきた。
「こいつの身体をしっかり押さえておけ」とベッドの上に寝ている一人の怪我人を指差した。
「は、はい」
この兵も、痛みと死の恐怖に震えていた。
何とか助けてくれと、すがりつくような眼差しで、私たちを見てくる。
しかし私はその助けに応えられそうにないから、彼からすぐに目を逸らした。
「おい、シャグラン、これを見ろ」
老医師はこの怪我人の血だらけの足を指差した。
「このままでは右足が腐って蛆が湧く。命を助けるためには切断せざるを得ない」
「切断だって?」
私は思わず声を高めてしまった。
当の怪我人にも、その言葉が聞こえてようだ。
切断という言葉を聞いて、どこからそんな力が出るのか、ベッドを飛び出そうとした。
私は慌てて彼を抑えつけた。
「大丈夫だ、既にこれだけの怪我だ。神経も麻痺している。今更、足を切断するくらい痛くもないだろ」
老医師はそう言ってその患者の口をこじ開け、ガブガブとワインを飲ませ始めた。
「更にお前は酔っぱらいだ。もう何も恐くないぞ」
「い、嫌だ! もうこれ以上痛い思いをするのは」
その兵は哀願するように言ってきた。
「死にたくなければ我慢するしかない。いくぞ!」
ミオン医師の持った鋸が、彼の足の皮膚にグッと食い込む。
しかしウイスキーぐらいでは痛み止めにはならなかったようだ。鋸が刺さった瞬間に患者は悲鳴を上げた。
私は何とか押さえつけようとするが、元々身体の大きい兵士である。
いくら大怪我をしていても、力は私よりも強かった。
更に手負いの獣のように死に物狂いで暴れてくるから、到底押さえ切れるものではない。
「ちくしょう、だ、誰か」
私は何とか男を押さえようとしながら、手の空いている召使いか、傷の浅い兵士の姿を探した。
しかし周りにいるのは包帯だらけの怪我人か看護士の女性だけだ。私を助けてくれそうな者はいない。
「少しの我慢だ、それであんたは助かるんだ!」
私はほとんど叫ぶようにそう言ったが、男の力は強まるばかり。
逆に私がベッドに捻じ伏せられそうな勢いだった。
老医師ミオンも彼の足の切断をしばし諦めて、距離を取っている。
もう無理だ。私は諦めかけた。
そのときふと、花のような優しい香りを嗅いだ。
私はそっちに意識を向けた。
すぐ傍にフローリアが立っていることに気づいた。
「フローリア?」
「ここは私に任せて下さい」
彼女は私にそう言ったかと思うと、いきなりその兵士を抱き締め始めた。まるで泣きじゃくる子供をあやすように。
しかしそれでも男は暴れ続けた。
振り回した手がフローリアの顔に当たり、彼女の髪の毛が乱れる。
そんな男を前にしても、フローリアは少しも臆した様子を見せず、その男を抱きしめ続ける。耳元で「大丈夫ですよ」とつぶやきながら。
すると男はようやく自分の前にいるのが女性だということに気づいたのか、驚いた様子で暴れるのをやめた。
「フ、フローリア・・・」
私は彼女の振る舞いに戸惑わざるを得なかった。
しかしここはもう彼女に任せるしかないようだ。
「大丈夫です、少しの我慢ですからね」
フローリアはまるで聞き分けのない幼い子供に言い聞かせるように、背中や頭を撫でながら兵士に囁く。
「あなたには勇気があります」
「い、いや、無理だ! もう死んでもいい、早く楽になりたいんだ!」
男は一瞬、大人しくなったが、また自分の悲惨な現実を思い出したのか、狂ったように叫び出した。
「いけません、あなたは生きなければ。だって、あなたの代わりに大勢の味方が亡くなったんですから」
「知ってるよ、でもそんなの俺が悪いわけじゃない! あの残虐な蛮族どものせいだ」
「あなたが死ぬと、バルザ様が悲しみます。バルザ様が、あなたを助けて下さったのでしょ?」
「・・・あ、ああ。バルザ様が」
バルザ殿の名前を聞いて、男は瞬時に表情を変えた。
今までは自分の痛みに甘える子供のようであったのに、何か大きな責任を背負っている男のような表情に。
バルザ殿の名前はそれほどの効果があるようだ。
そういえば、バルザ殿はどこに行かれたのだろうか?
あらだけの凄まじい戦いのあとだ。
どこかで静かに戦いの興奮を収めておられるのだろうか。
あのときのバルザ殿は戦う神、いや、悪魔のようであった。近寄る者は全てを斬り殺す、残虐な悪魔・・・。
「そ、そうだ、俺はまたバルザ様と戦いたい」
男は痛みに呻きながらも、さっきよりも確かな口調で言った。
「そのためには、少しの我慢が必要です」
フローリアが力づけるように声を掛ける。
「が、我慢?」
「一瞬の痛みに耐えないと」
「・・・で、でも」
兵士はまた表情を曇らせ、不安そうにフローリアを見つめた。
フローリアはそんな兵士を優しい表情で見返した。
「わかった。・・・ずっと手を握っていてくれよ」
男は覚悟を決めたようにそう言って、フローリアに手を差し出した。
「もちろんです」
フローリアは彼の手を握り、更にもう片方の手でも包み込んだ。
「おお、とても柔らかい手だ・・・」
男はその感触を味わうように目をつむった。
彼はその感触が気持ち良いのか、幸せそうにニヤニヤと微笑み出した。
男はふと目を開けて、彼女に言った。
「あんた、フローリアだろ?」
フローリアは静かに頷くと、老医師に合図を送った。
老医師は鋸の歯を男の足に入れた。男は痛みに叫んだが、もう暴れなかった。
気がつけばあの女性の泣き声も止んで、塔は不思議な静寂に満たされていた。




