9: 王太子、決意する。
レヴィネイスは内心に苛立ちを感じていたが、表面上は微笑みを浮かべ、完璧に取り繕うことに成功していた。目の前では、手の込んだ化粧で年齢を誤魔化そうとした中年女性が不快そうに眉を吊り上げ、自分を睨み付けている。睨まれたところで痛くも痒くもないと言おうとしたが、言えば面倒なことになるので言わないことにした。
「――いい加減になさい、何が不満だというの!」
「どうもこうも、何もかもが不満です」
しかし、結局本音は零れ落ちた。その言葉に女性はきりきりと更に眉を吊り上げる。その姿が滑稽で、レヴィネイスは思わず吹き出しそうになるが、何とか微笑を保った。
自分をこの世に産み落とした、いわゆる母という存在だが、レヴィネイスにとってはそれ以上でもそれ以下でもなかった。血が繋がっているだけの赤の他人程度にしか思っていない。向こうも自分のことを都合のいい道具扱いしているのだから、お互い様なのだろう。
隣国リリエンタールの王女である彼女――ユリアーヌは、政略のためにこの国の王に嫁いできた。しかし、跡継ぎを求められて然るべき正妃でありながら、一向に彼女は子供を身籠らなかった。そのせいで周囲に冷ややかな目で見られ、時にお飾りと罵られ、やがて側室が男児を産み落とし、肩身の狭い思いをして生きてきたという。しかしレヴィネイスは一切同情しなかった。この女性は自分の息子のことを、自身を見下し、侮辱した人間たちを見返すための道具としか思っていないのだ。
「どの娘も良縁なのよ! あなたの即位の助けになるのに…!」
「あなたの選んだ女性が私の助けになるとは思えませんね」
最早取り繕う気にもなれず、レヴィネイスは言い放つ。激高したユリアーヌは手元にあったものを掴んで彼に向けて投げつけてくるが、その行動を予測していた彼は難なく掴み取って、あらぬ方向に投げ捨てた。結婚を薦められた女性の釣書だ。レヴィネイスにとっては路傍の石にすら劣るほど価値がない。
「――話がそれだけなら失礼致します」
「話はまだ終わっていないわ!」
「生憎、価値のない話に時間を浪費していられる程、暇な身の上ではありませんので」
平行線を辿る話に見切りをつけて、レヴィネイスは素早く立ち上がって部屋を出た。怒声が背中に突き刺さるが、気にかけていたらいつまで経っても話は終わらない。
母が縁談を勝手に用意するのはよくあることで、その度に断り続けている。自分もそうだが、よくもまあ飽きもせずに同じことを繰り返すものだ。自分が受け入れない限り縁談の成立は有り得ない以上、問題は時間の浪費だけだ。だからこそ放置していたのだが、いい加減煩わしくなってきた。そろそろ何かしら手を打って黙らせた方がいいかもしれない。
「またですか」
「またも何も、それ以外の話題が出た例がない」
部屋の外で警護についていたガストが、足早に歩く主の斜め後ろに付き従いながら、呆れたように言う。うんざりとした心境を隠さずにレヴィネイスが答えれば、それもそうでしたねと言いたげに頷いた。
「――【彼女】はどうだ?」
周囲の耳を気にして、レヴィネイスは小声で問いかける。それに合わせ、ガストも小声で返した。
「さすがと言わざるを得ませんね。あの組織に所属するだけのことはある。戦闘能力は影の中でも最上級に入るでしょう。特に魔術の腕前は計り知れません」
基本的に新人の評価が辛いガストだが、珍しく高評価をつけている。しかし、その次には苦い顔を浮かべて難点を述べた。
「ですが、良くも悪くも目立ちすぎます。使い所は慎重に判断すべきかと」
レヴィネイスの影となった者はまず、先達に適正を確認される。オールドローズの名を与えられた少女は、確かに人目を引くだろう。いかに容姿を誤魔化そうとも、凛とした雰囲気と洗練された所作はなかなか隠せるものではない。ガストのいう通り、潜入などの任務には向いていないかもしれない。それさえ力ずくでどうにでもできる程の実力があるのだが、強行突破で作戦に支障を来されても困る。
「――殿下」
不意に、ガストが難しい顔でレヴィネイスを呼んだ。彼のその表情は別段珍しいものではない。それどころか気難しそうな渋面を浮かべているのが常だが、いつもとは雰囲気が違う。僅かに混じった困惑が、いつもの表情を珍しいものへと変えていた。
「底の知れない魔術の才といい、あの瞳といい…もしや彼女は」
「ガスト」
それ以上言葉が続かないよう、鋭い声で名前を呼んで諫める。
「余計なことを言うな」
「はっ、申し訳ございません」
レヴィネイスが探し求める少女の存在は、彼と近しい古参の影にとっては有名な話だ。ガストもまた、その内の一人である。その返答で、彼は自分の推測が正しいことを知った。
王冠を約束するという、美しくも気高い薔薇姫アーシェ・ファレス。唐突に失踪した彼女を探し続けていたレヴィネイスの下に、彼女はようやく現れたのだ。それも、彼への絶対の服従を強いられる影として。
だからこそ不思議でならなかった。王位を求めるなら、彼女の存在を最大限に利用すべきだ。この国の貴族社会に蔓延した薔薇姫信仰が即位を後押ししてくれる。未だに旗色を明確にしない第三者勢の大半も、レヴィネイス側につくだろう。それなのに彼は、薔薇姫の存在を日の当たらない場所に追いやろうとしている。なぜ、と口に出しかけたところで、ガストは声を呑み込んだ。
執務室の前でガストと別れ、レヴィネイスは扉を開ける。普段、自分が許可しない限り勝手に入る者などいない筈の部屋に、黒い人影が存在していた。
「――オールドローズ」
「はい」
常に身に着けている黒いローブで全身を覆い隠す少女は、その隙間から覗くオールドローズの瞳をレヴィネイスに向けた。以前ほどその視線に圧迫感や緊張感を覚えないのは、影という主従関係によるものだろうか。
傍にいてほしいと捨て身の覚悟で言ったは良いが、まさか「影になってほしい」と解釈されるとは思わなかった。しかし、彼女を自分の管理下に置けたのは僥倖だろう。常に彼女の動向を監視できる立場になれたのだ。
「他の影たちとは馴染めそうか。基本的に単独行動が多いが、必要なら集団で活動することもある」
「特には問題ないかと」
淡々と答える少女に、レヴィネイスは一抹の不安を覚えたが、気にしないことにした。他の影たちは気難しい部分が多々あるものの、実力があり、仕事熱心な味方へ無闇に敵意を向けることはしない。だから彼女の言う通り、問題ないのだろう。
「――君は」
「はい」
喉に詰まっていた言葉が唐突にこぼれ落ちかけて、レヴィネイスは咄嗟にロを噤んだ。律儀に返事をしたオールドローズは、その続きがいつまで経っても出ないことに、不思議そうに首を傾げる。やや淡白だが、すれたところがなく、反応自体は素直な少女だ。その視線にばつが悪くなり、彼は仕方なく言葉を続けた。
「…私の影になったことを、後悔していないか」
「しません。あなたがあなたのままでいてくださるなら」
後悔していると言われたら、立ち直れそうにない。そうレヴィネイスが思った矢先、オールドローズが答えた。彼女が何を言いたいのか、彼にはよくわからない。しかし、彼女自身に理解してもらうつもりがないことは確信していた。
そういえば、と思い出す。自分の影になることを了承した彼女が語った理由。その意味もまた、彼女は語ろうとしなかった。
「…そうか」
古参の影たちは――自分が探し求めていた少女の存在を知る者は、すぐには納得しないだろう。ガストの見せた反応が頭を過る。
しかし、決して文句は言わせない。薔薇姫を利用してまで手に入れた王冠に、意味などないのだから。
全9話で完結となりました。ここまでお付き合い下さった方々、ありがとうございます。
今更な補足ですが、アーシェは薔薇姫がどうこうという噂を知りません。その辺は両親に情報統制されていました。
もっとも、アーシェ自身は噂話に興味を覚える性質ではないので、情報統制されていなくても知らなかったかもしれません。
とはいえ、レヴィネイスと再会して、彼の影になった以上、いつかは知らなければいけない時が来るのでしょう。
それまではこの二人の話を書き続けたいなと思っています。
それではここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。