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第十一話:観察者の影

天文四年 皐月 / 西暦一五三五年 五月

 撫養むやの港は、奇跡的な変貌を遂げつつあった。

 兄・幸若が「三郎の案を否定して」築いた堤防は、三郎の狙い通りに潮流を収束させ、停滞していた土砂を沖へと押し流したのである。

「見たか、三郎! 私が石を積ませた場所こそが、龍神の通り道だったのだ!」

 幸若の勝ち誇った声が潮風に響く。三郎はその傍らで、四歳の子供らしく「兄上、すごいです!」と手を叩きながら、内心では冷徹に流速の計算を続けていた。

(流速は毎秒一・五メートル。計算通りだ。これで大型の安宅船も干潮を気にせず入港できる。……兄上が俺を嫌えば嫌うほど、この港は完璧に近づく)

 だが、その完璧すぎる「偶然」に疑念を抱く者がいた。

 堤防の陰、職人たちに混じって鋭い眼光を向ける青年武士。三好孫次郎の側近であり、若くして軍略と内政に類まれな才を見せる、松永弾正久秀である。

「……柳斎殿。あの若君、本当に『たまたま』間違った図面を置き忘れたのだと思うか?」

 弾正が隣に立つ柳斎に、声を潜めて問うた。柳斎は飄々とした態度で答える。

「さあて。若君はまだ四歳。置き忘れなど、日常茶飯事にございますれば」

「白々しい。あの堤防の角度、そして石の積み方……幸若殿が思いつきでやったにしては、あまりに理にかなっている。まるで、海の流れを刃物で切り裂くような鋭さだ」

 弾正は三郎に近づくと、砂浜で泥遊びをするその背中に、武士としての礼を尽くしながらも静かに声をかけた。

「三郎殿。この港の完成により、三好家に入る税は三倍になりましょう。……お主、その金がどこへ流れるか分かっておられるか?」

 三郎はぴくりと肩を揺らした。振り向いた顔には、無邪気な笑みが張り付いている。家格の上では三郎が上だが、弾正の言葉には、身分を超えた「時代の毒」が混じっていた。

「お買い物、でしょうか? 京の都の、美しい着物とか!」

「……いいや。槍だ。そして、火薬だ。お主が造ったこの便利な港は、これから始まる三好の『天下への進撃』を支える大動脈となる。足利の血を引くお主が、足利を脅かす牙を研いでいるのだ」

 弾正の言葉に、三郎の笑顔が微かに強張った。

 前世で三郎が造ってきたダムや道路は、人々の生活を豊かにするためのものだった。だが、この戦国時代において、インフラの充実はそのまま「殺し合いの効率化」に直結する。

(……分かっている。俺が生存のために積んでいるこの石は、いつか誰かの首を撥ねるための土台なんだ)

「弾正様……いえ、弾正。私は、お家が平和になればいいと思っているだけだ。道が良ければ、みんな早くおうちに帰れるだろう?」

 三郎の問いに、弾正は初めて皮肉な笑みを消した。

「早く終わるか、あるいは、より凄惨になるか……。三郎殿、お主の知恵はもはや足利という器には収まらぬ。孫次郎様は、お主を『阿波の守護神』として祀り上げるつもりだぞ。それは、お主が望む『畳の上での大往生』から最も遠い場所だ」

 三郎は、弾正の鋭い洞察に寒気を覚えた。この男、松永弾正久秀こそが、将来自分を食い破る「怪物」になるかもしれない。

 その夜。

 三郎は柳斎に頼み、港の一角に小さな「水準点」を刻んだ。

 それはただの測量点ではない。万が一、三好家が暴走した際、あるいは自分が捨て駒にされた際、特定の石を抜けば土砂が逆流し、一瞬で港を機能不全に陥らせるための「自爆スイッチ」であった。

「……毒を喰らわば皿まで、か」

 四歳の小さな手で、三郎は暗闇の中、冷たい石をなぞった。

 平和を願う心が、一歩、また一歩と、三郎を冷酷な工学者エンジニアへと変貌させていく。

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