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ある皇太子の逡巡  作者: ねぎまんぢう
第2章 14歳編
22/27

第19話 ある海人族の宿痾





「ごほごほごほごほ!がふっ!かはっ!」


激しい咳と共に口から出た喀血がケヤリムシのような赤い花を咲かせた。





「あなた!」


「近寄るんじゃない!」



喀血に驚いた妻が駆け寄ってこようとするが、それを制す。

妻は泣き出しそうな顔になるが、近寄らせるわけにはいかない。





「フィルリアネム…ぜぇ、ぜぇ…私に近寄ってはならないと、かふっ、いつも言っているだろう」


「でも!貴方のそんな苦しそうな姿を見て何もできないなんて…」


妻…フィルリアネムが顔を伏せた。

私だってお前のそんな顔は見たくないのだ…。



しかし…私の罹る病、『鰓腐れ病』は感染することで知られる病。

しかも今まで罹って助かった者のいない死病なのだ。





鰓腐れ病に罹った私、リンドルフィレムはシーレーン王都を離れ、辺境で療養生活…とは名ばかりの隔離生活を送っている。

王都では女王陛下の補佐官の一人として働いていたのだが…鰓腐れ病に罹ってはそれも過去の栄光に成り果てた。

もはや死を待つだけの存在だ。


しかし妻のフィルリアネムは私自身をはじめとした周囲の猛反対を押し切り私についてきてくれた。

私たちの一人娘を王都の親類に預けて。




ああ…私が早く死ねばフィルリアネムは娘の元へ戻れるのだ。

しかし、もしフィルリアネムに鰓腐れ病が感染していたとしたら…。

それだけが気がかりで仕方ない。まだ若い妻が私と同じ病で死ぬなどあってはならないのに。











カァン!カァン!



私が隠棲している洞穴の入口にある呼び石が鳴らされた。

こんな死病に侵された私のもとに誰が訪れたというのか。




フィルリアネムが来訪者の対応をするために出てゆくと、部屋に響く音は私のゼイゼイという呼吸音だけだ。


鰓腐れ病は生きながらにして文字通り鰓が腐ってゆく。

それに伴って呼吸が困難になり、喀血する。

昔に陸上でいう結核という病と似た症状らしいと聞いたことがある。





「あ、貴方!これを!」


入口の方から慌てて泳いできたフィルリアネムは先ほど叱られたことも忘れて病床の私に駆け寄った。

差し出したその手には巻かれた紙が握られていた。

シーレーン国で一般的に使われているカイギュウの皮をなめした海牛皮紙だが…。




「こ、これは!?」


その紙にはシーレーン王家の紋章が描かれている!

つまり、これは王家からの勅書!?




病による体力の低下と緊張とで震える手を何とか制し、紙を広げてゆくと、そこに書かれていたのは女王陛下の第1子であられるフィンリーレアルザード王子からの手紙であった。




帝国の皇太子殿下に仕えておられるフィンリーレアルザード王子が女王陛下への近況報告に訪れた際、私が鰓腐れ病に罹り王都を離れたことを耳にされ、この手紙を送ったとの旨とともに、こう書かれていた。



『今帝都では疫病の研究が盛んにおこなわれています。疫病研究の第一人者であり、典医の一人でもあるレガート医師を訪ねてください。紹介状と路銀を同封します』




「おおおっ…」


フィン王子…一臣下でしかない私のことを気に留めていただいたばかりか救いの手まで差し伸べて下さるとは…!




「貴方!?手紙には何と?」


「ごほっ、フィン王子からの御下命だ。私は帝都へ向かわねばならん」


「そ、そんな!そのお体では!」


「フィルリアネム、この手紙を読んでみなさい」



私から手紙を受け取るとフィルリアネムは目を通し始めた。

文官の妻ということでフィルリアネムは文字を読むことができる。

結婚当初に私が教えたのだからな。



「も、もしかしたら…助かるかもしれないのですね!?」


「いや、わからぬ。しかしもし死んだとしても私の死骸を調べればこの病を治す手がかりを得られるかもしれん」


「そんな…どうか気をしっかり持ってください!あなたはきっと助かります!」


「ふふ…げふっ!ごほごほ!…ありがとうフィルリアネム。さあ、荷をまとめよう」


「はい!」




…妻にはすまないが、もし道中私が力尽きても私の遺骸を帝都のレガート医師の所まで運んでもらわねばならない。

きっとそれは耐えられぬほどつらいことかもしれないが、シーレーン族の未来のため…。













△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽









「ゼェ…ゼェ…」


「あなた…帝都港はもう目と鼻の先です。もう少し、もう少しで…」


「わ、わかっているさフィルリアネム、ごほっ、もう一息だ」



道中、幸運にも獰猛なサメやシャチに出くわすこともなく帝都港にまでたどり着くことができた。

私の命も…もう少しは持ちそうだ。












帝都港は古くからシーレーン族との窓口として使用されてきた歴史があり、港湾内の海底にシーレーン族向けの迎賓館がある。

しかし、私は感染する病に罹る身。迎賓館に立ち入るわけにはいかない。



妻に支えられながら迎賓館横のスロープを上がる。

このスロープもシーレーン族が地上に上がりやすいように造られたもので、シーレーン国と帝国の親密さがうかがえる。





ザパァ






「うっ!ぐ…!げふげふげふ!ごはっ!」



「いやっ!あなた!しっかりしてください!ああ!」




く、腐りかけた鰓で…地上の空気は…辛すぎる!

呼吸が…ままならない…。


しかし!これは王子直々の御下命!

道半ばで斃れるわけにはいかない!

ここまで来たのだ、死ぬならせめて王子からの手紙にあったレガートという医師を見つけてからだ。












「失礼!りんど…えーっと、リンロルヒレム殿とお見受けしますが」



スロープを上がった先、帝都港の一角にて待ち受けていたのは数人の人族の男たちだった。

そろいの変わった胸当てをつけた…衛兵だろうか。




「……!……………!」



く…返答しようとするが、呼吸のままならない私では言葉にならない。




「そ、そうです。あなた方は…?」


私に代わって妻が答えてくれた。





男たちは妻の返答を聞くと一斉に敬礼した。



「我々はケーサ…宮廷より遣わされた迎えの衛兵でございます。フィン王子殿下よりの早便を受けた皇太子殿下の命によりあなた方をレガート医師のもとへご案内いたします」




おお!なんと!

王子殿下だけでなく皇太子殿下からまでご配慮を賜れるとは!

なんとしてもこの使命果たさねば死んでも死にきれない!




「あ、ありがとうございます。でも…夫は…夫は地上に上がることは無理なのです!こんなに苦しそうに…!」



な、なにを言うんだフィルリアネム!

このような苦しみなど、使命を果たすためには…なんとも…ない!





「…………!…………………!」



しかし、声にならない。



「あなた!しっかりして!一度海中に戻りましょう!このままではあなたの身が持ちません!」



どうせ死ぬはずだった命なんだ!

医師の元へたどり着けばその死に大いなる意味が与えられるのだ!

シーレーン族が鰓腐れ病を克服する(いしずえ)になれるのだぞ!




なおも地上へ向かおうとする私に妻が取りすがる。

くっ、病で弱った力では振り払うことができない。







「お待ちください!もし病状が芳しくなく、地上に上がるのが困難な場合に使うようにと皇太子殿下からお預かりしたものがあります」




一人の衛兵が箱を差出し、私に見えるように開いた。



「魔石…ですか?」



箱の中には恭しく赤染めの布に頂かれた蒼い魔石が入っていた。

蒼い…水魔石か。しかし水魔石で生成できるのは真水のはず。

シーレーン族にとっては文字通り水が合わないはずなのだが…。



「こちらは海属性魔石です。属性フィールドを発生できるように調整がなされていますので魔力を通してみて下さい」



「えっ?海?海属性ですか?」



妻が聞き返すが、私も同じ気持ちだ。

魔石と言えば火水風土の4つしか聞いたことがないし、それ以外の属性があるなど考えたこともなかった。



「はい、海属性です。帝国では魔石を人工的に創りだす研究が進んでおり、その結果生み出された新属性魔石でございます」



なんと!精霊しか創りだすことができないはずの魔石を人の手で!?

帝国の技術力はもはや精霊をも凌駕するというのか!


…フィンリーレアルザード王子が皇太子殿下にお仕えしているのはまさに先見の明だったのかも知れん。

同盟宗主国とはいえ、帝国とシーレーン国の間で技術格差が大きくなりすぎることはよろしくない。

フィンリーレアルザード王子が窓口となりシーレーン国に帝国の最新技術が普及すれば両国の結びつきはさらに強固なものとなるだろう。





「あなた、これを…」


「かはっ!かひゅー、かひゅー…」



魔石を受け取った妻が私の手に魔石を握らせてくれた。

礼を言おうとしたがやはり声にはならなかった。




手の中の魔石に魔力を込めてゆく。

すると乾燥にピリついていた肌のつっぱり感が和らいでゆき…。






「うっく!げほげほげほげほ!っかはっ!はー…はー…い、息が…ごほっ!はー…はー…呼吸が、できる、ぞ…」



まるで握りつぶされるようだった鰓に空気がいきわたるのを感じる。

先ほどまでは咳すらできなかったのに、海中と同じような呼吸ができる!




「ああ!あなた!」


妻が私の魔石を握る手の上から手を握ってくれる。




「こ、皇太子殿下よりの御高配、誠に痛み入りま、げほっ、痛み入りまする。この魔石のおかげで、私の命に今しばらくの猶予が与えられたようです」



「そうですか!それはよかった!こちらが皇太子殿下よりの手紙にございます」



衛兵が差し出した一枚の紙に目を通すと。





・人工魔石はまだ実験段階のものなので、魔法顕現時には十分な安全対策をとること

・想定外の挙動があった場合にはすぐに使用を中断すること

・帝都臣民には発表前のものであるので、人工魔石の情報は二級機密指定とする

・使用モニターの方には決して人体実験だとはおも






「うぉぉぉっほん!失礼!渡す紙を間違えてしまいました」



読んでいる途中の紙を不意に取り上げられてしまった。

なにか人体実験とかいう不穏な単語があったような…。



「こちらが…正式な親書に御座います」



今度はしっかりと確かめてから衛兵が紙を差し出した。

改めて渡された紙にはこう書いてあった。




この度は臨床試験にご志願いただき誠にありがとうございます。

現在、帝国では人族以外の医療情報が圧倒的に不足しており、貴方の臨床情報は医学の発展に大きく寄与することでしょう。

シーレーン国と帝国の医療技術の向上のために貴方の臨床情報、病状、治療法、治療過程、結果などを広く公表することをどうかお許しいただきたい。


治療にあたっては施療院に長期滞在することになる可能性が高いので、海から離れる時間も多くなることでしょう。

そこで海属性魔石を下賜いたします。海属性魔力フィールドを用いれば長期間の地上生活が生命の危険を呼ぶ可能性は極めて低くなるでしょう。

ただ、なにぶん海属性魔石は開発されたばかりのものであり、数を用意することができませんでした。

もしお連れの方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんが帝都港の迎賓館の方をお使いください。


一日も早いご全快を心からお祈り申し上げております。



ベルフィルド帝国皇太子ネレウス














な…なんだ、これは。


なんなんだこれは!



帝国の皇太子が、一介の文官…いや、病人に送る手紙ではないぞ!


尊敬的言い回しをすべての文章に付け加え、単語もすべて丁寧なものを選んで使っている。

しかも情報を公開することの許しを乞うているのだ!

帝国の皇太子がだ!

皇太子殿下が許しを乞う必要があるものなど、皇帝陛下と、それこそ精霊様くらいのものだ。



「これが本当に…皇太子殿下からの『親書』なのですか?」



親書ということは、皇太子殿下が手ずから書かれたものだということだ。



「はい。殿下はこうおっしゃられました。人を滅ぼすことができるものは人と疫病のみ、と。戦争と爆発的感染(パンデミック)だけは全力をもって排すべし。それが皇太子殿下のお考えです」



疫病を根絶するためならば手段を択ばないということか…。

なるほど、先ほどの親書もその意気込みの表れということか。



ますますもってこの使命、果たさねば。








「さ、馬車を用意してあります。施療院までこれでお運びします」


衛兵が示した先には珍妙な馬車が用意されていた。

幌も車体もすべて白く染められ、幌の天辺には紅い光を放つ光魔石が置かれている。

文官時代に数度帝都港へ来たことはあるが…そのときはこんな馬車は見たことない。



車体の横に『帝都東施療院』と書かれている。



「この馬車は急病人を運ぶ専用馬車です。貴族の馬車ですら道を譲らねばならないと定められているので速やかに施療院まで行くことができます」



それはすごい!

本当に国家を上げて疫病と戦っているのだな。














△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽













本当に人々も馬車も道を譲るのだな…。

急病人専用馬車は衛兵の言葉通りすぐさま施療院へ到着した。



到着した後も担架で運ばれ、海属性魔石のおかげもあり呼吸も安定している。

逆に付き添っている妻の肌が乾燥してきている様子が申し訳なく感じるほどだ。





担架から見る施療院の様子はとても清潔だということが第一印象だ。

どこも綺麗に整頓してあり、昼間だが光魔石照明が煌々と照っている。

整頓されすぎてどこか無機質な印象もあるが…壁にかけられた絵画がそれを和らげているようだ。



「では医師(ドクター)、よろしくお願いします」


「全力を尽くしましょう」




運び込まれた部屋で待ち受けていたのはケモナ系蟲族の初老ほどの男性だった。

蟲族の方は瞳に特徴があり、他の種族のような白目がない。


この男性の虹彩は淡い紫色をしている。

両目の横には偽眼(ぎがん)と呼ばれる瞳に似た器官があるが、創世神話において蟲族がまだ人の形をとる前に目が複数あった頃の名残であるといわれている。

それ以外の所は人族と変わりがあるようには見えない。


蟲族は白目がないことから表情を読みにくいとよく言われるが、この医師はさらに口に当て布をしているのでさらに表情が読めない。





「奥方様、奥方様がご同伴できるのはここまでです」


「えっ…そんな」


「ここからは医師の領域です。信じて待ちましょう」



衛兵に諭されながらも妻は心配そうに私の方を見つめている。


「フィルリアネム、私なら大丈夫だ。こほっ、ここに来るまでに帝国がいかに疫病対策に力を入れているかわかったろう。皇太子殿下のお言葉に甘えて迎賓館で待たせていただきなさい」


「わかり…ました」



「奥様、面会がかなう段階になったら必ずお知らせします。それより前にも逐一経過をお伝えしますのでお待ちください」


蟲族の男性も胸に掌を当てて約束すると、妻は惜しみつつも衛兵たちと共に部屋を後にした。






「私がレガートです」


「おお、貴方が…。私は」



「どうかそのままで。起き上がらなくて結構です。りんろ、リンドルヒレム殿で間違いありませんね?」


「はい。シーレーン族の名前は地上の方には発音が難しいでしょうから、リンとお呼びください」


シーレーン族の名前は発音に鰓から出す音が含まれているので鰓の無い種族には難しいのだ。というかほぼ不可能に近い。

文字にするとなんてことはないのだが。



「ではリン殿、症状はいつごろから?」


「去年の冬…ぐらいでしょうか。最初は数日熱が続いて」



医師は私の答えを聞くとサラサラとメモを取っていく。


そうして質問と回答が繰り返される。










てっきりすぐに治療に取り掛かるものかと思っていたが。

そうか、これはただの治療ではないんだった。この何気ない情報が疫病を知る第一歩となるのだな。












「医師。医師は典医でもあられるとお聞きしましたが」


質問が一段落したので今度はこちらから質問してみた。

海魔石を使用してからなんだかとても調子が良いのだ。


「ええ。10人いる典医の一人を拝命しております」


「では皇太子殿下も診察なさったり?」


「はい、皇太子殿下は私が診察を…というか、皇太子殿下は私以外の診察をお受けになろうとはなさりませんので」



それが本当ならなんとも光栄な話ではないか。

皇太子殿下からの信認が特に篤いということなのだから。


しかし、表情は分かりづらいが声のトーンからどちらかと言えば困ったようなニュアンスを感じた。

白髪交じりの…白髪のほうが多い総髪を掻きながらの答えでもあったし。



「殿下は大変勉強熱心な方で…御幼少のみぎりから医師顔負けの医療知識がおありでした。しかもその医療知識にそぐわない治療は一切お受けにならないんです」



「それはそれは。殿下は医者嫌いで?」


自分でそう言っておいてすぐさまそれはないかと思い直した。

医者嫌いの方が医療技術発展に腐心するのは不自然であるし。



「むしろ逆に診察そのものは進んでお受けになるのです。しかし医療にご意見を仰られるので他の典医はさじを投げて、一番若輩だった私が担当することになって」


「ほほう。典医と疫病研究の両立は大変なのでは?」



「…実は疫病研究も殿下からの御指示で…。レンズというものはご存じで?」


「ええ。シーレーン国にも帝国から老視鏡が輸入されています。それがどうしました?」


「これは宮廷では有名な話なのですが、レンズを発明したのは実は皇太子殿下なのです。そこから発展して顕微鏡というモノが開発されたとき、疫病の原因であるキンも発見されたのです。殿下はこの疫病キンこそ人間の不倶戴天の怨敵であると宣言なされまして」



キン?先ほど衛兵も話していた通りだが…帝国の皇太子にそこまで言わしめるとは。

人を滅ぼすもの…疫病キン、恐るべし。



「リン殿はスライムという魔物をご存じで?」


「スライム?聞いたことがありませんが」


「スライムは顕微鏡でしか見えない極小の魔物でして。それが人体に入り込むと『スライム赤痢』という疫病を引き起こすのです。顕微鏡が開発されて間もなく帝国中西部で流行しまして。そこで酒精と生石灰を用いた徹底消毒を殿下が指示なされ、沈静化に成功したのです」



スライム赤痢か…。

それが帝国と疫病との戦いの始まりだったのだな。




「それがきっかけで疫病の研究を始めたのです。初めて疫病の原因をこの目で見たのですから、医者として危機感を覚えましてね。うかうかしていては殿下の仰るとおりに疫病で人が滅んでしまうのではないかと思いまして」




「医師は偉大ですね。疫病から帝国を護ろうとなさっておられるのですか」


「そんな大したことではありません。殿下が顕微鏡を開発なされなければ疫病が人の手で沈静化できることを知ることすらなかったのですから」



医師も皇太子殿下も疫病という見えない敵と戦っておられる。

私もそのお手伝いができればそれ以上の光栄はないな。



「今でも帝国中西部では疫病を抑えた皇太子殿下の威光は絶大ですよ。帝国の未来は明るいですね」




















△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽












数日後、私は帝都東施療院の病室にいた。

やっと妻との面会が許されたのだ。


海魔石を下賜していただいてから病の進行が止まり、容体はとても安定している。

喀血もあまりしなくなった。


今では海魔石は小さな巾着袋に入れて常に首から下げている。





「あなた!」


「フィルリアネム!」


病室へ入って来た妻が病床の私に縋り付く。

たった数日離れていただけだというのに妻はもう涙を浮かべていた。

かくいう私も涙をこらえるのに精いっぱいだ。

海中ではバレにくいが地上では涙をこぼせばすぐに分かってしまうからな。












「リン殿、検査の結果、疫病の原因が特定できそうです」


「本当ですか!?」



妻が落ち着くのを待ってくれたレガート医師はそう切り出した。

本当に生きているうちに疫病の克服に貢献できるとは。





「奥様もよくお聞きください。鰓腐れ病の原因は寄生虫のようです」


「寄生虫、ですか?あの魚の鰓とかにたまに見る」


魚を生食する文化のあるシーレーン族では見かけることも多い。

シーレーン族とのかかわりが深い帝都では魚の生食が食文化に取り入れられていたりもする。

ちなみにタコを食べるのもシーレーン族からの影響だ。

しかしアレが鰓に取り付いていれば見て分かりそうな…あっ!


「もしや、顕微鏡で…?」


「その通りです。肉眼では見えないサイズの寄生虫です」


「けんび…きょう?」



妻だけが話についていけていないようだが…私もここへ来た日にレガート医師の話を聞いていなければ思い至らなかったろう。



「こちらがスケッチです」



医師から渡された紙を妻と二人で見る。



「これは…ウオジラミのようですが…」



その絵は丸い体に二つの点のような目がついた甲殻類のようだった。

時折魚の鱗などに引っ付いているウオジラミによく似ている。



「この寄生虫がリン殿の鰓の組織片に多くとりついていることが判明しました。おそらくそれらが吸血することで鰓の血行不良が起こりサンソがうまく取り入れられないか、もしくは寄生虫が分泌する何らかの毒素が体内に入るために引き起こされる疫病なのでしょう」



「これが鰓腐れ病の原因…」


「まだ確定ではありませんが、フィン王子から提出していただいた健常なシーレーン族の組織では見られませんでしたし、これが今一番疑わしきものです」



フィン王子が!?

…そうか、王子自ら率先して疫病と戦う姿勢を見せるためにその尊体を。






「そして…ここからは心してお聞きください。寄生虫と同時に卵らしきものも発見されました。つまり、この寄生虫は宿主の体内で繁殖するタイプのようです。ということは」


「まさか!」


今日妻に面会が許されたのは…いや、面会が許されたのではなく。



「奥様の鰓の組織片もご提出ください。奥様も感染している可能性があります」




















妻の検査結果はその日の午後に出た。





妻の鰓からは寄生虫の幼体らしき個体が発見された。

妻も鰓腐れ病に感染していたのだ。






しかし、妻は冷静だった。


「そんな気はしていました。あなたの言いつけを破ってずっとそばにいたのですから」


もはや覚悟は決まっていたらしい。

こういう時女性は強いな。











△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽
















さらに数日が経ち、私は手術というものを受ける運びとなった。


私の病の進行度合いでは、あの寄生虫に対する薬が開発されるまでもたないという判断だ。


手術とは刃物で体を切り裂き、病変した部位を、私の場合は特に寄生虫が密集している部位と壊死した組織を取り除くのだそうだ。


文官である私はやはり体を切られることに抵抗はあるが…死ぬつもりでここまで来たのだ、いまさら引いても同じこと。









手術をする部屋のベッドに横たわる私を、緑色に染められた装束を着たレガート医師が覗き込んだ。



「リン殿、御気分は?」


「問題ありません」



さすがに緊張はしている。だが覚悟はもう決まっているのだ。




「こちらが、今回の手術の麻酔(しびれ)科医のセイシュー医師です」


「よろしくお願いします」



レガート医師と同じ装束で目から下を布で覆っているので人相は分からないが、若い人族の男性のようだ。



「よろしくお願いします。麻酔(しびれ)科医とは?」


「手術に当たり、患部にしびれ薬を打ち、痛みを低減する専門の医者です。まだ新しい分野ですが」


レガート医師が説明してくれると、セイシュー医師も続いた。


「今回は局所麻酔を行います。右鰓をしびれさせ、左鰓と肺で呼吸を行っていただきます」



シーレーン族にも肺はある。

だからこそ短時間とはいえ地上活動ができるのだ。

しかし今は海属性魔石のおかげで鰓でも地上で呼吸ができるのだ。





「しびれ薬はコカの葉という薬草から作られています。意識を保つためにレガート医師が施術する間、私が話しかけますので答えてくださいね。では注射します」




「っく」



セイシュー医師が鰓に針を突き刺す。

当然痛い。が、病の苦しみに比べればこれくらい…!




「もうすこしです…もうすこし…はい、終わりました。時間計測開始してください」


私からは見えないが部屋には他にも人がいるらしく、セイシュー医師はそちらに向かって指示を出した。


「しびれ薬が効くまでしばらく時間がかかります」



どうやらその間に手術の準備をするようだ。

レガート医師は筒のついた眼鏡のようなものをつけている。


「あの筒は顕微鏡の簡易版みたいなものです。あれのおかげで細かい患部でもしっかりと見ることができるんですよ」



先ほど言ったように私の意識を保つためだろう、セイシュー医師が私に説明してくれた




「ところで海属性魔石の使いごこちはどうですか?」



「素晴らしいですね。なにせ鰓と肺で呼吸ができるのですから、海中よりも体が軽く感じるほどですよ」


「胸が痛くなったり、目が見にくくなったりしませんでしたか?」


「?? ありませんでした」


「なるほど、サンソ中毒の兆候なし、と。あれがシーレーン族に普及したらどうですか?」


「あれがあれば完全な地上活動が可能になりますし、シーレーン族の活動範囲が飛躍的に拡大するはずです」


「それはそれは。早く量産体制が整うといいですね」


「ええ、今から待ち遠しいですね」



自分で言って笑いが込み上げそうになった。

ほんの一週間前まで死を待つだけだったのに、いまや未来が待ち遠しいときた。

やはり人間苦しみから解放されると前向きな気持ちになれるものなんだな。



「そういえばスライム赤痢の原因となるスライムは魔物だと聞きましたが、私にとりついている寄生虫も魔物なのですか?」



「そうですね。新種の魔物は発見者が届け出ることになっていますから、届け出はすんでいますよ。認可が下りれば魔物ということになります」


「へぇ、そんなものなのですか」


「そもそも動物と魔物の線引きは曖昧でしたしね。最近は人間に強い攻撃性を示す動物のことを魔物と呼ぶというのが風潮ですね」






それからしばらくセイシュー医師と話をした。

不思議なことにセイシュー医師は最新の魔導技術や宮廷の事情に明るく、話題が尽きることは無かった。




「時間経過しました」


不意に私の死角からそう声がするとレガート医師が手を清めて何かを手にした。

ベッドに横たわった状態ではよく見えないが。



「では施術開始します。リン殿、これ、痛いですか?」


鰓のあたりを触られている感覚はあるが、痛くはないな。



「いえ、痛くありません」


「しびれ薬が効いているようですね。あとはレガート医師に任せれば大丈夫ですよ」



セイシュー医師は施術が開始しても変わらずに話しかけてくれる。



「蟲族の方は他の種族より手足や指が細長いのですよ。それを活かして器用さの求められる作業に強いのです」


「ではこの手術も?」


「精密手術に関しては帝国一でしょう。いや、医術先進国である帝国で一番なら世界で一番ということですね。あはは」


「さすが皇太子殿下の信任が篤いだけはあります」


「でも世の中そう上手くはできていませんねぇ。蟲族の方は骨があまり丈夫でない方が多く、骨折しやすいのです。シーレーン族の方が陸上で長時間活動できないように各種族長所短所あります」


「さすが医師は体のつくりにはお詳しい」


「まぁ仕事上必要なことですから。狼族や虎族の方は身体能力に優れますが狼族の方は耳の病気にかかりやすく、虎族の方は皮膚の病気にかかりやすい。蜥蜴族の方は皮膚は丈夫なのですが関節が悪くなりやすく、牛族の方はおなかを下しやすい。人族は繁殖力には優れますが心が弱く犯罪に走りがちなど、それぞれに特徴があります」



「へぇぇ~」



「ドワーフは暑さに弱いし…弱点を持たないのはエルフくらいなものかな?」



多くの人種が集う帝都の医師は知識量もかなりのものになるのだろう。



「その人種すべてがまとまっているのも(ひとえ)に皇帝陛下の御威光があるからです


ね」


「ええ、まったく。皇太子殿下も皇子殿下もまだお若いのにもう陛下の御政務のお手伝いをなされておられますし、帝国の未来は安泰ですよ」


「皇子殿下もですか?」



確か皇子殿下はまだ10歳であられるはず。

フィンリーレアルザード王子も9歳で皇太子殿下に仕えられたし、この年代はまさに黄金の世代なのだな。



「式典などに陛下がご都合がつかない場合など、名代で出席されるのは皇子殿下ですよ。皇太子殿下は…その…」



そこでセイシュー医師は声を潜めた。

…といっても、すぐ近くにはレガート医師もいるし、あまり意味ないのでは…?




「皇太子殿下は宮廷魔導師団を手中におさめ、その影響力は宮廷騎士団にも及んでいます。それに保有兵力の多い国境付近の領主と懇意にしています。つまり…帝国で最大の武力をお持ちなのです」




なんと…皇太子殿下が!

しかも皇太子殿下は我らがフィンリーレアルザード王子を従えられていらっしゃる。

それはすなわち王子の御下知があればシーレーン国からも援軍を要請することができるのだ。

船に乗らなければ海では戦えない地上の人間と違い、海中でも縦横無尽に動き回れるシーレーン族は海戦ではほぼ無敵だ。

なにせ船の上からでは包囲されていることにすら気づけない。



「その為、皇太子殿下は中央貴族たちからはよく思われていないのです。脅威、と捉えられているようです」



弱冠14歳にして帝国最大武力を持つ…確かに脅威に感じる理由としては十分だ。













「ふぅっ」





話題が一段落したとき、ふいにレガート医師が息をついた。


すかさず視界外から手が伸びてきてレガート医師の額の汗をぬぐった。

よく見ると医師は汗だくになっている。このへんを見ると地上の人とシーレーン族の違いを実感するな。

シーレーン族は汗をかかないのだ。




「どうやら、我々もまだまだ分からないことだらけですね」


「レガート医師、どうしました?」


セイシュー医師が尋ねると、レガート医師は眼鏡を外してそのまま首に下げた。

つるの部分に紐が通され、輪になった構造だったようだ。




「明らかに術前より組織が治癒しています。寄生虫の活動も緩慢で…有り体に言えば弱っているのです。リン殿、何か心当たりはないですか?」



私には確信に近い感覚があった。


「あります。海魔石を着用するようになってから日に日に呼吸が楽になっていくのを感じています」



「ふむう。海魔石…ですか。肺呼吸と鰓呼吸を併用している影響でしょうか…なんにせよ取り除く病変組織はほんの少しで済みました。これならば完治も夢ではありません」



「おお!それでは!?」


「はい。鰓腐れ病治療の道筋が見えてきたかもしれません」




いままで鰓腐れ病で死んだ同族たちよ!

貴方方の無念がここに晴らされようとしています!















△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽












予防(あらかじめふせぐ)…、ですか?」





「ええ。幸い奥様はまだ症状が出ていません。この段階で治癒もしくは症状を抑えることができれば」



手術から数日後、まだ手術跡の当て布は着けられたままだが私の病状は目覚ましく快方に向かっていた。

レガート医師は私の診察をしながら鰓腐れ病治療の文書をまとめておられるようで忙しそうになさっている。



私の方はいまだ外出許可が出ていないので病室にこもりきりだが、妻は帝都を見て回るためによく外出している。

病原が海中の寄生虫であるために空気中での感染が無いと判断されたためだ。

最近では私も妻も妻が買って来てくれた水着というモノを身に着けている。



実は妻が頻繁に外出しているのは私の依頼なのだ。





「海魔石の普及が叶えば予防はできるのでは?」





そう、私の病状が手術前に回復していたのは地上活動が理由だと判明したのだ。

海魔石による鰓肺同時呼吸はシーレーン族には心肺機能強化をもたらし、寄生虫には魔力影響下での活動は大きな負担となるらしく急速に弱る。


そこから導き出された結論として、レガート医師の論文では鰓腐れ病には『地上浴』が良いのではないか?という流れになっている。



となるとシーレーン族が地上で活動する機会もぐっと増える。

その為に妻には地上の人々の様子を見るために帝都を回ってもらっているのだ。

今までは国家間のやり取りとして役人同士しか交流がなかったが、一般の者たちの交流も増えることだろうし。




「寄生虫成体には地上浴が有効なのは実証されつつあるのですが…問題は卵です。卵の状態では海魔石魔力や地上の空気による影響がほとんど無いようなのです。これでは地上浴で成体を駆除しても海中に戻れば卵が孵り元の木阿弥です」




それは問題だな。

我々にも我々の生活がある。ずっと地上にいるわけにもいくまい。




「そこで…」





ガチャッ




「あなた…あら?医師(ドクター)、こんにちわ」


「やあ!はっはっは!リン殿!ご機嫌いかがかな?医師も!」




医師の話の途中で妻が外出から戻ってきたようだ。

一緒に入って来たのは筋骨隆々の大男…シーレーン国の兵にもここまでの肉体を持つ者は少ないだろう…宮廷から派遣されてきた護衛だ。



「ああ、長官殿。ちょうどよかった。あの療法の話をしようとしていたところなんです。奥方様もご一緒に聞いてください」



「医師!?本当にアレをやるつもりなのかい?」



「いくつかの薬草とジューソーを組み合わせた湯が寄生虫の卵を破壊することを確認しました。そうそう突拍子もない話では無いと思いますので」



「うーん、医師がそういうならそうなんだろうね!」






「医師、あの療法とは…?」


ちょっと話に置いてゆかれそうなので二人の話に割り込んで質問した。




「きっかけはね、皇太子殿下が風呂で口遊んでいた唄でね!古代精霊語らしきその唄の内容を殿下に尋ねたら万病に効く奇跡の泉を讃える唄だそうでね!なんでもその泉で治らない病は恋の病くらいのものなんだそうだよ」




古代精霊語!?皇太子殿下ともなるとそんなところにまで造詣が深くていらっしゃるのか…。

そうか、以前セイシュー医師から皇太子殿下は宮廷魔導師団とつながりが深いと聞いたな。その関係だろうか。



しかし万病に効く奇跡の泉か。まさに伝説の中の存在だな。



「そこでその奇跡の泉にあやかって風呂の湯に薬を溶かし、奇跡の泉を再現しようと。万病とまではいきませんが、寄生虫の卵を駆逐するにはもってこいかと思いまして」




地上の人々が風呂なる湯に浸かる習慣があると聞いたことはあったが。

一体どのようなものなのだろう?




「その奇跡の泉の名を頂いて、薬湯による治療を『クサツ療法』と名付けました」











△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽














「くぅぉぉぉぉぉ…」



「はぁぁぁぁぁぁぁぁ…」




「これが風呂…!なんとも心地がいい…」


「あなた…、私、癖になってしまいそうです…」









医師に連れてこられたのは公衆浴場という施設。

地上の人々はここで湯に浸かるそうだ。


そこの一角を借りてクサツ療法用の湯を張らせてもらったそうだ。



「あまり長湯はしないでくださいね。シーレーン族と地上の人間では体温調節の仕組みが違いますので逆上(のぼ)せやすいはずですから」



医師が浴槽の外からそう忠告する。



「ふむ。この湯、ずいぶんとぬるいんだね!」


護衛の男が医師と同じく浴槽の外から軽く湯を手ですくってそう言った。

ちょっと熱めの湯だが、地上の人間にとってはそうでもないらしい。



「ええ。海中で暮らすシーレーン族は温度感覚も地上の人とは異なりますので。地上の人向けの温度では逆上せるどころか火傷をしてしまいます」




「ほほう!それは知らなかった!」



護衛の男も感心しきりだ。


しかし…はぁ~…本当に心地よい。



「これならシーレーン族にも受け入れられますね、あなた」


「ああ、そうだな。病が癒えたら地上浴とクサツ療法のこと、女王陛下に奏上せねばな」



微笑みながら妻を見ると、妻ははらはらと涙をこぼしていた。


「次に地上に来るときは…あの子も、っく、一緒に、来ましょうね…!」


「ああ、ああ!もちろんだとも!」



湯の中で私と妻は抱きしめあった。

病が癒えれば、娘とももう一度会えるんだ!

いや、会えるだけではない。また一緒に暮らせる!


今生の別れと覚悟して置いてきた娘の、別れの時の泣き顔が目に浮かんだ。

父とも母とも別れて、今もあの子はきっと寂しがっているはず。


ああ、早く娘を抱きしめたい。









浴槽の中で抱き合って泣く私たち夫婦に気を使ってか、医師と護衛は背中を向けていてくれた。
















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