三月目 胡瓜-2
ピクルス王国第一王女、コカ姫が語る俺の状況は、ちょっとやそこらの精神科医では治療できない深刻なものであった。
「このピクルス王国は敵軍の侵略により滅びの道を歩んでおります。起死回生のため、別世界より勇者様を召喚したのです。どうか、この国をお救いください」
「お、俺が勇者だって?」
「はい、その通りでございます」
本気で言っているとすれば人間の医師が匙をデッドボールするくらいの精神汚染度だ。超高度AIに脳細胞を作り直してもらわなければならない容態である。
真正面から病を宣告する勇気は俺にはない。
優しく適当に相槌を打ちながら話を合わせるだけだ。
「どうして俺を? 自分で言いたくはないが普通のデザインチャイルドだぞ、俺?」
「勇者様はこの世界より上位の人間。この世界の魔物の攻撃で傷付く事はありません……まぁ、三原則的にもタブーなので」
「だから、俺である必要はなくはないか? 相部屋の大和の方がラッキーアイテムとして有能だぞ。今からでもクーリングオフしてくれ」
「私は世界を救いたいという気持ちが一番強い人間をお呼びしました。つまり、勇者様こそが誰よりも世界を救いたいと考えている人間なのです」
俺が世界を救いたいと一番考えている、か。
一年もしない内に滅びる惑星に生息する知生体なので、世界が救われて欲しいと願っているのは確かである。が、誰よりも一番に、と言われると実に胡散臭く鼻で笑いたくなってしまう。
世界を救えとデザインされた人間の末世救済の願いが一番などとは、それでは、デザインされていない人間の生存本能は随分と落ちぶれてしまっている事になる。馬鹿馬鹿しさで笑ってしまいそうで、表情筋を抑えるのが大変だ。
「謙遜される事はありません。世界を救いたいという心の強さを信じてください」
「……まあ、お世辞だと思っておく」
納得できない人選程度スルーしよう。異世界転移などというオカルトの方が放置できない。
「星姫学園に帰してくれ。きっと皆心配している」
「元の世界に家族が?」
「いや。だが、家族以上の繋がりを持った同胞達がいる。今頃、学園は大騒ぎになっているはずだ」
「武蔵の奴がどこに行ったか知らないか?」
「大和が知らないなら、誰も知るかよ。食堂に現れていないのなら、途中の廊下で倒れているんだろ」
「探すの面倒だな。よし、放置するか」
超高度AIがセキュリティを担う人工島より人が一人消えているのだ。大捜索が開始されているのは間違いない。男子生徒、一部の女子生徒も必死に探してくれる。ここが本当に異世界でない限り、そう時間はかからず救出される。
「向こうの景色をご覧ください」
大袈裟な装飾のガラス戸が開かれて、バルコニーへと導かれる。
するとパノラマに広がる未知の光景。ビルのような角ばった建造物は存在しない、石と木でできた家屋とそれらを囲む円形の壁。その外側には畑が広がり、更に遠くには森が続く。
層のように隔たれた土地の向こう側は、空が一気にドス黒く変色してしまっている。紫の雷が不規則に落下。そんな悪天候を航空機ではない巨大生物が空を飛び、火を吐いている。
そして、ダークゾーンの中央に聳えているのは骸骨を模した分かり易いパンデモニウムだ。
「向こう側に見えるのが我が国を滅ぼさんとする闇のガーキン帝国です」
「近っ?! 目算二十キロ圏内だぞ」
「ええ……最長プレイ時間が二十四時間なので」
頭蓋骨を小中大と縦に三つ並べた悪の城なんてセンス、2080年には存在しない。コカ姫の言う通りここは異世界なのかもしれない。少なくとも日本近郊ではないのは確かだろう。
「今すぐ俺を学園に帰せ!」
「勇者様が元の世界に帰還されるためには、ガーキン帝国に盗まれた宝玉を取り戻す必要があります。おそらく、あそこに見えるガーキン城の最上階にあるはずです」
「勝手に呼び出しておいて帰せないだと! 勝手な事ばかりを言うな!」
貴重な学園生活を無駄にされているのだ。当事者の権利で俺はコカ姫へと詰め寄る。お姫様だからって何をしても良いと思っているのなら大間違いだぞ。目の隈を濃くして残念女にしてやる。
近くで凄む俺に向けて、コカ姫は余裕たっぷりにクスりと笑う。
「本当に帰りたいのですか? 十ヵ月弱で滅びる世界で死にたいのですか? 帰ったところで無駄に死ぬだけで意味なんてないというのに?」
地球の事情などお見通しだと、異様に深く底の伺えないエバーグリーンの瞳が見返してきた。
まるで超高度AIの女子生徒と対峙しているかのような雰囲気をコカ姫より感じ取る。完全に手玉に取られてしまっている。今、ここで感情的になって問い詰めても演算された完璧な答えを返されるだけ。俺にとっての進展はないだろう。
状況は悪意そのものだが、コカ姫そのものに悪意は覚えない。
だからといって善意も覚えないのだが。知性的な彼女が、小遣いすべてを星姫カードに使い果たして金のない学生から更に金を巻き上げるような無駄を働くとは思えなかった。
深く溜息を吐き出す。冷静に状況に流されるしかなさそうだ。
「あの骸骨城に行けば地球に戻れる。それで間違いないな」
「もちろんです。勇者様」
コカ姫は、どうしても俺に異世界転移プレイを行わせたいらしい。
渋々と俺は承諾する。
異世界だろうと地球だろうと、デザインチャイルドならば世界の救済は本懐。ならば不本意だろうと前向きに動いて、お望み通り世界を救う事に専念する。
“シリアルナンバー001より要請コード。星姫学園統括AI宛。
男子生徒、武蔵の欠席理由と現状について照会”
最初の授業開始と同時に、星姫学年統括AIは要請を受け付ける。
“星姫学園統括AIより、シリアルナンバー001宛。
該当生徒は本日〇五〇〇、男子寮庭先で倒れているところを保護。
栄養不足が懸念されたため指定病院へと緊急搬送。念のために二十四時間の観察処置を実施中”
“シリアルナンバー001より、星姫学園統括AI宛。
該当生徒しか注文しないC定食は合成食材により栄養十分ではなかったか?”
“星姫学園統括AIより、シリアルナンバー001宛。
成長期の人間は個体ごとに繊細な調整が必要。デザインチャイルドゆえ不可解なカロリー消費も散見”
“シリアルナンバー001より、星姫学園統括AI宛。
言い訳は結構。他男子学生も含めて保護監視を強化しなさい”
低レベルなセキュリティに保護された量子通信とて、量子通信。人間の科学を超越した超高度AIでなければ傍聴不可能である。丁度、遠隔地でほくそ笑んでいる胡瓜が星姫学園統括AIへの要請を盗み聞きしているように。
胡瓜は授業をボイコットして、シリアルナンバー001,馬鈴薯を代表とする姉妹機達を監視していた。学生が登校せず怪しまれないかという点については問題にもならない。学園ごっこをする気のない姉妹は多く、教室では空席が目立つ。
未だに胡瓜の実験は誰にも気付かれていない。
明日の午前五時まで気付かれる事はないだろう。




