第06話 剣と精霊
王都騎士団の訓練場に、朝の淡い陽光が差し込み、冷たい空気をやわらかく温めていた。
剣戟の音が乾いた風に溶け、若き新兵たちの掛け声とともに響き渡る。
ぎこちない動きの中にも、ひたむきな気迫がにじんでいる。
その一角で、アリサも汗をかいていた。
***
騎士団の新人には、まず徹底した基礎が叩き込まれる。
訓練と教練。──身体を鍛える訓練、礼節と戦術を学ぶ教練。
教練の担当は、あのベアトリスだと聞いたとき、アリサの胸はときめいた。
入団式は政庁の用務で欠席だったというが、あらためて壇上で紹介された際には、場が一瞬静まり──次の瞬間、どよめきと感嘆のため息が広がった。
ミレーヌが「集中しなさい!」と叱り飛ばしていたのも今では微笑ましい思い出だ。
──そんなベアトリスと事前に言葉を交わしていた自分は、ほんの少しだけ誇らしかった。
一方、訓練の教官はクラリス=ヴィエール。
鍛え上げられた身体。澄んだ眼差し。引き結ばれた口元。
普段は流れるような金髪も、この場ではきっちりと結い上げられ、彼女の凛々しさをより際立たせていた。
美しい──だが、その前に“強い”。
見惚れるよりも先に、肌で感じるその「武」の気迫が圧倒的だった。
新兵たちのなかにも、彼女の毅然たる姿に憧れを抱く者は少なくなかった。
もちろん、アリサもその一人である。
──けれど、淡い憧れは現実に容赦なく叩き潰された。
訓練を一言でいえば、苛烈。
新兵のなかには剣に覚えのある者もいたが、その自信は初日のうちにきれいさっぱり砕かれた。
一歩も踏み出せぬまま打ち据えられ、転がる──それが現実だった。
重装備をつけたままの長距離走。
走り終えたところで剣を交え、また走り……。
途中から考えることを放棄して、ただ身体を動かすだけの存在になっていく。
クラリスはというと──
誰よりも重い装備をつけて駆け、全員の剣を受け、一人ひとりに的確な指導を施す。
訓練が終わって新兵たちがその場にへたり込んでも、彼女はなおも黙々と自主鍛錬を続けていた。
重剣を片手で操り、新兵たちの渾身の一撃を──まるで羽でも払うかのように受け流してしまう。
何人相手にしても息ひとつ乱さなかった。
正義は筋肉に宿る。
アリサはクラリスの背中にその言葉を見た。
ある日。
訓練後の小隊控え室。
机に突っ伏したアリサは、疲労困憊のままぽつりと呟いた。
「騎士って……みんなクラリス教官みたいに強いんですか……?」
フレッドは苦笑い。
カインは遠い目をして、何も語らず。
アーサーは肩をすくめて言った。
「あんな化け物、何人もいてたまるかよ」
そのひと言に、ロイもぐったりと頷いた。
「クラリス教官みたいな人ばっかりだったら、戦争にすらならないよ……」
アリサは弱々しく微笑んだ。
──けれど、胸の奥で、ほんの少しだけ。
「あんな風になりたい」という気持ちは、なぜか消えていなかった。
***
午前の訓練が終わる。
すでに体力は限界。
食欲など湧くはずもなかったが、無理にでも昼食を詰め込み──そして午後もまた、地獄の続きか……と覚悟した矢先だった。
「午後は訓練は行わない。検査だ。休憩後にここに集まれ」
そう、クラリスから淡々と告げられる。
新兵たちの疲れた頭には理解が追いつかなかった。
だが。
……え? 走らなくても……良い?
次の瞬間には、まるで幸いの鐘が鳴り響いたかのように顔がほころび、そっと互いの手を取り合っていた。
***
午後は、魔法適性の確認が行われた。
「さて、皆さん。ここからは魔法適性の確認に入ります」
そう言って進み出たのは、リュシアンだった。指導補佐として、魔法分野の確認を担当するらしい。
女性新兵の中には、リュシアンを見て「可愛い〜」と声を上げる者もいたが、クラリスが一瞥した瞬間、全員が直立不動となり静まり返った。
一瞬にして空気が引き締まる。
場が落ち着いたのを確認してから、リュシアンは魔法についての解説を始めた。
「この世界で扱われる魔法の多くは、“精霊”を媒介にして発動されます」
彼が片手を掲げると、ふわりと風が巻き起こり、アリサの頬を優しく撫でていった。
「人間だけの力で制御できる魔法は、とても小さいんです。大きな力を扱うには、精霊と“契約”を交わして、その力を借りる必要があります」
アリサは目を輝かせた。
(精霊と契約……なんだか、おとぎ話みたい)
リュシアンは続ける。
「でも、“契約”ができるのは限られた人だけ。……僕も、まだ契約まではできていなくて、ちょっとだけ精霊に応援してもらえる程度だけど」
照れたように笑い、もう一度手を振る。
すると今度は小さな風の渦が起こり、花壇の花びらがひとひら舞い上がった。
その美しさに、アリサは思わず息を呑んだ。
「……すごい」
「ほんとだよな」とロイも声を漏らす。
そこへクラリスが静かに歩み寄り、補足した。
「精霊とわずかでも通じ合えるのは、ごく稀な素質を持つ者だけ。その力は、間違いなく才能だ」
リュシアンは頬を赤らめ「そんな、大したことじゃ……」と呟いて視線を逸らした。
アリサの胸には、初めて魔法に触れた高揚感が残っていた。
「……私も、少しでも使えるようになりたいな」
知らず、声に出していた。
それを聞いたリュシアンは、アリサに視線を向ける。
「じゃあ、試してみようか。アリサさん」
そう言って、穏やかに促す。
「はいっ!」
アリサは示されたとおりに水晶球へ手をかざし、意識を集中させた。
──そのとき。
背筋をすっと冷たいものがなぞるような気配が走った。
(……いま、私……見つめられてる?)
胸の奥に、誰かの想いがそっと降りてくるような、不思議な感覚があった。
水晶球には青白い光がぼんやりと浮かび上がり──だが、一瞬で掠れるように消えてしまった。
リュシアンはその反応を見て、ほんの一瞬、表情を曇らせた。
「アリサさんは……ん……努力次第、かな」
明らかに気を使った言い方だった。
アリサは、その僅かな間にすぐ気づいてしまう。
「ダメ……なのかな?」
ぽつりと漏れた声に、リュシアンは戸惑った。
子犬のような瞳がこちらを見上げてくる。
(……正直に言うべき、なんだよな)
リュシアンは一瞬迷う。
だが──アリサの真っ直ぐな眼差しに、きつい言葉を返すことは、やはりできそうもない。
けれど。
リュシアンの心に、小さな引っかかりが残っていた。
(……なぜだろう。魔法適性はないはずなのに──精霊が、“アリサさんを見つめている”ような……)
わからない。
リュシアンは微笑むしかなかった。
「大丈夫。努力だよ、アリサさん。精霊は、ちゃんと見てるから」
結局、同じ言葉を繰り返していた。
***
全員の検査が終わり、控室への帰り道。
ふと、リュシアンがアリサの横に並んできた。
「ねえ、アリサさん。さっきの検査だけど……」
「ん? どうしたの、リュシアン。なにか変だった?」
少し言い淀むリュシアン。
言葉にしきれないもどかしさが、その目に浮かんでいる。
「アリサさんのまわり……なんていうか、精霊の気配が、すごく近かったんだ。普通はあんなに感じないんだけど……」
ぱっと、アリサの目が輝いた。
「もしかして……私、魔法の才能があるの!?」
リュシアンは、しまった──と内心で頭を抱える。
不用意に期待を持たせてしまったかもしれない。
「い、いやっ。それとはちょっと違うと思うけど……」
アリサは「なーんだ」と肩を落とし、それでも明るく笑った。
「でも、大丈夫だよっ。私、体は鍛えてるから! 魔法がなくても、きっと強い騎士になれるんだから!」
そう言って、ぐっと右腕に力こぶを作って見せる。
その無邪気な強さに、リュシアンも思わず顔がほころぶ。
ささやかな笑いが、ふたりの間に広がる。
──そのとき、リュシアンは胸の奥に、ほんのわずかな温かさを感じていた。
それはアリサの言葉のせいか、それとも──
精霊の気配とともに流れこんできた何かなのか、自分でもわからなかった。
***
その頃──
砦では、俺がホワイト改革の第一歩に浮かれたのも束の間、さっそく次なる壁にぶち当たっていた。
「……それで、略奪をやめてどうやって生きて行くのかしら?」
ヴィオラが鋭い視線をこちらに突きつけてくる。
何も考えていない──
それだけは、絶対に言えなかった。




