殺し屋の美学
一昨日、昨日と続き、今日も曇りの朝。
メグルは珍しく早起きした。
しかしながら訳があって目覚めたのではない。
なぜか胸騒ぎが止まらなかった。
窓を開けると雨どいを朝露が伝い、朝焼けに溶けるように下へと落ちていった。
メグルはそんな朝を普段どおりとは思わなかった。
――タブレットに返信がない。
「ノゾミ君……どうしちゃったんだろう」
ノゾミはぶっきらぼうな男だが、人のメールを無視する男ではない。
なにか事情がありそうだった。
そういえば、昨日ハルカに呼び出されていた。きっとハルカにちょっかいをかけられて返信ができなかったのだ。
そう理由付けしても不安なものは不安だった。そこに明確な根拠は無い。強いて言えば、いつもと異なる雰囲気を感じたくらいだった。
メグルは朝食もとらずに、急いで第八プーチ・ティランへと向かった。
(きっと、施設に行けば会える……よね)
表現できないもやもやが胸中で渦巻いていた。
*
四百メートル級の純白の螺旋塔には、まだ人気はなかった。
メグルはまだ人っ子一人通っていないだろうトラベーターを駆け上がり、講義室前で足を止めていた。
扉に手をかけるとやけに重苦しい感じがした。
見るなと囁かれているような背徳的ななにかが扉の向こうにある。
「誰も……いない? うわっ……なにこれ」
メグルはおずおずと扉を押し開け、オートライトアップされた講義室の中に踏み込んでいく。
講義室内は絶句してしまうくらいの惨憺たる有様だった。
規則正しく並べられていたはずの白椅子は、八つ当たりで散らかされたようにバラバラ。ワックスゴム質で覆われたチタン合金の床には無数に切り傷が走っていた。
酷いのは、それらの散乱物にはしばしば血痕のようなものが見られることだ。
まるで油絵のようにべっとりと付着している。
メグルは血の跡が大きくなっているほうへ視線を向け――。
「ハルカ、君……?」
床に血を垂れ流したまま、貼り付けにされたハルカ・カザマの惨殺体を目撃した。
壇上に磔にされたソレを目に入れた瞬間、メグルの喉元まで吐き気がこみ上げた。
「うっ……おっえ……」
口の中に酸味とえぐみが広がった。
床に手をついて休み、身体と精神が落ち着くまで待った。
「酷い……」
メグルは仄暗い予感に憑りつかれながらも、磔にされたハルカを観察した。
椅子の足をピンにして、壁に打ち付けられた青年の死体がある。
悲壮な死に顔はハルカ・カザマに相違なかった。腹を切り開かれていることから、解剖されながら、いたぶられて殺されたのだと分かる。
――それよりも問題なのは、ハルカの背後の壁に記された走り書きだろう。
『僕は復讐者だ』
血文字で綴られた一文。
乾き切っていない血液は、血文字が書かれてから間もないことを表していた。
「こんな、こんなことって……」
メグルはハルカのことが嫌いだった。態度を改めて欲しいとは思っていたが、死んで欲しいと思ったことはない。
しかもこんな晒されるような殺され方は欠片も望んでいなかった。
明らかな憎悪をもって殺害されたハルカを見て、その犯人の思い当たりがついてしまう。
ハルカから粘着質なイジメを受けていたノゾミだった。
(私いないところで、ノゾミ君がイジメられているのはなんとなく察していた……でも、これをノゾミ君がやったと思いたくない……!)
そんな風に内心で犯人の特定を避けつつも、コレを実行しそうな動機を持つ人物がノゾミしか思いつかなかった。
(でも……超能力が使えないノゾミ君がどうやって……)
唯一、疑問な点があるとするなら動機ではなく殺害方法だ。
超能力の使えないノゾミにハルカを相手にできるとは思えなかった。
ハルカは第八プーチ・ティランで第二位の実力者なのだから。
(ダメ、これ以上は大人に任せて……)
どちらにしろ、このまま放置すれば大事件として捜査が入る。そうなればメグルの干渉など些細なことだ。
しかし。
「――いや」
そこまで推察したメグルは身近らの手を見てハッとした。
「まだ私にできることはある」
メグルには当時の記憶を追体験できる力がある。
不謹慎だが、サイコメトリーとはこのような状況でこそ活躍する超能力なのだ。
「サイコメトリーで何が起きたかを見れば……真犯人だって分かるはず!」
メグルはハルカの死体に生理的な嫌悪を抱きつつ、サイコメトリーを使うために近寄った。
基本的にサイコメトリーは対象物に触れなければ効果を発揮しない。対象は有機物、無機物を問わず、当然、生者か死者かも関係ない。
物体に残った電子の記憶を読み取るのがサイコメトリーの本質だ。
メグルはそんな理論などどうでもいいとばかりに、ハルカの肩に触れた。
「ごめんね」
せめてそう断ってから、メグルはサイコメトリーを開放する。
――バチッと、電子の弾けるような音が脳内に響き渡った。
*
『ああ、殺しにきたよ、ハルカ』
どこか悲しそうなノゾミが、ハルカを挑発する。
激昂したハルカは、血で固めた刀身の大太刀を構えるノゾミと闘い始める。
両者一歩も引かない攻防で、いつ、どちらが命を落としてもおかしくなかった。
『ヴューの僕が君を斬らなければ、僕の怒りは、憎しみは……もう収まらないんだ!』
狂気を称えたノゾミの哄笑が講義室に響く。
自暴自棄にも感じる悲しい満面の笑顔。
『もう君の顔を見ることはないだろう。さようなら、ハルカ』
冷徹な復讐鬼の表情。
その陰にすら、僅かな人間性は垣間見れなかった。
『君の中身を――見てみたいっっっっ!』
迷い苦しむように、ハルカの体を裂くノゾミ。
狂気に呑まれてしまった科学者が、嬉々として人体実験に望んでいるような。
そんな残虐さがあった。
『なんだ……君も僕と同じ血が流れてるんじゃないか』
そして、ノゾミは失意に呑まれて、ハルカの前で泣いていた。
(なに……これはなんなの?)
困惑で頭が働かないメグルは、もっと記憶を見ようとしたが――。
バチッ!
突如、脳に鋭く走る電位差がメグルを襲った。
『これ以上、私のノゾミを覗くな。触れるな、関わるな』
「――っ!?」
サイコメトリーに深くダイブしていたメグルの思考は、聞き覚えのない少女の声に阻まれた。
記憶の読み取り、サイコメトリーによる電子の解読を強制的にシャットダウンする声。
「……誰、あなた」
相手の姿が一瞬だが垣間見える。
白いワンピースに、白髪の華奢な少女。
紅の瞳でこちらを射貫き、不気味に佇む姿は幽鬼を思わせた。
『警告はした。もう近づくな』
*
「あつっ!」
メグルのサイコメトリーは、その景色で電池が切れたように途切れた。
「なんで、もうサイコメトリーができない……!? そんなことが……」
通常、サイコメトリーは対象が残っていれば何度でも行使できる超能力。
それが一方的に拒絶されているというのは、超常現象より不可解だった。
「……なにが起こってるの?」
ハルカを殺した人物がノゾミだというインパクトは、既に星の彼方へ消えていた。
頭の中に残ったのは奇々怪々な少女の言葉だ。
超能力の行使に割り込む存在など聞いたことが無い。
そんな存在がノゾミに関わっている。
「あの子は、『私のノゾミ』って言っていた」
それどころか、ノゾミを自分のものにしようとしている。
目的不明、正体不明の存在がノゾミを利用しようとしていることは、疲れ果てたメグルの頭でも理解できた。
なし崩し的に嫌な予感ばかりが膨れていく。
「ノゾミ君が危ない。あの子は危険だ」
この情報を握っているのは自分だけ。
大人に情報開示を求められたら、確実にノゾミのことを吐かされるだろう。
そうなったら最後、ノゾミの死刑は免れない。
「私が助けなきゃ……ノゾミ君をあの子から、大人から……」
覚悟を決めた瞬間、メグルは講義室から飛び出していた。
その日、デュクタチュールでは市長ナギ・カザマの息子とマグネティッカーの施設生が殺害されたと報道された。
その後にそっと添えて、ヴューの少年とサイコメトラーの少女が行方不明になったニュースが流れていた……。
*
デュクタチュールのシンボル。
八百メートルある純白の螺旋塔セウル・ティラン。
その高層百階にある市長室には、市長ナギ・カザマがイラついた様子で立っていた。
「……サスケとハルカはどうやって殺された?」
今日の明け方、マグネティッカーのサスケと息子のハルカが死体で発見された。
奇怪なのはその殺害方法。
サスケは首を切断されていた。
ハルカの遺体には切り傷が多く、胸から腹にかけて切り開かれた傷は特に目立った。普通に考察するなら操風能力・エアロキネシスによる真空刃が妥当だ。
なのに今回の事件では、物理的な刃物によって殺された痕跡があった。
旧時代の武器を使う殺人鬼に、仮にもテレキネッサーが負けるだろうか?
答えはノーだ。
中・遠距離から一方的な攻撃ができるテレキネッサーと戦闘ができるはずがない。
しかし現実では、ハルカが物言わぬ骸と化している。
極めつけは現場検証に赴いたサイコメトラーがハルカから記憶を読み取れなかったことだ。
超能力、ひいては超能力者たるヌーヴォの権威が脅かされかねない事案。
そこまで整理したナギは、一枚の写真を取り出した。
念写能力者・ソートグラファーが造った現場の証拠写真だ。
「『僕は復讐者だ』……ふざけた文面だ」
犯人の目星はついている。
ハルカの目付け役であるサスケに抹殺させたはずの存在。
ナギが揉み消そうとした人物。
「バカげた復讐鬼だ、ノゾミ・カミナ」
「ソイツが次のターゲットか、ナギの旦那?」
「来ていたのか、ジーコ」
ノックもせずに扉を開けた男に、ナギは慣れた様子で反応した。
黒ずくめの男は、黒帽子の鍔を指でぴんと弾いた。
「たとえ雇い主だろうが気取られるべからず、だ」
「殺し屋家業らしい理屈だな」
「美学または、主義といってもらいたいね」
ジーコと名乗る殺し屋は、その体格のよい長身にピッタリと合う黒いコートを羽織っていた。時代遅れのフェルト帽子の下にはサングラスが見え隠れする。その顔をよく覗けば、顔中に無数の傷があり、その傷は全身にもあるのだろうと予想できた。
おおよそその姿は、デュクタチュールの人間がする服装・風貌からかけ離れていた。
ジーコは軟質ゴムと人工革のブーツで踏み出した。
当然、靴音は漏らさずに。
「それで、標的のミスターはどんな奴なんだ?」
「焦るな、これが資料だ」
ナギは書類に視線を向ける。
すると書類は滑らかな動きで宙を舞い、ジーコの手元に納まった。
流石、親子なだけあり、ナギはハルカと同じテレキネッサーだった。超能力の系統は遺伝しやすいらしい。
ジーコは飛んできた紙束をじっくりと、ねぶるように、黒レンズ越しに見つめた。
「ノゾミ・カミナ、十六歳……まだガキじゃねえか。しかもヴューを殺せと?」
くっだらねえと切り捨て、普段ナギが座っている肘掛け椅子に陣取った。
何度もその横柄な態度を見てきたナギだが、今回は一段と荒っぽい。
成人もしていない少年の命を奪うのは、彼の言う『主義』に反するのだろう。
「ノゾミ・カミナは不可解な存在でもある」
「へえ」
ジーコは調子者の態度を崩さず、サングラス越しの眼差しを鋭利に尖らせた。
超能力だけでも珍妙な力と考える古株のジーコにとって、ナギが不可解扱いする少年に興味を持ったのだ。
「超能力の干渉を受け付けない、もしくは対抗できる力を持つ可能性がある」
ピクリ、とジーコの眉が上がった。
「ほう、そりゃ興味深い。旦那が珍しく焦ってるのもそのせいか?」
「ああ、息子とその傍付きがやられた」
「……ハル坊とあのマグネティッカーが」
ナギの息子ハルカとその傍付きサスケ。
ジーコは直接関係を持ったことはないが、雇用主ナギの親族・関係者ということで幼い頃からよく知っている。
「そう、か……逝くには早すぎるな……」
特に、マグネティッカーのサスケは将来有望な暗殺者になれると踏んでいたものだ。
損得勘定だけで物事を考え、どんな任務でも遂行できる才気を帯びていた。
散るには惜しい、暗殺者として生まれてきたような若者だった。
「あのマグネティッカーは俺の相棒になれると思ってたんだけどなァ……」
だからこそ、ジーコはわずかな感傷に浸り、フェルト帽で顔を隠すのを止められなかった。
殺し屋であるジーコには、それ以上のことはできない。恨みを買い続ける仕事柄、命を落とすことはよくあるから――。
明日は我が身とならぬよう、ジーコにできるのは実力と勘の向上に邁進するのみ。
冷徹で酷薄だが、それが生き延びるための秘訣なのだ。
「アンティーク銃の達人にそこまで買われていたか、サスケは。惜しい人材を亡くした」
「達人なんてよせよ。俺の特技は早撃ちくらいのもんだぜ」
コート袖の内から自動拳銃をスライドさせたジーコは、ナギに向けて引き金を引くフリをする。
それからへらへらと笑い、いつもの態度に戻った。
「しかし、あのマグネティッカーがね……」
「依頼を受ける気が出たか?」
「ああ」
ジーコは内面を悟られぬように、あえて無味無臭に感じるような淡白な口調で返した。
認めていた存在を殺められて、心中穏やかでないことは事実だ。
「やり方は俺が決めてもいいんだな?」
「構わん、だが確実に仕留めろ」
ナギは酷薄に言い捨てる。
デュクタチュールの秩序は絶対に崩させないという、市長としての固い意志が感じられた。
「当然」
依頼主のご意向であれば、とジーコはフェルト帽を掴み上げて応えた。
*
「朝の一杯は効くねえ」
ナギから依頼を頼まれた翌日の午後。
デュクタチュール商業区の人気のないカフェで、ジーコはコーヒーを啜った。
純白の制服に身を包んだ市民の中に、黒いコートにフェルト帽のジーコは目立ちすぎる。
休憩がてら、この清閑なカフェで作戦立案をしていたところだった。
「さて、どこに山を張ろうかねえ……」
デュクタチュールの都市地図をサングラス越しに眺める。都市の全貌が余すことなく網羅された地図は、ターゲットをスナイピングするのに最も役立つものだ。
射撃術を効率的に、効果的に使用するため、より高い場所を確保して地の利を得る。
確かに狙撃には技術が必要だ。しかし、それも安置がなければ技量を十全に発揮できなくなってしまう。
すべては問題のノゾミ・カミナを葬るための細工づくりに繋がるのだ。
ミッション達成のためのピースは、それだけではない。
――カサッとコートの内側から一枚の写真を取り出す。それは少女の無機質な証明写真を拡大したものだった。
物体から記憶を読み取るサイコメトラーの少女。
「メグル・オモイ。ノゾミ・カミナの手掛かりを知る重要参考人。事件を起こした当日、ノゾミ・カミナを追って行方不明になる。ふうん……こんな別嬪をどうこうするのは気が引けるぜ」
それでも、引き受けた仕事は細部までこなすのが殺し屋の務め。
いかな可憐な少女だろうが、引き金に掛けた指を躊躇ってはならない。
「まあ定石的に、クラシックに罠を仕掛けてみようか……ねえ?」
カモの行く先を予測するなど、ジーコにとっては慣れたこと。
しかも相手は復讐をもくろんでいるので、デュクタチュールから離れられないはずだ。であれば、行動範囲はおのずと絞られる。
「ミスターは勤勉なんだってなあ。ならセオリー通り動くだろ?」
ペケ印を付けたのは、地図に描かれた都市隔離壁の内側ではなく、都市の外側、スラム街だった。
無法者と無能者が集まるアウトローの吹き溜まり。
行方不明者として顔の知られているノゾミとメグル逃げ込むにはうってつけの場所だった。




