閑話 ハラスメントとは。
ハラスメントとは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
事後に境界線の侵害を整理するための概念。
「重いですね」
「重い」
「では、ハラスメントをするな、でいいんじゃないですか」
「そこが危ない」
「危ないんですか」
「かなり危ない」
博士はコーヒーを飲んだ。
「まず分けよう」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快。
迷惑。
危害。
犯罪。
ハラスメント。
「また分ける」
「何度でも分ける」
「不快は?」
「嫌な気持ちになること」
「迷惑は?」
「他人の運用コストを勝手に増やすこと」
「危害は?」
「身体、財産、権利などに損害が出ること」
「犯罪は?」
「法で罪と定められた行為」
「ハラスメントは?」
「境界線を踏み越えた行為を、後から整理するための概念だ」
「後から?」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
事後評価。
事前ルール。
「混ぜるな」
「ここですか」
「ここだ」
「ハラスメントをするな」
「はい」
「一見、正しい」
「はい」
「だが、それを日常の事前ルールにするとどうなる」
「どうなるんですか」
「相手が何を不快に思うか、事前に全部読めという話になる」
「あ」
「来たな」
博士は紙ナプキンに書いた。
相手の地雷を踏むな。
ただし、地雷の場所は分からない。
「無理ですね」
「無理だ」
「でも、気をつければ」
「どこを?」
「それは」
「どこまで?」
「それは」
「誰に対して?」
「それは」
「どの場面で?」
「それは」
「そういうことだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
守り方を説明できないルールは、ルールとして壊れている。
「強いですね」
「強くてよい」
「でも博士」
「何かね」
「相手を不快にしてはいけない、は大事では?」
「大事なことはある」
「では」
「だが、ルールにはできない」
「なぜですか」
「不快は内側だからだ」
「あ」
「チンポジ哲学だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
相手の内側は、事前に観測できない。
「本丸ですね」
「本丸だ」
「相手のベスポジは分からない」
「そうだ」
「相手の不快も完全には分からない」
「そうだ」
「相手の境界線も?」
「事前には分からないことがある」
「では?」
「確認可能な外側へ落とす」
博士は紙ナプキンに書いた。
嫌なのでやめてください。
分かりました。
「これですか」
「そうだ」
「言われたら止める」
「そうだ」
「言われたのに続ける」
「そこから問題化できる」
「なるほど」
博士は続けた。
「嫌なのでやめてください」
「はい」
「これは境界線の提示だ」
「はい」
「それを無視して続ける」
「はい」
「これは外側に出た行為だ」
「見えますね」
「そうだ」
「第三者にも確認できる」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快だったかどうか。
やめてと言われたか。
それでも続けたか。
「分ける」
「また分ける」
「何度でも分ける」
「ハラスメントをするな、では曖昧だ」
「はい」
「でも、やめてと言われたらやめろ、は明確だ」
「はい」
「もちろん例外はある」
「例外回ですね」
「そうだ」
「業務上必要な注意」
「はい」
「安全上必要な制止」
「はい」
「教育上必要な指導」
「はい」
「犯罪や危害の防止」
「はい」
「それらは、やめてと言われても止められないことがある」
「ありますね」
「だからまた分ける」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快だからやめろ。
危険だから止める。
業務だから指導する。
犯罪だから手続きに乗せる。
「混ぜるな」
「かなり実務ですね」
「ハラスメントは実務に落とさないと壊れる」
「ここでミルを借りよう」
「不快と危害ですね」
「そうだ」
「不快は本物だ」
「はい」
「だが、不快だから即禁止とはならない」
「はい」
「危害があるなら介入を考える」
「はい」
「迷惑なら調整する」
「はい」
「犯罪なら手続きに乗せる」
「はい」
「ではハラスメントは?」
「状況を整理する概念」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快なら距離。
迷惑なら調整。
危害なら介入。
犯罪なら手続き。
ハラスメントなら、何が越境だったか整理する。
「綺麗ですね」
「題材以外はな」
「題材も真面目です」
「真面目だからこそ危ない」
「カントならどう見るか」
「他人を手段としてのみ扱うな」
「そうだ」
「相手を笑いの材料にする」
「はい」
「支配の材料にする」
「はい」
「欲望の処理に使う」
「はい」
「自分の善人証明に使う」
「はい」
「それらは危ない」
「ハラスメントになりうる」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
相手を、自分の都合の処理装置にするな。
「強いですね」
「強くてよい」
「では、カント的にはハラスメント禁止でいいのでは?」
「理念としては近い」
「でもルールとしては?」
「壊れる」
「なぜ?」
「相手が処理装置にされたかどうかを、事前に完全判定できないからだ」
「またそこですね」
「何度でもそこだ」
博士は続けた。
「ここでウィトゲンシュタインも来る」
「言葉の使われ方ですね」
「そうだ」
「ハラスメントという言葉は、何をしているのか」
「どういうことですか」
「注意喚起か」
「はい」
「被害の整理か」
「はい」
「責任追及か」
「はい」
「相手を黙らせる武器か」
「あ」
「来たな」
博士は紙ナプキンに書いた。
ハラスメントという言葉の働きを見ろ。
「大事ですね」
「かなり大事だ」
「ハラスメントだ」
「はい」
「だから黙れ」
「危ないですね」
「そうだ」
「ハラスメントだ」
「はい」
「だから調査しよう」
「これはあり」
「そうだ」
「ハラスメントだ」
「はい」
「だから何が、いつ、誰に、どう起きたか確認しよう」
「実務ですね」
「そうだ」
「ニーチェなら疑う」
「また刺しますか」
「刺す」
「何をですか」
「そのハラスメント批判は、本当に境界線を守るためか。相手を屈服させるためではないか」
「刺しますね」
「必要だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
境界線の防衛。
権力闘争。
罵倒権。
被害者ポジション。
「混ぜるな」
「かなり危ないですね」
「危ない」
「ハラスメントという言葉は強い」
「強い」
「だから使えば勝てる」
「勝てることがある」
「だから悪用もされる」
「される」
「でも本当に被害もある」
「ある」
「だから?」
「丁寧に分ける」
博士は言った。
「ハラスメント概念を捨てる必要はない」
「ないんですか」
「ない」
「では何が問題ですか」
「日常ルールとして設計することだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
事後判断としては有効。
事前ルールとしては設計不能。
「これが結論ですね」
「かなり結論だ」
「ハラスメントをなくしましょう」
「理念としては分かる」
「ハラスメントをしないようにしましょう」
「注意としては分かる」
「ハラスメントをしたら処罰します」
「手続きが必要だ」
「ハラスメントを絶対にするな」
「守り方を示せ」
「示せないなら?」
「ルールとしては壊れている」
「では、どう運用するんですか」
博士は紙ナプキンに書いた。
一、明らかな危害や犯罪は既存の名前で処理する。
二、不快や迷惑は、まず境界線を伝える。
三、やめてと言われたら止める。
四、止めない場合は問題化する。
五、業務上必要な指導や安全確保とは分ける。
六、第三者が確認できる形に落とす。
「実務ですね」
「ハラスメントは実務にしないと危ない」
「理念のままだと?」
「地雷原になる」
博士は紙ナプキンに書いた。
相手を不快にするな。
ただし、不快の場所は見えない。
踏んだら処罰する。
「無理ですね」
「無理だ」
「では?」
「見えない地雷を撤去するのではなく、見える標識を立てる」
「標識」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
ここから先は嫌です。
やめてください。
「境界線ですね」
「そうだ」
「でも博士」
「何かね」
「言えない人もいますよね」
「いる」
「なら、やっぱり事前に察するべきでは?」
「できる範囲では配慮する」
「はい」
「だが、完全察知をルールにするな」
「なぜですか」
「超能力者を前提にするからだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
配慮せよ。
超能力者になれ。
「混ぜるな」
「かなり重要ですね」
「重要だ」
「言えない人への対応は?」
「別に考える」
「別?」
「相談窓口、第三者、記録、環境設計、教育、権力差への注意」
「はい」
「それは必要だ」
「でも」
「相手の内心を事前に全部読め、とは違う」
「なるほど」
博士は紙ナプキンに書いた。
言えない人がいる。
だから全員が読心せよ。
「これは?」
「飛躍です」
「そうだ」
「言えない人がいる」
「はい」
「だから言いやすい経路を作る」
「これはあり」
「そうだ」
博士は今日の答えをまとめた。
ハラスメントとは、事後に境界線の侵害を整理するための概念である。
不快、迷惑、危害、犯罪、ハラスメントは違う。
ハラスメントは、事後評価としては有効である。
だが、事前ルールとしては設計不能になりやすい。
相手の不快を事前に完全予測することはできない。
守り方を説明できないルールは、ルールとして壊れている。
相手の内側は、事前に観測できない。
だから、確認可能な外側へ落とす必要がある。
嫌なのでやめてください。
言われたら止める。
言われたのに続けたら問題化する。
ただし、危害、犯罪、安全確保、業務上必要な指導とは分ける。
配慮せよ、とは言える。
だが、超能力者になれ、とは言えない。
言えない人がいるなら、読心を求めるのではなく、言いやすい経路を作る。
ハラスメントという言葉を、相手を黙らせる武器にするな。
だが、本当に境界線を踏み越えた行為を見逃すな。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少し考えた。
「君のチンポジは君にしか分からない」
「はい」
「私は、君の椅子が合っているか完全には分からない」
「はい」
「君のパンツがきついかも完全には分からない」
「はい」
「だが、君が言う」
博士は紙ナプキンに書いた。
それ、嫌なのでやめてください。
「はい」
「そこで私は止める」
「はい」
「止めないなら?」
「問題です」
「そうだ」
「では、事前に全部察しろは?」
「無理です」
「なぜ?」
「他人のベスポジは見えないから」
「そうだ」
博士は最後に一文を書いた。
ハラスメントとは、他人のベスポジを踏み越えた行為を後から整理する概念である。
それを日常の事前ルールにすると、見えないチンポジ地雷原を歩けという話になる。
だから、読心ではなく境界線で運用しろ。
「最後、最低ですね」
「だが通る」
「通るのが嫌です」
「哲学とは、嫌でも通る道を見つけることだ」
「それはハラスメントでは?」
「やめてください、と言われたら止める」
「では、やめてください」
「前向きに検討しよう」
博士は静かにコーヒーを飲んだ。




