怪異専門の男
「―――はッ!」
目が覚めた時に初めて、自分が眠ってしまった事に気が付いた。こんな場所で眠るなんて我ながら神経がどうかしている。入り口の横に雪奈の姿だけが…………
「……誰だ?」
違う。
姿形は全く同じ。身体が一回り小さいし、何より体がおかしな感じで透けている。それが透過ではなく鏡面のレインコートが景色を反射しているだけと気付いた時、ぎょっと驚いた俺の顔が見えた。雪奈らしき少女がくすくすと笑った。
「完璧なリアクション♪ じゃ、私が誰か分かる?」
「…………『ナナイロ少女』?」
本人との相違点はまだまだある。体つきも貧しくなっていれば片目に留まっていた目の異常が両目に及んでいる。俺の大好きだった金髪はシルバーのかかったエメラルドグリーンに変わっている。それに表情が豊富過ぎる。何から何まで鏡の様に正反対。
『鏡』を踏まえれば、答えは容易だった。
「大正解。初めましてだね、さきさか君」
「……入れ替わったのか?」
「いや、ちょっと話したかっただけ。これでも守ってあげてるんだから信じてよー」
雪奈と比較すると陽気で幼くて、しかしどこか掴みどころのない感じ。正しく怪異と呼ぶにふさわしい不気味さだ。ナナイロ少女のハイテンションに反して、外は土砂降りの雨だった。
「さきさか君は、ゆっきーの事好き?」
「…………は!?」
わざわざ入れ替わってまで話したかった事が恋バナとは、ナナイロ少女の俗物感が一気にましてしまった。想定外の質問に頭が真っ白になる。
「好きじゃないなら、距離を置いた方がいいと思うよ」
「…………?」
「ゆっきー、まともな愛情を貰った事がないから他人の愛し方が分からないの。おとーさんに殺されかけたって話も、えっちな意味で襲おうとしただけだしね。まー身ぐるみ剥がされたので勘違いしたのかなあ。うん、それはいいんだけど、どうなの?」
「…………嫌い、じゃない」
「ハッキリして。好きか嫌いか」
「好きです!」
ナナイロ少女の圧力に耐えかねてつい声を荒げてしまったが、本音ではあった。感情表現が苦手でも彼女が世話焼きな事は暗行路紅魔の騒動で嫌という程知っている。彼女が居なければ今頃は瑠羽と絶縁していたかもしれない。兄妹仲を維持する為に自ら憎まれ役を買ってくれた時から、優しい人だと知っている。
野次馬根性むき出しの質問かと思えば、鏡面の瞳が黒く濁って暗黒を宿し、ナナイロ少女のテンションも落ち着いた。
「そ。じゃあこれからも仲良くしてあげてね」
「……え、終わり? なんか約束させるとかそういうのじゃなくて?」
「出来るか分からない約束はするもんじゃないよ。まあ時間があったら私を殺した犯人を見つけてほしいな~。そんな暇があったらだけどね!」
「それってどういう……」
「はーい終わり! 閉廷! 頑張って生き残ってねー!」
「―――ッ!」
目が覚めた時、あれは夢だった事に気が付いた。夢と違うのは視界が真っ黒で自分の居場所が何処か分からない所。もう少し意識が覚醒すれば自分の状況を理解できただろうが、寝ぼけ眼に夢と現実の境を認識したのがいけなかった。
目の前の暗闇を打開するべく、手を伸ばすと、大きめの柔らかく弾力のある物体に触れた。妙に触り心地の良いそれの正体を、残念ながら俺は知っている。
何故って、それは雫が嫌と言う程教えてくれたから。
「ほわああああああああ!」
目の前の闇から急速に離れると、それが雪奈の黒いセーラー服だと気づくのに時間はかからなかった。彼女がレインコートの内側に着る制服は大きさが全く合っておらずブカブカだが、胸だけはぴったりどころかややきついまである。制服が持ち上がっているのが良い証拠だ。色のせいで分かりにくいし殆ど肌を露出していないから気付きにくいだけで、雪奈は高校生とは思えないグラマラスな肉体を持っている(事情が事情なので高校には通っていないと考えられるが)。
「ゆ、雪奈……だよな?」
赤いレインコート。左目を髪で隠していて金髪。何処からどう見ても久遠雪奈。外は暗いばかりで雨粒一つ見えない。ここが現実だ。
「サキサカ、大丈夫」
「え?」
「護堂が『眠ってるんじゃなくて引きずり込まれた』って言ってたから……目覚めたって事は脱出出来たの?」
「……引きずり込まれた?」
ナナイロ少女がやったのだろうか。でも、あんな変な事を聞くだけの為にそんな真似をするなんて考えにくいのだが、相手が怪異なので合理的思考は無意味なのだろう。あっちにはあっちの考え方がある。
「それよりもお前……気にしてないのか?」
「何が」
「いやだって……どう考えても―――胸、触っちゃったし。ごめん」
「サキサカが目覚めてくれたし、気にしてない…………本当に少しだけ、心配した」
雪奈は胸の前で拳を作り、顔を俯かせる。胸を触った件と言い先程から俺にしか非がないのだが、彼女は責めるどころか心を痛めている。母性を擽るという言葉もある様に、きっとこの気持ちは罪悪感を擽られているのだろう。猛烈に土下座したくなったが、頭を打ち付けるのは多分本気で怒られるのでやめておく。脳震盪の件を忘れた訳ではない。
「……護堂さんは?」
「先に行った。サキサカも行く」
「……あの人、一人で大丈夫なのか?」
「全然心配しなくていい。アイツは少女岬を探しに行ったから、私達はサキサカのクラスメイトを探した方が良いと思う」
「……なんか、自己紹介の時も思ったけど怪異専門の警察って何だよ。逮捕出来ねえだろ」
「それは後で本人に聞いて」
確かに今聞くべきではない。時間が無いと言ったのは俺だ。何が面白くて無駄なステップを踏まなくてはいけないのか。
「じゃあ、まずは何処を探す」
「何処って……まあ浜辺だろうな。少女岬ないしは『鬼』から逃げるのに浜辺に留まってる人が居る可能性は……低いけど、一応な」
彼女の手を借りて廃屋を後にする。昼ならここ以上に見通しが良い場所も中々ないが、夜にここまで見通しが悪いのも珍しい。ホテルから少し離れた所に光源がたくさんあるのにそれがこちらへ全く届いていない。部屋に居た時からこの不自然さに気付くべきだった。文明社会にしては暗すぎるという事に。
砂浜に出て砂を踏んでも雪奈は足音を出さなかった。その代わり足跡はきっちりと残っている。ふと彼女の足に視線をやると、珍しくビーチサンダルを履いている事に気が付いた。
「もしかしてお前、海に来てたのか?」
「そんな訳ない。護堂も言ってたでしょ」
「の割にはサンダルが準備万端って感じだけど……」
「備えあれば憂いなし」
「そこまで言うなら水着着てこようぜ。お前に似合いそうな水着結構あっただろ?」
オフショルダーの薄いカーテンみたいな生地がビキニの上から掛かって、下は付属で腰布がついている奴とか。胸の谷間から臍まで切り抜かれたレオタードの水着とか。店に行った時も勧めた覚えがある。『殺す』とだけ返された記憶もある。
懐中電灯を左右にゆっくり振りながら彼女が淡白に呟いた。
「行かない。今回みたいな状況なら考えるけど」
「今回みたいな状況って全然楽しめねえだろ。命の危険に晒されてるじゃねえか」
「そうじゃない。この場所は本当の場所じゃなくて、模しただけのプライベートビーチみたいなもの。私と護堂が派遣されたのは『ナナイロ』のお蔭で入れるからなのと、アイツがそういう状況に一番慣れてるから」
鳳介の仮説は正しかったという事か。アイツの勘の鋭さにはつくづく驚かされる。墓の前で聞かせてやれば喜んだだろうが、そもそも墓標が無い。
しかし良い事を聞いた。誰かが用事でこの海に来てしまえばそれだけ被害が勝手に増えると思っていたが、特別な対策なしに入れないなら二次被害は防げそうだ。それも突拍子のない話ではなく、アザリアデバラが元々村内だけの怪異であったのを鑑みるに範囲は無制限じゃない。同時遭遇した時点で範囲指定は少女岬に一任され、その結果なのだと思う。
そして入れるという事は出られるという事でもある。俺が望めば雪奈は外へ連れて行ってくれるのだろう。そんな薄情な真似はしないが。
「そんなに詳しいならついでに聞いておきたいんだが、怪異の同時遭遇ってあり得るのか?」
「よっぽど関係性が近いなら……だけど。七不思議くらい密接じゃないと無理だと思う。今回の件はおかしい」
「だよな」
恐怖症対策で大声をあげていないが、中々どうして捜索の邪魔をしてくれる対策だ。接触するなと言った俺がそもそもの原因だがそうでもしないと全員発狂は免れない。こちらから見つけるしか彼等にも安全に逃れる方法が無いなんて、幾らマイナーだからって酷すぎる。もう少し優しい尾ひれを着けても良いのではないだろうか。
「サキサカ、慣れてるの。こういう状況」
「まあ何年も繰り返してれば嫌でも慣れる。直接殴られるか襲われでもしない限りはどうって事はないよ」
活用されるべきではない経験が活かされている。複雑な気持ちだった。鳳介の事は大好きだが、この経験だけは使われるべきではないと思う。この経験が活きている時点でそこは日常ではないから。平穏を望む者にとってこのデメリットは大きすぎる。
「それでも一人で居たらいつか発狂してたかもな。恐怖症とかじゃなくて、暗闇が広すぎて怖くなる。今はお前が居るから大丈夫だけどな」
「そう。なら良いけど」
後は下らない話をしたのも大きい。場違いな話はそれだけで空気を一変させる。怖い話に幽霊が寄ってくるなら面白い話をすれば寄ってこないのではないかと。個人的にはそう考えている。雪奈の水着の話なんてどう考えても場違いだし、怪異もこんな愉快な奴等を襲おうとは思わないだろう。
パァン、パァン、パァン!
銃声。
現実的に最上位の恐怖に位置する音が漆黒の世界に轟いた。無機質に波打つ海さえも殺意を孕んだ音に驚いたのか凪いでしまった。
「何だッ?」
「…………護堂の銃」
「え!? あの人銃持ち込んでるんですかッ? ていうか警察ってあんまり撃ったら良くないんじゃ―――」
有無を言わさず雪奈が手を引っ張り、今まで進んでいた方向とは真逆へ走り出した。
「うおっ! ちょっと!?」
「このまま行けば巻き込まれる。もし正常な人が居るならこの銃声に驚いて私達みたいに離れようとする筈。こっち」




