八章
八章
「っあー! あいつ! 絶対絶対あれ手ぇ抜いてたし! むかつく!」
授与式は滞りなく終わり、リビティナの宿に帰ったマーリはごろろと寝ころんで子供が駄々をこねるように喚いている。試合を見て思うところのある連中は苦笑するばかりだが、見てもわからなかったもの、そもそも見ていないものは何だと顔を見合わせ首をかしげるばかり。
「落ち着きな」
「………ったぁあい…」
べしり。
濡れた布巾で思い切り頭部を叩かれ悶絶し卓上に伏せたマーリは恨みがましそうに叩いた人物を見上げるが、リビティナと知ってびくりと身を震わせた。ついで土下座しかねない勢いでがばりと頭を下げる。
「ご、ごめんなさいっ」
「いや別にそこまで謝らなくても」
「せっかく鍛えてもらったのに、優勝できなかった……っ」
申し訳なさと、悔しさで涙が出そうになりながら頭を下げるマーリにきょとん、と丸くした瞳を向けてリビティナは応える。
「ん?あ、そっち?」
――いやいやいや、そっちて。
シリアスになりかけた雰囲気をぶち壊してリビティナはことりと首をかしげる。鍛えた本人が優勝を逃したことを怒るよりも、食堂でうるさくしていたことを怒っていたのに周りは脱力、せずに信頼度を上げていた。「さすがっす!それでこそっす!姐さん一生ついてきます!」と男たちの暑苦しい声が部屋に満ちる。
……湧き上がる声が地味に気持ち悪い。
「あーうん。いいよ別に。あれが出てくると知ってから勝てそうな気はしなかったしねぇ」
「そ、そんな」
「そもそもあんた卑怯な技使えないじゃない? あいつ相手じゃ余程腕が立っても卑怯な手使わなきゃ勝てないよ」
「あうっ……で、でも試合前には励ましてくれたじゃないですかぁ!」
「まあ励ましたら三位以内にはギリで入るかな、と」
「期待値低ぅ!」
「ん、まあね。期待を超えてくれて嬉しいわ。準優勝おめでとう」
「はい!」
一言言われるたびに地面荷のめり込む勢いでへこんでいたマーリだったが、現金にもその一言で完全復活を果たす。えへ、と主人に褒められた子犬のように誇らしげなマーリだったが、ふと気付いた。
「姐さん」
「ん?」
「知ってるの?優勝した人」
「ああん、あの餓鬼? あの生意気そうなくそったれを知ってるかって? なに、そう、聞きたい?」
「え、えーと…」
何があったのか、にこにこにこと笑顔全開で質問を質問で返すリビティナにマーリはたじろぐ。聞きたいような、聞きたくないような。助けを求めるように辺りを見渡すと周囲の視線が痛かった。
(聞け、新人!)(駄目無理絶対怖い!)(安心しろ骨は拾ってやる)(安心できないってそれ!)(いいからいけ、聞いてこい)(だから無理って言ってるじゃん)なんだこの視線たちは。聞いたら後が怖い。聞かなくても後が怖い。あうあうと逃げ道を探していると食堂の外につながる扉が開き助け人……ではなく厄介人が現れた。
「やあ。何してるんだい?」
「……何、何か用かい」
「やだな、そう嫌うなよ」
途端に不機嫌になるリビティナに違和感を覚えるも、マーリはそれどころではなかった。黒髪に紅玉の瞳。青年と言うよりは少年と呼ぶべきその容姿に、マーリは思わず叫ぶ。
「あ、あああ!サミュエル・クレイオ!」
「………誰? 何処かで会った?」
「誰とか! マーリ・マイアですついさっき決勝戦で当たったマーリですぅー!」
「ああそう、で?」
「でって! あんたこそ何しに来たんだよ!」
「ああそうだった」
興奮した様子で捲し立てるマーリを煩そうな目で見てリビティナに向き直る。にこりと楽しそうな表情だが、瞳の奥には愉悦が隠れている。一方のリビティナの空色の瞳には冷静らしからぬ色が潜んでおり、無視される形となったマーリも黙って見守ることにする。君子危うきに近寄らず、そう先人の言葉が頭によぎるほど場は圧がかかっていた。
「火急の伝言。皇女に伝えておいてほしいことがあるんだけど」
「でんごんん?」
パシリに使う気か、とリビティナは盛大に眉を寄せる。確かにルーディアナは王宮から遠ざけられており、急な面会を許されていない。よってエマニュエル卿と会うことはできないだろう。けれども、目の前の男が王宮に忍び込むことはたやすいことだろうと知っている。直接言えばいいではないかと視線で話の先を促すと目の前の青年は肩を竦めた。
「面倒なのは嫌いなんだ」
「何様だっ?」
「何様って、オレサマに決まってるだろ」
「うあああああ………」
先程の訓戒も忘れマーリが叫ぶが、青年は一向に意に介した様子はない。それどころか叫ぶマーリに向かって何言ってるんだとばかりに言葉を返す始末。食堂はマーリのせいで騒然としているし、部下も何だか不穏な雰囲気だし、今は客がいないとはいえいつ入ってくるともしれない。ああもう、とリビティナは深くため息をついた。
「…………うるっさいねぇ、あんたら静かにできないのかい!」
「だ、だって姐さんっ」
「やっすい挑発に乗ってんじゃないよひよっこども。あんたたちも静かにしてな!」
「だけど、姐御」「そいつが悪いですぜ」「そうだそうだ」「俺達の姐さんにあんなこと」
「………うん?」
『………………』
「何言ったのか聞こえないねえ?もう一度言ってみな?」
『ななな、なんでもないです!』
絶対零度の微笑みと、熊さえ気絶しそうなほどの眼光に流石に黙り込む部下たちをよそに、リビティナは不機嫌そうにサミュエルを見る。つい先日王宮で火が回っただとか馬鹿げた噂が巷に出回ったことを思い出してうんざりもする。面倒云々というのは、多分そういうことなのだろう。不法侵入なんて既に行い済みでその結果派手に脱出してきたのだろうことは易々と思い浮かべられる。噂の時間帯は朝焼けのころ、立派に睡眠時間帯だ。寝起きの悪い皇女がぶちかましたのか、サミュエルがぶちかましたのか、はたまた他の誰かは知らないがそういうことがあったのだろう。そして、その一回で面倒になったのだこの男は。全く、と深い深い溜息を吐いた。
「わかった、受けてやるよ」
「では、『一月後の満月、帳を開けろ』と」
「とばり……?」
「言えば分かる」
「……それだけなら、あんたかその、ご本人様が言えばいいのに」
「直接言うと、気付かれかねないからな」
「何に?」
「……さぁ?」
ふ、と謎めいた笑みを残して用を済ませたサミュエルは何事もなかったように立ち去る。それを見送ったリビティナは納得のいかない顔をしていたが、やがて納得したのかまだ不服そうなマーリ達や部下たちを叱り飛ばす。日常を続けながら、それでも先程の言葉に不安を感じながら。
ルーディアナの目的は、皇位を得ることではないと知っている。けれども、何を為そうというのかは知らないし知らされていない。彼女に関する約束は一つ、彼女を守り力となること。先々代皇帝と交わした誓約を心に浮かべ、本日何度目かもわからない溜息を、心の中でつく。無茶だけはしてくれるなと、妹の様にも思っている少女を想いながら。
「マーリ」
「はい」
「あんたあの子のの隣に立つんでしょ。死ぬ気で守りな」
「…………はいっ」
何もわからないけれど。短い間ではあったが確かに誇れる師匠の言葉にマーリは深くうなずいた。
■ ■ ■
『一月後の満月、帳を開けろ』
そう、リビティナから伝言を受け取ったルーディアナはしばし瞳を伏せた。
手は膝の上に添えられ握りしめられている。そんな何かを決意するような、そんな仕草にリビティナはラティルスを見るが、彼もまた怪訝そうな顔をしている。ただ、居合わせたシルヴェストロからは表情が消えてまっさらな雪の様な表情でルーディアナを見ている。何かを知っていのかもしれないが、伝言がどういう意味を齎すのかはそこから窺い知ることはできない。少しの沈黙の後にルーディアナはいつもの調子で口を開いた。彼女からはあっさりとした様子しか窺えず、先程拳を握りしめていたのは何だったのかと思う程にいつもの調子だった。
「……帳を開けろと、そう云ったのね?」
「ああ」
「では、その前に叔父様から継承権を正式に奪い取ってしまいましょう」
「えっ」
「はあ?」
「…………急ですね」
「わかりました」
瞳を開けきっぱりと宣言したルーディアナにマーリは驚愕したし、リビティナも呆れた声を上げる。シルヴェストロは何事もなかったかのように困った表情で声を上げ、ラティルスは驚くことはなく当たり前のように頷く。けれども、子どもの遊戯などとは違うのだ。やろうといってすぐさまやれるものではない。
継承権相続の認可を得るためには貴族の大多数の賛成がなければならないし、彼女が理想とする政を為すためには膨大な知識と権力、それに伴う味方がいる。叔父であるダリオ・ユノ・ルクスにあらゆるものから隔絶された生活を強いられている今、貴族への根回しも、ろくな環境も無い中何を無謀なことをとリビティナは思うが、ルーディアナはその心の呆れに対し見透かしたように微笑んだ。
「ラティルス。頼んでいた案件の報告を」
「はい。ブルコ公爵の不正疑惑はつかんであります。元々成り上がりの輩なのでそこまで周囲に注意を払う必要はないかと。旧家のアントネッリ公爵とチェスティ公爵ですが、チェスティ公爵もお心を決められた様子。ですがアントネッリ公爵はやはり」
「そう。所詮は机上の空論。期待通りにはいかないものね、仕方ないわ」
「え、ええ?ちょっと?なにがなに? っていうかそれ誰?」
「ああマーリ。ブルコは下衆な豚でアントネッリは耄碌爺、チェスティは麗しき女公爵よ。それだけ覚えておおきなさいな」
「……姫様、お言葉遣いが少々乱れておいでです。それに妙な贔屓しないでください訳がわかりません」
「あら味方以外に丁寧な言葉を使うなんて言葉が勿体ないわ」
「姫様?」
「……わかったわよ。だからそう睨まないで頂戴」
「だ、だからー!なにがなに!」
わけわかんない!と子供のように机を叩いて抗議するマーリにリビティナも内心同意する。とはいっても彼女のように何もわからないからではなく、多少なりとも理解したからこその不可解さで。
ブルコ公爵家はフェロニア公爵家が没落後、皇族率いては皇国に多大に貢献した功績により三公家の空席に収まった商家である。彼の家を発展させたのは先代ブルコ当主であるが、今代のブルコ当主もなかなかの曲者と聞いている。それの、不正を暴いた? いくら自分が隠密の術を仕込んだとはいえラティルスはその専門ではない。問う視線を向けると彼はリビティナに澄ました表情で答えた。
「うっかりしている人がいたものですから。そこから辿ってみました」
「うっかり者ぉ?」
「はい。世俗に疎い職業に就いているようなのでので騙されでもしていたんでしょう。可哀想に」
そこまで言うとシルヴェストロが思い当った様子で苦い表情を作る。それに構わず続きを促すとラティルスも言葉を続ける。マーリは一応聞く態勢をとっているが、眉間のしわが増えている。
「チェスティ公爵夫人は公爵殿を亡くされてからダリオ閣下を皇とみる革新派、ルーディアナ殿下を皇とみる保守派との狭間、皇位争いに無闇に関わるべきでは無いという中立派としての立場を示していて他の二つの大公爵家とは齟齬が生じていました。此度の皇女の要請を受けチェスティ公爵は保守派代表としてルーディアナ皇女殿下の後見をされる、と決意されたようです」
「なるほど。取引したのかい。あそこの取り巻き連中は中々従順だしねえ、いい判断だ」
「ありがとう。それで、あの石頭耄碌公爵は置いておくとして、一つは排除、一つは条件付きの貢献という方法で取り除けるわ」
悠然と言うルーディアナにリビティナは苦笑する。今のルーディアナからは初めてであった頃の弱さは見えず、しなやかな強さが窺えた。
「それで、残りの貴族たちは」
「大義名分が必要です。皇女が正しくルケティウス殿に認められていたという大義が」
控えめに言葉を挟むシルヴェストロにもルーディアナに代わりラティルスが応える。ルーディアナは素知らぬ顔で紅茶を飲んでいて、マーリは眉間のしわをまた増やす。大義名分と言う言葉を聞いてシルヴェストロは溜息を一つ。
「……わたしの出番と言う訳ですか」
「ええ。お察しの通り、中央神殿神官長であるシルヴェストロ殿がこの国の宝である輝きの眼は皇女の下にあり、ルケティウス様の遺言を託されていたことを認め、明かす大義が」
「わかりました」
いつか神殿を意志とは反して行動せねばならない時が来るということは覚悟していた。けれど、たったそれだけのことなのに酷く重く感じる。だから、重さを振り払うようにシルヴェストロは言葉を舌に乗せる。迷うことなどないように、感傷が理性を邪魔しないうちに、決断を下した。
「ですが、ルケティウス様の遺言球はファーゴ卿が管理されています」
「………いごんきゅう?」
「遺言を記録しておく球体のことですよ。言葉を記憶する性質があるんです」
きょとん、と瞳を丸めて問うマーリにシルヴェストロが答える。
「へえ」
「ですが、いくらルケティウス様が残されていたとはいえ中立派が隠していては」
「あら。その為のサミュエルじゃない?」
「……中央神殿の、恐らくは隠し部屋とか、隠し金庫とか。保管されているのはそんなところですよ。わたしでさえ正確な場所は知らされておりません」
「大丈夫よ。エマニュエル卿って妙に皇宮に詳しかったりするし。サミュエルも今年の武芸大会優勝者よ」
「まあエマニュエル様ならばご存知かもしれませんが、それにしても」
祖父から縁が続いている商人とは言え、あの慎重なルーディアナがこうも初めから情報を共有し信用するものだろうか。内心小首を傾げ、ついで次の一言に納得した。
「急に来て図々しく居座られても腹が立つだけだもの。役に立ってもらわないと」
「そ、うですか」
「あーそうそうとくにサミュエルがねー。ねえひぃさん」
「そうなのよ」
「…………それで、マーリ殿はどうされたんですか」
「いやー、ごめん。ぜんっぜんわかんなかった」
「おやおや」
意気投合する女性たちを意図的に視界から外して、ラティルスは先程から無言を貫いていたマーリに問いかける。リビティナ達も話に夢中になっていて気付かなかったが、気付けばマーリは話を聞くことをあきらめてラティルスが午後の憩いにと用意した焼き菓子を頬張っている。あんまりな様子にリビティナは薄く笑い、ラティルスは冷たい視線を向ける。それにも動じず応えたマーリだが、ルーディアナに首を傾げて問う。彼女にとって必要なのは自分がどう動けばいいか、その一点だけだった。
「それで結局、わたしはどうすればいいんですか?」
誰がどうとか、そんなものは関係無い。
するべきことがわかっていれば、誰よりも早く動く自信がある。
「内乱が、とてもくだらなくて、野蛮で悲惨で下劣で陰惨で低俗で酸鼻な戦が起きるわ。それでも、それでもその覚悟があるのならば」
いつになく強い口調だった。
主であるルーディアナを見る。強い瞳だ。
心を決めた人間の瞳だ。
「わたしの心は揺らぎません」
真っ直ぐな視線から目を逸らさずにマーリは彼女へと応える。剣を捧げるとは、そういうことだ。
何をなくしても、何を奪っても、永劫主の下にいるという忠誠の、証。
主の為に生きて、主の為に死ぬ。覚悟を問う時など、とうに過ぎている。
「……ならば、その剣を私に預けなさい。私の為に、為だけに振るうと誓いなさい」
痛烈な光のように鋭い視線がマーリを射抜く。夜の空のような瞳は鋭くマーリの身を刺して、その強さに思わず息をのむ。けれど、心が揺らぐことはない。約束をくれた彼女の為に、ルーディアナ皇女殿下の為に。
今、少女は少女の為に誓いを立てる。騎士の誓いなど知らない、彼女らしい、言葉で。
乙女が夢を見るように、微笑んで。安心させてあげたい、と願う。言葉を欲しがっているのは、不安だから。けれどきっと、マーリが彼女に失望する日は来ない。だからどうぞ、微笑んで、と願い誓いを口にする。既に捧げた身を、何度でも求めるならば何度でも告げようと誓う。
「マイア一族が娘、マーリ。我が命果てるまで主とともに、我が剣折れるまで主の為に。そして、我が命尽きても主と道を違わぬことを誓います。」
「――赦します」
真摯な願いは受け止められ、少女は主の為に立ち上がる。他の面々もまた、彼女に首を垂れる。その全てをルーディアナは目を細めて許容した。
■ ■ ■
彼女たちが誓約を交わしたその数日後、貴族側もまた不穏な動きを見せていた。
「……ルーディアナ皇女が?」
「は! 何やらルケティウス先々代皇帝陛下の遺言球を公開されると先ほど」
「…………あいわかった。さがれ」
「はは!」
少し老いたような声に情報を告げた騎士は応えて部屋を辞する。その姿が扉の向こうに消えてから声の主の周りにいた者共は口々に話し始める。
「…………遺言球とは、まあ…形式ばった物を持ち出しましたな」
「神殿は皇女についたのか?」
「否、そうではあるまい。恐らくは正規の手段ではあるまいよ」
「まあ遺言球がどうあれ、ダリオ閣下の継承権は揺るぎますまいな」
「なにせ、三宝が失われたに近しい今、最後の決定はわれら貴族院が下すのですからな」
「ふ、ふ。どうあがこうと所詮無駄なこと」
忍び笑う声がいくつも聞こえ、貴族院は緩やかな空気で満たされる。ただ一人、先程騎士と言葉を交わしたアントネッリ卿だけが険しい顔をしていた。
■ ■ ■
「遺言球強奪作戦、ですか」
「いやだわぁ奪還だなんて物騒な。預けてあったものを貰いに行くだけよ」
なんでもないことのように言うルーディアナに、流石のシルヴェストロもいつもの困ったような表情をより深める。
遺言球とは言霊球を遺言用に使用したものだ。言霊球とは魔法道具の一種で、球体の身の内に言葉を溜める性質のある玉石である。つまるところ遺言球は生前の人間があらかじめ残しておいた遺言を球体に閉じ込め、それを聞く時は球体を割る。言葉を球体という物質に閉じ込める性質を持つ特殊な球体の為、皇族と貴族の中でも三公七伯…………つまり上流貴族にしか使用を許されていない。
また、言霊球は人工的に作られたものではない為、数が非常に少なく貴重なものである。
言葉を溜める量も、大きさに比例する。魔法道具であるゆえに未使用のもの、使用済みのもの全ての管理をすべてルクス神殿が行っているうえに厳密な管理がされており、現在神殿が中立の立場をとっている以上は持ち出すのは難しい。
更には遺言球の保管場所は枢機卿しか知らないというのにそんなものを期日までに持ち出してこいなどというのだからルーディアナ皇女殿下も無茶を言う、と嘆息する。押し付けられたエマニュエル卿に同情を寄せれば皇女は当然のことと尊大にのたまった。
「大体なんなの。いきなりいらないもの押しつけてきて。もしこれで失敗するなら責任押し付けて双子のマシな方に変えてもらうわ」
「ご立腹ですねえ………」
「あら、仮にも淑女の寝室に八つ当たり目的で入るような不埒ものに良い顔をしろとおっしゃるのかしら。かわいいのに無茶を言うわねシルヴィアちゃん」
「いえいえいえいえいえ、とんでもない。あと女性名で呼ぶのをやめていただけますか。誰ですか? シルヴィアさんって」
「似合っているわよシルヴィアちゃん」
「いえいえ」
「……なに漫才してるの君ら。馬鹿?それとも阿呆?痴呆?」
「あら不埒ものが帰ってきたわ」
「おやー。お早いですね」
「…………」
誰が不埒ものだとか、寝ぼけてるんだかすっ呆けてるんだかよくわからない返事で返すなとか、色々思うところはあれどもサミュエルは黙って脇に抱えていたものを二人の元へ放り投げる。放物線を描き重力に従い落ちると思われたそれは、ゆるりと二人の眼の前でとどまった。
ふわり、ふわり。綿の花のように重みも何もない風情で留まり続ける球体を見遣りながら、ついでサミュエルは書状も投げ渡す。こちらは、あっさり目的の人物の膝の上に収まる。遺言球を持ち出すなど、サミュエルには容易いことだった。
けれどそれをルーディアナは知らないし、シルヴェストロは知っている。シルヴェストロが知っている事をルーディアナに告げない理由をサミュエルは知っている。キアンが口止めをしたからだ。キアンは、敢えて情報をルーディアナに渡さない。それをルーディアナは知っている。知っていながら何も言わずに書状を開く。
全くの茶番だった。
それでも誰も不快を表すことなく、日常の延長としてこの茶番を受け入れる。
「たった一歩を無精しないでこちらに来て渡しなさいな」
「誰がそんな地雷だらけのところに行くものか」
一見して分かるだけでも五つの地雷が埋まっている。集中して精査すれば後八つ程は見つかるだろう。サミュエルを近づけたくないラティルスの仕業だろうか。微笑んでいるところを見るとルーディアナ自身が埋めた可能性が高い。彼女の恨みをサミュエルは買ったのかもしれない。
「ほら殿下、彼は地属性が得意だからわかってしまうって言ったじゃないですか」
「ふん、まだ物理的な仕返しがダメになっただけよ。それにこれは侵入者対策としても使えるからいいの」
「修理費は国費から出ませんからね?」
「…………そうだったかしら?」
皇女の居室、の極一部に設置された地雷を誰が踏むと言うのだ。第一、侵入者程度に使用していてはこの居室は一夜のうちに無残な姿になるだろう。
「漫才につきあう義理はないから帰る」
「お待ちなさいな」
物騒かつ惚けた言葉を交わす二人に呆れながら、用事はすんだとばかりに帰ろうとするサミュエルをルーディアナが引きとどめる。怪訝な顔をするサミュエルに、ルーディアナはしたりと微笑んだ。
「どうせ儀式の日までは用事もないわ。ついでにあなたブルコ公爵のところへ行ってきなさい」
「はあ?嘘だろ?」
「嘘じゃないわ」
「そういうのは、あー。誰だっけあの金髪の仕事じゃないのか」
「あなただったら良心の呵責も一片の迷いもなく使えるじゃない」
「あーはいはい。っつーか、よりによって豚ですか」
「耄碌爺のとこ送ったってえげつない返り討ちにあうだけよ」
「ああ、まあな。大義名分を与える意味もないか。でも他の奴らは?」
「マーリなら仕事に行かせているし、ラティルスは…………ちょっとした小細工を、ね」
「小細工ぅ?」
「ええ、色々と」
「うぁー……おっかねえ……」
「……………」
物騒な会話に口を挟みづらいなあ、とシルヴェストロは困ってあたりを見回すとサミュエルと殆ど同じ顔をした青年を中庭の隅に見つける。どうやら先程からいたらしいのだがこちらの雰囲気に向こうもなんだか入り辛く感じているようで、サミュエルとは違う青玉石の様な瞳と視線が合うとたがいに苦笑を交わす。さり気無く寄ってきた青年にシルヴェストロは声をかけた。
「ミュリエルどの」
「シルヴェ様こんにちは」
「あら、ましな方が来たわ」
「ましな方ってなんだよ、おい」
「ろくでもない方、そうでもない方」
双子を其々に指すルーディアナにサミュエルは閉口し、ミュリエルは苦笑する。それ以上の反論もかばいたてもしないところをみると、双方ともに認めているらしい。もしくは他人からの評価など本当はどうでもいいのかもしれない。それはさておいて、何の用かとルーディアナはミュリエルに向き直った。
「それでどうしたのかしら?」
「ああ。キアン様が必要になるだろうから銀青洞窟の簡略図を渡すように、と」
銀青洞窟とは、帝国領最北端にある洞窟のことで、土に多くの銀と青水晶が含まれ銀と青とに輝くことからそう呼ばれている。以前、かのルケティウス皇帝も訪れたことがあるらしく、その折にマイア一族の支配する平原を直轄領にしたのだとシルヴェストロは聞き及んでいる。しかし、皇帝の目的は洞窟の所有では無かった為、洞窟の所有権は平原側にある。つまり現在皇国とは何のかかわりもない洞窟だが、その簡略図とは、とルーディアナをそっと窺うと、不愉快そうな表情を隠しもせず彼女は呟いた。
「…………まだ隠し玉があったなんて」
「キアン様ですから。それにしても銀青洞窟なんて採るほどの石も無いし、観光するにしては道程が危険すぎると思うんですけど」
「それ以外の目的で使うのよ。いえ、使う日が来ればいい、といった程度ね。それに、現在平原は平和なものだわ」
マーリの祖父殿のおかげでね、というルーディアナに漸くシルヴェストロの理解が追い付く。
現在、皇国には大神殿と呼ばれる規模の神殿が五つ存在する。東西南北、そして中央に一つ。地図で見れば予め定められていたかの如くそれは整然と並び皇国を守護するように建っている。そしてそのすぐ傍に神官の間でだけ聖地と呼ばれる個所がそれぞれ一つ。銀青洞窟もその一つである。そしてシルヴェストロは知っていた。
聖地と呼ばれるその理由を。
かつてルケティウス皇帝が北へ北へと帝国領を広げていったわけとは。そしてかの皇帝以外にも、かつての皇帝たちは帝国の四方に領土拡大を行ってきた。
それさえも、背筋が寒くなる思いで理解する。
四方に神殿を築き、盤石の結界を張ることが目的なのだと思っていた。
だが、それだけであれば侵略する必要はない。元々、豊かではない国土を広げる意味もあったのだろうがそれでは自然の厳しい北方に領土を広げる必要性も然程無い。シルヴェストロは彼女に課せられた運命と少しのことを知るだけで、全てを知っているわけではない。それでも、その断片を新たに理解し背筋を震わせる。
いつか、誰かが。
時が来たとき直ぐにでも。
そう彼らは祈り、夢を抱いたのだろう。途方もない未来を。
全ての呪縛から解き放たれる、その時を。
その時の為に彼等は聖地の傍に神殿を作り結界を成し、国を豊かにしてきた。どんな気持ちで、彼等は夢見ていたのだろう。
今、傍にいる皇女。彼女が全ての束縛を解くのだろうか。そうであればいいとシルヴェストロは瞳を閉じる。所詮は自己満足に過ぎない感傷だ。
「じゃあこれ渡しましたから」
「あら、もう帰ってしまうの?」
「ええ、でないとキアン様がうっかりお外に出掛けかねないので」
己の思考の海に浸るシルヴェストロを余所にミュリエルは皇女に暇を告げる。早く帰りたいと如実に示す態度に幼さを感じルーディアナは微笑ましく思う。サミュエルはほんの少し、主の元へと戻る弟を羨ましく思った。
勿論、皇女の傍にと命じられているからには勝手に帰れないのだが、それでもサミュエルはまだ十五の子供で、育て親同然の主人を慕っているがゆえに恋しさを覚える。けれども彼はミュリエルの兄で、己の希望を口に出す事は無い。気をつけろよ、あいつは目が見えないくせに直ぐふらふらしたがるんだからとだけ口にする。ミュリエルはうん、と幼子のように頷いた。
ルーディアナはエマニュエル卿の事を詳しくは知らない。祖父に初めて引き合わされた時はまだ彼女自身が子供で、優しげに笑う彼をただの青年としか見ていなかった。
やがて年がたつにつれて容姿が変わらない彼をいぶかしみ、時には直接問いただしたけれども、曖昧に交わされるばかりで真実を含む答えは与えられたことが無い。いつかわかるよ、いつかっていつ、さあ、いつかな。そんな気のないやり取りにうんざりしてルーディアナはキアン・エマニュエルを知ることを諦めた。
けれど、目の前の双子は違うのだろう。
ルーディアナの方がキアンを長く知っているけれど、双子たちの方がキアンを深く知っている。仲の良かっただろう自分の祖父にさえ取り立てて情を示しそうになかった彼が今では、双子たちに日常的に心配をされるくらい心を開いている。慈しみ、慈しまれているのだろう。
ごちそうさま、と呆れたようにルーディアナは返したのだった。




