〝当たり前に、この世界には。〟
【四月】
知らなかった言葉を知るまでの間にも、当たり前にこの世界にはその言葉は存在していて、わたしの知らない誰かの血肉になっていた。
【五月】
わたしが生まれなかった世界では、いったいどれだけの人の人生が変わっていたのだろうか。悪い方に変わる人だっているだろう。感謝して欲しいくらいだ、わたしが嫌いな人たちには。
【六月】
光よりも速く動けたら過去に行けるらしい。どうでもいいよ。雨より速く動ける方がいいに決まってる。因果律の破れなんかじゃわたしがこの街に生まれてきた理由を何ひとつ説明なんてできない。
【七月】
愛し合えたらそれでいい。そう思えるくらい幸せな人生を送れてきた人たちが世の中にはいて、無邪気にポップコーンを口に運んでいる。人生が平等なんて軽々しく言えるのは努力する場所を与えられてきた人だけだって、なんでわからないのかな。
【八月】
目が覚めると同時に溶けて無くなってしまいそうな憂鬱。でも本当はずっとそこにあって、積み重なって、大丈夫なんだって騙されて、裏切られて、いつか破裂する。だからアイスクリームは甘いんだね。こんなにも。
【九月】
朝、通勤や通学のために行き交う列車にはピンク色の諦めが漂っていた。いつだってわたしたちは透明な何かに押し潰されているんだね。信号が赤に変わる瞬間のため息は子どもの頃に感じたプールサイドに似ていて、もう届かない月の気配を過去から隠していた。
【十月】
駅前のパスタ屋さんにはずっと生き残っていて欲しい。人類が滅んでしまっても。わたしが病んでしまった時でも。ずっとずっと、生き残っていて欲しい。
【十一月】
夜は、大切なものを守るには短すぎるんだね。きっと。
【十二月】
壁の向こうから漏れ出してくる幸せの数を数えながら、明日には廃棄されるケーキのこと、一年後に生まれてくる子どもたちのことを考えてブランコを漕いだ。公園は寒くて、雪が降っていた。冷たい雪が。降り続けていた。わたしの中に。
【一月】
新しく何かを始めたいと思って、でも結局何も始めないから毎年おなじ毎日。昨日面白いと思った動画を去年も見ていたことに気づかないくらい老いたねって。指摘してくれる人もいないこんな世界で、わたしはまたひとつ歳を重ねた。
【二月】
さよならを気軽に繰り返してきた頃のわたしはどこにだって飛んで行けた。今はもう無理。絶対無理。明日も世界が続いている証拠なんてどこにもないから、今日を生き残れただけで奇跡のように思えた。弱くなったなって笑えるなら、あなたには才能があるよ。今日を生きる才能が。
【三月】
優しい物語は今日でおしまい。本屋さんに平積みされている知らない誰かが書いた本を買って、知らない街の、知らない駅の改札で降りると、わたしの知らない生活を送っている人たちがそこにはいる。当たり前に、この世界には。




