第四章 8)シャグランの不注意
部屋に戻るとプラーヌスは既に目覚めていて、身づくろいもしっかりと済ませているようであった。
だらしなく眠っていたときの姿とは見違えるようで、今は魔法使いの黒いローブをまとっている。
湯浴みも済ませているようで、石鹸のほのかな匂いが漂ってくる。
さっきの寝姿を揶揄するような言葉を浴びせようと思っていたのだけど、いつもの厳粛なプラーヌスに戻っていて、そんなことを言える雰囲気でもない。
それに彼は何やら、懸命に作業をしていた。
ベッドを壁に立てかけ、テーブルも脇に移動させ、板敷きの床に不思議な模様を描いている。
その模様の横に、大きな水晶玉と、それより一回り小さいのと、二つの水晶玉が置いてあった。
更にその周りに、いくつかの宝石が無造作に転がっている。
「やあ、帰ってきたか。窓から見てたよ、少年との遣り取りを。何やら心が通じていたようだったじゃないか」
その作業の様子をいぶかしげに見つめている私に、まずはその説明をしてくれるのかと思ったら、プラーヌスは私が手に持っている麻袋と蝋燭の入った箱にちらりと目をやりながら、そう言ってきた。
「えっ? ああ、感心したよ、まだ幼いのにしっかりした少年だった。またいつか会いたいものだね」
プラーヌスに見られていたとしたら、他の誰かにも見られていたかもしれない。ふと、そんな危惧を感じる。
まあ、しかしたとえ見られていても、事情を知っているプラーヌス以外、私があの少年に金貨を渡したことは気づかれていないだろう。それほど心配することもないとは思う。
「あの少年にとってはかなり印象的な出来事だったはずだ。こういう出会いはいつまでも記憶に残るものだろうね」
プラーヌスが続ける。
「うん、彼がこの出来事をどう受け取るのかわからないけれど、良い方向に持っていって欲しいものだね」
「しかしシャグラン、君も不注意な男だ。彼には金貨しか渡してないね?」
「えっ? ああ、そうだけど、それが?」
「ということは、手に持っているその蝋燭の代金を、金貨とは別に支払っていないわけだ」
「ああ、だって金貨一枚あれば、このような蝋燭、どれだけ買えるか・・・」
「それは当然だけど、僕が言ってるのはそういうことじゃない。彼には雇い主がいるんだろ? だったらその蝋燭の代金を、雇い主に納めなければいけないはずだ」
「うん、そうだろうね」
「でも、君はそれを払っていない」
「だから金貨があれば蝋燭代なんて」
いや、ちょっと待てよ・・・。
私はプラーヌスが言おうとしている言葉の意味をようやく理解した。
確かにあの少年は、この蝋燭が売れた分の代金を親方に納めなければいけない。
しかしその代金を金貨で渡すわけにはいかないであろう。
そんなのは当然だ。
金貨なんてものを目にすれば、親方はびっくり仰天して、いったいそんなものどこで手に入れたのだと少年を追及するに違いない。
いや、それどころか、もっと最悪なことが起きる可能性だってある。
「まさかその親方に金貨を渡して、蝋燭分のお釣りを貰えばいいじゃないか。蝋燭代を差し引いても、莫大な金額になるんだから。君はそんなこと、考えているわけじゃないよね?」
プラーヌスは私を小馬鹿にするように言ってきた。
「う、うん、そんなことをすれば、金貨が返って来ないどころか、そのお釣りだって戻って来ない可能性が・・・」
親方が親切で正直者で、あの少年のことを深く愛する聖人のような善人ならば、そんな心配をする必要はないかもしれない。
しかしノルマを達成しなければ、幼い少年を殴るような男らしいのだ。
金貨を目にした親方が、あの少年にそれを返すわけがないだろう。
「ああ、何てことだ、プラーヌス、君はあの少年の人生を大きく変えてしまった!」
私は思わずそう叫んだ。
「僕が? 違う、君だよ。君が蝋燭を素直に受け取ったばかりに」
「た、確かに僕の不注意が直接的な原因だけど。でも君がこの程度の仕事に金貨なんて与えるから」
「まあ、どっちが悪いかなんて、この際、言い争っても無意味なことだね」
確かにプラーヌスの言う通りだ。もはや行動しかないだろう。
私はすぐにこの部屋を出て、彼に蝋燭の代金を渡して来ようと思った。
しかしそんな私を引き止めるようにプラーヌスが言ってきた。
「その袋の中の黒猫か鴉をこっちに持ってきてくれないか。いや、黒猫よりも鴉のほうがいいな」
「鴉?」
「ああ、魔法で拡張子にして飛ばす。あの少年の様子を観察するんだ。何か問題があれば介入も出来る」
「へ?」
「捕まえられたとき、鴉はあの少年の姿を見ていたはずだ。動物に対して、見ているという言い方はおかしいかな。その瞳に彼の姿が映っていたはず。だとすれば追跡させることが出来るんだ」
プラーヌスの言ってることがまるで理解出来なかった。まあ、魔法のことを言っているのだろう。
とにかく私は鴉の入った麻袋を彼に手渡す。
私が麻袋を手渡すと、プラーヌスは躊躇なく袋の中に手を突っ込んだ。
猫がニャーニャー泣き喚く。鴉もあの独特な甲高い声を上げる。
その騒ぎの中から、プラーヌスは一匹の鴉を鷲掴みにして取り出した。
生きのいい鴉だった。恐れ知らずなことに、プラーヌスの手の中で豪快に暴れる。
「この程度の魔法なら、パールで充分だな」
プラーヌスは左手の小指を突き立てて、それを自分の口元まで持っていった。
プラーヌスの指全てに指輪がはまっていた。どの指にも宝石が入っている。
人差し指はおそらくダイヤモンド、中指はエメラルド、サファイアなどという具合にだ。
別に成金趣味ってわけじゃない。
宝石は魔法を発動させるための必須のアイテムである。咄嗟に魔法を使えるように、身体中に宝石を用意しているらしいのだ。
プラーヌスが宝石に向かって何か魔法の言葉を唱えると、小指に輝いていたパールが音を立てて割れた。
と同時に、暴れ回っていた鴉が大人しくなる。
「さあ、さっきの少年のもとに飛んでいくんだ」
プラーヌスはそう言って、手の中の鴉を離す。すると鴉は、窓から外に向かって飛び立っていった。
「なあ、プラーヌス、いま、いったい何が起きてるんだい?」
私はプラーヌスに尋ねる。
「鴉なら彼のもとに一飛びだろう。ほら、もう捉えたようだ」
プラーヌスは、今度は水晶玉を見ていた。
私も彼の傍まで行って、それを覗き込む。
水晶玉にはこの部屋の光景や私たちの姿以外に何か映っている。
いや、何かが映っているなんてものではない。あの少年の姿が映ってた!
「こんなことで宝石を消費するのは勿体ないけれど。しかし君がこれだけ心配しているのだから仕方ない」
「こ、これは?」
私は尋ねる。
「今この瞬間の、あの少年の姿だ。さっきの鴉が、どこかの家を、窓から覗き込んでいるんだ。それが今、この水晶玉に映っている。どうやら彼はまっすぐ親方のもとに帰ったようだな」
「魔法でこんなことが出来るなんて・・・」
「僕くらいの魔法使いになれば、条件さえ整えば、この程度のことはそれほど難しいことじゃない」
「本当に凄いよ・・・」
私は感動を通り越し、少し恐怖の混じった声でそうつぶやく。本当に魔法使いというのは恐ろしい存在だ。
しかしそんな感想は後回し。今はあの少年の現在の様子が気になる。
その水晶玉の中に映る少年は、彼の親方らしき男に向かって、必死に何かを訴えかけていた。
しかしその姿は水晶玉に写ってはいるが、声までは聞こえない。
そういうわけで、どのような状況なのか、しかと把握することは出来ないのだけど、どうやら金貨を手渡したりしている様子はないようだった。
それには胸を撫で下ろしたくなったが、状況は芳しくなさそうだった。
親方らしき男は、眉をひそめ、少年の言葉を傾けている。
最初はうるさそうに、その少年の相手をしているといった感じであったが、何かの言葉をきっかけに顔色を変えた。
親方は明らかに激昂し始めたという様子。
そして少年の頬を思い切り殴りつけた。
「な、何てことをするんだ!」
私は思わず水晶玉に向かって抗議の声を上げてしまう。しかし当然、届くことはない。
親方は殴るだけでは気が収まらないと言った感じで、倒れ伏した少年の腹を蹴り上げるという暴挙にまで出た。
私はその壮絶な光景を黙って見ていられなかった。立ち上がって、プラーヌスの方を振り返る。
「プ、プラーヌス、どうにかならないのか? このままでは、金貨も取られてしまうかもしれない」
「鴉で親方の目を突くことは出来る。最悪の場合はそうしよう。しかしその必要はなさそうだ。彼はこの危機を上手く乗り越えたようだね」
「えっ?」
いったいこの光景のどこを見て、プラーヌスはそのような呑気なことが言えるのか理解出来なかった。
丸太のような二の腕をしている親方は、小さな少年への暴力を止めようとしない。
それどころか、ますますそれをエスカレートさせているというのに。
このままでは彼が殴り殺されてしまう!
いや、でも待てよ。
私は改めて、水晶玉の中の光景に注意を払う。
この様子を伺い見る限り、親方があの少年を殴っているのは、金貨を奪うためではなさそうである。
親方にそのような素振りは一切見られなかった。
しかしそれなのに、どうして彼を殴っているのか?
確かにそれはおかしい。
「恐らく少年は、蝋燭の代金を無くしたか、落としたか言って誤魔化したんだろう。もちろん、そんなことを言えば親方に激怒される。蝋燭代も弁償しなければいけないだろう。しばらく無報酬で働かなければいけないかもしれない。だけど」
プラーヌスが、私がおぼろげに気づき始めたことを言葉にしてくれた。
「とりあえずこの場面は切り抜けられる。彼は殴られることと引き換えに、金貨を自分の物にすることにしたんだろう」
そう、私のミスで迎えてしまったこの窮地を、少年はこの方法で乗り越えることにしたのだ。
私が彼だったら、金貨を持ってさっさとこの街を逃げるかしていたかもしれない。
しかしそれではどこかで金貨を換金しなくてはいけない。
それが上手くいっても、いずれお金は尽きてしまう。それでは根本的な解決とはほど遠い。この事態を乗り越えるには、これ以外の方法はなかったかもしれない。
一瞬の痛みに耐えて、何とかやり過ごすという方法。
実際、親方はこれだけ殴ると気が済んだのか、何事か言葉を浴びせかけただけで、少年の前から立ち去っていった。
少年が痛みに呻きながら、よろよろと立ち上がる。
しかし命には別条はないようだ。それどころか、金貨を無事守られて良かったと言いたげに、満足げな笑みさえ浮かべている。
「な、何て奴だ。僕が想像していた以上に頭も良くて、度胸もあるようだ」
私は少年の行動に感動していた。もう少しで涙を流してしまいそうなほどに。
「ああ、彼は本当に利発で、機転の効く少年だ。しかも我慢強い。まあ、路上で蝋燭を売っているのを一目見て、こいつは使えそうだって思ったからね。彼を選んで正解だったよ。こうして黒猫と烏も無事に手に入ったわけだし」
「うん、とにかく良かったけれど・・・」
私はホッとする一方、自分の馬鹿さ加減が嫌になってきた。「君に指摘されていなかったら、彼がこのようなピンチに陥ったことにすら気づかなかったかもしれない。いや、後日気づいて、何という失策をしでかしてしまったんだって、ヤキモキしていた可能性がある」
本当に危ないとことだったって思う。私は自分がいかに思慮の足りない人間なのかって改めて認識されられた。
これまでも自分でも気がつかないだけで、もしかしたら多くの人間を不幸に追いやっていたかもしれない。そんなことすら考えてしまう。
「そんなに反省するほどのことでもないさ。まあ、確かに君の不注意は酷い。しっかり気をつけていれば、この不運は防げたかもしれない。しかし君がその失策を犯さなかったとしても、あの少年は金貨を手にするためには、また別の違う試練に見舞われていたかもしれない。何かを手に入れるときには、しばしば痛みが伴うものなんだよ」
「痛み?」
「うん、痛み、試練と呼んでも良いかもしれない。それが人生の摂理なのさ。魔法の勉強をしたり、魔族たちと親密に付き合っていると、その事実を思い知らされる」
「そ、そんなものだろうか?」
「自分のキャパシティー以上のものを手に入れるときというのは、大きな痛みと引き換えでなければならない。それは魔法の世界だけの摂理ではないはずだ。人生全般に渡って、その摂理が沁み渡っているんじゃないかって、僕は本気で思っている」
「そうなのかな。僕にはよくわからないけれど」
そんなこと考えたこともなかった。それは私が自分のキャパシティー以上の物をまだ手に入れていないからかもしれないが。
一方、プラーヌスは自分の望むものを次々と手にしている。僕よりもはるかに経験豊富だ。
「実際、僕はこの魔法の力を手に入れるために、かなりのものを犠牲にしてきた。信じがたいほどの痛みにも耐えている。たとえば頭痛の発作もその一つだ」
彼はしばしば頭痛について口にしていた。それが彼の人生で最大の苦しみだと言うように。
私も彼がその痛みに苦しんでいるのを観たことがある。あれは確かに辛そうである。
何もかも思い通りに出来ると言っても過言ではないプラーヌスが、おそらく唯一どうにも出来ない苦しみ。
「あれは魔族との契約の一つなんだけど。あの極度の痛みと引き換えに、僕は多くのものを手に入れた。あの少年も似たような経験をしたのさ」
しかしそう言えば、昨夜、ひどい頭痛はなかったな。
プラーヌスがふと、そんなことをつぶやいた。
「え?」
「いや、君と朝まで酒を飲んでいたけれど、いつもの発作がなかった。太陽が昇り始める頃になると、決まって頭痛に襲われるんだけど」
まあ、いい。そんなことよりも、さっさと仕事に戻ろう。
彼はそう言ってサッと表情を切り替え、慌ただしく動き出した。
「君のせいで思いも寄らぬことに時間を費やしてしまった。急がなければ。君にも手伝って欲しいことがあるんだ」
私はさっきの事件の余韻が冷めない感じで、何か仕事をする気分ではまったくなかった。
まだまだ、あの少年の行動についてプラーヌスと語り合いたい。それにプラーヌスの言葉も気になる。
しかしプラーヌスはさっさと仕事を始め出すので、仕方なく彼の指示に従う。
「手伝って欲しいことって?」
「うん、僕が合図したら、黒猫と鴉をその袋ごと魔方陣の上に置いてくれ」
プラーヌスはそう言って、床に描いた模様を指差す。
「ああ、わかった」
「仲間に黒猫と鴉を送るんだ。さっきの鴉ももうすぐこっちに帰ってくるだろう」
プラーヌスの言葉と同時に、窓から鴉が飛び込んできた。
鴉はチョコチョコ歩いて、自ら魔法陣の上に移動していく。
プラーヌスはそんな鴉を横目で見ながら、何やら真剣な表情で床に文字を書き始めた。
私の読めない文字、何やら魔法に関連する文字であろう。
「よし、これでいい。始めよう」




