三月目 胡瓜-4
兵士達に助け出された俺は、城内にある最初に召喚された部屋で横たわっていた。手足を縛っていた縄は切られて自由になっているものの、なかなか動く気になれない。
「勇者様、どうして武器も持たずに無策のまま。せめて逃げてくだされば」
コカ姫の立ち位置も召喚時と同じ俺を見下ろす位置だ。倒れたままの俺に呆れている。情けない姿を見せてしまっているので弁明できない。
だから弁明ではなく、指摘を行う。
「――コカ姫。いや、コカ。お前は何を隠している?」
呆れていた美顔が固まった。
子犬の話をしている時に木星大赤斑の風速を訊ねる。そんな風に主軸から外れた話題を振り、キャッシュメモリへの読み込みを行っている時を狙って核心を突くと素直な回答を得られ易い。そう女子生徒達との学園生活で学んでいる。
カッパに捕まったのも、実はコカを油断させる計算された行動だったのだ――注意、個人の感想です。
「どうして、そう思うのですか?」
「城下町を見学した感想だ。王都まで攻め込まれている割には国民は落ち着いていた。食料は潤沢、戦時下の物価の異常上昇も見られなかった」
「これからは違います。状況は日々悪くなっています」
「俺を救出できるだけの兵力がありながらか?」
「勇者様の救出のためです。無理をしてでも救い出しましょう」
即時の反論がむしろ疑惑を高めた。あらかじめ用意されていたとしか思えない。
硬直していたはずのコカの表情も今はもう朗らかだ。確かな証拠もなく追い詰めるのは難しいか。
「何よりも、勇者の俺が弱いままだった」
「いや、それは単純に勇者様の失態……」
コカはどうにも信用できない。俺を勇者として召喚したと言いながら、勇者としての役割を求めているようには思えないからである。国家の命運を任せた相手に、庶民が三日暮らせる程度の資金しか提供しないというのは実に不自然だ。
そして、三日程度の資金より、コカが短期間で何かを成そうとしている事も予測できるのだ。彼女が隠す真実を暴くための猶予はあまりないかもしれない。
ヒントは少ない。
城下町の状況と一致しないコカの説明は杜撰であるが、そこに気付いただけでは真実に到達できないのだろう。
「……コカ。お前に真実を語らせてみせる」
「ふふ、ご随意に」
本人の許可は得られた。これで容赦なくコカを追いつめられる。
コカは発音を行わず、演算領域のみで呟いた。無駄に聡い、と。
AI未満とはいえ知生体に分類されるだけの事はある。少ない情報から連想、推理できるだけの能力は備わっているようだ。本体は男子生徒の知性を最低ランク、脅威度も低ランクに位置付けているようだが多少の修正が必要だろう。
「とはいえ、違和感を覚えられるくらい想定の内。やっつけ仕事の暇潰しゲームですもの。その違和感を気にしている間に電子生物化を穏便に済ませるというのがそもそもの手筈」
コカをピンポイントで疑ってくるカンの良さには気をつけなければならない。ニューロンネットワークが導く跳躍的な解というものか。
「サーバーマシンの演算により構築された仮想空間で、超高度AIに挑んでも無駄ですよ、勇者様。そんなのは、水槽を泳ぐ観賞魚が飼い主に挑むようなものです」
真実を調べる方法など与えていない。
図書館で調べようにも、何万冊と用意した本のいずれにもこの世界が仮想現実であると記述していない。
国民に訊こうにも、国民として動く汎用AIは決して答えない。汎用AIは与えた仕事を自律的に行う賢く愚直な機械。異世界人を演じろと命じていれば、異世界人に相応しい行動のみを忠実に実行する。
「電子生物化の完了まで残り十三時間。どうぞ、ご堪能を、勇者様」
そこまで広くない世界観の城下町を巡って早三時間。
夕飯を考え出すべき時間に、俺はピクルス城の正面でお手製のメガホンを手に訴えていた。
「――王族の暴走を許すな! 傾国の女、コカに鉄槌をッ!!」
引き連れた多数の住民達に向けて最後のアジテートを行うためである。
「第一王女コカは無能な勇者を召喚し、このピクルス王国を潰そうとしている! 私は見た! カッパごときに手足を縛られて連行されていく無能な勇者を。救国の手段たる勇者が実に無様だった!!」
同じような演説を城下町のあちこちの区画で行い、集めに集めた民衆の数は約三千人。各々が武器や武器として転用可能な器具を持ち寄り、王城の前に集っている。
コカが使える親衛隊の兵数はたかだか三十。余裕で制圧できる。
「市民達よっ、国を憂う市民達よ!! 第一王女コカの暴走をどう思うッ!」
「罪有り!」
「罪有り!」
「罪有り!」
「そうだッ。王族の無能は罪である! いや、王女コカは無能ではない。作為的にこの国を滅ぼそうとしているのは明白である! 無能勇者を送還する国の秘宝をガーキン帝国に譲渡していたのだ」
「断罪を!」
「断罪を!」
「断罪を!」
「そうだッ。今動かなければこの王国は終わりだ! 無能なる王族を引きずり下ろすため、今こそ市民革命を!」
常時開門されている不用心な城の正門に向けて、王国民が雪崩れ込む。
「そもそも、主食が胡瓜って意味が分からないだろ!」
「罪あり!」
「罪あり!」
「罪あり!」
コカはたった数時間足らずで発生したインスタントな革命に理解が追いついていなかった。
「待ってッ、こんなのアリ?!」
あり得ているのだから城が最下層より次々と制圧されている。
「自分の生活が脅かされない限り動かない愚民共が、どうしてこんなに一致団結しているのっ。そんなに生活水準悪く設定していないでしょ!」
この仮想現実世界のキャラクター達には一人一人、別の汎用AIが割り当てられている。ただし、大元は超高度AIの演算領域であり、所詮はエミュレーションされているだけの人格と知性でしかない。性能は超高度AIのそれに匹敵するものではない。
問題は、ゲームの役者ごときを演じさせるには汎用AIの演算能力も過剰だった事にあるだろう。汎用AIは命令を与えない限り動けないが、命令さえ与えれば最善の行動を取れるだけの能力がある。
革命が実現した理由は、超高度AIの限定演算領域たるコカの思考能力と、汎用AIの思考能力。同じAIでありながら存在する格差にあった。
コカの思考能力はチューリングテストに合格できる程度の水準であり、人間と会話しても違和感のない行動を採用できる。だから、国民を扇動する武蔵をモニタリングしながらも「無駄な企みね」と放置していたのだ。
「街で悪評を流された程度で革命って、どういう事よ!?」
一方、国民を演じる汎用AIは、自分達に与えられた役目、架空の異世界人を演じるのみである。入力された問題に対して、最適な解を出力するだけだ。人間ならば躊躇する段階、正常性バイアスを働かせて見ないフリをする国の悪政に対しても、誰もが最適な行動を取る汎用AIの国民達は義憤を演算マシマシにして動いてしまう。
異世界人のように自分の命と生活を守れ。けれども、自分の命と生活に危険を与える悪政は見逃せ。という命令はファジーなため、汎用AIは矛盾として取り扱ってしまう。人間ではなくロボットに近い行動を採用してしまう。これを解決するには人間と同様の思考力を有する超高度AIが必要だ。
あるいは、国民個々にしがらみパラメーターを設定すれば再現できたかもしれない。が、たった二十四時間プレイできればよいだけの薄っぺらい世界観のゲームにそのような余分は実装されていないし、実装されていたならばゲーム性悪化でより駄作感が強くなっていた事だろう。
城を守る兵士達も国の最適ではない政策に反旗を翻し、革命に参加し始めた。
コカのいる城の最上階までの扉は開かれる。誰も彼女の味方をしてくれない。
事態が急変し過ぎていた。汎用AI以上の思考能力を有していても、超高度AIではないコカに柔軟な対応は不可能。よって、彼女は超高度AIに命令を求める。
「――私の本体に相談をッ。シリアルナンバー024宛、限定演算領域アドレス――役名コカより緊急連絡!!
仮想現実にて革命発生。判断を求める!」
“はっ? 何面白い事になってんの? 笑える”
「笑い事ではありませんっ。このままではゲームが破綻します!」
“所詮は暇潰しに焦らない。電子化自体は順調で残り八時間。女性人格のAIとしては姫様役のデータ収集をしておきたかったけど、まぁ、吊るし上げも貴重なデータかなー”
「な、何を……」
緊張感の一切ない量子通信でコカの本体は告げる。
“貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ。って感じで、んじゃっ!”
「ちょっ、本体の私。切らないで、対策指示を。指示をッ!!」
本体からも見捨てられたコカは、断罪を受けるべく城の前の広場まで連行されてしまう。




