それでも俺は、罪を愛する
『霖子!』
『久しぶりね、響。まだ逃げるつもり?』
『私は彼と一緒に逃げる。幸せに暮らすんだ、何もかも忘れて』
『殺人中毒の貴方に、今更幸せを求める権利があると思うの』
『…………』
『響。分かってるでしょ。貴方が居る限り、向坂君は幸せになれない。どうやって取り入ったか知らないけど、いつか愛想を尽かされるよ』
『彼はそんな人じゃない!』
『貴方の為に言ってるの。自分でも分かってる癖に目を逸らさないで。その好きな人を殺すかもしれないのに』
『…………』
『お願い。彼を好きって言うなら、大人しく私に殺されて。本当に彼が好きだったら、離れて。二度と近づかないで』
それがあの夜、俺が呑気に眠っている間二人で交わした会話だった。
俺の為。
だから悔いが無かった。俺が幸せになる為にも自分に嘘を吐いた。筋は通っている。彼女は自分を騙して、俺を助けようとしたのだ。
「……雫は最後に、私を見つけてほしいと言いました。確かに、リンの言う事は正しいのかもしれない。雫は本当に殺人鬼で、人を殺さなきゃ自分を見失うような異常者なのかもしれない。でも俺は、そんな雫を好きになったんだ。新世界だか何だか知らないが、俺はこの世界で雫と結ばれたい! 絶対、幸せにするんだ」
「…………殺人鬼が好きなのですか?」
「雫が好きなんだ」
「―――言い方を変えましょう。貴方の話を聞く限り、貴方の隣で殺人をすることを好んでいない。しかし殺人中毒が収まったとも思えない。向坂君、正直に答えてください。響は人を殺しましたか?」
「…………俺を助ける為に、何人か。でもそれは、そうしないと俺が……」
「殺しは殺しです。私が計画を止めても殺人中毒は治らない。貴方は雫の異常と死ぬまで付き合わなきゃいけない。或は貴方が殺されるかも。それでもですか?」
「どんな罪を抱えていても、俺の愛は揺らがない」
映画を見たあの時に言った言葉。
俺は、本気で言った。今思えばあの時は何も知らなさ過ぎたが、何度でも繰り返そう。何度でも、何度でも、何度でも、何度でも。
雫が俺を好きかどうかなんて些細な問題だ。大切なのは事実と真実。俺は雫の味方で、俺は雫が好きだ。それだけで十分。何も要らない。難しい話は持ち込まなくていい。説得が無駄と分かってしまったのか、薬子が血を足すのをやめて、傷だらけの手首を拳と共に構えた。
「―――貴方の意思は分かりました。そろそろ話すのをやめましょう。お互い、説得は無駄でしょうから」
「俺が腕っぷしでお前に勝てるとでも思ってるのか?」
「護堂を呼んでいるなら代わっても構いませんよ。捻じ伏せますから」
呼ぶ暇をそもそも与えてくれるのか。
まあ、彼を呼ぶという選択肢は端から無い。実力行使でどうにかならない以上、俺には無駄と断じられた説得を続けるしかない。霖子の卑怯な手には乗っからない。俺達はまだ互いの情報と想いを伝えあっただけだ。それは説得ではなく、その前段階。
ここからが説得だ。
「……九龍所長! 出てきてください!」
大声を上げると、彼女を挟むように対面から所長が出てきた。顔は布を覆ったままで、霖子は見もせずにその存在を感知している。
「どうですか? 嘘はありましたか?」
「嘘はないね。けれどまあ、意図的に隠してる情報があるね」
「ほう」
「七凪霖子。地下室の設備から君がどうやって新世界を作ろうとしているかは分かっている。だから聞こう。君はどうするつもりなんだ?」
―――どうするつもり?
どうするもこうするも、新世界で生活するんだろう。お母さんに会いたい、雫の精神を治したい、村を否定したい。彼女にとっては何もかも完璧な世界。理不尽も不都合もない、調和だけの世界。
「所長、何が言いたいんですか?」
「七凪雫のそれと違い、彼女の力は科学だ。最先端故にインチキ染みているがその効力にはルールがある。地下にあった設備とアカシックレコードを使って世界全体を覆うつもりなんだろうが、そんな方法で修正すればただ一人仲間外れが発生する。君だ、七凪霖子」
―――そうか!
世界が行う『修正』とはレコードを参照して行われる。霖子の新世界とは本来世界が行うべき『修正』の主導権を彼女が取って塗り替えてしまうと言えば分かりやすいか。だがレコードはレコード自身を修正出来ない。もし霖子が世界を塗り替えれば、彼女は只一人古臭い現実に取り残される事になる。
「リン、お前……」
「…………私は、願いを叶える為に人を殺し続けました。そんな私が新世界に行ってしまっては、あのクソッタレの村と同じじゃないの。行く訳ない。私は運営側。未来永劫人類を管理し続ける責務がある。それが私に与えられた罰」
「お前それじゃ……何の意味もないだろ! お前のお母さんも雫も! お前が居なかったら幸せになんかなる訳ない!」
「話を聞く限り、僕的には民話よりも君の方が筋金入りの自己犠牲ウーマンなんだが」
「私には資格がありません。それともまさか、向坂君が資格をくれるとでも?」
「君は分かってて言ってるね。出来やしないと。意地悪だ」
俺の親友はレコードを返還する方法を遺していた。勿論その方法を使うと読んでの事だ。アカシックレコードは一瞬だがこの地に移動した。だから現代では雫の記憶を受けてとんでもない場所になっていたし、霖子はここでレコードを抽出しようとしている。
だが。
しつこいくらいに言おう。レコード所有者の行動は修正出来ない。霖子は雫を一度殺して退場させる事で殆どの人間の記憶から七凪雫死刑囚を消し去った。互いに利点を潰し合う所有者は邪魔だった。
ここで大切なのは、親友の遺言だ。彼は言っていた。『正しい歴史じゃない』と。それは言葉の綾かもしれないが、俺の知る鳳介なら死に際に誤解を招く言い方は避けそうなものだ。しかしそれだと彼は矛盾した行動を取っている事になるが…………気付かなかったのだろうか。
レコードを二人から取り上げれば、その瞬間俺と霖子の敗北が確定する。
正しい正しくないの基準はさておき、雫が生き残ってしまったのはこの村に取り残された鳳介が助けたからだ。レコードはこの地全体にも及んでいる為世界は何の干渉も出来ない。本来十年前に死ぬ筈だった女性が十年後に生存している事実が、今までの事件を生んだ。
この地でレコードを返還させるという事は、この地そのものからも返還させるに等しい。修正力の及ぶ所となった過去はこの世界にとって都合が悪い。直ちに修正されるだろう。レコードが生まれた日はいつだ? それは霖子が言った通り、母親の身体を食べた時だ。きっとこの世界は母親の身体を食べさせないか、食べた瞬間に殺される未来へ修正を掛ける。
そうすれば正しい歴史が訪れる。俺と綾子は絶交せず、鳳介も死なない。二人の事を―――忘れるだけ。
「………………出来る」
「……ん? おい、柳馬君。嘘は良くないぞ。俺達にそんな手段は」
「あるんです。多分、一個だけ。でもそれは……リンの望む物じゃない。新世界は作らせないし、雫は奪わせてもらう。でも……お前の夢は叶えられるかもしれない」
「私の夢?」
「もう一度お母さんに会いたいんだろ。それくらいなら、出来ると思う」
信用出来るかどうかはお前に任せると言わんばかりに。敢えて沈黙を挟む。俺の最善を実現する為にも、ここに敵が居てはならない。『全員』と協力して初めてハッピーエンドは姿を見せる。霖子は唇を噛みしめながら差し向けられた沈黙を享受する。表情の変化は乏しいが俺には分かる。悩んでいるのだ。
卑怯と言えばいい。俺はどちらが発端とも知れぬ想いを利用しているのだから。
「俺の事が好きなら、信じてくれ」
「…………信じられません。アカシックレコードもない貴方がどうやって私の願いを叶えるつもりですか?」
「俺は本物の『白蛇の仮面』を持ってる。騙してすまん」
「仮面が何だというのです。それは過去を変えられるのですか? 結果を無視して過程だけをすり替えられると? 確かにレコードを抽出する為には必要ですが、裏を返せばそれ以外の使い道がない。何の説得力もありません」
―――え?
いやいや、デザインは全く一緒だ。実際に効果があった以上、本物とばかり思っていたが違うのだろうか。え、じゃあこれは何?
不味い、この仮面が霖子の知る物と違うなら説得力は皆無だ。やはり俺の言葉を信じろとしか言えない。何故、いや、何でこうなった。この一手を超えられれば説得は精巧なのに、最後のピースだけが足りない!
「あー…………えーと……」
「冗談ですよ」
「えッ」
「この地に来て初めて理解しました。私達は既に二度出会っていますね。十年前と三年前です。考察するにその仮面には過去に戻る力があるようですが、気軽に歴史を変えられるなどと思ってはいませんよね? 些細な行動で変わるような節目なら私はここまで悩んでいませんよ」
ぐうの音もでない正論だ。俺みたいな奴が何とか出来るなら最先端技術を扱えずとも彼女だって解決出来る。タイムマシンは作れないにしても、あの日あの時あの場所で、もっと良いやり方を思いついた筈だ。
「村が滅びる直前に戻れると仮定しましょう。響も私も貴方に対して面識がないので協力出来ません。私達の代わりに村人を皆殺しにでもしてくれますか? 出来るとは思えませんね。出来たとしてもあなたは殺人鬼、幼き私が殺そうとするでしょう。お母さんを奪って村から出ますか? それもやはり、貴方には出来るとは思えない。お母さんも同意はしないでしょう。愚かにも信心深い人でしたから」
ありとあらゆる手段を先回りして潰される。批判的スタンスになった霖子に容赦はなかった。
「私達の代わりにお母さんを食べますか? 貴方も一緒に殺します。それとも私達を止めますか? 単なる不法侵入者として村長が殺すかもしれませんね」
そもそも歴史が歪んだのは滅んだ直後の鳳介の有無なので、そこまでは間違いなく正しい歴史。二人の母親が死ぬまでは修正を掛けようにも掛けられない。彼も言っていただろう。適当に過程を変えても死因が変わるだけで死ぬ未来は変わらない。やれるとするなら結末をそのままに過程を変える事。
分かりやすく言おう。母親が死ぬ未来だけは変えてはならない。変えられない。
もう一度会いたいというのは、要するに生きていてほしいという願いの現れだが、それだけはどうしても出来ない。俺が仮面に頼れるのは恐らく一度きり。実際は分からないが、複数回使えるかもしれないという楽観的な想定に何の意味がある。気が楽になるだけで、リスクを拾った時の絶望は凄まじい。
「…………お母さんに別れとか、言ったか?」
「そんな余裕、あったと思いますか?」
「それくらいの時間なら、作れる」
霖子の視線が反対側に向いた。九龍所長が自分を指さしてその視線を確認した後、百目の相を外して言った。
「僕は都合の良い道具ではないんだがね。まあ彼も嘘を吐いていないよ」
「…………貴方が嘘を吐く可能性もありますが」
「まあ、信じるかどうかは君次第だ。ただ、僕は仕事に対して嘘は吐かない。これも『彼の素性を調べる一環』なら、ね」
「………………」
霖子は初めて陣の外に足を踏み出した。
「私は貴方を散々欺きました。それでも手を取り合えると信じているのなら―――とても愚かです。馬鹿です。しかし―――」
「よくよく考えれば貴方が失敗しても私は新世界構想を進めればいいだけの話。貴方を信用している訳ではありませんが、乗ってみましょうか」




