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血に染まる夜

 早朝の天気予報通り、デュクタチュールの黄昏時には雨が降っていた。強酸性かつ毒素入りの猛雨だ。

 メグルは外壁近くの住宅街に帰宅していた。女子寮の一室は、可愛らしくピンク系統の装飾でいっぱい。カーテン、絨毯、インテリア……スリッパなどの小道具にはフリルが付いたものが多い。

 パンジーフレグランスの香りが、外界と室内を隔離するフィルターのようだ。

 そんな癒しに包まれているはずなのに、メグルはむしろ鬱屈な感情を抱いていた。窓辺に滴り落ちる雨粒のドラム音が、不快な音階を形成していることも暗鬱とした気分を助長する。

 ふかふかのベッドに転がっていても同じ。柔らかく包み込んでくれるはずの化学繊維の感触に落ち着けず、ついタブレットのSNSを起動してしまう。

 連絡先として真っ先に表示されたのは、両親ではなくノゾミ・カミナのアイコン。


「一緒に、帰りたかった……」


 乙女の願望とともにため息が漏れた。

 ノゾミ・カミナのアイコンをタッチし、トーク画面に移動する。そこには、帰宅前に送ったメッセージが残されており、


「まだ既読になってない……寂しいよお、ノゾミ君……」


 返事は愚か、読まれてすらいない。

 ――ノゾミ君は鈍感だなあ。

 普段ならそう片付けただろう。だというのに、嫌な予感が胸中で騒ぎ立てる。


「早く返事が欲し……早く、して……よね」


 画面の暗くなったタブレット。

 メグルの意識は閉じていく。



 黄昏時も際の際。

 超能力都市デュクタチュールに宵闇が迫っている。分厚い鉛雲の隙間からは、当の昔に日の光は立ち去っていた。

 デュクタチュール外壁の廃棄収集所から第八プーチ・ティランへの道のりは、中心に近づくほど人気が多くなる。

 ノゾミは人目に触れないように、ビルとビルの間にかかる中間通路を進んでいた。

 陶磁器のような華奢な腕をノゾミの首に絡め、背中に居ついた少女を連れて。


「ふんふん、ふふふ」


 ネネは祢々切丸とリンクしている。だいぶファンタジーに例えると精霊のような存在らしい。

 ノゾミにしか見えず、触れられない。ノゾミだけの契約者であり女の子。


「ノゾミ、服が血だらけだよ?」


 ――着替えないの?

 暗に尋ねられているのに気づく。

 ヴェトマパンタロンは泥水塗れ、血塗れ、裂傷だらけのボロボロ。


「そうだね、このままだとハルカがビックリしちゃうかも」


 殺人鬼にも通り魔にも見える。ハルカのリアクションを妄想しクツクツ笑う。

 言動は狂人のそれだが、足取りはしっかりとしている。

 数分後には寮手前の中間通路の鉄骨を踏みしめていた。

 少しシミの目立つ建物が、ノゾミを拒むように建っている。たった数時間留守にしていただけなのに、すでに寮はノゾミの帰る場所ではないように感じられた。


「入らないの?」

「入りたいのは山々なんだけどね。この格好で入ったら不審者扱いさ」


 素直に進入して誰かに遭遇しようものなら、この猟奇的な姿を見咎められるだろう。

 着替えた後、ハルカを襲いに行くので、騒ぎになるのは避けたい。こうなればスニーキングミッションを決行するしか……と机上の空論を並べているうちに、ネネが思わぬ方向を指差した。

 ノゾミの部屋の窓。窓のカギはしているが、今のノゾミなら入れないこともなかろう。


「普通に入れないなら窓から入ればいいじゃない」

「……盲点だった」


 むしろ盲点しかなかったというべきか。

 身体機能が強化されたノゾミなら、寮の壁をボルダリングで移動することもたやすい。眼下は用水路で、外からの目撃者はいない。いたとしても、暗がりで壁を這うノゾミを補足するなどできまい。

 ――覚悟を決め、深呼吸。


「いくか」


 中間通路の鉄条網を潜り抜ける。

 寮壁面の窪んだラインと排気口に足先と指を引っかけ、スライド移動で窓に近づく。

 ズボンのゴムに挟み込んだ祢々切丸の柄を取り出す。

 今からやることはピッキングでもなんでもない、ただの押し入り強盗だ。


「仕事だ、祢々切丸」


 呼びかけた途端、祢々切丸の柄から剥き出しの骨が組成され、鮮血があふれ出た。二つのアンサンブルが生み出すのは骨の地金と血の刃金。刃は吸い寄せられそうなほどに禍々しく、かつ触れただけで薄皮が斬れるほど鋭利だ。

 ノゾミは、自分の背丈以上ある祢々切丸を片手で携えていた。

 自室の窓に縦横の閃きが走る。

 窓ガラスも壁も、硬度に関係なく両断した。切断した部分から自室に押し入った。

 当然、中は無人だった。


「殺風景だね」

「客のことなんか考えてないからね」


 自室のクローゼットを開く。

 そこには変え着のヴェトマパンタロンが六着置いてある。ノゾミは血塗れの衣服を着替え、ゴミ箱に突っ込んだ。


「もうここに用はない、いくよネネ」

「はあい」


 ネネはのんびりとした口調で背後から抱き着く。その様子はまるで早く行こうよと急かしているようだった。

 だが、ノゾミの足が止まる。


「……足音が、誰かくる」


 コツコツ鳴り響く硬質な足音を耳にして、ノゾミはひっそりと息を潜めた。

 髪から滴り落ちる水滴の音が、扉の向こうにいる存在に聞き取られないか。それだけが気がかりだった。

 足音が遠のいていく。気まぐれでノゾミの部屋の前を通っただけだろう。


「行ったか」

「ノゾミのここドキドキしてる」

「いうなよ」


 引っ付いているネネには、たしかに緊張の高鳴りが聞こえてしまっていただろう。実際に指摘されると小恥ずかしい。

 ノゾミはネネの頭を軽く叩く。


「あう」

「ほら、もういくよ。ここも僕が帰らなければじきに怪しまれる。下手打つ前に、ハルカの首を討つよ」

「……はあい」


 ネネはその言葉に満足し、またノゾミの首に腕を絡めた。



 第八プーチ・ティランの講義室では、ハルカが胡坐をかいて知恵の輪を弄んでいた。知恵の輪はテレキネシスで浮遊している。

 途中までカチャカチャ楽しそうに解いていたが、ついにテレキネシスで強引に捻り切った。知恵の輪の意義なんてお構いなしだ。


「チッ、つまんね」


 知恵の輪に八つ当たりしながら思い出すのは、用水路に落ちていくノゾミの表情。怒り、憎しみ、そして自身の無力さを意識した顔はとかく最高だった。今にも吹き出してしまいそうだ。

 明日からは講義室の空席が一つ増えるな、とノゾミが座っていた辺りを見ながら下衆な笑みを浮かべた。

 知恵の輪も遊びつくしたところで席を立つ。


「何がそんなに面白いんだい?」

「――あ?」


 それはとても不快な声。

 大嫌いな無能力者の声が講義室の入り口で発せられた。



 第八プーチ・ティランのトラベーター。そのパス認証はノゾミのIDを問題なく受け付けた。

 亡き者として存在を葬られていると思ったいたノゾミは、予期せぬ幸運にほくそ笑んだ。

 羽織ったレインコートから雨垂れが滴る。足音を忍ばせ、ついでに腕の内側に祢々切丸を忍ばせ、講義室を覗く。


「チッ、つまんね」


 講義室の中央で、ハルカは知恵の輪をぶっ壊していた。

 ハルカはプーチ・ティランで駄弁っていることが多い。

 どうしてかといえば、それはハルカの家庭事情に起因していた。

 父親がデュクタチュールの市長ゆえ、エリートの息子はエリートであって当然という扱いをされているらしい。そのため他の施設生からちやほやされるのが気持ちいいのだろう。

 底の浅い人間で考えが読みやすい。

 ネネにもハルカの低俗さが伝わったのかクスクス笑っている。


「ノゾミの言ったとおりここにいたね。なんて滑稽なピエロなの」

「ピエロね、なら僕を楽しませてくれないと道化失格だね」


 これから始まるショーの主役にふさわしい。題目はハルカ・カザマ解体ショーだ。


「ふふ」


 浮き足立つ感情を堪えつつ、表向きは冷静に努める。

 開きっ放しの入り口に立ち、あえて呷るように言い放った。


「何がそんなに面白いんだい?」

「――あ?」


 心底嫌気の差した表情が、ノゾミに向けられている。徐々に瞳の色は驚愕に染まり、一週回って落ち着きを取り戻したように見えた。

 いや、まだ唇の端が震えているあたり、今のノゾミを亡霊か何かと思っていそうだ。


「ハッ……生きてたのか、ヴューちゃん」


 記念すべき第一声が生存確認とは、実に斬り殺し甲斐のある獲物だ。

 むしろ謝られても気分が悪くなるから好都合。復讐対象のランクは、三ツ星を授与するべきなのかもしれない。


「ああ、殺しにきたよ、ハルカ」


 今のノゾミは愚直なまでの復讐心に生かされていた。

 ハルカは、憤激の混じった言葉を受け、硬直した。しかし、すぐに可笑しくなったのか、コケにしたようにノゾミを指差した。


「お前が、俺を、殺す?」


 ハルカの発言を寝言だとでも思ったのか、ハルカは腹を抱えて大笑いした。

 その姿は必死に強がっているようで惨めだ。だから、ノゾミははっきりと告げた。


「そうだよ。もう僕は無能じゃないから」

「本気か? なら超能力を使って見せろよ、できるんだろ?」

「……」


 あからさまに煽ってくるが、ノゾミは反応しない。

 祢々切丸は超能力とは違う。もっと別次元の……超常のものだ。

 ハルカは黙したノゾミを鼻で笑い、「やっぱ何もねーのな、つまんねえ」と初めから期待などしていなかったように片手を突き出した。


「今度こそ死ね」


 剣呑なハルカの両眼が力を帯びた。


「来るよ」


 背後で忠告するネネを無視し、ノゾミはステップで講義室の入口を離れた。瞬間、講義室のドアが盛大な破砕音を立てながら拉げた。テレキネシスであることは一目瞭然。

 殺人行為に対してためらいがない。

「避けた、だと?」 


 テレキネシスが避けられたことに驚きを隠せず、ハルカはあんぐりと大口を開けている。


「避けただけじゃないッ!」


 ノゾミは鋭い呼気を発し、机と机の間を縫うように駆け抜ける。

 その手には隠し持っていた祢々切丸の柄があった。


「な……!?」


 以前とまるで違う俊敏さと大太刀の柄がハルカを動揺させる。

 その驚愕の刹那、祢々切丸が骨肉の刀身を形成した。


「つぁぁぁぁぁぁッ!」


 血を求める刃がターゲットの喉元に迫るが。


「なんだってんだクソ!」


 紅刃が三十センチの間合いで押しとめられた。

 念力による力場でバリアを張っているのだろう。簡単に押し切れるものではない。


「離れろや!」

「……!」


 またもハルカの双眸が標的を定める。

――タッ。

 それを察してノゾミは距離をとった。


「はあ、はあ……」


 息を荒げる相手を眺めながら、ノゾミは戦術に手応えを感じていた。


(テレキネシスの弱点は……視界内で視認したモノしか発動対象にできないこと。そして、必ず予備動作として、対象に視線を集中しなければいけない。ただし、操っている最中は視界内でなくても操れる。それと……)


 脳内では対テレキネシスの戦術が逐次に構築されていく。

 どうやったら苦しめられるか、追い詰められるか、屈辱を感じさせられるか。今までの鬱屈を晴らす勢いで、作戦が練られていく。

 相対するハルカは瞳をぎらつかせた復讐鬼を気味悪げに見下していた。


「チッ、刀なんざ時代遅れなモン引っ張り出しやがって。テレキネシスが効かねえ……なんだソイツは」


 忌々しいとその瞳は語っていた。


「まあいいや。結局、家畜以下のヴューには変わりねえ。超能力でもねえみたいだし? 自分で無能と証明しちまってどうするよ、ノゾミくーん!」

「……っ」


 たしかに、祢々切丸はネネが与えてくれたものだ。

 強大な力を手にしたが、決してヌーヴォになったわけじゃない。

 ヌーヴォでない以上、ノゾミとスグルの間には圧倒的な隔たりが――。


「いいじゃない、私は今のノゾミが好き」


 ノゾミの首に腕を絡めたネネは、躊躇いなく絶対的な肯定を口にした。


「報われない……そう知っていても、ヌーヴォという希望に縋ろうとするノゾミが大好き。狂おしいほど愛しているわ、ノゾミ」


 優しく注がれる言葉が、枯れて罅割れた心を潤してくれる。ノゾミの思考にもやをかけ、あたかも催眠(ヒュプノ)をかけられているような痺れが走る。

――ネネはノゾミを愛してくれている。


「ノゾミには私がいる。私はノゾミの刃になれる。そうでしょ? それともまだ欲しい? ハルカを斬るための理屈が……」


 ネネの発する一字一句が、祢々切丸を握る指に力をくれる。


「おいおい、図星突かれてだんまりかよ、ノゾミくーん?」


 いい加減待ちくたびれたハルカが机を蹴飛ばしたが、ネネはお構いなしに続けた。


「ハルカはノゾミが無能で気に食わないから殺そうとした。なら、ノゾミの復讐の理由も同じでいいよね」


 ネネは「ふふっ」と愉快そうに微笑んだ。

 ノゾミもまた可笑しさを堪え切れず、


「あはっ、そうだったね」

「……あ?」

「ありがとう。僕がヴューだと再認識させてくれて」


 つい皮肉げに煽り、


「ヴューの僕が君を斬らなければ、僕の怒りは、憎しみは……もう収まらないんだ! くひっ、あははははは!」


 狂笑を披露した。

 ハルカは一歩引いた態度で冷めた視線を送っていた。

 同時に不快さを消し去ろうとするようにその手をノゾミへ。


「気持ちわりい、もう消えろ!」


 ブラウンの瞳の眼力が強まる。

 その視線はノゾミではなく周囲の座席に向いていた。

 ノゾミを直接的に狙うことを諦めた、それはつまり……。


「潰せ」


 ふわり。

 重力を振り切り宙に浮かんだ椅子たちは、脚先をノゾミに突き付ける。

――念力加速。

 テレキネシスのブーストによって椅子が撃ち出される。

だがその速度は、サスケが行使した簡易電磁弾(ミニレールガン)には程遠い。

 ただし、直線や放物線を描く簡易電磁弾と異なり、念力弾は無軌道にして無作為の自由弾だ。

 初撃はハルカの視線で予測できるが、その後の射撃コースは計算で割り出せない。視認してから反応するので手一杯だ。

 しかも手当たり次第に念力弾が飛び交うので、時間をかければかけるほどノゾミは不利になっていく。


「はははっ、逃げ道なんてねえぞぉっ!」


 怨敵の哄笑が響く中、ノゾミの心臓もまた強く体内で鳴り響いていた。

 ――ハルカと本気で闘えている。


「僕に逃げ場は……もうないっ!」


 祢々切丸の柄を握り直し、接近する椅子を弾き飛ばす。

 迫る念力弾を切り裂いてはいけない。敵の手数を増やすことになるからだ。

 その戦法に気付いたハルカはうんざりしたように舌打ちした。


「腐っても筆記一位か、挑発に乗ってこねえ……だからムカつくんだよ、テメエは」


 ハルカは流麗な動作で腕を振り下し、今は見ることがない流星群のように念力弾を操る。

 その数は百に達するかという膨大なものだ。

 しかし、多量の念力弾を操っているせいで動きは直線的と言っていい。


(――いける)


 このまま押し切り活路を――ハルカにとっての血路を――切り開く。

 ノゾミは大挙して迫る念力弾に向けて太刀を掲げ、血刃をピッと立てる。

 紅の一閃の先にはハルカがいる。


「さぁぁぁいっ!」


 一気呵成に血刀を振り下ろす。その刀身が伸びるのに一秒もかからなかった。


「なっ!?」


 襲い来る椅子の大軍を切り伏せ、中央に突破口を開く。

 その先には唖然の表情をしたハルカが待っている。

 ノゾミは柄を握り直すこともせず、切り開いた道を駆けだした。


(もうすぐ、僕の手で……!)


 一歩踏みしめるごとに、仇の体を切り刻む想像で胸が埋められていく。

 その間にも、椅子は中央のクレバスを埋めようと雪崩のごとく押し寄せる。ノゾミは大幅に上がった脚力を思うままに使い、全力で割れ目を走り抜けていく。


「お、おおおおっ!」

「くっ…………なんてな」


 雄叫びを上げたノゾミに渋面を見せたハルカは、一転、嫌らしく嗤った。

 ――ズムッ!


「が!? な……」


 背中の肉をかき分けて、冷たい異物が侵入してくるおぞましい感覚が走り、腹から抜けていった。

 勢いを削がれたノゾミは、即座にその場から飛び退く。ヴェトマパンタロンから血液が染み出し、血飛沫は床にコインドットの模様を不規則に描いた。


「なに、が……?」


 ノゾミは忌々しげに茶髪頭のテレキネッサーをねめつけた。

 仕込んだ念力弾がノゾミを貫いたのだろうが、一体いつの間に視線を動かしたというのか。否、ハルカはそんなそぶりは見せていなかった。


「チッチッ、甘いなノゾミィ」


 にやけ面を隠そうともしないその顔を見て気づく。

 正体不明の念力弾、思わぬ横槍のその正体。


「そうか……ピアスッ!」

「おっ、大せいかーい」


 大げさに拍手喝采するハルカの左耳――金メッキのピアスが消えていた。

 それは今、ノゾミの血にまみれて宙を漂っている。

 ノゾミは復讐仇の敷いた作戦にまんまと引っかかったわけだ。


「やられたよ。君はクズだけど、それでも総合二位だからね……」

「今頃、格の差を思い出したのかよ。てか、クズなのはテメエもだろ。

 ――自分にも超能力があれば、なんてウジ虫の嫉妬みたいな目で見やがって。座学一位で踏ん反り返ってるテメエを見るたびにイライラしてたぜ」

「……」


 スグルの指摘を否定することはできない。なぜなら、それが本当のことだったから。

 超能力に目覚めれば、ノゾミは総合一位を目指すことだってできたはずだ。ヌーヴォになれれば、ノゾミを取り巻く不況は好転すると信じていた。

 そんな傲慢な意識が表に出ていたのかもしれない。


「ま、お前の顔を見るのもこれが最後だけどな」


 スッと腕を上げたハルカが念動力を操ると椅子が巻き上がった。念力弾として打ち出されれば圧死確実の物量だ。


「そっか……」


 ハルカの言う通り、二人はここで袂を分かつことになるだろう。

 至極残念だとばかりにノゾミは首を横に振った。

 脇腹を抱えて震えているのは失血と激痛からの恐怖――


「もう君の顔を見ることはないだろう。さようなら、ハルカ」


 などということはなく、ノゾミは狂笑を見せた。


「バイバイ、ピエロ君」


 背中におぶさって暇そうにしていたネネが短く別れを告げた。


 ――不可解な表情を浮かべたハルカの背後を真紅の刃がチラつく。


 ズチュと肉を食い破った刃がハルカの胸から飛び出た。

 瞬間、無数に飛んでいた椅子は騒がしくぶつかり合って落下し始めた。


「か、ハッ」


 思わぬ奇襲を受けハルカは盛大に吐血した。肺から気管にかけて大きな損傷を負ったのは間違いない。 今はまだ困惑とパニックの方が勝っているのか、なぜと言いたげにノゾミを睨んでいる。

 ノゾミは敵の苦しげな表情を前にクツクツ嗤う。


「テメッ、何だコレ……」

「ごめんハルカ、言い忘れてた。僕、自分の血液を操れるようになったんだよ」


 ノゾミは微塵も謝る気がない態度で謝罪の言葉を口にした。足元では粘度の高い液体が這いずる音が聞こえる。

 ピアスが貫通した脇腹から零れ落ちた血液だった。

 ネネとの契約がもたらした最後の力、血液操作。任意で動き、凝固できる。妖刀染みた祢々切丸に相応しい能力だ。

 ハルカは驚愕に満ちた相貌で血刃を睨みつけた。

 しかしそれは哀れな行為だった。祢々切丸と同様、テレキネシスは通用しない。念動力を試しているようだが、全く効かずに焦っているようだ。


「血……だと、超能力か……!?」

「そんなバカな! 僕は無能さ!」


 ハルカが自分で言った通りノゾミは無能力者だ。

 ただ認められないだけだ……市長の息子でヌーヴォの自分が、落ちこぼれのヴューに辛酸を舐めさせられている現実を。


「君は無能力者の僕に殺されなければならない!」

「復讐に皮肉は付き物だものね」


 目には目を歯には歯をという素晴らしい諺がある。ネネの発言通り、やられたことはやり返すのは復讐相手への最高の礼儀だ。

 だが残念なことにハルカはそれが気に食わないようだ。痛みで歯を食いしばりながらもノゾミを睨み続けていた。


「テメ、やるならさっさ……ッとやれよ」


 滑稽に強がっているが、ハルカはすでに虫の息。刃を動かせばばたちまち蓋が空いた貝か、くたびれた枯れ木のような姿になるだろう。

 それに……そのような態度を取られてもノゾミは萎えるだけだ。


「困るよハルカ。僕が聞きたいのは――」


 ノゾミは瞳に暗い影を落とし、無音でハルカに歩み寄った。


「そんな言葉じゃないッ!」


 その手で胸元に手を掛け、血に塗れたヴェトマパンタロンを引きちぎった。ハルカの引き締まったボディが剥き出しになり、グロテスクな傷口が鮮やかな光沢を放った。


「じゃあなんだ、ぐっ。ゴメンでも、言って、欲しいか?」

「まさか。謝罪なんてもういらない」


 謝ってもらったくらいではノゾミの怒り、憎しみは収まらない。

 気にかかっていることを一つだけ問い質してみた。


「ねえ、ハルカ。君と僕の違いはなに? 市長の息子と奴隷の息子? ヌーヴォとヴュー? そのどれでもないなら、その違いはどこにある?」

「ハーッ……ハーッ……? ごはっ……じ、じらねえよ」

「そうだよね。僕も知らない」


 この問いに模範的な回答は存在しない。

 だからノゾミは確かめることにした。


「このまま僕とハルカの血を混ぜて免疫拒絶させてもいいんだけど、それじゃ僕の疑問は残ってしまう」


 それにあっけない終わり方になり、ノゾミは満足できない。


「僕は、僕と君の違いを知りたい。そのためにはもう一つしか選択肢がない……」

「な、なにを、やめッ……」


 喀血交じりの抵抗も虚しく、ノゾミは無慈悲に傷口に指を這わせた。愉悦に浸った表情はマッドサイエンティストのようだ。


「君の中身を――見てみたいっっっっ!」

「が、あああああああああ!?」


 ミチッ、バリッという皮を剥がす音が講義室の壁際で響く。

「解剖だよ、ハルカ! 今までヌーヴォには人権があったから、誰もその躰を解剖することはできなかった! でも僕には関係ない!」

「……ひゅー……ひゅー」

「ん?」

「どうやらショックで意識が飛んじゃったみたいね。息もか細い。もうあと十分持つかどうか……」


 ネネは項垂れた被検体の体を舐めるように観察して結論付けた。


「それはいけない」


 意識がないと反応が分からなくなって困る。血液を流し込んで心肺蘇生を試してみた。

 途端、息を吹き返したようにハルカはぶるりと震えた。


「ごあっ……ころせ、ころせよ……」


 嗚咽の混じった声を聴くだけで、ノゾミの身心は身もだえた。


「ダメだよ。実験はまだ終わってない」


 ノゾミは狂った最愛の感情をぶつけながら、解剖中のマウス状態になったハルカを見つめた。

 ネネはそんな惨状をニコニコと傍観している。


「そうよ、ノゾミ。復讐はまだ始まったばかりだもの」

「あ、あ――――――ああああああああ!?」


 夜の刻は吹き出る真紅の血とともに流れていった。

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