Liar's best friend
村長の家に戻ると、集まった皆は散って、部屋には綾子しか居なかった。彼女は当てもなく物を探しているというよりも一冊の本に気を取られていた。それは過去、彼女が解読不可能と言って投げた本だ。解読には文字表が要るらしい。
「綾子」
「あ、リューマ。何かあった?」
「まあ、色々な。所で綾子、その本だが……」
「これ? 儀式のやり方について書かれてるわね。何の儀式かはよく分からないけど……」
「文字表がいるんじゃないのか?」
「文字表って……五十音の? 馬鹿にしてる?」
「何で俺と同じ事言ってんだお前は。偽装文字があって読めないから専用の文字表が必要なんじゃないのか?」
「はあ?」
会話がかみ合わない。お互いに怪訝な顔をしていたのだろう。本を見せてもらうと、確かに普通の書物だ。日本語で書かれている偽装文字の『ぎ』の字もない。至って普通の埃まみれの書物。長い時間かかりそうだが読めない訳ではない。
―――はあ?
統一されていると思った情報に相違が生じるとどうしても混乱する。滅んだ直後にあって、今は無い。何の意味がある? 逆なら話は分かる。この家で行われていた儀式は十中八九アカシックレコードを村長に譲渡する為の儀式で、それを明かしたくないから塗り潰すと、理に適った行動だ。どうして逆になる。それをして誰がどう得をしたのだ。
「で、そっちは?」
「鳳介の居場所が分かった」
表情が変わる。儀式のマニュアルなどどうでも良さそうに放り投げて、俺の両頬を掴んだ。
「本当!?」
「ああ。ただ、こっちに来れないって事は捕まってるか出られない可能性が高い。俺達二人だけで行くのも危険だ、全員で行くぞ」
「……そうね。分かったわ」
先制して綾子の行動を抑える事に成功した。すべき行動はハッキリしている。全員に事情を説明して協力を仰ぐのだ。本当は深春先輩とマリアを探したいが、二人は綾子にとってどうでも良い他人だ。俺達と同じように区画を渡り歩いていた緋花さんが出会わなかったなら、きっと二人は檜木さんに保護されている筈。
信じよう、仲間を。
祭具室を後に寝室と思わしき場所へ、人聞きの悪い言い方をすれば俺と綾子が全裸で抱き合った場所だ。雪奈さんが箪笥を開けて中を漁っている。
「雪奈」
「サキサカ。収穫はない」
「いや、それはいいんだ。なあ雪奈、今深春先輩とマリアが行方不明だろ。お前的にはどう思う? もう手遅れとか、檜木さんが保護してるとか」
「センパイが保護してるならむしろ合流してる」
それもそうか。檜木さんはよく分からないが一足先に向かっていたり事務所の仕事を一人で解決したりととにかく単独で行動している事が多い。動きやすいのだろう。知識も碌にない二人を引き連れて歩くのは確実に足手纏いだ。
挨拶も程々に今度は会長の下へ。会長は祭具室から持ち出した道具を使って別の部屋で陣を描いて再現を試みている最中だった。手には綾子が読んでいた本がある。
「会長、再現ですか?」
「ん、柳馬君か。いや、再現は出来そうにないよ。この祭具は偽物だ。本物を見つけるところからだ」
「そうですか……」
「しかし収穫はあったぞ。どうやら神の脳みそとやらの始まりはこの村に伝わる民話にあるらしい」
会長は本棚から一冊の本を取り出し、埃を叩いてから床に開いた。
それは遥か昔、飢饉に陥って苦しんでいた村に神の使いが訪れて、村人を救ったというものだ。神の使いは平和になった村を見ると去っていったが、それ以来村に危機が訪れると神の使いが必ず助けてくれるらしい。
「これがどうして脳みそになるんですか?」
「結論を急ぐな。この民話の事もあってどうやら天玖村は外部の人間に対してかなり寛容だった……というより神の使いが助けに来ないかもという恐怖で優しくすることを強いられていたらしいな。櫻葉君から聞いたが村長の家だって? 村の歴史についてかなり知ってそうだ」
「なんか言い方悪いですね」
「まあ、強いられていたとは言うが、人に優しくする事が苦痛で仕方ない人間は稀だ。いい村だったんだろうな」
名残はあるので嘘ではないだろう。外部に対応する係があるのは村の異常性を隠す為だとばかり思っていたが、昔からの風習と独裁をすり合わせた結果だったか。しかし所詮は民話だ。村に危機が訪れると助けるなんて馬鹿らしい。誰も助けなかったから滅んだのに。
「民話はそれだけですか?」
「いや? この家の家紋が白蛇を模した物なのはかつて助けた白蛇がこの家の人が餓死しかけた時に自らの身体を食料として助けてくれたからとかもある。関係ありそうに思えないけどね」
「それはそうだな」
そんな天玖村が何処で変わってしまったのか、会長曰くその本はないらしい。本棚自体もスカスカで万全とは言い難いので判明する事はないだろうとの見解を示している。過去に戻った時に本棚を調べておくべきだったか。しかしあの時は直ぐにオニが来たので、本棚を調べていたらクローゼットの奥から続く隠し通路に気付けなかった。トレードオフだ。
「深春先輩は無事だと思いますか?」
「無事だろう。緋花さんの話では七凪雫の記憶の再現だって? さっき聞いたよ。俺の気のせいならそれまでなんだが、年齢が進む毎に敵意が無くなってる気がするんだ」
「敵意ですか?」
「ああ。俺はゴミ捨て場で目覚めた。これは本当だ。君の叫び声を聞いた深春を追いかけたら足跡に騙されて焼却場に閉じ込められた。危うく殺されそうになったよ。壁が破壊出来なかったら詰んでたかもな」
「俺も処女懐胎させてくるヤバい奴に出会いました」
「だけどここには誰も居ないし何もない。安全そのものだ。まあ、厳密にはここに来るまで迷路に居たんだが、そこでも別に怖い事はなかったしな」
敵意が無い理由については心当たりがある。ここで彼女が取得した『回想』は鳳介との出会いを示すものだった。雫があの横井戸を通って脱出したなら時系列は関係ない。年齢はそのままに彼女は未来へ飛ぶ。
…………何か、引っかかるな。
「綾子、洞窟の場所覚えてるか?」
「ええ! 案内するわ」
村長の家を後に、俺達は洞窟へ一直線に向かった。畑の時点で過去の地図が役に立つと分かった瞬間から綾子は万能の地図だ。あんな使えない紙切れとは訳が違う。
「サキサカの親友に会うの初めて」
「全員初めてだと思うよ」
「死んだとされてたからな。当たり前だ」
「鳳介が生きてるなんて夢みたい!」
俺達の中で一番テンションが高いのは間違いなく綾子だ。デートを心待ちにしている女性もここまでははしゃがないだろう。空に浮けるなら今すぐに上って、そのまま天に召されてしまうかもしれない。
「綾子、洞窟に入る時は俺が先でもいいか?」
「え? 何で?」
「念の為だ。俺は……その、お前をよろしく頼まれてるからさ。危なくないなら全然何でもないんだ。後、訳ありとはいえ俺達に嘘吐いたのは許せないから一発殴る」
「奇遇ね。私も殴ろうかと思ってたわ。まさかリューマも同じ考えなんて知らなかったッ。いいわよ、譲ってあげる。でも加減はしてあげてね?」
「加減しないと俺の手が痛くなるんだ」
殴る事に慣れていないと骨の問題なのか筋肉の問題なのか分からないが、こっちの手が壊れる。でも俺達が今までどんな思いで生きて来たのかをたっぷりと思い知らせてやらなければ気が済まない。
「着いた!」
洞窟に来たのは三度目か。一度目は特に収穫もなく。二度目は鳳介が銃殺され、三度目はそんな親友との再会。
「じゃあ、先に殴ってくるわ」
「ええ。気を付けてね」
洞窟の中は静かなもので、俺の足音だけが響いている。あまりにも静かすぎて不安だ。本当にこの先に彼は居るのだろうか。この音は洞窟の奥まで反響している筈なので、そろそろあちらから声を掛けてもいいだろう。声を出せない状況にしても物音を立てるとか。
「うわッ!」
洞窟の半分を通り過ぎたかという頃、それはそれは綺麗な白骨死体が椅子に腰かけて座っていた。股の上で手を組んでおり、股の手前には手紙が添えられている。まるで門番だ。ここから先は通さないと言わんばかりである。
こうも綺麗に皮と肉が削げ落ちた白骨死体は見た事がない。かえって新鮮で、未見故に怖かった。おもちゃの白骨死体ならともかく、これは確実に本物だ。偽物にはない人の残滓をありありと感じられる。伽藍洞の瞳に見つめられるだけで『生』を吸い取られてしまいそうだ。
―――鳳介を捕まえた奴なのか?
動かない事を確認してから手紙を素早く取り上げる。
『この手紙を読んでるって事は、今は死んでるって事だ。悪いな、リュウ。お前の事だ、俺が生きてるかもなんて思ってるんだろうが、こればかりはどうしようもなかった。俺だってお前達の所に帰りたかったよ。でもあの子を、七凪雫を助ける為には仕方なかったんだ。どの道、俺は数年もすれば発見されて殺されるだろう。お前がこの手紙を見つける頃には確実に。だから―――』
「この嘘つき!!」
あらゆる期待と希望と感情が覆ってしまった。親友が生きているなど夢の話だった。死人は決して生き返らない。初めから死んでいた。その状態は何も変わらなかったのだ。俺達が馬鹿だった。親友を信じたのが間違いだった。
「なんでだよ…………! な˝あ……?」
喉が痙攣する。気づけば涙が零れ、膝から崩れ落ちていた。鳳介だった物は何も返さない。虚ろな瞳をじっと向けて沈黙している。
「お前が……お前が生きてるかもしれないから綾子は来たんだぞ!? お、おれ、俺だって……あ˝あ˝……あ˝あ˝あ˝。さ、最初から言えよぉ…………なんでメモ何枚も遺して…………お前は俺に、何を伝えたかったんだよぉ!!」
「鳳介、死んでたのね」
初めて命の危機に瀕した時よりも泣いていたせいだろう。背後から全員が近寄ってきた事には綾子が声を出すまで気付かなかった。感情をむき出しに嗚咽混じりの激情を露わにする俺とは対照的に、綾子の顔は死んでいた。声には抑揚が無かった。
「……私、帰るわ」
「え、ちょっと櫻葉君……!」
「こんな仕打ちってないだろおおおおおおおおおおお!」
「サキサカ……」
「…………………………信じた俺が、馬鹿だったよぉ……!」
「貴方が彼を信じなくてどうするの!? 後輩君ッ!」
「ホースケはリューマを裏切ってない」
「……深春!」
「九十星様」
洞窟の奥から現れた一組の女性。深春先輩とマリアだ。無事に生きていた事に喜ぶべきか、そんな場合ではない。今の俺は親友への憎悪と悲しみで頭がおかしくなりそうだ。もう一度心を壊すには容易い程の、心からの慟哭。
いっそ情けないくらい号泣する俺に唯一近寄ってきたのは、緋花さんだった。
「向坂様。手紙にはまだ続きがあるのでは?」
「ううううえええ……はぁぁひいいいいん!」
「どうか、結論をお待ちください。天埼様は貴方に恨まれる事を承知でこの手紙を遺したのです。そうでなければここまで綺麗に白骨は残さない。彼は自分の手で死んだと考えられます。私に出来る事であれば何でもいたしますので、一度心を平静にしましょう」
背中から回り込むように抱きしめられ、俺は緋花さんの胸の中で泣いてしまった。遅れて深春先輩が、マリアが。最後に雪奈さんがコートを俺に被せて、隙間を縫って会長が俺から手紙を取り上げた。
「君では読むのも難しいだろう。続きは俺が読もう」
『―――お前が七凪雫を救え。彼女は只の女の子じゃない。死刑囚だ。神律によって死を定められた哀れな少女。それだけじゃない。彼女は本来死ぬべき人間だった。それが本来の世界だった。七凪雫は正しい歴史において死ななければいけない。俺が死に、七凪雫が生きるこの状態は正しくないんだ。だから多分、お前の居る世界は少しバグってる。時系列に矛盾が生じたり、居る筈のない人物が同姓同名として存在したりしてるかもな。お前が助けたあの子は、村からも、親友からも、世界全体からも死を望まれた死刑囚なんだ。七凪霖子の新世界構想は確実に今後の世界を素晴らしいものにするだろう。あの子の死が世界を希望へ導くならあらゆる人間が死を望むだろう。死んで当然の死刑囚、死んだ所で誰も悲しまない。お前はどうだ、リュウ。一緒に過ごしてみて、七凪雫は本当に死刑にされなければいけない程の極悪人だと思ったか? 違うと思ったなら正解だ。あの子に死を定めたのはこの村の悪習とアカシックレコード。でもそれを知ってるのは俺とお前だけで、俺は死ぬしかなかった。今後もお前の力になる為には自死を前提に仕込みが必要だったんだ。もう、あの子の味方はお前しか居ない。洞窟の奥に横へ続く道がある。俺は反対側の出口を封鎖して村中の資料をかき集めた。アカシックレコードを返還する方法もある。二人からアカシックレコードを取り上げれば死ぬ理由も狙う理由もなくなる。今回の事も含めてごめんな。俺はいつもお前達に信じてみろよと無責任な事を言って、そのたびに苦労してきた。だから、もう言わない。今度は俺がお前を信じる番だ。お前ならきっと上手くやってくれると信じて、俺は死ぬ。魂が欲しいって幽霊も居る事だしな。だから』
「後は頼んだぞ、親愛なる向坂柳馬…………」
会長が手紙を白骨死体に戻した。
「以上だ」
「……………………………ふざけんなよ」
「……後輩君?」
「託されなくても、やってやるよ…………! 雫は俺の恋人だ。俺を助けてくれた恩人だ! 俺はあの人に生きててほしい、ずっと一緒に居たい……!」
かつて贈られたチョーカーを握りしめる。確かに、鳳介は俺を裏切った訳じゃなかった。『俺』ではなく『俺と雫』を救う為に誰の助けも借りず一人で戦っていたのだ。新世界構想なんて知るずっと前から、俺が廃人になっていた間も。一パーセントの勝ち筋を追い続けて託した。
「先輩とマリア。奥から来たって事は、この事を知ってたのか?」
「え、いや私とマリアちゃんは最初からここに居たっていうか……誰かの声が聞こえるまで出ないでって扉に張り紙されてたから、ずっと調べてたの」
「のっぺらぼうみたいなのに連れてかレたの」
…………アイツか。
「俺も行きます。親友の遺産を、無駄にはしない」
ブー、ブー、ブー。
誰かの携帯が鳴った。持ち主は雪奈さんで、スピーカーに切り替えつつ応答すると、ここに至るまで一度も見かけなかった男の姿が聞こえなかった。
「もしもし」
「……センパイ!? 何処に居るの」
「外だ。もう手助けは十分だろうと思ってな。所でお前に朗報だ。護堂さんと所長が『ナナイロ少女』を殺した犯人を見つけた……というか、証拠を抑えた。ナナイロ少女本人の死体だ」
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