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第八話:断崖の要塞

天文四年 如月 / 西暦一五三五年 二月

 勝瑞城での「盟約」から数日後。三郎は、勝浦川の上流に位置する「断崖の砦」に立っていた。

 三好家の当主・孫次郎から「賓客として守る代わりの試練」として突きつけられたのが、この崩落寸前の要衝の補強である。

(……地質は脆い結晶片岩の層。雨が降れば表層崩壊を起こしやすく、今のままでは大軍を支える石垣すら組めない。孫次郎がここを選んだのは、俺の『泥』の実用性を極限状態で試すためか)

 三郎は柳斎を伴い、現場の測量を開始した。四歳の体では一歩歩くのも重労働だが、前世のエンジニアとしての目は、地形の弱点と「水の道」を的確に捉えていた。

「若君、三好の工兵たちが不満げですぞ。足利の幼子に指図を受けるなど、武士の面目が立たぬと」

 柳斎が崖の上を指差す。そこには、三好家が送り込んできた石工や土木作業員たちが、腕を組んで三郎を睨みつけていた。家格では三郎が上だが、現場を預かる荒事師たちにとって、四歳の子供はただの邪魔者でしかない。

「……彼らには『目に見える結果』が必要です。柳斎先生、まずは地盤を固めます。あの粉の用意を」

 三郎が着手したのは、前世の「地盤改良」の概念を応用した基礎工事だった。

 まず三郎は、砦の土台となる地面に深く穴を掘らせた。そこに、セメントの代用となる「石灰と焼き粘土の粉」を大量に投入し、現地の土と力任せに混ぜ合わせる。

「おい、坊主! そんな粉を土に混ぜて何になる! 土を汚しているだけではないか!」

 石工の親方が怒鳴り込んできた。三郎は無表情に、捏ね上げたばかりの泥土を親方の足元に広げた。

「おじさん、明日まで待って。もしここが石より硬くなっていなかったら、好きなだけ私を笑えばいい」

 四歳児の放つ、あまりに冷徹な言葉に、親方は気圧されて口を閉ざした。

 翌朝。

 現場を訪れた親方が、昨日三郎が混ぜ合わせた場所を自身のつちで叩いた。

 ――カキィィン!

 火花が散り、槌の方が弾かれた。泥だったはずの地面は、化学反応によって「岩」へと変貌していた。職人たちの間に戦慄が走った。彼らにとって、それは理屈を超えた神業だった。

「……驚いている暇があったら、作業を続けて。次は石垣だ」

 三郎は、積み上げる阿波青石の隙間に、粘土状に練った水硬性石灰を詰め込ませた。さらに、石垣の裏側に砂利を敷き詰め、青石を中空に加工した「排水管」を幾本も通した。

(石垣をただ積むんじゃない。接着し、内部の水を逃がす。これでこの崖は、嵐が来ても崩れない『一つの巨大な岩』になる)

 三郎の指揮のもと、職人たちは三郎を「土鼠の神子」と崇め、狂ったように作業に没頭し始めた。

 そして一ヶ月後。

 もともと崩落寸前だった「断崖の砦」は、白灰色の強固な外壁に覆われた、異形の要塞へと生まれ変わった。視察に訪れた孫次郎は、その光景を見て絶句した。

「……三郎殿。お主は、山そのものを石に変えてしまったのか」

「孫次郎。これで、細川の兵が何千来ようと、この崖を崩すことは不可能だ。登ろうとすれば、この滑らかな壁に爪を剥がされるだけだ」

 孫次郎は、三郎の小さな手を握りしめた。その手は、四歳児のものとは思えぬほど、石灰で荒れ、タコに覆われていた。

「……恐ろしい童だ。足利の血が、これほどの『怪物』を生むとはな」

 三郎は、孫次郎の称賛を冷めた気持ちで聞いていた。

 自分が造ったのは、砦ではない。自分の命を繋ぎ止めるための、巨大な「檻」だ。

 その成果を遠くから見ていた兄・幸若の瞳には、もはや隠しようのない殺意が渦巻いていた。

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