真実の解体者
霖子を率いてやってきたのは親友が書類を遺した洞窟の最奥。真横の通路は十年後鳳介の手によって塞がれたが、十年前はきちんと通じている。
「こんな場所に連れてきて、一体何をするおつもりですか?」
「俺と手を繋いでくれ。一応聞くが、まだレコードは持ってるよな」
「まだも何も……」
「ああいや、分かってる。一応確認しただけだ」
真横にある扉の方を向いて持ち出してきた白蛇の仮面を被ると、程なくして扉の奥から同じ仮面を被った少女が現れた。
「答えは、決まったようだ」
少女は扉を開き、奥の道を目指せと指をさす。握りしめた彼女の手を引いて、ゆっくりと奥の扉を開くと。
天玖村全体が最高潮の盛り上がりを見せていた。
「…………これは」
「知ってるか?」
「祭りの日。儀式の当日です」
小さな村だ、この村は。だが今宵の盛り上がりと来たら、村の外れにあるここからでも容易に理解出来た。酒をかっくらい、肉を貪りまた酒を。焼いた魚は丸焼きに、山の様に盛られた山菜に手をつける。行儀なんてものはない。今日は無礼講なのだろう。あのイカレた村の住人とは思えない程に清々しく、無邪気に暴れていた。
「…………お母さん」
童心に返る霖子。それは文字通りの意味ではない。タイムマシンが製作出来ない以上彼女はどうやってもこの日には帰れなかった。戻れたなら雫を殺す必要がない。彼女の口調が子供っぽくなったのは、心までもがあの日のやり直しを望んだ結果なのだろう。
「因みに聞きたいんだが、母親は何処に居るか分かるか?」
「それは……分からない。私達は儀式の途中で乱入したから」
「そうか。じゃあその手は使えないな。大丈夫、居場所に心当たりはあるから」
「……え?」
狭いコミュニティだ。見ず知らずの人間が混じってもすぐバレてしまうだろう。俺はかつて綾子と通った道を思い出しながら外周を回り込み、村長の家の裏口に辿り着いた。
―――家の構造を思い出せ。
家が広い生で誰も違和感を持たなかった。存在しないフロアがあるなんて、そういう事前情報がなければとてもとても見つからない。裏を返せば、知っているなら特定可能だ。俺は裏口の角に石を置いて応急処置的に扉を塞ぐと、真横の壁に向かって、手を突いた。
「リン。ここ破壊してくれ」
「え。何でそんな。バレると思うけど」
「最先端の身体の動かし方なら、音を最小限にして壊せたりしないか?」
「…………どいて」
俺は裏口を背中の凭れに霖子を見守る。童心に返ろうともそのスペックは人類最先端。てっきり殴って破壊するものと思っていたが、彼女は二本指だけを容易く突き立てると、ゆっくり下に下ろして壁を剥いでいく。ギギギと微妙に大きな音が今にも俺達の存在を露見させてしまいそうで緊張が走る。が、この日は祭りの当日だ。多少の物音は不審がられない。明らかな破砕音とかならまだしも、壁が少し悲鳴を上げる程度だ。
縦軸の穴を作ると、今度は横軸。×の字を描くように壁を引き剥がして、ようやく人が一人通れる穴が作れた。先導して俺が中へ。遅れて霖子も入ってくる。
あの時から、おかしいとは思っていた。
牢屋の中で拘束衣を見つけた時、それが雫のだと俺は思った。大正解だ。そう、あれは確かに雫が着ていたもの。だが食べられそうになったのは母親であって雫ではない。だのに拘束衣自体は牢屋の中にあった。つまり着用者は元々、牢屋に居た。食べやすくなる為に全裸だったのかもしれない。
その辺りは想像したくもないとして。
「…………だ…………れ……?」
記憶とは五感全てで感じた情報の事だ。つまり面識さえ有れば記憶に出て来ても不思議ではないのだが、その弱々しくも可憐で、今にも消えてしまいそうなか細い声は聞いた事がある。
「……村の…………人?」
骨肉の露わになった四肢と切り開かれた喉と詰め込まれた小銭。普通の人間なら死んでいる所だが、女性は意にも介していなかった。
霖子は言葉を失って、その場で尻餅をついた。
「……こんばんは。約束通り、助けに来ました、『七凪雫』さん」
切り刻まれた両目を修復し、女性の声に生気が宿る。
「ああ…………ようやく、助けに来てくれたのね」
『七凪雫』。
俺の恋人ではない。二人の母親の名前。話はずっと簡単だった。半分こ状態の薬子と雫を一人、二人と頭数にしたのが誤解の原因だったのだ。アカシックレコードの言っていた『三人目』とは彼女の事。
二人がレコードを半分に分かつ前なら、レコード所有者だ。
「……お、お、お、お母さん!」
「あら、りんまで……大きくなったのねえ」
「わ、わ、わ、わ、わた、わた、わたわたわたわたし、あ、あああああ。ああああ」
「思えば、あの時からでした。俺の昔の記憶が蘇るようになったのは」
取り乱す霖子をよそに、俺はこの事実に気付いた経緯を二人に説明する。
「アカシックレコードはあらゆる情報の宝庫。そこには記憶や感情と言った目に見えないものも含まれる。二人の状態から判明しました。初めてしず……響さんと出会った時、俺は一度殺されたんです。前日に巻き戻されて事なきを得ましたが、きっとその時ですよね。響さんのレコードの力の欠片が俺に混じったのは」
俺は一度死んだ。魂もまた情報だ。目に見えない概念。アカシックレコードの内側にあるが故に、それを強制的に巻き戻し肉体へ返還すれば、どうしてもレコードの残滓は残ってしまう。だからあの日以降、俺は忘れていた親友二人の記憶を思い出すようになってしまった。レコードと繋がった事で、記憶の封印が強制的に解かれたのだ。
それを証明する事実は、ある。俺がレコードの修正に素面で引っかからなかった事だ。七凪響が生存していて、まだ力が失われていないなら説明がつく。それに、今まで誰も気づかなかった現実の歪みに気付いてしまったのもこれのせいだ。
「でも、響さんには過去を見せる理由がない。だったら貴方しか居ない。貴方は響さんが頼った俺に何かを賭けて、助けを求めたんじゃないんですか?」
「そう……ねえ」
「レコードの力で過去に飛んだ時、俺に鼠支配の力を与えたのも貴方ですよね。俺は七凪雫だと思っていましたけど、それは別の意味で正解だ。何故なら貴方の名前も『七凪雫』だから」
「ゆらは……元気?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! お母さん! 私、響を……!」
「何も言わなくて、いいのよぉ? りん。全部見てたの。神様の脳みそを通して」
「うう、うう、うううううううううう!」
遂に霖子が感情を隠さなくなった。無表情などどこへやら、美人が一瞬で台無しな程に号泣している。
「私は、二人が心配だったの。たった二人の生き残りなのに、喧嘩するなんて。ずっと仲直りしてほしかった。だから、貴方に頼りました」
「……因みに、他の心当たりがない幻覚については?」
「ごめんなさいねえ。それは私の。脳みそを持ってると、どうしてもねえ」
やはりそうだったか。
それなら全て説明がつく。母親は全部お見通しだったのだ。自分が死ぬまでの二人の想いと、これからのすれ違いを。それでも彼女には何も出来なかった。何故ならこうしてメインディッシュになる寸前だったから。
「ねえ、りゅうまさん。助けてくれるなら、お願いを聞いてほしいの」
「何ですか?」
それは俺の脳内にのみ囁かれた。彼女には聞かせたくなかったのだろう。奇しくも俺の目指した最善と同じ。それが可能だと分かった瞬間だ。
「…………分かりました」
「お母さん!」
鉄格子を捻じ曲げて霖子が牢屋に飛び込んだ。血肉臓腑に全身が穢れるのも厭わず、彼女は力一杯母親を抱きしめた。母親はボロボロの四肢で力なく抱き返し、指の無い手で娘を撫でていた。
「助けられなくてごめんなさい! 困らせちゃってごめんなさい! 私、私お母さんを助けたかったの! その為には誰が死んでも良かった! 誰が……響だって! ううう、ううう……!」
「いいのよ、りん。最期にこうして会えるなんてよかった。ゆらにも言いたかったけど、それは彼に任せようかしら」
「でも、お母さん! このままだと私と響がお母さんを食べて……」
「そうは、ならないわ」
刹那、あれだけ騒がしかった音が瑞々しい爆発音と共に凪いでしまった。俺は唇を噛んで背を向ける。
これで良かったのだ、と。
「な、何!? 何したの!?」
「―――お前のお母さんは、たった今、村中の人間を全滅させた。お前達を除いて、全員殺したんだ」
「!?」
結果をそのままに過程をすり替える。
七凪雫が村人を皆殺しにして死ぬ結果をそのままに。
二人がレコードを取得する過程を変える。
元々死にかけだったのなら、これが最善だと……思ってしまった。他人だから。二人の感情を何も知らなかったから。こんな残酷な決断が下せるのだろう。アカシックレコードを失えば修正がかかる。響と霖子は十年前に戻ってもう一度歴史をやり直す。
鳳介は死なず。
二人は母親を食べないで生き残る。
惨劇の被害者として保護されるかもしれない。二人で路頭に迷うかもしれない。未来の記憶と能力を失った二人がどうなるのか、俺には想像もつかない。
「……じゃあ、ね」
「お母さん!!」
霖子の姿が消えうせる。過去の記憶を失ったのだ。そこに残るのは仮面を被ったままの俺と、『七凪雫』だけ。
「…………私も、結構好みよ。りゅうまさん」
「ありがとう……ございます?」
「ふふふ……♪ 二人を宜しくね? 私の代わりに、守ってあげて。貴方に託すわぁ」
「―――はいッ。任せてください」
「貴方の『罪』は、俺が全て引き受けます」
それが真実を解体した者に相応しい末路。
死刑囚を愛してしまった、哀れなる男の因果が廻ったのだ。




