(5)
ケンカで勝つには、まずは先手をとるってことが第一条件だ。でも先手をとるっていっても、ただ単に先に手を出すってだけじゃだめだ。意表を突くってことが何よりも大事。あいつと遊んだ次の日の朝、おれはやつに一本とられた。おれには油断はなかったはずだ。
その日は休日だったから、早朝の夕陽ケ丘公園で、おれたちは向かい合った。おれが手招きすると、いつものようにキノコはおれめがけて突っ込んできて、これまたいつものように右腕でバレバレのテレフォンパンチを突き出してきた。たいした速さじゃないから、おれにとってそれは余裕で受け止めれるはずだったのだ。しかしその日のやつは違った。そのパンチを途中でとめてフェイントにして、かわりにおれの懐に潜り込んで腹に頭突きをしてきたのだ。おれは反応する暇もなく、腹に鈍い衝撃を受けた。あまりにびっくりしたから、尻餅までついてしまったほどだ。
「やられたよ……。すごいな、どうやって思いついたんだ?」
尻を土につけたまま目を丸くしているおれに、ユウキはニコッと笑いながら言った。
「昨日、お酒を飲む場所にいったでしょ? あそこで教えてもらったんだ。ケンカでは頭突きが強いんだって。いつもパンチは受け止められるし、だからやってみたんだ」
そういうやつは得意げに胸を張っている。おれもふふっと口元をゆるめた。
「大したやつだよ、ユウキ、お前は……」
おれがそういうと、やつはびっくりしたように目を見開いた。
「初めて名前、ちゃんと呼んでくれたね」
「ああ、認めた男を名前で呼ばないのは失礼だからな」
ユウキは目を潤ませた。そういう目でみられると、なんだかおれも背中がむずがゆくなってしまう。
「じゃあ、二つ目の課題はクリアーだ。いよいよ、最後の課題だ。いいか、おれの言うことをよくきけよ? 明日、学校を休んで、午後五時にこの公園のすべり台前に来い。いいか、遅刻するなよ?」
ユウキはぽかんとした目でおれをみて、ぼんやりしたまま素直にうなずいた。
おれはユウキがなぜいじめられ始めたのかはしらない。でも分かってることがある。このままではだめだ。反抗しなければ、さらにいじめは増大していくはずだ。やつにあと必要なのは闘争心と勇気、それだけだ。
おれにだっていじめられる理由はあった。親がいない。親がいる普通のやつらにとっては、それは普通ではなく、一種の病気みたいなものなんだろう。でも、おれは特にいじめられることはなかった。たまに、授業参観で来た同級生の親には陰口をたたかれていたようだけど。だけど、今でも飲み交わす友達はたくさんいる。それは、おれが屈しなかったからだと思ってる。親がいないという、この現実に。
そして、その日はやってきた。
四時五十分、ユウキはおどおどしながら夕陽ケ丘公園のすべり台前に立っていた。おれはちょっと離れたベンチに座って(変装してるから、ユウキにはバレないはずだ)、それを遠目にみている。やることはもうやった、ここからはおれの仕事じゃない。やつが根性出せるかどうかだ。
おれがやったことはこうだ。早朝、ユウキの学校に侵入し、あいつの教室の黒板にでかでかとこう書いた。
『宮沢へ 一対一の勝負を申し込む! 今日の午後五時に夕陽ケ丘公園のすべり台前まで来い! 逃げるなよ! 藤原ユウキ』
もちろん汚い字でね。ご丁寧に地図もたくさん置いておいた。その裏には同じ文句。
これで来なければ、宮沢ってやつの権威は地に落ちてしまう。来ないわけがなかった。
おれの予想外だったのは、ギャラリーが思ったより多かったこと。ぞろぞろと、五十人近くの小学生たちが大騒ぎしながら一気に夕陽ケ丘公園に雪崩のようにおしよせてくる。あっという間にユウキは囲まれた。やつはきょろきょろと辺りを見回した。おれを探しているようだ。もちろんおれは姿なんてあらわさない。あいつに任せた。ギャラリーのなかで、ひときわ体のでかいやつが一人ずいっと前に出てきて、ユウキを睨みつける。身長は百六十後半ぐらい、横はユウキの三倍はありそうだ。あれが宮沢なんだろう。
「おい、てめえ、何のつもりだ、あんなもん用意してよ! おれと一対一の勝負がしたいんだよなあ?」
ユウキは何が何だか分からないといった様子だ。無理もない。やつは何にもしらないんだから。遠目にもあせっているのが分かる。
宮沢はいきなりユウキの肩を掴んで、地面に転がした。ユウキのそのひょろひょろの体が地面に投げ出される。ギャラリーから笑い声と歓声があがる。通りかかったサラリーマンが一瞬びっくりしていたが、急いでいるのだろう、腕の時計を気にしながら足早に公園を通り抜けていった。ユウキはおどおどとした表情のままゆっくり起き上がった。
「いっつもウジウジしやがって……! ムカつくんだよ。あの勝負ってのは、結局うそっぱちだったのか!」
本気ですごんでいる宮沢に、ユウキは目線を地面に落とす。
しかし、ユウキはゆっくりと頭を起こし、宮沢に厳しい視線を投げ掛けた。おれとの特訓のときにみせたような、決意の表情だ。
「……うるさい」
「あ?」
「うるさいって、いってんだよ!」
ユウキは次の瞬間、体勢を低くして、宮沢の丸い腹に向かって頭を突っ込んだ。どすっという鈍い音が、取り囲んでいるギャラリーたちの声を静かにさせる。ユウキの攻撃はまだ続いていた。その頭を上に振って、宮沢の顎をかち上げる。宮沢は脳を揺らされ、たたらを踏んでその場に崩れ落ちた。意識はあるようだが、体が動かないようである。ギャラリーは完全に静まりかえっている。目の前で起こっていることが信じられないといった様子だ。ユウキは息を切らせて、宮沢を見下ろしていた。
ここで、おれはちょっとした悪知恵を働かせてみることにした。おれの格好は、下は灰色のスウェット、上は白のタンクトップで黒髪をオールバックにしてサングラスをかけていた。はっきりいって変態みたいな格好だが、これくらいしないとユウキに気づかれると思ったから、しょうがない。
ベンチから腰をあげて、小学生の群れに向かってずんずんと肩で風を切って歩いて行く。一人の小学生がおれに気づいて、指を指しながらひそひそと何かしゃべっている。
「うるせえんだよお前ら!」
おれは精一杯低い声でいってみせた。おれだって昔はやんちゃしてたけど、こんなセリフは言ったことないから恥ずかしい。でもそんなことは言っていられない。おれの十こぐらい下の子供たちにむかってそういった。効果は上々。青ざめているのが手に取るように分かる。作戦は成功のようだ。そこで、次のアクション。
「おれ金なくてイライラしてっからさあ、お前らみたいなガキ、ムカつくんだよね」
おれは首を傾けてこういう。そしてギャラリーをかき分けて、ユウキの胸ぐらを掴んでぶん投げた。やつの体は再び地面で転げ回った。そしてやつの脚を踏んづけながらいう。
「どうしたお前ら、何か言えよ。殴るぞ?」
やつらは一歩も動けない。普段は生意気なやつらも、こうしてみるとかわいいもんだ。
そうしてやつらをじろりとひと睨みした瞬間、おれの脚に痛みがはしった。おれは慌てて後にのけぞる。
「みんな、逃げろ!」
ユウキだった。おれの脚に思い切り噛み付いたんだ。本気だ。おれだと気づいていないらしい。ユウキの目はぎらぎらと光っている。おれも一瞬どきりとした。それは獲物に飢えた野獣みたいだった。
素早く体勢を整えて、そのままユウキはおれに突進してきた。あいつの頭がおれの股間にクリティカルヒットする。もやしみたいな小学生の攻撃だからって、あんたは甘くみていないか? 冗談じゃない。どんなに体のでかいやつでも、こんな攻撃を受けたら、下手すりゃショック死してしまう。おれはその場にうずくまって悶絶する。あんたはこんな経験したことあるかい? なんていうか、血が出てるみたいに感じるんだ。一度経験してみるといい。クセになるかもよ。
おれは絶対ならない。
五分ぐらいの間のたうち回って、やっと痛みがなくなって辺りを見回すと、おれの周りには何もなくなっていた。小学生はみんないなくなっていたんだ。おれは土まみれになった口の中から唾を吐き出す。夕方だったけど、太陽が痛いくらいに激しく突き刺さってくる。
損な役回りだってことくらい、おれが一番分かってる。でもさ、気分はそんなに悪くないよ。あいつはおれに勇気をみせてくれた。それが何よりも嬉しいんだ。何しろ、最初が最初だったからね。おれの気持ちは、この青空くらい晴れ晴れとしている。体は汚いけどね。
おれは泥だらけになった体を引きずるようにして歩いて、自分のアパートへと帰っていった。まだまだ暑かったけど、その暑さがいい。
それからどうなったかって? おれは何にも知らない。何回かあいつが公園に来ていたのを見かけたけど、会ってはいない。そして、おれはやつにはもうこれから先会うことはないだろう。おれのようなやつと関わっているとだめになる。お先真っ暗なおれとは違って、あいつには無限の可能性があるからね。
そうそう、報酬はもう受け取ったから、おれには必要ない。金は一人で生きていく分には間に合っているし、あいつには金が必要だろ?
友達とゲーセンに行くのにさ。