哲学とは。
哲学が嫌いだった。
理由は簡単だ。長い。難しい。まわりくどい。役に立つのかもわからない。
しかも、言っていることがだいたい屁理屈に聞こえる。
ただし、ただの屁理屈ではない。やたら筋が通っている。逃げ道を塞いでくる。こちらが「でも普通は」と言うと、「その普通とは何かね」と聞いてくる。
面倒くさい。
私は哲学を、心の中でこう呼んでいた。
超合理的屁理屈。
ある日、その話をしたら、知人が一人の男を紹介してきた。
「じゃあ、チンポジ博士に会うといい」
「誰ですか」
「チンポジ博士」
「聞き返したんじゃなくて、意味を聞いてるんです」
「哲学者だよ」
「名前で損しすぎでは?」
「本人は得してると思ってる」
帰ろうかと思った。
しかし、哲学が本当に超合理的屁理屈なのかどうか、少しだけ確認したい気持ちもあった。
私は指定された喫茶店に向かった。
奥の席に、白衣の男がいた。
白衣を着ている時点でかなり怪しい。しかも胸ポケットには、なぜか小さなサイコロが二つ入っていた。
男は私を見るなり、穏やかに言った。
「君が哲学を嫌っている人かね」
「嫌っているというか、必要性がよくわからないです」
「なくても生きていける」
博士は即答した。
「そこは認めるんですね」
「もちろんだ。哲学がなくても飯は食える。税金も払える。電車にも乗れる」
「じゃあ、いらないのでは」
「あると面白い」
「趣味じゃないですか」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「ただし、強い趣味だ。世界の見え方が変わる」
「見え方」
「そう。哲学とは、物の捉え方、価値観の捉え方を考えるものだ。酷い言い方をすれば、超合理的屁理屈」
「私と同じこと言ってますね」
「君は入り口にいる」
「入り口が最悪なんですが」
「では、もっと最悪な題材で説明しよう」
博士は真顔で言った。
「チンポジだ」
私は帰ろうとした。
「待ちたまえ」
「待てません」
「哲学とは、当たり前を疑う学問だ」
「今、私の当たり前が全力で逃げろと言っています」
「それもまた哲学だ」
「便利すぎる」
博士はコーヒーを一口飲んだ。
「君は他人のチンポジを知ることができるかね」
「知りたくないです」
「知りたくないかどうかではない。知れるかどうかだ」
「知れないでしょうね」
「なぜ」
「本人にしかわからないからです」
「そうだ」
博士は満足げにうなずいた。
「もう哲学が始まっている」
「始めないでください」
「本人にしかわからない不快がある。他人には直接観測できない。外から見えるのは、表情、動作、申告、せいぜい歩き方の違和感くらいだ」
「嫌な観測対象ですね」
「しかし構造は明確だ」
博士は紙ナプキンに丸を描いた。
「人間には内面がある。快、不快、痛み、違和感、納得、信念。これらは本人には切実だが、他人には直接見えない」
「まあ、そうですね」
「カントの物自体に近い」
「急に高尚にしないでください」
「対象そのものには直接届かない。人間は感覚や認識の形式を通して世界を見ている。AIに体を持たせればわかりやすい。カメラがなければ色はない。マイクがなければ音はない。センサーの限界が認識の上限になる」
「その説明はわかります」
「他人の内心も同じだ。センサーが届かない」
博士は紙ナプキンの丸の中に、さらに小さな丸を描いた。
「つまり、他人のチンポジは物自体である」
「最悪の結論に着地しましたね」
「しかし、わかるだろう」
「わかるのが嫌です」
博士は続けた。
「哲学は難解に見えるが、やっていることは単純だ。当たり前を一つ疑う。次に、その当たり前を支えている前提を疑う。さらに、その前提の前提を疑う。何段も潜る。そうして見つけた景色を、他人に伝えるために『おいでおいで』をする。だから言葉が長くなる」
「哲学者は迷路の奥から手招きしてるんですか」
「そうだ。しかも本人は親切のつもりだ」
「迷惑ですね」
「迷惑なこともある」
博士は否定しなかった。
「哲学は押し付けるものではない。納得ロジックだからだ」
「解決ロジックではなく?」
「そう。哲学は多くの場合、問題を消さない。だが、なぜ自分が引っかかっているのかを整理する。何を前提にしているのか。どこまでが扱える範囲なのか。何を諦め、何を残すのか」
「宗教に近いですね」
「近い。宗教は集団で価値観を共有するOSとも言える。死をどう受け止めるか。苦しみにどう意味を与えるか。何を善とするか。毎回ゼロから考えるのは重すぎる」
「哲学は個人用の設定画面ですか」
「よい比喩だ」
博士はサイコロを一つ取り出した。
「では、価値観の話に移ろう」
「サイコロで?」
「これは進むサイコロだ」
博士はもう一つ取り出した。
「これは戻るサイコロだ」
「負の数ですか」
「そうだ。小学生は算数で計算の仕方を習う。数字を入れると答えが出る。しかし中学に入ると、急に負の数が出る。ここで転ぶ子がいる」
「-4個って何だよ、になる」
「その通り。だが、すごろくで考えればいい。前に三マス進む。後ろに四マス戻る。位置が変わる。ゼロは個数ではなく基準点になる」
「それはわかりやすいですね」
「概念は、具体物に接続すると飲み込みやすい」
「でも期待値がゼロになるとハードル上がりますね」
「それは当分先でいい」
博士はサイコロをしまった。
「チンポジも同じだ」
「戻りましたね」
「右がよい者もいる。左がよい者もいる。上向き派もいる。下向き派もいる。固定派もいる。自由派もいる」
「派閥化しないでください」
「人はそれぞれ、世界の収まりどころを探している」
「下着の話ですよね」
「価値観の話だ」
「強引なのに通るのが腹立ちますね」
「本人にとっては正しい。しかし他人にとって正しいとは限らない。ここで哲学が必要になる」
「なぜですか」
「自分の正しさを、他人にそのまま押し付けてよいのか、という問いが出るからだ」
博士は指を一本立てた。
「チンポジは本人にしかわからない」
二本目を立てた。
「しかし本人にとっては切実である」
三本目。
「他人が完全に理解することはできない」
四本目。
「一律ルール化は困難である」
五本目。
「それでも否定してよいわけではない」
私は少し黙った。
くだらない。
あまりにもくだらない。
しかし、構造は異様にわかりやすかった。
「つまり、内心や不快の問題ですか」
「そうだ」
「他人の内面は見えない。でも本人にはある。だから外部から扱えるのは、行動や申告や調整可能な範囲だけ」
「その通り」
「でも制度化しすぎると、個別差が大きすぎて破綻する」
「その通り」
「一人一派だから」
「その通り」
「これ、哲学ですね」
「だから言っただろう」
博士は静かに笑った。
「チンポジ哲学だ」
「名前が最悪です」
「題材が最悪だから、逃げられない」
「どういう意味ですか」
「高尚な言葉で語ると、人は構える。内心の不可観測性、他者理解の限界、制度化の困難、価値観の多様性。こう言うと難しく聞こえる」
「難しいですね」
「だが、チンポジなら一発だ」
「一発とか言わないでください」
「本人にしかわからない。だが本人には切実。他人が決めるのは無理。押し付けるのも無理。否定しても解決しない。制度化すると壊れる」
「わかりやすい」
「極端なまでに理解しやすい」
私はコーヒーを飲んだ。
冷めていた。
「でも、それで何が解決するんですか」
「何も解決しない」
「しないんですか」
「哲学は解決ロジックではない。納得ロジックだと言っただろう」
「でも、納得できると扱いやすくなる」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「社会という大きなものに対しては、やってみないとわからない、が多い。制度を変え、社会実験をし、データを取り、何年も見る必要がある。しかしチンポジ哲学は、一人で検証できる」
「単体テストですね」
「そう。社会でやる前に、身体感覚で構造を確認できる」
「念のため複数人で議論したら安全」
「ただし議題名には注意が必要だ」
「でしょうね」
博士は紙ナプキンに大きく書いた。
本人にしかわからない。
他人には完全に観測できない。
最適解は人によって違う。
一律ルール化は無理がある。
押し付けると事故る。
否定しても解決しない。
「これはチンポジに限らない」
「配慮とか、価値観とか、内心とか、宗教とか、思想とか」
「そうだ」
「でも押し付けるものではない」
「そこが大事だ」
博士は紙ナプキンを裏返した。
「哲学は、価値を捨てるための道具ではない。価値の置き場所を確認する道具だ」
「飲まれると危ないですよね」
「危ない。哲学は前提を疑う。強く使いすぎると、善悪も疑う。愛も疑う。価値も疑う。自分も疑う。現実も疑う。あらゆる価値を捨てかねない」
「生活できなくなる」
「だから止めどころが必要だ」
「これは絶対真理ではない。でも自分はこれを大事にする、で止めていい」
「その通り」
博士は満足そうに目を細めた。
「哲学はOSではない。デバッグツールだ。常駐させるものではなく、必要なときに起動するものだ」
「その比喩は好きです」
「君はIT系かね」
「まあ、そんなところです」
「ならわかるだろう。デバッグツールで生活はしない」
「しませんね」
「だが、バグったときには必要になる」
「哲学も?」
「そうだ」
私はしばらく考えた。
哲学は、なくても生きていける。
でもあると、見え方が増える。
物の捉え方。価値観の捉え方。当たり前の疑い方。自分が何に引っかかっているのかの見つけ方。
解決ではなく、納得。
押し付けるものではなく、自分の中で使うもの。
たしかに、それなら少しわかる。
「博士」
「何かね」
「哲学って、要するに、物の捉え方、価値観の捉え方を考えるものですね」
「そうだ」
「酷い言い方をすれば、超合理的屁理屈」
「そうだ」
「でも、うまく使えば、見え方が広がる」
「そうだ」
「押し付けるものではない」
「そうだ」
「飲まれると危ない」
「そうだ」
「そしてチンポジは、本人にしかわからない」
「極めて重要だ」
「重要にしたくないです」
博士は笑った。
「だが、君は理解した」
「理解したのが悔しいです」
「哲学とはそういうものだ。納得したくない形で納得することがある」
「最悪ですね」
「最高だろう」
私は席を立った。
喫茶店の外に出ると、街はいつも通りだった。
車が走り、人が歩き、店員が看板を出し、どこかの子どもが母親に手を引かれていた。
世界は何も変わっていない。
ただ、少しだけ見え方が変わっていた。
他人の内面は見えない。
本人にしかわからない不快がある。
価値観は一人一派に近い。
一律の正解を作ろうとすると、たぶん壊れる。
それでも、否定してよいわけではない。
押し付けてもいけない。
哲学は、世界を直してはくれない。
でも、自分が世界を見る角度を少し変える。
その日から私は、哲学を少しだけ信じるようになった。
ただし、人に勧める時の題材は選ぼうと思った。




