第34話・発現の条件
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王城の回廊を歩けば、不意に吹いた生ぬるい風が頬を撫で、胸奥に不吉な胸騒ぎを残した。
国王からの呼び出しはいつでも突然で、その理由はアレクシスの頭を悩ませるものばかりだ。
魔術学園の学友だった頃から、王太子であった現国王ユベールは同年のアレクシスを事あるごとに頼った。学生時代、夜通し討論を交わしたことも一度や二度ではない。
周囲の推薦を得て王宮の騎士に望まれ、十六歳で受剣式典を終える頃には、武術・体術ともに群を抜き、王城の剣豪をもうならせた。
魔術の才は人並みであったが、十歳にして難解な数式を易々と解き、聖職者すら数年を要する経典をわずか半年でそらんじる──まさに神童と呼ばれた。
そんな彼と『国の宝』アビス一族の娘との婚約が決まった時は、誰もがジークベルト侯爵家の揺るぎない繁栄を確信したものだ。
そんなアレクシスが、かつて級友だった為政者に頼られるのも無理はない──それが本人の意向を無視した形であったとしても。
『まぁそんな顔をするな。君に任せておけば何事も《《早い》》のだ。』
アレクシスのしかめ面を見るたび、ユベールは鷹揚に笑ってはぐらかす。おそらく、今日、この時も。
アレクシスは形の良い眉をひそめたが、目を閉じて呼吸を整え、国王の執務室の扉を叩いた。
「おお、やっと来たか! ジークベルトッ」
執務机にどかりと座る現国王が秀麗な面輪に浮かぶ笑顔を見せた。
他の数名はすでに入室しており、国王の脇に立つ者、長椅子に座る者とおのおの好きに過ごしている。
「遅れて申し訳ありません、陛下」
アレクシスが礼を取れば、
「かまわないよ。省庁の古参どもが優秀な君を離さなかったのだろう? 事情はよく知っているさ」
ユベールはパチンと両手を打ち鳴らし、
「これで役者が揃った。会議を始めよう! 知っての通りこの面々に於いては無礼講だ。報告は然り、言いたい事があったら遠慮せずに言えよ?」
ユベールの有能な部下であり、幼年の頃より切磋琢磨しながら年を重ねた五名の青年たちが集うなか、明るい声をこぼすのは呑気な国王のみである。
長椅子に腕を組んで腰かけた近衛騎士団長アイザック── 長剣を帯びた騎士服に身を包み、腰まで伸びた黒髪を後ろで束ねている──が、仏頂面のままエメラルドの瞳をぎらつかせて問う。
「それで……。レオン・ナイトレイについて、王弟陛下は何と?」
アイザックとアレクシスの他三名はそれぞれ異なる役職に就きながらも、国王ユベールの政務を陰、日向となって支える若き精鋭たちだ。
「真面目な一生徒で、怪しい点は見受けられないと。今後は彼の周辺にも探りを入れてみるつもりだ」
レオンがエリアーナにした事を思えば腹わたが煮えるようだが、顔には出さずに堪える。とにかく今は、奴の行動を暴いて尻尾を掴むことだ。
「そういえばジークベルト。君の奥方の活躍で発覚した衣装屋の奥部屋だが……我らが踏み込んだ時には《《もぬけ》》の殻。店員は全員殺害されていた」
「何だと……!?」
「事が早すぎる。こちらの動きが奴らに漏れていたとしか思えん」
「内通者がいる、ということか」
「残念だが、それが自然な見立てだろうな」
方々《ほうぼう》から声が飛んでくる。
執務机に頬杖をつき、ユベールは部下たちの話に耳を傾けていたが、
「表面上はへいこら頭を下げておきながら、心根で私に虚言を吐く愚か者が、この王城内に……それも君らの動向が知れるほど身近に居るというわけか」
纏っていた陽気を一瞬で消し去ると、ユベールは凍てつく氷のように冷徹な視線を周囲に投げつけた。
「疑うわけではないが、念の為に聞いておこうか。君らは──」
執務机の脇に立っていた青年がその気迫と威圧に押され、ごくりと生唾を飲む。
「この私を裏切ったりしないよな……?」
普段は青空のごとき笑顔を絶やさぬも、正義をくじく者には容赦がない。誰もがそれを知っており、若き国王として敬いながらも《おそ》れいた。
「なぁ、ジークベルト。君の奥方の《《異能》》はどうなっている? これはいよいよ、この私にも『王の眼』が必要な事案だと思うのだがな」
獲物を射止めるように強烈な炎の灯った眼差しに、アレクシスは息を詰めた。
悪寒が背筋を這い上がる。
国王の近辺に反王政組織との内通者がいるとなれば、ユベールの口からエリアーナの名が出るのは必然だった。
「妻は異能を発現しておりません。おそらくこの先も『王の眼』の発現は期待できないかと」
「何故そう断言できる? 聞けば君は情婦とともに離れ屋敷に暮らし、奥方には目もくれぬというじゃないか。君ほどの《《き真面目》》な男が、何故なんだ? 私の妃がこぼしていたぞ。君の奥方はただの一度も王城の社交に顔を見せた事もない『箱入り妻』だとな」
「畏れながら陛下。私ども夫婦の事情はこの案件に関係のない事。お控えいただきたく存じます」
「おやおや、果たしてそうかな。そもそも真面目で誠実な君が愛人を囲って奥方をないがしろにするなど、ありえんだろう……! なぁ、シャヌイ、君もそう思わんか?」
シャニュイ、と呼ばれた青年はびくりと姿勢を正す。
燃えるような朱赤の髪に金色の瞳——そう、カイン・シャニュイは、アレクシスと同じ特異魔法省の執務官であり、アレクシスの親友だ。
「ああ、いや……私は何も」
突然に返答を振られたカインは、両手をひらひらさせながら顔を顰め、困ったようにアレクシスを見遣った。
「ジークベルトが故意に奥方を遠ざけているのと、王の眼の異能の発現には何らかの関わりがあるのではと私は踏んでいる。と言うのも……『王の眼』発現の条件に関わる有力な情報を得たのだ。それはまだ情報の領域を出ない。だが——」
ユベールの青い眼差しが鋭さを増し、アレクシスを睨め付け追い詰める。なのに口元には薄らと笑みを湛えている。信頼する部下の忠誠心を試しているのだ。
「君が知る事実があるなら、正直に話せ。我が国のため、国王のため……そして君の《《大事な》》奥方のためにも、な」
ぴんと張り詰めた空気のなかで、固唾を飲んで見守る周囲の者たちの視線が一様に注がれている。
アレクシスの背筋を冷たいものが滴った。
──陛下がエリーを王城に寄越せと言い出すのは時間の問題だ。
『王の眼』、それはただの観察眼ではない。
真実を暴く存在は時に民意を狂わせ、疎んじられ──命を奪うことすらある。
脳裏に甦るのは、真実を告げる役目がゆえに奪われたエリアーナの母親の無惨な最期。
──エリーを同じ目に遭わせるわけにはいかぬ……!
国王はおそらく異能発現の条件を掴んでいる。
ともすれば「何故阻止するのか」と問われるだろう。
──俺は……一体、どこまで誤魔化せる?
恐怖心が湧かないわけじゃない。けれど自分はどうなってもいいと決めたのだ。
ぐっと奥歯を噛み締める──この決意は揺るがない。
静寂のなか、一瞬の沈黙が落ちた。
「陛下がどんな情報を得たのかは存知ません。ですが妻は……エリアーナは異能を発現していない。私が申し上げられるのは、それだけです」
アレクシスはユベールの目を強く見据え、揺るがぬ意志を宿した言葉を放つのだった。




