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身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜  作者: 滝里シエル


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12/15

12 蜂蜜とミントの香り(アルフレッドside)

「奥様は図書室に向かわれたようでございます」


 そう言うと、セドリックは湯気の立つカップをいつものようにデスクに置く。


 俺は目を通していた嘆願書から顔を上げると、眼鏡を直す。


「……そうか」


 セドリックには妻ベアトリスの動向について、報告をするように申し付けていた。


 ベアトリスが屋敷内を見て回りたいと、セドリックに言いに来たと聞いた。たしかに彼女には自由に過ごしていいとは言ったが、屋敷内を見て回ってどうするのかと不審に思った。

 何か企んでいるのではと、セドリックや他の使用人たちには監視させている。


「……引き続き監視を続けろ」

「はい、かしこまりました」

 セドリックは一礼すると、執務室を出ていった。


「……ふぅ」

 小さく息を漏らす。みぞおち辺りに、キリキリとしたような痛みが走る。


 父の死により急遽継ぐことになった爵位。激務や、重圧で俺の身体は悲鳴を上げていた。しかし、立ち止まるわけにはいかない。偉大な父の足元にも及ばないのだから。


 俺は眼鏡を取ると、静かに目を閉じる。


 ――昨夜の彼女の言葉が頭に響いた。


『私に指一本触れることは許しません。私はあなたのことなど、一生愛することはありませんわ!』


 結婚式が終わり、寝室で新婦ベアトリスが放った言葉だ。


 青紫の瞳でこちらを睨み、バルコニーの方へ走っていく。とっさに細い手首を掴むが、彼女は俺の手を振り払い飛び降りた。


 気付くと、拒まれた俺の手は震えていた。


(俺はいったい……、何を間違えたんだ……)



 四年前、婚約者に決まった当初から、彼女は俺に対し嫌悪感を露わにしていた。それでも俺は彼女を婚約者として誠実に扱ってきた。


 夜会でのエスコートも、誕生日の贈り物も、最低限のことはしてきたつもりだ。しかし、彼女から歩み寄ることはなかった。


 もしかしたら、彼女には他に恋い慕う男がいるのかもしれない。


 我が公爵家に嫁ぐ限り、跡継ぎは必要だ。その責務さえ果たしてくれるのならば、あとは干渉はしない。自由にしてくれていいと、伝えたつもりだったのだが……。


 しばらくは彼女を刺激しないように、俺は近づかない方が賢明だろう。



 俺は眼鏡を掛け直し、デスクの上のカップを取る。息を止め、温くなった薬湯を一気に口に流し込んだ。


「……く……っ」

(……ま、ずい……っ)


 毎日服用しているが、未だ慣れない独特の臭いと味に耐えられず、外の空気を吸おうと窓辺に向かう。

 窓に手をかけた時、庭園にいる赤髪の人物が目に飛び込んできた。


(……ん? ベアトリスか? ……何をしているんだ?)


 彼女は庭園の真ん中で両手を広げ、突っ立っていた。かと思うと一人で楽しげに笑い、バイオレットの前に座り込む。ドレスの裾が地面に付いているのにも気にする様子はなかった。


 そんなベアトリスから目が離せず、暫く観察していると、彼女がこちらを見上げた。俺は思わずカーテンの裏に身を隠す。


(……俺はいったい、何をやってるんだ……)


 眼鏡を指で押し上げると、一息吐いてからデスクに戻った。




 自由にしていいとは言ったが、俺まで巻き込まれるとは思わなかった。


 俺が視界に映るのすら嫌がっていた彼女が、ローストビーフのサンドイッチを持ち、執務室を訪れるとは。


(新手の嫌がらせか……っ)


 込み上げる吐き気を抑え、「余計なことはするな」と釘を刺した。


 その時に見せた彼女の泣きそうな顔が、脳裏から離れない。


(……なぜだ。なぜ、あのような顔を……?)


 一人になった執務室で、俺は悶々として頭を掻きむしった。


 

「旦那様、失礼いたします」

 それから程なくして、セドリックが執務室を訪れた。


「先程は勝手な真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」

 セドリックは深々と頭を下げる。


 彼は父と年も近く、俺が物心つく前からこの屋敷に勤めている。謹厳実直で信頼できる人物だ。

 そんな彼が俺の命令以外で動くとは、いささか驚いた。


「いや、もういい。ただ、おまえが勝手な真似をするとはな」


「はい。……勝手ついでに、もう一つだけ、よろしいでしょうか?」


「……何?」


 セドリックの言葉に耳を疑う。


 彼が扉を開けると、ガラガラとワゴンを押してベアトリスが入ってきた。


(またか……)


「はぁ、今度は何だ。君の気まぐれに付き合っている暇は……っ!?」


 スッとした懐かしい香りが鼻を掠める。

 この香りを俺は、ずっと忘れていた。


「……この香りは……っ」


 亡き母が淹れてくれた蜂蜜の入ったミントティー。裏庭に咲くリンデンの花の甘い香り。笑顔の母、穏やかな表情の父。


 母が働き過ぎる父の身を案じ、裏庭でハーブを育て、自らハーブティーを淹れていた。父も母に押し切られ、渋々休憩をする。そんな日常――。


 頭の片隅に追いやられていた記憶が、一瞬で蘇ってくる。

 

「蜂蜜はたっぷりでいいですか?」


 そう言って差し出されたカップを前に、俺の思考が停止する。震えそうなる手をぐっと堪えた。


「あ、毒見はしてあります。セドリックさんにも許可をいただきましたし、私も、あまりのおいしさに三杯飲みました!」


(……三杯……)


「……いや、そうではない……」


 彼女の慌てている姿に、不思議と心が緩んでいく。


 カップに口を付けると、懐かしい香りと味が俺の全身を巡った。


(……うまいな……)


 チラリと彼女の様子を窺うと、嬉しそうな表情でこちらを見つめていたので、とっさに視線を外した。


(……こんな表情もするんだな……)


 もう少し見つめていたいような、気恥ずかしいような、そんな初めての感情を誤魔化すように、俺はミントティーを飲み干した。

 

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