五章
五章
首都の入り口から真っ直ぐに聳える城は首都に訪れるものすべてが畏怖を感じ憧れを抱かざるを得ないと吟遊詩人がうたうほど優美な建築物である。それを仰ぎ見る少女の名は、マーリ・マイア。
旅人が揃って見上げる例に漏れず、マーリもまた建物を見上げ、その壮麗さに驚きと感動を感じながら幼き頃の寝物語を思い出していた。
白亜の城に住まう紅蓮の髪を持つ皇帝と、その傍に寄り添う白銀の皇妃。その国の民は豊かな自然と聡明なる王のもとで幸福な暮らしを送っているのだという。彼の王は暴虐を尽くす竜を滅ぼすために北方へ赴き桃色の髪の若き王と力を合わせ竜を滅ぼし北方に平和と安寧をもたらしたのだという。他にも様々に物語を聞かされたが最後に締めくくられるのはいつも「おれぁ、あいつの友達だったから助けてやったんだよ」という気さくすぎる、嘘かホントかわからない祖父の言葉だった。
祖父が懐かしそうに語り聞かせてくれたことは、彼の過去話だと言われたけれどマーリの中では御伽噺も同然だった。それでも余りに昨日の出来事のように祖父が語るものだから、マーリの中ではそのお伽噺はいつからか自分で体験したことのように心に残るようになった。
「『白亜の城、それに続く赤茶の石畳』………うん、そのままだ」
物語の一説にある台詞を呟き、子供のように胸を期待に膨らませ、それでいて瞳には若干の憂いを含めながらマーリ・マイアは祖父譲りの桃色の髪色をなびかせ翡翠の瞳を煌めかせながらルクス皇国の首都へと足を踏み入れたのであった。
■ ■ ■
首都は、帝国辺境を超え遥か北方から旅をしてきた身としては大変快適な都市だった。
見る物全てに歴史が感じられ、人々は活気づき、華やいでいる。うすらぼんやり頭に思い描いていた以上の華やぎにマーリは眼を輝かせた。けれども、やらなくてはいけない事を思い出し首都の、城下にある円形闘技場へと向かう。そこで行われる予定の大会に、マーリは参加するためにやってきた。
祖父が語った先々代皇帝の姿はマーリには雄々しく優美に感じられたものだったが、昨今では随分と不穏な皇族の噂が流れている。旅の途中、その噂を裏付けるかのように都市の隅々で小さな動きや、辺境では貧しい村をよく見かけた。祖父の語った美しき国と、今の不穏さを見せる国。何が正しいのか、マーリにはわからない。だからこそ確かめる必要があると決意して、やって来た。それが願いであり目的そのものだった。
家出同然の旅立ちであったけれど、家族も理解はしてくれていると思いたい。
――まあ、家族は末娘である自分にはいっとう甘いのだ。問題ないだろう。
「なあ、そこのお譲ちゃん」
そんな楽観的にも思えることをマーリが考えていると、二人の青年がマーリへと話しかける。「お譲ちゃん」などと余りにも軽々しい呼びかけに苛ついた表情を隠しもせずに振り返るが、相手は一向に気にした様子がないようだった。
「……なに?」
「あんた田舎からでてきたんだろ?俺たちが観光案内してやろうか」
「あ、変なやつじゃないから安心しな。俺たちこれでも騎士団の人間なんだ」
ちらり、と上衣の隠しに隠された紋章を見せるが生憎とマーリにはわからない。唯一紋章と分かるものは、祖父が見知っていたものを絵にかいて見せてもらった紋章なのだがそれは大凡このような場所で見かける物ではなかった。
「きしだんん? 騎士団てどこの?」
おおよその国で騎士団と言うならば、小さなところでは貴族の有する私設騎士団、大きなところでは神殿に属する神聖騎士団、国王直属である皇国騎士団があるが。目の前の二人は言っては悪いが大したことはなさそうだ。女々しそうだしどうせ大したことはないところの所属なのだろう、とマーリは判断し胡乱気な目を向ける。
けれど、このようにお坊ちゃん風の軽々しい男は大規模が故に金さえあれば叙勲を受けられるような騎士団には居ても、傭兵などを多く含む実力重視の小規模騎士団にいることはまずない。けれど、それをマーリは知らなかった。
「おいおいこの紋章をつけているのは国の騎士団だって知らないのか?」
「ほんとに田舎者だな」
嘲りを含んだ笑いに、不機嫌を募らせていたマーリは元々存在するのも疑わしい堪忍袋の緒どころか袋自体が破け去る。ひもの緒が切れるとか、そういう生易しいものではなかった。
――人が、感傷に浸っている時に、まじめに物事考えている時に。
それは傍から見れば立派な八つ当たりともいうべきものをマーリは抑えきれずに正しくその原因へとぶつけようとする。元々、我慢強い性質ではなかった。むしろマーリを知る人はよく耐えた方だと判断したことだろう。だが、生憎とマーリを知るものは、彼女の暴挙を止めるものは、此処には居なかった。
「……いいよ。相手してほしいんでしょ」
「お? なんだよ急に」
「いいからさっさとくれば? 言っとくけど強いからね。うっかり大怪我しても知らないから」
「…………なに言ってるんだ? お前みたいな田舎娘が偉そうに」
「少なくともあんたたちよりは強いんだから偉いかも」
「はあ? 調子にのって」
「うるっさいなお前みたいな下衆の性根を叩きなおしてやるって言ってんだよ!」
言うや否や抜刀したマーリに二人は順応速度が追い付かず、その言葉が二人の青年にとっての一瞬の地獄が訪れる。抜きざまの初太刀をもろに受け、ふらついた足元をすくわれる。傾いだ身体すら蹴り上げられる。やがて地に落ちた二人のうち一人の背をマーリは踏み、吐き捨てるように告げる。
「なんだ、二人がかりでこのざまか」
思わぬ少女の活躍に、日頃から貴族たちや騎士団員をよく思わぬ民衆からは大きな歓声が立ちのぼる。軽薄な二人ではあったものの情はあるようで、未だ攻撃を仕掛けられていないほうの青年は顔を青褪めさせてもう一人を抱えると慌てて逃げ去る。その様をみて民衆は胸がすいたように更なる賞賛を小さな少女に送る。照れたように笑って応えると、親しげに話しかけてくる若者がいた。
「やあやあやあ! お嬢さん凄かったねーいけ好かない青年どもを成敗! かっこいいねー」
「ははは、いやぁそれほどでも」
「ところで知ってる? さっきのやつらって貴族だったりするんだけど」
「……は?」
「うーん貴族って権力強いんだよねぇこの国、見たところ旅の人みたいだけどもしかしたら君は復讐されちゃうかもよ?」
「いいよ別に強いしわたし。あれレベルが何人いたって平気だし」
「まあそれがなくても騒ぎすぎてるから首都の警備隊にひっぱっていかれる可能性あるんだけどねー? あとああいう馬鹿とは別の真面目な皇国騎士団の人に見つかってもねー、うんまずいよ?」
「そうなの? でもその前に」
逃げるし、と言葉を言い終える前に青年が目にもとまらぬ速さで手首をつかみ縄を巻く。唐突のことにきょとんとしたマーリはにっこり笑って非常な一言を青年から告げられる。
「俺、実は真面目に職務こなす方の皇国騎士団員なんだー」
「えっ」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと見てたから。悪いことしてないよねー」
「う、うんっ」
「でも周りのお店とかちょっと被害こうむってるから檻の中はいろっか?大丈夫大丈夫、一日位だから」
「ええええええ」
「一晩の宿見つけられたと思って、ねっ?」
「ねっ? じゃなぁああい! たたた建物壊しちゃったのは悪かったけど! でもでも檻の中ってちょっとひどくない? 弁償でよくない? ねえ!」
「じゃあ建物補修できるくらいのお金持ってる?」
「も、もってない」
「だよねえ見たとこ旅の人だもん。ま、持っててもお話は聞かせてもらうけど。大丈夫大丈夫、怖くないよー」
「そうじゃなくてぇ! 人の話聞けよ!」
さあ一緒に鉄の檻のある場所へ行こうか、だなんて楽しそうに告げられてマーリは呆気にとられた後、周りを見渡す。
民衆はまぁすかっとしたけどやり過ぎだよね、うちの店の商品崩れたんだけど、大丈夫その人いい人だからちょっと数日反省しておいでなさいな、なんて好き勝手なことを言っている。連れていかれるのは決定事項のようだ。若者を倒したことはまぁ後悔していないけれど、確かに迷惑をかけたのだし、どうやら腹をくくるしかなさそうだ。
――じじ様ごめんなさい。マーリの旅路は前途多難です。
少女はがっくりと頭を垂れた。
■ ■ ■
ラティルスがとある噂を聞いたのは稽古の休憩中だった。
最低年齢で騎士団に所属しながらも一向に溶けこもうとはしないラティルスにやたらと絡んでくる同期生の持ってきた話だ。この時期首都は三年に一度の皇族主催武芸大会が行われるとあって酷い浮かれようで、彼もまたその雰囲気に伝染していたようで、ひどく楽しそうに新緑色の瞳を煌めかせてるながらいつにもまして彼は陽気にラティルスへと話し掛けた。
「なぁ、最近入った奴に凄いのがいるらしいぜ?」
「何が」
「何がって何が? もし何がどう凄いって聞いてるんなら、そりゃぁ強い奴に決まってるだろ!」
たった一言だけ言葉を返してまるで相手の話を聞く気がないラティルスの言葉を正しく理解したうえで言葉を重ねた同期生は背をバシンと強く叩き、それにラティルスは噎せながらそういえばこいつはこういう奴だとラティルスは再確認せざるを得ない。正直本当に雑談に興じている余裕などは鍛錬をこなすので精いっぱいの自分にはないのだが、ラティルスは渋々会話に応じることに決めた。
怪力めと己の腕力のなさをまるで棚に上げて恨めしく思いながらその話の続きを聞く。気が利かなくて失礼でがさつで図々しいが彼からの話には外れがないからだ。それがどんなに下らない話でも、あまり噂話をしないラティルスにとっては同期生は大切な情報源である。
「どう強い」
「なんか、女性だけどとにかく怪力だって言ってたなー。結構可愛いらしいんだけどさ、言い寄った奴はみんなこてんぱんにのしたらしいぜ」
「………? 士官なのか?」
ただ声を掛けられただけの反応にしては雄々しすぎる仕打ちに思える。例え好みでない男に誘われたのだとしても、仮に拒否をしたにもかかわらず強引に腕をとられたなどの被害者でも平民上がりの兵ならばそのような振る舞いが許されるはずがない。けれど、貴族の令嬢が士官したと言う話もラティルスは聞いたことがない。そもそも貴族の令嬢はそんな振る舞いをしないが。まるで話が見えずにどういうことだと問うと、してやったりの顔が返って来た。
「いやさ、辺境の部族の出らしいんだけど」
「それが何故騎士団に? 聞いたことがないが」
「ふふん、誰も騎士とは言ってないだろー?」
お前もまだまだだな、と得意気に仕込んでいた悪戯が成功したように笑う同窓生にラティルスは珍しく瞳を瞬たく。入ったというと、騎士団では主に二つのことに使われている。当然のように入団だと思っていたが、そうではないのだとするとそれでは。
「騎士団の牢に入れられたのか」
「もうちょっと大胆な反応してくれよ」
「何を言う。十分に驚いている」
「じゃあ表情筋うごかせ鉄面皮!」
「それで?ナンパ男をこてんぱんにのしてるだけでなんで牢に入れられたんだ」
それでも微動だにも表情を動かさないラティルスに同窓生は嘆くように天を仰ぐ振りをして思い切り背を叩く。再びの衝撃に大きく噎せるラティルスを何やらやり遂げた顔をして見下ろしてから彼は嬉々として知っている情報を彼に聞かせた。
別に言い寄られたわけではなく団の風紀が乱れた結果の珍事だったらしく、無難に同期生は処理したそうだ。騎士団の体面上、檻に入れられてしまった件の少女とやらは運が悪かったとしか言えないが、あまりにも血気盛んだといえよう。中々風変わりな人物のようだった。
■ ■ ■
「…と、まあ。そのような次第です」
何やら思案顔をしていたラティルスにその悩みの種を仔細まで聞きだしてほぼ現実に起こった通りの想像をしたルーディアナは扇の内側で笑いを噛み殺す。
なるほど、己以外には変わらず愛想もなく、敬意を表に見せることも少ない彼の姿ははたから見れば鉄面皮にも見えよう。
それを積極的に見なかったふりをしてラティルスは意向を問う。表情はやはり動かない。けれど若干の心の乱れがあるのを付き合いの長いルーディアナは知っていたし、そもそも彼の心の機微を不足に思ったことはないので彼の精いっぱいの意趣返しと知っていて意には介さなかった。
「それで、どうされますか」
「そうね。お前の調査書を読んでみたけれど面白いわ」
今は市内を騒がせた罪で牢に入っているとなっている人物の情報はある程度は調書から補い、それ以外のものを主に渡した。勿論、この時期市民が騒がないはずがなく、余所者の騒ぎも絶えないからこの程度を罰することはない。つまり問題の人物は今回の件を除いては全く犯罪経歴がないことも調書に書かれていたのでそれ以外の分野を彼は書き加えた。
「彼女の部族は私たちとは少し変わっている。それもそのはず、おじいさまが直接併合された部族だもの」
「……やはり困難になるかと」
「いやね、貴方もこれ以上のものが見つからないから私にこれを出したのでしょうに」
「しかし先代の部族併合は未だ課題の残る問題です」
「問題ないわ。今政治をとっているのは叔父様だけれど、違うもの」
「必要となれば明かされるおつもりで?まだ時期が早いのでは?」
「いいえ、勝てる駒を揃えるためならばそのくらい安いものよ」
ふ、と笑ってルーディアナは数枚の紙を置く。初めから楽に入る手駒は少ない。何を利用してでも欲しい駒があるなら、迷うこともない。そう自分は教えられてきた。他でもない、経験に、そしてそれを与えた祖父に。
そして、彼女の部族は微かではあるけれど縁がある。これぞまさしく天命といえようとルーディアナは薄く笑んだ。
「勝算は」
「無ければ貴方がこの話を持ってくる訳がないわ」
「買い被りです」
「それを言うなら貴方も私をね」
「貴方の口車に期待を上乗せしただけの結果ですよ」
「まあ」
なんて失礼なという表情でルーディアナはラティルスを見上げる。相変わらずの無表情の奥には、してやったりの感情が見え隠れしていて。ルーディアナもやってやろうじゃないのと不敵に微笑んだのであった。
全く、この臣下は本当に憎たらしいほど頼もしい。
■ ■ ■
全く以て不本意なことに長年憧れた城、の地下牢で夜を過ごさねばならなかったマーリは自分を解放しに来た軍人が昨日と同一人物であると知って胡乱な目を向ける。あははごめんねーでも規則だからーとさわやかに笑う軍事相手に子供のように舌を出してそっぽを向く。牢から出る手続きが済むまでは大人しくしていたものの、終わり次第走るように去る。
幸先が悪いと全てが悪くなるのか、と首都に入った本来の目的を果たすために受付している騎士団支部へと赴いたマーリは大会の参加を却下され、目の前の騎士に楯突いた。
「なんでダメなの!」
「武芸大会の参加は資格あるものしかできないと先程から言っているだろう」
「その参加資格は帝国民であることなんでしょ! ならマイア一族だって帝国民だ!」
「属国といえど参加するには条件があるし、なんだ、その、マイア一族? 聞いたこともないな。大方辺鄙な属国か、もしくは国を持たない北方の一族だろ?今までに前例がないんだよ」
「だから、なんで!」
しつこく食い下がる参加希望者に受付の担当だった騎士は内心閉口する。毎回参加資格を弁えない希望者がいるため騎士団の一員としてはげんなりする見慣れた風景なのだが、己がその説明役をするとなるとうんざりだ。けれど自分は国に忠誠を捧げし王立騎士団の一員、騎士たる身としては紳士的に対応せねばなるまいと根気強く再度説明を試みようとしたところ。
「あの、」
「なんでしょう」
背後から呼び止める声に振り向くと赤茶の長髪をなびかせた少女が気まずそうに話しかけていた。身なりは庶民的だが、品がいい。うんざりしていた騎士は少女の手前かっこつけようと現金にもやる気を取り戻して爽やかに問い返すが少女は希望者のほうを向く。怪訝な顔をする希望者に少女は誰にとっても少々意外なことを言い出した。
「私、よく参加者様が泊まられる宿のものなのですがこの大会についてよく説明したりするんです。騎士様もお忙しいと思いますし、よろしければ当宿でご説明致しますが? 勿論宿が決まっていなければ、の話ですが」
にっこりきっぱり。
勧誘の形とは言え有無をいわせぬ言葉と表情に希望者はこくこくと頷き無言の圧力を向けられていないほうの騎士は感謝の言葉を述べついでに少女の愛らしさからつい欲を出し、自分も泊まれぬだろうかとさり気無く聞いてみたが、こちらはにっこりすっぱりにべもなく断られたのだった。
■ ■ ■
「遅いよ、ルー! 何してたんだい?」
「ごめんなさい。でもお客様を連れてきたわ」
「ならいいけど。って、その子こないだ広場で一悶着起こしてた子じゃない?」
「そうなの?」
少女の案内の元、マーリは一つの宿へと入る。そこへ宿の主らしき若い女が少女に声をかけた。少女と同じ髪色をしているので、姉妹か親戚なのかもしれない。にこやかに少女が切り返して、続いた女将の言葉に怪訝な顔をする。希望者に問い掛けた少女を見て希望者はううん、と考える。犯罪者、というほどではないので素直に言った方がいいだろうと判断してようやくマーリは口を開いた。
「ええと……ナンパ男をぶちのめしたらそれが実は騎士団員で、しかもその時お店とか壊しちゃって……ちょっと………」
「あっはっはなんだそうだったのかい! 元気だねえー。でもそのせいであんたに何かあっても困るから程々にしておくんだよ。ルー! あんたが面倒みておあげ」
「そのつもりよ。かっこいいのね貴方」
不穏な単語が希望者の口から出たにもかかわらず女将らしき女性は笑って流し、自分を導いた少女はにっこり笑って誉める始末。それでよいのかと思いながらもルーと呼ばれた少女にマーリは照れたように頬をかくとふと疑問を彼女にぶつける。女将らしき人物だったが、彼女はまだ若く美人で、こんな古い宿の主人とは思えなかった。
「……女将さん?」
「ええ、美人でしょう」
「ルー、のおねぇさん?」
「そうねえ……そんなところかしら」
女将について尋ねれば肯定の言葉には嬉しさがあり、そこから更に問いを重ねるとはっきりしない答えがかえって来る。女将と少女は同じ赤茶の髪ではあるが、よくよく見れば少女の髪は染めているように見えて違和感を感じる。けれど他人の家のこと、深く考える必要も聞き出す必要もあるまいとマーリは曖昧に頷いたのだった。
「ところで、あなたのお名前って何かしら?」
今に至って気付いた風のルーがおっとりと問うのがなんだかかわいらしくてどうでもよくなってしまったからかもしれない。
「じゃあ、改めて。わたしはマーリ・マイアっていいます」
「素敵な名前ね」
名を名乗ると、首都の民としては物慣れる響きではないだろうにルーは何事もないかのように微笑む。マーリもその態度につい嬉しくなって問われるまま生まれた部族の話をし始める。己の一族は何よりも武芸を尊ぶということ、緑豊かな土地にあること、仲間達の話など。けれどにこやかに聞いていたルーは先代皇帝の御代に併呑されたが最近は増税などが続いているという話……というか愚痴のようなものを聞くと一転して真剣な表情になる。出会って間もない他人に年頃の少女がするような表情ではない。冬の初めに湖にはる薄氷のような顔だった。
「貴方は帝国をうらまないの?」
「…………恨まないよ。私の部族は確かに帝国の前に膝をついたけれど、それは帝国に恐れをなしたからじゃない、帝国の主に敬意を表したからだし」
「敬意?」
「そう。うちのじじ様なんだけどさ、ほんとかどうかは知らないけど帝国のルケティウス皇帝と仲良しだったんだって。嘘みたいな話だけど、じじ様は余計な嘘はつかないからほんとなんだと思って信じてる」
「そう、そうなの………」
マーリの言葉を聞いたルーは不思議な目でマーリを見る。遠くを見るような、懐かしむような、慈愛が含まれているような。マーリがその意味を考える前にルーは元の表情に戻り、小首をかしげた。
「話は変わるけど、どうしてマーリはこの大会に参加しようと思ったの?優勝者はなんでも一つ願いを叶えられるから?それで不満を感じた今の皇国から離れようとしたのかしら」
「ううん。別に、部族を解放しようとかそういう大それたことをしようとか、そんなつもりじゃないんだ。そんなこと願っても叶えられないだろうし。…ただ、なんていうのかな」
「今の帝国に屈するのがいや?」
「そう、なんかね。うまく言えないんだけど。今の帝国はじじ様が知ってた帝国じゃないと思う。卑怯で、残酷で。そんなとこにただ従うだけなのは誇りが奪われたみたいでいやかもって思って。そんな国に従いたくて一族は膝をついたんじゃないって思って。でも、思うだけじゃだめだから、優勝して偉い人にお前が怖いんじゃなくて前の皇帝様が好きなだけだからって言いたいって言うか……まぁ、北方連合の意志とは関係なくわたしはここにいて、そんなのは大それた話ではあるんだけど」
「そう………」
マーリの取り留めのない、感情をそのまま今年多様な言葉に相槌を打つルーは不思議な少女だった。
彼女の言葉がマーリの心を探し当てる。自分でも気付いていなかったことをあてられたことに驚きつつ、認める。だからつい、ずっと抱えていたことを話してしまった。
マーリの話を聞いてもルーは不思議そうな顔をしない。
もしかすると、彼女はただの首都の民ではないのかもしれないと思い、マーリはルーを窺い見る。自分が考えるよりも彼女の身分は高いのかもしれないとマーリは思った。
ただ会話をしているだけなのに、彼女が上に立つべきものだと理解してしまうのだ。そのことだけでも、彼女がただの宿屋の娘とは到底思えなかった。
なんとなく、祖父の思い出話の再現のようだとマーリは思う。
祖父もよく言っていた。紅蓮の皇帝は気さくではあったが、まるで最初から上に立つ存在だと運命づけられているかのように感じた、と。
「武芸大会に参加して、それでマーリの誇りは取り戻せるの?」
「どうだろう。自棄なのかもだけど…………優勝できたらきっと」
「……そう。貴方は力を求める人なのね、何にも寄らず自分の力でたって帆に風を受け進む力に変えられる人」
「ルー?」
そうつぶやくように言って小さく笑ったルーは先程と変わらぬはずなのに、どこか違った。触れることすら躊躇われるほどの高貴さと反感を抱くことすら忘れるほどの威厳に息を飲む。もう、先程までの庶民的で親しげのある愛らしい少女は何処にもいなかった。
――あなたは、誰。
マーリは息を呑んで少女を見つめた。
「あなたのような人を探していたわ」
「……………?」
「私が非力だから。だから、力を貸してほしい。その真っすぐな心と、力を。本当ならば貴方に頼むのは心苦しい。でも、それでも。あなたに優勝してほしい。そしてお願い、私の望みに力を貸してくれないかしら」
強い視線がマーリを貫く。
ルー、と名乗った少女はもはや宿屋の娘を装うこともせず、マーリの両手を自信の手で包んで希う。
崖に咲く百合のように高貴であり威厳がありながら彼女の言葉は清廉で真摯だった。
まるで祈るように綴られる言葉に、切なげに歪む表情に眩暈を覚える。そうまでして、彼女は何を為したいのだろう。私をただの人間しかないと知っていて、それでも助けを請うのだ。帝国に属するとはいえ、帝国への完全なる服従を誓ったわけではないというのに。それが故に首都に来たと話を聞いたというのに。そんな部族の子供と言ってもよい年齢の人間に向かって、彼女は。
――知りたい。と、そう思った。
彼女がどんな人間で、何を為そうとしているのか。何よりも、私を、私の剣を欲する理由を。
その為なら、そして彼女を助け守るためならばわたしは。彼女に膝をつくことで彼女が守られるならば、そう心から思った。そして、それは時をおかずして願いに変わる。
なればこそ、マーリの返答には迷いがなかった。その言葉は願いをかなえるためのものだったから。
「………貴方の名前を」
「名前?」
「主となる方の名前を知りたい。それが答え。貴方が誰であっても、貴方の心に従う」
「………ルーディアナ。私の名は、ルーディアナ・ユノ・ルクス、それが私の名前」
「ルクス………」
――ルクス。皇族の、名前。
それがマーリの願いに対する答えで、それだけで充分だった。
驚きはあったが、それがマーリの心を左右することはない。何者であろうと、彼女以外の主は持たないだろうと感じる。そしてまた、そう決めた。
けれどそれは彼女の身分が高いからではない、皇女だからではない。彼女自身が高貴で、儚いから。だから帝国流ではなく、部族の忠誠を誓う。屈するのではなく、誇りを預けるために。マーリの祖父が、かつての皇帝にしたように。自分の全てを賭けて、主のために。
膝をつき、首を垂れる。ルーディアナは静かに手を差し出し、マーリは宝物に触れるように左手で享受する。祈りも、誓いもいらない。事実だけを述べる。
「わたしの全てを、皇女殿下。あなたに」




