第六章:壊れたままの選択
えー、皆さま。
いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。
このお話、ここまでは「逃げられない男の愚かな日々」とでも申しましょうか。
右を見れば妻、左を見れば過去の女。前も後ろもふさがって、まるで袋小路。
さて今回のお題は――「選択」。
人はね、選べるようでいて、実は選べないもんでございます。
特にこの男のように、すでに詰んでいる場合はなおさらで。
さあ、この男。
どちらを取るのか、はたまた全部ひっくり返すのか。
どうぞ、生温かい目でご覧くださいませ。
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第六章:壊れたままの選択
朝が来ても、何も変わらなかった。
隣には美咲がいる。
テーブルにはいつもの朝食。
窓の外には、いつも通りの景色。
すべてが“普通”なのに、何一つとして同じではない。
(全部、知ってるくせに)
あの夜のことも。
理奈のことも。
全部分かった上で、美咲はここにいる。
そして俺も――ここにいる。
「コーヒー、冷めるよ」
美咲の声。
「……ああ」
カップを手に取る。
苦味がやけに強く感じた。
「今日、遅くなる?」
何気ない問い。
でも、もうその裏を考えてしまう。
「……分からない」
「そっか」
それだけ。
それ以上、何も聞かない。
でも、それが逆に“すべて分かっている”ことを証明している。
* * *
会社へ向かう途中、スマホが震えた。
――理奈。
画面を見るだけで、呼吸が浅くなる。
《昨日の続き、考えてくれた?》
短い一文。
でも、その裏にある意味は重い。
やり直すか。
それとも、壊すか。
どちらにしても、代償は避けられない。
(……どうする)
足が止まる。
駅のホーム。
人の流れの中で、俺だけが取り残されている気がした。
逃げたい。
全部から。
でも――
(逃げても終わらない)
それはもう分かっている。
なら。
《今日、会う》
送信した。
これが何を意味するのか、分かっているのに。
* * *
夜。
理奈と会う場所へ向かう途中、空を見上げた。
曇っている。
星も見えない。
(俺の人生みたいだな)
自嘲気味に笑う。
選択肢なんて、最初からなかった。
あるのは、どれだけ壊れるかの違いだけだ。
* * *
「来たね」
待ち合わせ場所で、理奈が手を振る。
変わらない笑顔。
でも、その奥にあるものは変わっている。
「……話は何だ」
「焦らないでよ」
理奈はゆっくりと歩き出す。
「少し歩こ」
並んで歩く。
沈黙が続く。
やがて、理奈が口を開いた。
「奥さん、全部知ってるんでしょ?」
足が止まりかける。
「……なんで知ってる」
「顔に書いてある」
どいつも同じことを言う。
「で?」
「どうするの?」
真っ直ぐな問い。
「このまま飼われ続けるの?」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
「……関係ないだろ」
「あるよ」
理奈は立ち止まり、こちらを見る。
「だって私は、あなたをそこから引きずり出せる」
「……何?」
「全部バラす」
一瞬、意味が理解できなかった。
「警察でも、奥さんでも、どっちでもいい」
「やめろ」
「どうして?」
理奈は首を傾げる。
「それで全部終わるじゃん」
「終わらない!」
思わず声が出た。
通行人がこちらを見る。
でも、どうでもよかった。
「終わらないんだよ……」
崩れる。
言葉が。
「全部壊れるだけだ」
「それでいいじゃん」
理奈はあっさり言った。
「今だって壊れてるでしょ?」
言い返せない。
「ねえ」
理奈が一歩近づく。
「本当にそれでいいの?」
その問いが、胸に刺さる。
いいわけがない。
でも――
「……俺は」
言葉が出ない。
選べない。
どちらも地獄だ。
その時――
「楽しそうね」
背後から声がした。
凍りつく。
振り向く。
そこにいたのは――
「美咲……」
笑っていた。
でも、その目は笑っていない。
「こんなところでデート?」
ゆっくりと近づいてくる。
逃げ場は、完全に塞がれた。
「はじめまして、かな?」
美咲が理奈を見る。
「あなたが例の人?」
空気が張り詰める。
理奈は一瞬だけ驚いたが、すぐに笑った。
「そういうあなたが奥さん?」
静かな火花が散る。
「へぇ」
美咲は小さく頷いた。
「思ったより普通ね」
「そっちこそ」
理奈も負けていない。
「ずいぶん余裕あるんだね」
二人の視線がぶつかる。
逃げ場はない。
もう、隠せない。
すべてが表に出る。
「ねえ、蓮」
美咲がこちらを見る。
「選びなよ」
その一言で、世界が止まった。
「私か」
冷たい声。
「この人か」
理奈が微笑む。
「それとも――」
二人同時に、言った。
「全部壊す?」
沈黙。
息が詰まる。
ここで決めなければならない。
逃げることは、もうできない。
俺は――
どちらを選ぶ?
いやはや、お後がよろしいようで――とは、まだ申しません。
ついに出ました三人揃い踏み。
妻に元恋人、そして板挟みの男。これを修羅場と言わずして何と言うか。
けれどもね、皆さま。
こういう場面になりますと、人間の本性がよう見えるものでして。
強いのは誰か。
ずるいのは誰か。
そして一番どうしようもないのは誰か。
……まあ、大体お分かりでしょうが。
さて、この男。
どちらを選んでも地獄、選ばなくても地獄。
さあどうする、どうなる。
次もまた、懲りずにお付き合いいただければ幸いでございます。
それでは――また次の噺で。




