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尾張の飯炊き足軽、信長に拾われる 〜桶狭間の裏で名もなき兵糧係は腹から天下を支えた〜  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第百六十話 最後尾、道の曲がりで消える

外の風が戻れる札を揺らした翌朝、庄助は畦道の曲がり角に立っていた。


 腕には、最後尾遅れ札。


 腰には、片手で引けるようにした最後尾用小丸包み。


 庭の同時崩れ大試験では、この二つで何とか声を前へ届けた。


 声が水場や馬水や槍列に食われるなら、手振りで送る。

 手振りが前へ届きにくいなら、中央に弥平を置く。

 弥平が受け、又八が前へ送る。


 それで、最後尾は少し強くなった。


 だが、外はそれを笑うように曲がっていた。


 畦道は、田の縁に沿って曲がる。


 まっすぐではない。


 少し先へ行くと、草の背が高くなる。

 さらに先には、林の影が落ちている。

 風が吹けば草が揺れ、人の姿が見えたり消えたりする。


 庄助は、腕の札を上げてみた。


 近くの者には見える。


 だが、飯場の芯の曲がりを一つ越えると、もう見えにくい。


 弥平が少し前に立っていた。


「見えるか」


 庄助が声を張る。


「半分!」


 弥平が返す。


「声は?」


「今は聞こえる! でも、人が入ったら食われる!」


 又八がさらに前方から顔を出す。


「こっちは庄助が見えんぞ!」


 庄助は腕を下ろした。


 顔が固い。


「庭なら届いたのに」


 弥平が近づいた。


「庭は曲がらねえからな」


「曲がってても、少しなら届くと思ってた」


「俺も思ってた」


 弥平は畦道の曲がりを見た。


「甘かったな」


 庄助は悔しそうに小丸包みを握った。


「最後尾が見えないと、何を拾ってるのか分からないです。遅れてるのか、止まってるのか、置いていかれそうなのか。俺が見えても、前に届かないなら……最後尾にいる意味が半分消えます」


 権六が文句腹帳を開いた。


「最後尾、道の曲がりで意味が半分消える」


「そのまま書くんですか」


 庄助が顔をしかめる。


「そのままが一番痛い」


 権六は真面目に答えた。


「痛い文句は、だいたい大事だ」


 今日の試験は、最後尾の外運用だった。


 城内では、声が食われた。


 外では、姿が消える。


 声も食われる。


 手振りも届かない。


 置いていかない飯は、道の曲がりに食われるのか。


 それを見る日だった。


 佐助は最後尾用小丸包みを少し多めに用意していた。


 昨日の時点で、庄助が喉を気にしていたからだ。


 外では声が半分持っていかれる。


 なら、最後尾役は庭より声を使う。


 声を使えば喉を痛める。


 喉を痛めれば、声が届かない。


 声が届かなければ、最後尾は遅れを拾えない。


 佐助は小丸包みを手に取り、庄助へ渡した。


「今日は、喉のことも見ます」


 庄助は受け取りながら苦笑した。


「飯で喉まで見るんですか」


「見ます。声を守る飯ですから」


 弥平が横から言った。


「食えよ。声が割れる前に」


「もう何度も聞いた」


「何度でも言う。聞き飽きた頃に忘れる」


「うるさいなあ」


 言い合いは軽かったが、庄助の顔は緊張している。


 試験が始まった。


 曲がり芯を使って飯場を作る。


 佐助が声を出す。


「芯、続く」


 短縄と草払いで、曲がった飯場の芯を示す。


 水場枝は小川へ下りる。


 太助が人水の足場を見ている。


「人水足場、一人ずつ」


 馬水枝は下流側。


 源太が馬を近づけず、まず足場を見ている。


 半三は槍列を畦道の内側へ寄せる。


「槍、草見る」


 きぬは戻れる札と竹鳴子を手当戻り枝へ置く。


 風があるため、札は少し揺れている。


 藤七は早足道が空いたか確認している。


「早足道、空き?」


 かやが草を払って言った。


「今だけ空き。草が戻ったら知らない」


「不安な言い方ですね」


「外だからね」


 そして、庄助は最後尾に立つ。


 曲がり道の向こう側。


 弥平は中継役として一つ目の曲がり角。


 又八は二つ目の前方寄り。


 これで届くかどうかを見る。


 作兵衛が声を出した。


「戻り合図」


 列が動いた。


 最初は、何とか届いた。


 庄助が声を出す。


「最後尾、遅れなし!」


 弥平が受ける。


「遅れなし!」


 又八が前へ送る。


「遅れなし!」


 前方の列が進む。


 しかし、声の伝わり方が遅い。


 庭では一つの声が流れた。


 ここでは、声が曲がりごとに止まり、言い直される。


 言い直すたびに、少し遅れる。


 その遅れが積もる。


 藤七が前方で言った。


「最後尾の声、遅いです!」


 庄助は聞こえない。


 弥平が苦い顔をする。


「聞こえない文句はどう拾うんだ」


 権六が書きながら言った。


「聞こえない文句も、外の文句だ」


 試験が進む。


 途中で、担架役が少し遅れた。


 手当戻り枝へ向かう途中、戻れる札が風で揺れ、藤七が担架役として足を合わせ直したのだ。


 庄助はそれを見た。


「担架、遅れ!」


 声を張る。


 だが、曲がり角と草に食われ、弥平へ届くのが遅れる。


 弥平は顔をしかめる。


「何だ?」


 庄助はもう一度叫ぶ。


「担架、遅れ!」


 今度は届いた。


 弥平が手振りを加えて又八へ送る。


「担架遅れ!」


 又八が前へ送る。


「前、半歩待て!」


 前方が半歩待つ。


 だが、その時には担架役の遅れは少し膨らんでいた。


 庄助の喉が、早くも荒れた。


 弥平が曲がり角から叫ぶ。


「飯を食え!」


「今それどころじゃない!」


 庄助が返す。


 いつものやり取りだが、今日は声の距離が違う。


 庄助は弥平へ届かせるため、さらに声を張った。


「こっち、担架遅れ見てる!」


「だから食え! 声が割れてる!」


「食ってる間に曲がりで消える!」


 弥平は舌打ちした。


 その言葉は正しかった。


 庭なら、小丸包みを一口食べる一拍の間、視界はつながっていた。


 外では、その一拍で、曲がりの向こうが見えなくなることがある。


 庄助は小丸包みを引いた。


 だが、食べる前にまた前方を見る。


 食べない。


 佐助がそれを遠くから見ていた。


「食べられない」


 小さく呟く。


 権六が聞く。


「何が」


「小丸包みは、片手で食べられるようにしました。でも、外では食べる間が怖いんです。見えなくなるから」


 太助が水場から言う。


「水場でも同じです。川縁で一息つく間に足場が変わる気がする」


 佐助は顔を引き締めた。


「最後尾用の飯は、もっと喉へ早く落ちる形が必要です」


「丸包みじゃ駄目か」


 権六が聞く。


「駄目ではありません。でも、外では声を張る時間が長い。喉を守る工夫が要ります」


 弥助殿が聞いた。


「何を入れる」


 佐助は少し考えた。


「少し湿りを持たせます。ただ、濡れすぎると持ちにくい。喉に貼りつかず、すぐ噛めて、声を邪魔しない形」


 又八が前方から戻ってきながら言った。


「つまり、声飯か」


「最後尾声飯、でしょうか」


 佐助が答える。


 権六が書く。


 最後尾声飯――喉を守る小丸改良。


 試験は一度止めず、続けられた。


 弥助殿は止めない。


 崩れ方を見るためだ。


 次に問題になったのは、手振りだった。


 庄助が最後尾遅れ札を上げ、横に振る。


 曲がりの向こうにいる弥平は、草の揺れと人影に遮られ、全部は見えない。


「見えん!」


 弥平が叫ぶ。


 庄助はさらに札を高く上げる。


 すると、風に煽られて布が揺れ、何の合図か分かりにくくなった。


 きぬが戻れる札の横から言った。


「風で合図が崩れています!」


 かやが最後尾遅れ札を見て、唇を噛む。


「札も風に食われる……」


 昨日は戻れる札。


 今日は最後尾遅れ札。


 外では、札は全部風に食われる。


 弥平が曲がり角で腕を大きく振った。


「庄助! 札じゃなく、声を短く!」


 庄助が返す。


「声が届かない!」


「じゃあ曲がりごとに人を置くしかねえ!」


 弥平のその一言に、場が少し静まった。


 曲がりごとに人を置く。


 中継役を一人ではなく、曲がり角ごとに。


 理屈は分かる。


 だが、人員が足りない。


 飯場にも人が要る。

 水場にも人が要る。

 馬水にも人が要る。

 手当飯場にも人が要る。

 槍列にも外目役と中受け役が要る。

 文句役も要る。

 最後尾にも人が要る。


 曲がり角ごとに中継を置けば、飯線は人を食いすぎる。


 権六が文句腹帳に大きく書いた。


 曲がりごとに中継役が必要。しかし人員が足りない。


 又八が前方から言う。


「そんなに人を置いたら、飯を運ぶ者がいなくなるぞ」


 弥平が返す。


「置かなきゃ最後尾が消える」


「分かってる。だから困ってる」


 庄助はその間にも声を張っていた。


「最後尾、遅れなし! いや、槍少し遅れ! 弥平さん、聞こえますか!」


 声が荒れる。


 喉が引っかかった。


 庄助が咳き込む。


 弥平が顔色を変えた。


「庄助!」


 庄助は小丸包みを引こうとしたが、手が少し震えている。


 佐助がたまらず声を出した。


「一息を!」


 しかし、弥助殿はすぐには止めない。


 庄助が自分で戻せるかを見る。


 弥平が曲がり角から走ろうとした。


 又八が止める。


「中継を捨てるな!」


「庄助が潰れる!」


「おまえが抜けたら声が完全に切れる!」


 弥平は歯を食いしばった。


 正しい。


 中継役が感情で動けば、最後尾と前方が切れる。


 でも、庄助は苦しそうだ。


 弥平は叫んだ。


「庄助、声を捨てろ! 札だけ出せ!」


 庄助は目を見開いた。


 声を捨てる。


 最後尾役にとって、それは怖い言葉だった。


 だが、庄助は声を出そうとして咳き込んだ。


 仕方なく、腕の遅れ札を大きく上げ、横へ振る。


 弥平はそれを半分だけ見た。


「遅れあり!」


 又八へ送る。


 又八が前へ送る。


「前、半歩待て!」


 何とか届く。


 しかし、情報は粗い。


 何が遅れているのかまでは伝わらない。


 担架なのか、槍なのか、馬水なのか。


 前方はとにかく半歩待つしかない。


 それでも、折れるよりはいい。


 弥助殿がここで手を上げた。


「一息」


 全員が止まった。


 庄助は畦道の端に腰を落とし、喉を押さえた。


 佐助が駆け寄り、水ではなく、少し湿りを持たせた試作の小飯を渡した。


「噛まずに飲み込まないでください。少し噛んで、喉へ落としてください」


 庄助は言われた通りにした。


 少しして、息が整う。


「すみません」


 弥平が近づき、低く言った。


「謝るな。外が悪い」


 庄助は苦笑する。


「道が悪い、ですか」


「そうだ。おまえが悪いんじゃねえ。曲がりが声を食った」


 太助が水場から言う。


「馬が悪いんじゃなく、道が悪いの仲間ですね」


 源太も頷く。


「道の曲がりが悪いなら、道に合わせるしかない」


 権六が書く。


 庄助の喉、道の曲がりに食われる。

 最後尾声、曲がりで消える。

 声を捨て、札だけにする場面も必要。


 弥助殿が弥平に聞いた。


「中継役を増やすか」


 弥平は眉を寄せた。


「増やしたいです。曲がり角ごとに一人いれば、最後尾は消えにくい。でも、人が足りません」


「なら、どこに置く」


 弥平は畦道を見た。


「全部の曲がりではなく、見えなくなる曲がりだけです。見えている曲がりには置かない。消える曲がりに置く」


 伊三郎が書く。


 中継役は全曲がりではなく、消える曲がりへ置く。


 かやが小札を持つ。


「消える曲がりを先に印づけする?」


「それができれば」


 弥平は言った。


「でも、外では草や人の動きで消える場所が変わる」


 庄助が喉を押さえながら言う。


「なら、中継役は固定じゃなく、移る役でもいいかもしれません。曲がりを見て、消えそうなところへ動く」


 又八が首を横に振った。


「動きすぎると、中継役自身が消える」


「それもそうですね」


 庄助は疲れたように笑った。


 きぬが言った。


「中継役にも、戻れる札のような目印が必要ではありませんか」


「中継役の目印?」


「はい。誰が中継か分からないと、最後尾も前方も声を預けられません」


 かやがすぐ小さな肩布を出した。


「中継肩布。大きくしすぎると風に煽られる。小さく、色だけ」


 源太がすぐ言う。


「馬が気にしない程度に」


「分かってる」


 弥平が肩に小さな布をつけた。


 風で少し動くが、戻れる札ほど目立たない。


 庄助からは見える。


 又八からも、曲がり角に立つ弥平の肩布が見える。


「これなら、誰へ声を預けるか分かります」


 庄助が言った。


 午後の再試験では、三つの工夫を入れた。


 一つ、最後尾声飯。


 少し湿りを持たせ、喉に貼りつきにくい小丸包み。


 二つ、中継肩布。


 中継役が見えやすいが、風で煽られすぎない小さな布。


 三つ、消える曲がりへの中継配置。


 全部の曲がりではなく、最後尾から前方が消える場所だけに弥平を置く。


 又八は前方受け。


 試験。


 庄助が最後尾に立つ。


 声を出す前に、最後尾声飯を小さく一口。


 弥平が曲がりに立つ。


 肩布が見える。


 庄助が声を出す。


「最後尾、遅れなし!」


 弥平が受ける。


「遅れなし!」


 又八が前へ送る。


「遅れなし!」


 途中で担架が少し遅れる。


 庄助は無理に大声を張らず、遅れ札を上げる。


 弥平の肩布を目印にして、そちらへ声を送る。


「担架、遅れ!」


 弥平が受ける。


「担架遅れ!」


 又八が前へ。


「前、半歩待て!」


 前方が待つ。


 完全ではない。


 声は遅れる。


 手振りは風で乱れる。


 庄助の喉もまだ危ない。


 だが、午前よりは折れにくい。


 庄助は試験後、息を整えながら言った。


「声飯、助かります。でも食べすぎると、今度は口が重いです」


 佐助が頷く。


「量を減らします。喉を守るだけにする」


 弥平も言う。


「中継肩布はいい。だが、風が強い日はもっと揺れるかもしれん」


 かやが答える。


「布を短くする。色で見せる」


 又八が言った。


「中継役は、曲がりごとではなく、消えるところだけ。これなら人は少し節約できる」


 弥助殿は報告を聞き、頷いた。


「よい。最後尾は、道の形を見る役にもなる」


 伊三郎が書いた。


 最後尾は、道の形を見る役でもある。


 夕方のまとめ。


 畦道や林の曲がりで、最後尾は前方から消える。

 最後尾遅れ札も、風と曲がりで見えにくい。

 声は草、風、曲がりで食われる。

 最後尾役が声を張り上げすぎると喉を痛める。

 最後尾声飯が必要。喉を守り、声を割れにくくする小丸包み。

 中継役は全曲がりではなく、消える曲がりへ置く。

 中継役には小さな肩布をつけ、誰へ声を預けるか分かるようにする。

 声が届かない時は、声を捨て札だけにする場面もある。

 置いていかない飯は、道の形にも左右される。


 清洲蔵へ戻った夜、庄助は喉を気にしながら飯を食べていた。


 弥平が横で言う。


「今日はよく耐えたな」


 庄助は少し照れたように顔をそむけた。


「途中、声が出なくなりました」


「出なくなる前に食え」


「またそれですか」


「最後尾の挨拶みたいなもんだ」


 佐助は最後尾声飯を小さく改良していた。


「明日は、もう少し喉に残らないようにします」


 権六が飯を食べながら言った。


「今日の飯は、曲がり道に消えた声の味だな」


 太助が聞く。


「苦いですか」


「苦い。でも、肩布が見えたら少し戻る」


 かやが肩布をつまんで笑った。


「布も、短くしないと風に食われるね」


 きぬが静かに言った。


「外では、見えることも、聞こえることも、まっすぐではありませんね」


 その通りだった。


 外では、声も道に沿って曲がる。


 手振りも草に隠れる。


 最後尾は、ただ後ろを見るだけでは足りない。


 道の形を見て、声を預ける相手を探し、喉を守りながら、遅れを拾う。


 置いていかない飯は、道の曲がりでまた一つ、形を変えた。

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