第四章 7)朝市の花
場所は昨日の散策でだいたい把握しているから、迷うことなく到着した。
市場はまだまだ人通りが多く、活況を呈しているようだった。それぞれの露台には、この街の平和と豊かさを象徴するように、たくさんの品物が並んでいる。
プラーヌスの塔から最も近い街はここだから、私たちが暮らす上で必要な生活物資や食糧品など、主にこの街で買っているはずだ。
それを思うと、並んでいる果物や野菜など、普段接しているものばかりで、そういう意味では新鮮味は欠ける。
とはいえ、こうやってずらりと並んでいるのを見ると、思いは格別である。これだけで旅の気分を味わえるというものだ。
私はしばらく市場を散歩して回った。
美味しそうな果物などを買っては、その場で齧ったりして束の間の自由を満喫した。
幸い、この辺の人とは言葉も通じる。
まあ、あのような訳のわからない言葉を喋る、ゲオルゲ族など身近にいないのが普通の世界である。
あんなのがうろちょろしている塔のほうが異常なのだ。それを有難く思う私の感覚のほうも、おかしくなり始めているのかもしれない。
もっと市場を気儘に歩いていたかったが、まだやらなければいけないことがたくさんあった。
適当な時間で散歩を切り上げ、次に古着屋で召使いたちの衣服を買い集めに行く。
最初に目についた古着屋で、一番安い服を大量に購入した。
まあ、召使いの服に贅沢は出来ない。別に彼らも、それほど衣服に拘りのあるタイプでもなさそうだ。着ることさえ出来れば、文句を言うことはないであろう。
そしてその後、この旅の主な目的の一つの花屋に訪れた。
私は出来るだけ、この街にある全ての花屋を巡った。そして花屋の主人に、店にある全ての花を買うから、私たちが泊っている宿屋に持って欲しい言って回る。
予想通り、最初はどの花屋の主人にも鼻であしらわれた。
花というのは、なかなかの高級品である。私の吟遊詩人風の格好を見て、そんな大金を持っているなんて思われなかったのであろう。
吟遊詩人なら遊んで暮らしているようなもんだろ? その辺の野原で摘んできな、そう言ってくるのだ。
しかしその度に、懐にある金貨をこっそりと見せ、宿にまで持ってきてくれたら必ず代金を払うことを約束した。
金貨の輝きを見ると、どの花屋の主人も態度が一変した。
もちろん、どの花屋もそれだけで私のことを信じたわけではないだろうが、指定された宿屋に花を持って行くくらいの仕事はかまわないと思ってくれたようだ。
出来ればあまり金貨を持っていることを知られたくなかった。どこでその遣り取りを見ている、スリやら強盗やらがいるかもしれないのだ。
今は隣にプラーヌスもいないし、私を守ってくれる衛兵代わりのあのカボチャのバケモノもいない。
特に治安の悪そうな街ではないが、用心に越したことはないはずである。
しかし金貨を見せなければ話しが進まなかったのだから仕方がない。
そういうわけでまだもう少し街を見て回りたかったが、身の安全のことを第一に考え、一端、宿に帰ることにした。まあ、とりあえず衣服と花を買えたのだから、それでよしとしよう。
宿に帰ると、昨日の少年がその建物の玄関口に座っていた。
プラーヌスが黒猫と鴉を捕まえろと頼んだ、あの蝋燭売りの少年である。
モゴモゴと動く麻の袋を持っているところを見ると、きちんと仕事を果たしてきたようである。
「黒猫と鴉、ちゃんと二匹ずつ捕まえてきたよ」
私の姿を見ると、少年は不安そうな表情で駆け寄ってきた。「部屋まで持っていったんだけど、あの人に凄い剣幕で怒られてさ。だからもしかして騙されたのかって・・・」
「いや、彼は朝早く起こされるのを何より嫌うだけさ」
「え? まだ寝てんの? もう日も沈み始めてるぜ」
「子供には理解出来ないかもしれないが、世の中には夕方まで眠る人間もいるんだよ」
私も昨夜は夜遅くまで飲んでいたせいで寝不足だった。そんな話しをしていると睡魔が不意に襲ってきて、思わず大きな欠伸をした。
「だけど彼も喜んでいるはずだ。ほら、約束のお駄賃だよ」
私は彼を誰の目のつかないところまで引っ張っていって、その手に金貨一枚を握らせる。
それにしても、金貨一枚であっても子供にとって大変な大金である。
いや、子供だけじゃない。大人でも金貨一枚稼ぐとなれば、二、三十日間休みなしで働いても難しいはずだ。私だって花を買うためにプラーヌスから預かっていなければ、金貨など持ち歩いていない。
とにかく黒猫と鴉を捕えるだけで、手に出来るものでは決してない。到底それに見合わない報酬なのだ。
しかしプラーヌスが約束したのだから仕方ない。
私はプラーヌスの無責任さを憂うると共に、その子の行く末も案じながら金貨を渡した。
「これが金貨か、本物だよね」
「ああ、こんなに重くて、キラキラ輝いているんだ。偽物だとしても、凄い偽物だってことになるだろうね」
少年自身も金貨一枚をもらう約束をしたのだから、当然それを支払ってもらう心積もりであったろうが、しかし実際に本物を目にすると、怖気ついたように震えていた。
まるでその輝きを持て余すかのように、恐々と触っている。
「誰にも見せないほうが身の為だぞ。それか思い切って親に預けるか」
「親なんていないよ。怖い親方しか」
少年は信じられないものを見るような視線で金貨を見つめていたが、やがて覚悟を決めたかのようにぐっと唇を噛んで、それを靴の中に仕舞いこんだ。
「親方?」
「うん、親なんてとうの昔に死んだ。蝋燭売りの親方の許で暮らしている」
あっ、これ、昨夜の分と今日の分の蝋燭だよ。全部売り切らないと親方にブン殴られるんだ。
そう言いながら、大量に蝋燭が入った箱も私に手渡してきた。
「そうか」
それで昨夜あんなに必死に働いていたのか。「君も大変だな」
「別に、そうでもないさ。でもいつか商売を始めて、さっさとこの街を出ていくつもりだけど」
「商売?」
「うん、誰にも舐められないくらい大きくなったら、このお金を元手にして商売をするんだ。それで世界一の金持ちになる」
どうやら私の心配は杞憂だったようだ。歳のわりにはしっかりしているようだ。
「そうか、頑張れよ、次から蝋燭は君のところで買うことにするよう、買い出し担当に者に言っておいてやるよ」
「本当? うれしいな。あれ? でもあんたたちって旅の吟遊詩人だろ? 買い出し担当って?」
「いや、まあ、少し訳ありでね、実は正体は別にある。僕たちはカプリスの森に住む魔法使いと、その友人なのさ」
「魔法使い? あんたが?」
「いや、僕はその友人のほうだけど。おっと、もちろん秘密だぜ。君を信用するから教えてやってるんだ」
「ああ、俺は口がかたいから安心して」
そう言って少年は私に手を振りながら走り去っていった。




