六章
六章
「あ、あの…」
「なにかしら?」
宣誓を終え、今更ながら羞恥心とか、疑問とかを胸に抱き顔を上げるとマーリは若干気まずそうな顔をする。躊躇いがちに言葉を紡ぐ彼女にルーディアナはことりと首をかしげた。
「いや、まあ、今さらながら。なんで姫様がこんな処にとか色々疑問があるんですが。っていうかこんなとこでこんな話してていいんでしょうか」
「ああ、そうよね。そうだわ。まあ人払いはしてあるし大丈夫よ」
マーリの戸惑いは正当なもので、それを忘れていた自分に思わずルーディアナは苦笑する。
なんでもお見通しな侍従兼騎士兼その他諸々のラティルスがいるせいでルーディアナは些事を気にした事がまるでない。時折言葉が足りないと窘められるのはラティルスがいるからね、と反省ついでに自分のうっかり具合も擦り付けておく。心の中の出来事とはいえなかなか酷い。それは、まあいいとして。
「そうね、まずこの姿は変装しているからそう簡単にばれないと思うけれど」
「じゃあ、あの女将さんは?」
「あの人は協力者……みたいなものかしら。後で追々説明するわ。貴方に話し掛けた理由はね。貴方のことを知って私に力を貸してくれないかしらと思って」
「え、なんで」
「派手な騒ぎ起こして入牢した面白そうな方だったからかしら?」
「……ええー」
「ふふ」
「面白…いえ、ルーディアナ様に喜んでいただけるなら不肖ながらこのマーリ、面白人間を名乗らせていただきます」
「あらあら」
疑問を重ねるうちにうっかり自分の失態を思い出して虚ろになったマーリをルーディアナが笑う。言葉通りとても面白いものを見ている眼で。しかしこの短時間でマーリはそんなことすら気にならないほど敬愛を通り越した尊敬をその他若干邪混じりの深い感情を抱いていた。もとからこうと決めたら一直線、を貫いてきた彼女ではあるが今回のそれは特にひどい。
ルーディアナはそんな彼女を見て穏やかに微笑む。
「それで、今回彼女に頼んで貴方と会ってみたわけ」
「あ、そうだったんですか。そう言えばあの女将さんも美人さんでしたねえ、侍女さんとか、そういうのですか?」
「そうね。そんなものかしら」
すぐ階下にいる若き女将を思い出しているのかにこやかなマーリを見ていたルーディアナはふいに扉の方向を見詰め僅かに眉を寄せるが平素の表情に戻し会話を続ける。
「紹介おくわ。リビティナ」
「はいはい、お呼びかいおひいさん」
決して大きくはない声量で女性の名を呼ぶとリビティナと呼ばれた女将がすぐ近くにいたのだろう、顔を出す。にやりと笑っているところをみると先程までの会話を聞いていたのだろうか。
「もうそんな年じゃないったら。改めて、仲間になったマーリよ」
「はは、出会ってすぐにたらしこんだの。あんたも段々爺様に似たたらしになってきたし、子供扱いはやめようかねえ」
「そんなのでもないったら。でも子供扱いはやめて」
「随分、気安い仲なんですね」
家族だとか、そういうものならばまだ分かるが、赤の他人、それも小国でもないむしろ大国の皇女に減らず口をたたくことを許されているリビティナにマーリは驚く。貴族だってお高くとまっているのに、皇族がそんなに気安くていいものだろうか。それとも彼女はとてつもなく高い身分なのだろうか。宿屋の主人が嘘のようには見えない。なのに何故なのだろう、と疑問に思った。
「まあ堅苦しい仲でもなし」
「そうなんですか?」
「ええ」
すると、そこで誰かが階上に足を運ぶ音がしてマーリは思わず身構える。人払いしたのではなかったかとリビティナを見るとおやおやという顔をしている。先ほどリビティナの訪いを察知したルーディアナは、今度は何事もないかの表情でマーリは戸惑った。階下から上がってくる人物が誰か、わかっているのだろうか。
「ルーディアナ様、失礼いたします」
「早かったねえ坊や!」
「……その呼び名はおやめくださいとあれほど」
控えめな声とともにやってきた金髪の青年はリビティナの言葉に困惑した表情を作る。ルーディアナ様と初めに呼んだことと考えて彼も殿下の言う仲間であるのだろうとマーリは判断して構えを解く。青年はちろりとマーリを窺い見てまたルーディアナへと視線を戻す。リビティナは愉快そうに笑っていた。
「出会った時からさんざ面倒見てやったんだ、呼び名くらいなんだっていうんだい」
「ラティルスは男の子だもの。恥ずかしいのよ」
「それは全然庇ってませんから。姫様も先程訂正を要求されてましたよね。自分のことを棚に上げないでください」
「そうだったかしら」
知った仲なのだろう、会話が弾んでいる。
なんだか疎外感を感じてマーリは居心地の悪さを覚える。先程から殆ど動かない青年の能面ぶりに驚くが、それよりも何だか苦手な感じがする。ルーディアナを包む空気は先程よりも安らいでいる様に感じられるせいだろうか、だとすると自分は彼を羨んでいるのかもしれない。それはそれでどうなのだろうかと悶々と悩んでいるとラティルスがこちらを向いた。
「それで。こちらがマーリ殿でよろしいでしょうか」
「ええ」
「初めまして、ラティルスと申します」
「ああ……よろしく、マーリと呼んでくれ。ラティルスどの」
「では、マーリ。私のこともラティルスと。これからよろしくお願いします」
律儀に頭まで下げるラティルスをマーリは好ましい青年だと思う。けれども、この胸の不快さはなかなか離れてくれない。疎外感を感じたせいだろうかとマーリは適当にこの感情に理由を付ける。己の幼さは多少なりとも自覚してはいるのだ。
「マーリは近衛に入ることになると思うわ」
「近衛、ですか?姫様付きの?」
突然のルーディアナの言葉にマーリがきょとんとして言葉を返すと小さく横に首が振られる。
「いいえ。私には近衛は付いていないの」
「いずれ皇帝になられる方なのに?」
「候補だから。ともかく一隊は空きがあったはずよ」
「はい。既に確認済みです。それと大会参加証を持ってまいりました」
「参加証? 武芸大会の」
「ええマーリ、参加したいのでしょう?」
「え、でも…」
「参加しないと近衛にもなれないわね、私には人事を決める権限がないから、自力で勝ち取ってもらわないと」
「ええっ」
にっこりと笑うルーディアナにマーリは戸惑う。確かに参加したいと思っていたけれども、今ここで部外者の自分を望んだということはより大事なことがあるのではないかと、告げるとルーディアナは微笑むが、どこか寂しげな顔だ。少なくともマーリはそう感じた。
彼女はおどけたように会話を続ける。
「お飾りの候補、それを脱するためには貴方の協力が必要なの」
「え、でも次期皇帝は皇女殿下だって噂で…」
「噂は所詮噂よ。己の恥をさらすようで言い辛いのだけれど現に政務だって叔父と三公家が殆どきめてしまってここ数年私のところには正式な書類一枚来ないわ。」
「そんな」
仮にも次期後継者だ、そんなことがあるはずないと思うが。こんな嘘をつく理由がない。また、マーリには皇族についての知識が殆どない。ルーディアナ本人が言うのであれば本当のことなのだろうとマーリは納得すると同時になんだか空虚な気分となる。数年といえど祖父は仕える必要のない主に仕えてきて、私は憤っていた。その数年が無駄だった気さえする。王ではないのだから、これほど国が荒れても無頓着でいられるのだろう。
「ですから、貴方の力をお借りしたい」
「わたしもちゃんと頭数に入ってるかい、ティル坊」
「勿論です」
茶化すリビティナにラティルスは気真面目に答えるとマーリを見る。手には参加証を持ち、差し出して此方を見るラティルスにマーリは応えた。
「皇女殿下の御心のままに」
「……ありがとうございます」
なんとなく気に入らない奴だけれど、ルーディアナ皇女殿下を想う気持ちは強いのだろう。マーリの言葉に心なしかほっとした表情をしているようなないような。やはり自分にはわからない。けれど、ルーディアナが彼を面白そうに見ているのだからきっとほっとした表情くらいはしているはずだろうとマーリは判断して「ちょっとやなやつ」という脳内評価を「多分いいやつ」に変更した。
「ではマーリはこのままこの宿にいて大会に参加なさい。自信のほどは?」
「一族の若手では一番でした!」
「そう。心強いわね」
「マイア一族の、ですか…」
主のほめ言葉と無表情ながらも感嘆を見せるラティルスの瞳に得意げにマーリは笑う。マイア一族は武勇を誇る一族だ。北の方に住んでいるから知る人間は少ないけれど、北方に出現する族などはマイアの名前を聞けば逃げる輩もいるくらい。知ってか知らずかリビティナも感心する顔をして。
「じゃあ大会までわたしが鍛えてあげようかねぇ」
「え?」
にこやかに提案する声を聞いてマーリは戸惑った声を上げる。確かに、リビティナは淑やかな女性と比べたら力強い印象を受けるかもしれないが、庶民の女性ならばごく在り来たりの体型で、むしろ細いくらいだ。武人にもみえない。その彼女が、と疑問に感じているとリビティナはおかしそうに笑う。
「お嬢さん、見た目でなめちゃいけないよ」
どうしてそんなに可笑しそうに笑ったのか、どうして誰も彼女が鍛えると言った時に異を唱えなかったのか、その翌日痛みを持ってマーリは知ることとなる。マーリの油断を抜きにしても彼女は強かった。
あれから存分に扱かれて数日後、マーリは今にも死にそうな顔をして控室にいた。
稽古で扱かれ、世話になっているのだからと家事も手伝わされ、マーリはこの数日で一生分のプチ地獄ツアーを体験したと考えている。
――あれは、思い出してはいけない過去だ。
マーリはふるりと首を振って記憶から遠ざかる。桃色の髪が揺れた。
恐ろしさの余りリビティナへの呼びかけが「リビティナさん」から「姐さん」に変わっていることさえ本人は気付いていない。否、気付いているのだろうがそれを恐ろしさ故なのだとは彼女は思っていないだろう。リビティナを尊敬する師としてみている故なのだと彼女はその変化を受け止めている。
この数日で確かに学んだことは沢山あった。けれども「リビティナには逆らうな」ということが最も強く残っている。それと、「叩けるうちは叩いておけ」ということ。リビティナも恐ろしいが、彼女の子分というか、従業員というか。とにかく彼らもまたすごかった。マーリより強いわけではなかった。だが、兎にも角にもタフだったのだ、とても。
いっそ殺す気で向かっていっても何度でも立ち上がるそのタフさにマーリはいかに自分が井の中の蛙だったかを思い知らされる。
彼らがなぜこんなにも強いかなんて理由はマーリは知らないし、聞かせてくれるようになるまで聞き出す気もないが、その強さには感服した。
――世間は広い。
この武芸大会、絶対優勝なんて気概は根こそぎ失われてしまったが……叩けるうちは叩いておこうと、勝ち上がれるうちはとにかく勝ち上がろうと思った。倒しても起き上がる頑丈さを持つ敵がいるなら絶対に立ち上がれないところまで叩きのめそう。そして、審判がくだされるまで絶対に気を抜いてはいけない。容赦など、強者が下す最大の侮蔑なのだ。
何処か一線を越えた目をしながらマーリは強く思った。
■ ■ ■
「姉さん」
「おや、ルーどうしたの?」
「マーリさん、どう?」
大会当日。
朝早く、観客席にもまばらにしか人がいないこの時間にリビティナがぼんやりと頬杖をついて一般席に座っていると栗色の髪をした"妹"が愛らしく駆け寄って来る。集まる好奇の視線に軽く手を振り散らせながら問うと問い返す言葉が返ってくる。
「んー。潰せるだけ潰してあのおかた〜いとこは直しといたけどねえ、わりに真面目よねあの子」
「そうね。大丈夫かしら?」
「大丈夫だとは思うけど…最後の方なんか開き直ったっていうか、ちょぉっといっちゃってたっていうか……?」
「ちょっと」
えへ、とごまかしを試みたが"妹"は誤魔化されてくれない。剣呑な声で叱るように言葉を紡ぐ。言葉遣いが素のものになるくらい彼女も心配しているらしい。今はリビティナの”妹”だというのに、つんと澄ました声でルーは不満を述べる。
「私はこれ以上、喧嘩馬鹿の変人はいらないのだけれど?」
「んんー。や、その内戻るよ。根は真面目だし……アイツは真性の変態だけどね」
「アレ、どうしてるのかしらね?」
ここにはいない「真性の変態」の話をして二人は重い溜息をつく。居ても迷惑な存在だが、居なくても迷惑な存在なのだ。どうせならば大人しく主都にいればいいものを、とそれはそれで後で後悔しそうなことを考えてルーというリビティナの妹のふりをしているルーディアナは思考を変える。今憂慮すべきは武芸大会だからだ。
「じゃあ私、戻るわね」
「はいよー。それ、すぐ戻せんの?」
「ええ。得意技の一つよ」
それ、と指さされた髪を一房掴みルーは悪戯そうに笑う。瞬間早着替え、と音にならない言葉を紡いで。
■ ■ ■
「見回りはここで終了だよなー」
「ああ」
「じゃあ戻ろうぜ」
ラティルスは武器庫へと見回りのため立ち寄り用意された全ての武器に不正がないことを確かめ、相棒に声を掛ける。本来ならば侍従としてルーディアナの傍に居たいのだけれど、あらぬ不信を持たれても敵わない。であるからしてこのよう場では常に一騎士として仕事をこなしている。侍従ではなく、騎士としてあらねばならない理由がそこにはあった。
「今年さあ、誰が優勝すると思う?」
「さあ」
「何、お前賭けてねーの?」
相変わらず喧しい相棒に再びさあなと応えて集合場所へと歩く。毎年武芸大会で誰が優勝するかを賭けるのが騎士団での常識となりつつある。上位3名は何事もなければ騎士団へと入団するのだからある意味仕方のないことではあるが賭けごとになど興味はない。けれど、優勝でなくともいい。上位三名の中に入る人物がだれであるか。
賭けてはいないが懸けては、いる。
けれどそれを誰かに言う義務も、意志もなかった。
■ ■ ■
そして。
鐘が鳴る。
始まりを告げる鐘が、
割れるように大きく荘厳ささえ備えて。
一月もの間首都の人々を心待ちにさせた武芸大会が、ようやく始まる。




