第17話 ある酒場娘の恋
昨日の凱旋パレード、すごかったなぁ…。
店のカウンターに頬杖をついて思い浮かべるのは昨日のことだ。
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「ヴィオ!ヴィオ!皇太子殿下が凱旋なされたって!今凱旋パレードやってるって!」
昼の繁忙時間を過ぎたころ、休憩に出ていたセーラが息せき切って店に駆け込んできた
。
皇太子って…ネルか!?ネルが帰ってきた!
「あっ!ヴィオ!?」
セーラに返事をすることさえ忘れてアタシは店の外へ駈け出していた。
幸いというかなんというか、ネルはすぐに見つかった。
というよりは、港から宮廷へ続く帝都の目抜き通りは人であふれかえっていた。
その人々の波を割る様に真ん中を通るのは…。
「ネルんとこの騎士と魔導師たち…」
いつもネルとつるんでる宮廷騎士や宮廷魔導師がまっすぐ前を見据えて行進していた。
「アレ、騎士か?」
「だってあれ、宮廷騎士団の団旗だろ?」
凱旋パレードを見ている見物人たちからそんな声が聞こえてきた。
あ、そうか。宮廷騎士を普段見ない人たちは知らないんだ。
アタシはもう見慣れちゃったけど、ネルんとこの騎士のいでたちって変なんだよな。
騎士らしい金属鎧はつけていないし、兜も全く装飾のない小鍋をひっくり返したようなものだし。
鎧の代わりにつけているのは土魔石を用いた板が腹、背中、肘、膝についた服。
鉄靴の代わりにつま先に鉄板が入ったブーツを履いている。
確かネルに聞いた話では服は『戦闘服五型改』、兜は『鉄帽』、靴は『戦闘靴二型』とか言っていたな。
おおおおおおおっ!
わああ!なんだアレ!?
ええっ!キャアアアア!
パレードが進んでくると、やにわに人々が色めきたった。
あ!あれって!ドラゴン!?
人の背丈の三倍はあろうかというトカゲのようでトカゲでない生き物が荷車を曳いている!
あ、あれって何十年か前に帝国を襲ったドラゴンだよな!?
絵かなんかでみたことあるぞ!
ドラゴンが曳く荷車には大きな幌が掛けられていて荷は見えないけど、幌の上に籠が置かれ、その中には大きな卵がいくつか入っていた。
ドラゴンが引く荷車に卵…あれは『これはドラゴンの卵だ』っていうアピールだよな。
「すげえ!ど、ドラゴンじゃねぇのか!?」
「きゃああああ!目があった!」
「でっけー!口でけー!母ちゃんよりでけー!」
人々の目はのしのしと歩くドラゴンにくぎ付けだ。
ドラゴンはそれも全く意に介することもなく、おとなしく荷車を曳き続けている。
轡をかませたりしている様子もないのに。
…ネルの性格からして、本当に重要なのはあの幌の中身だな。
ドラゴンという目立つモノを近くに配置してそっちに目を向けさせてるんだ。きっと。
「あ!」
思わず声を上げちまった。
ドラゴン荷車の後ろ、おそらく馬を過剰に怯えさせないために十分に距離を取って皇室の御用馬車が走っている。
豪華な装飾がなされた御用馬車だけど、今はドラゴンに注目が集まっていて気にしている人はあまりいない。
子供たちなんかはドラゴンを追っかけて走って行ってしまったし。
「ネル…」
御用馬車の窓はカーテンで閉め切られ、中をうかがい知ることはできない。
馬車の音は群衆の歓声にかき消され、逆に御用馬車が静寂の中を走っているように感じる。
「ネル…」
ネルは元気かな。怪我とかしてないよな。病気にかかったりしてないよな。
すぐ向こうにいるはずなのに、御用馬車のまとう静寂が見えない分厚い壁のよう。
「ネル!」
聞こえないとは分かっていても、その叫びは何の抵抗もなくあふれ出た。
「ネルーーーー!」
「やあ、ヴィオ。ただいま」
「へぁっ!?」
背後からネルの声がしたと思って振り向いたら本当にネルがいやがった!
驚いて変な声が出ちまったじゃねぇか!
あ、やばい。涙出そう。
久しぶりに会ったのに泣き顔なんて見せらんないよ!
泣きそうになっているところを見られたくなくて、アタシはネルに抱き着いた。
「おっと!」
アタシより少し身長の低いネルは少しよろけながらもしっかりと抱きとめてくれた。
そんな何でもないようなことがすごく嬉しいじゃねぇか!
ぎゅううう
「は、はは。ヴィオ、は甘えん坊だなぁ」
ばか!ばかばか!数か月会えなかったのを甘えん坊の一言で済ますんじゃねぇよ!
悔し紛れにあふれ出た涙をネルの肩で拭いてやれ。
ぎゅううううう
「ぐっ!おぅふ、ほ、骨がっ」
はっ!?
ふと目を開けたら…ネルの肩越しに衛兵が生暖かい目でアタシたちの抱擁を見ていた。
思わず抱き着いちゃったけど、考えてみればここは天下の往来で、ネルは皇太子なんだから護衛がついてるのは当然のことだった。
幸いにしてというべきか、衛兵たちが回りをぐるりと固めてくれていたので群衆からは抱擁を見られることは無かったのだけれど。
カッ!と顔に熱が上るのを感じたアタシはすぐさまネルから体を離した。
そしてネルの顔を見ると。
「ど、どうしたんだネル!?顔が紫色だぞ!?」
「はははは…ヴィオはおちゃめさんだなぁ、ゲホゲホ」
旅の疲れがでたのか?
早く休んでもらわなきゃという気持ちともうちょっと話していたいという気持ちでアタシは板挟みになった。
「うちの店でちょっと休んでいきなよ。いろいろ話も聞きたいしな」
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「あー!ネルくんおかえりー!」
店に入るとセーラがテーブルを拭いていた。
「ごめんなセーラ。いきなり何も言わずに飛び出しちまって」
「いーよいーよ。だってネルくんがいない間のヴィオってなんかうわの空で腑抜け切ってたし。これで元に戻ってくれるならオッケーよ」
セーラはそう言って笑って許してくれたけど…アタシそんなに腑抜けてたか?
護衛も含めてどやどやと人が店に入ってきた気配を感じたのか、オヤジが店の奥から出てきた。
「お、小僧帰ってきたか」
「おお店主よ。久しいな。変わりないか」
「ああ、皆元気よ。昼は過ぎちまったがなんか食ってくか?」
「いや、すまないが宮廷で騎士たちをねぎらう宴席を設けるつもりでな」
「そうかそうか。客はみんな凱旋パレードのほうに持ってかれちまったから暇でな。なんか要るもんがあったら声かけてくれ」
「あ、そうだよ、凱旋パレードだ。目立つのが好きじゃないネルにしては珍しいよな、パレードだなんて」
アタシは親父に話に割って入ってネルに疑問をぶつけてみた。
何事も陰で暗躍…じゃなかった、手柄を臣下に譲るネルにしては珍しい行動だしな。
「さっき店主も言っていたが…凱旋パレードなぞやっていないぞ?ただ普通に帝都港から宮廷に向かっているだけだ」
「え?じゃあなんであんなに人手がでてるんだ?」
「まぁドラゴンが目立つからな。見物人が寄ってきても不思議ではない。だがまぁ、いいのではないか?特殊部隊の皆は普段日陰仕事ばかりだからな。国家の未来に関わる重要な仕事をしているのだから、たまには人々にその功績を知ってもらわねばな」
のん気そうにネルはそう語るけどよ。
「そんならネルはそこにいなくていいのかよ?てか御用馬車に乗ってなくてもいいのか?」
特殊部隊は皇太子付きの部隊だから、ネルだってその功績をたたえられてもいいんじゃないか?
御用馬車なんてダミーを用意してまで抜け出してきやがって。
「私は何もしていないさ。全部部下がやったことだ。御用馬車は帝都に入るとき衛兵が用意してくれたのだが見物人が集まってきてしまったので早々に抜け出してきたのだ」
ネルがそういってふんぞり返る。
ネルらしいなあ、と思ってしまうのはアタシがもうだいぶネルにほだされているってことなのかも。
「ねえ?そもそも私、なんでドラゴンが帝都に来たのか知らないんだけど」
「あっ、そういやそうだ。アタシも聞いてない」
セーラが疑問を口にしたが、考えてみればもっともだ。
…ネルに再会してドラゴンのことが意識からとんだとかじゃねぇかんな。
「うむうむ。知らないのなら言って聞かせてやろう。あれは西側山脈の…」
ネルの語りが始まるや否や、店の入り口から一人の男が駆け込んできた。
「おおーい!鬼熊の!すげぇ情報だぞー!」
入ってきたのは常連のおっさんだった。
何やら興奮した様子でオヤジに向かってまくしたてた。
「ドラゴンを引き連れてたのは皇太子殿下の一行らしい!しかもそのドラゴン、なんとなんと家畜にするんだってよ!すげぇよな!街の連中は皇太子殿下のこと『竜堕とし』って呼んでるぜ!」
店内は沈黙に包まれた。
ぷっ!
ネルのほうを見たら、ネルはあんぐりと大口を開けて驚愕の表情を浮かべていた。
整った顔立ちだけにそんな間抜け面は一層笑いを誘った。
「あれ?なんで黙ってんだ鬼熊の。すげえ情報だろ?」
きょとんとした常連のおっさんの顔がそこに合わさって…。
「おっ、小僧じゃねぇか。ここ数か月見なかったけどどうしてたんだ?」
ネルとおっさんは常連どうし顔見知りだ。
全く空気の読めていないおっさんと間抜け面のネル。
もうだめ。
「ぶふっ!あはははははははははははははは!」
「がはははははははははははははは!」
どうやらオヤジもツボだったらしく、アタシと同じタイミングで笑い出した。
こんなとこはやっぱり父娘だ。
「っく!ひー、ひー、噂話に首輪はつけられないって帝国の古いことわざにあるけど、本当だな!がはははは!」
「しかも『竜堕とし』!『竜堕とし』って!あはははは!『竜殺し』じゃなくって『竜堕とし』!あははははははは!」
ゲラゲラと笑う私たち父娘のことをセーラは苦笑いで、おっさんは疑問顔で見ていた。
ネルはがっくりと肩を落とした。
「ほぇ~、西側山脈でドラゴンが大量発生、ねぇ」
「うむ。だから一頭捕獲してきたのだ。ドラゴンの生態が研究されれば有効な対策も立てられるだろう。ドラゴンが嫌う物質を使った忌避剤とかな」
アタシの笑いが治まった後、ネルが本当の顛末を皆に語ってくれた。
相槌を打っているのは何故か常連のおっさんだけど。
「それって一大事なんじゃねぇのかい?」
「そうとも!だから対策が見つかるまではドラゴンに賞金を懸けようと思う」
「流石貴族様、豪気だねー」
おっさんはネルのことただの貴族だと思ってるんだ。
まぁこんな酒場に皇太子が通ってるなんて冗談にもほどがあるからな。
「しっかし西側山脈ねぇ。あんな辺鄙なところよく行ったよなぁ。山ばっかでなんもないだろ?」
「これからあの地域は開拓が進むだろう。新しい土魔石鉱山も見つかったからな」
「なにィ!?小僧のほうが重大な情報つかんでんじゃねぇか!俺の話に誰も食いついてこないわけだぜ」
あー、なんか微妙に話がかみ合わないと思ったら、おっさんはネルが皇太子から話を聞いたと思ってるのか。
ネル=皇太子とは夢にも思ってないんだろうな。
「もっともその鉱山の利権はユーリカ堂グループが得たがな」
「な、なんだって!?領主でもないのにか!?…時代は変わったなぁ、今や商人が鉱山を所有する時代かー」
そんな風に言われたらユーリカはきっと泣くな。
ネルを通してユーリカとも知り合って結構話す仲だけど、あいつ本来は職人で、そのことに誇りをもってるから。
おっさんとの会話を聞く限り、旅先でもネルはネルだったみたい。
何か安心した。
ふいに衛兵の一人がネルに耳打ちをした。
「すまない、そろそろ時間のようだ」
あっ!
しまった。ネルとおっさんの会話を聞いてるだけて終わっちまった!
アタシあんまりネルと喋れなかった…。
騎士をねぎらう宴席も立派なご公務だ。邪魔をしちゃいけない。
ネルとアタシは本来言葉を交わすことも許されないんだから。
店の扉をくぐるネルの背中に、アタシは声をかけることはできなかった。
「ん?」
少し落ち込みながら店の仕事に戻ろうとすると、ふところに違和感を感じた。
何だろうと思ってまさぐってみると、それは一枚の折りたたまれた紙だった。
広げてみると…。
『すまない。今日は時間が取れそうにない。明日の夕刻、時間を頂けないだろうか?』
と書かれていた。
まったくネルのやつ…!
なんでよりにもよって胸の谷間に手紙入れてんだよ!
最初に抱き着いた時だな!
気付かないアタシもアタシだよ!クソッ!
「ヴィオ?なにニヤニヤしてんの?」
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「ど、どんだけ浮かれてんだアタシは!?」
ネルには夕刻と指定されたのに昼過ぎに宮廷に着いちまった…!
通い慣れた…本当は慣れるほど通うことは許されないはずの後宮の裏口に差し掛かると、門番をしていた衛兵が敬礼をしてきた。
数か月、間が開いたから改めて感じるけど…普通の町娘が後宮で敬礼されるってとんでもなく異常なことだよな…。
「お早いおつきですね。皇太子殿下は魔導兵器工廠におられるはずです」
「あ、ああ。ありがとう」
お早いおつき、という言葉になんだか責められているような気がしてちょっと速足になっちまった。
完全にアタシの気のせいだっていうのは分かってるんだけどさ。
魔導兵器工廠…かつてのユーリカ工房は名前を変えて今も存続している。
ユーリカ自身は職人街に新工房を建ててそっちで仕事をしているんだ。
…もっとも、帝都の目抜き通りにあるなんとかって潰れた大商会の建物を買い取って立ち上げたユーリカ堂グループ総本店にいることが多いみたいだけど。
「はぁ、やっと着いた」
魔導兵器工廠は工房時代から何度も増改築されて、元々広かった工房はさらに広大になっている。
敷地の門をくぐり、はたと気づいたけどこの広い敷地の中のどこにネルがいるのかは分からないんだった。
「あれ?ヴィオレッタさん出前の配達ですか?」
運よく通りかかった若い職人はうちの店にもよく来てくれる顔見知りの…えーと、名前忘れたけど知ってる顔だった。
「ちょうどよかった!ネル…じゃない、皇太子殿下はどこにいるか知ってるか?」
「ああ、工廠長と一緒に動力棟にいるはずですよ。今日は大事な実験がある予定なので」
「ありがとう!」
よし、動力棟だな!
礼を言って動力棟へ向かって歩き出す。
けど、すぐに踵を返した。
「動力棟ってどこだっけ?」
「この手前の銃器棟と逓信棟の間の道を進んで突当りに2棟の建物がありますから、右側が動力棟です。左の支援設備棟と似たつくりなんで間違えないようにしてくださいね」
「度々ありがとう。あとうち出前やってねぇかんな!」
手を振って今度こそ動力棟へ向かう。
途中の道はきちんと石畳が敷かれていて一つの街のようだ。
魔導兵器工廠と名前を変えてからは中まで入ったことは無いんだよなぁ。
あちこちから槌を打つカンカンという音が聞こえてきて、職人街を切り取ってきたみたいな感じ。
あ、建物の壁面に何か書いてあるな。
『専守防衛』?
なんだろ?標語かな?
「えーと、右側だったよな」
コンクリート造りの建物は大きめの出入り口があり、迷うことは無かった。
少し奥に進むと、人の話し声が聞こえてきた。
「気圧、温度共に安定しています」
「経過時間は?」
「10日と半日です」
「釜に異常は?」
「少し歪みが生じていますが、漏れてはいません」
「ふむ…このサイズだから少々の歪みで済んでいるんだろうな。大型化は難しいか」
「通常の鋼では限界がありますが…殿下が持ち帰られたドラゴンの骨があればあるいは」
「おお、使えそうか」
「はい」
数人の職人らしき男たちとネルが金属の筒のようなものの前で問答をしていた。
筒に手をかざしている人もいるな。なにやってんだろう?
ネルは真剣な面持ちで筒を睨み付けていた。
普段私に向けるふにゃふにゃした笑顔とは全く違う貌だ。
ネルもあんな顔するんだな…なんだかかまどの火の具合を見ているオヤジに似た雰囲気だ。
なんだろう。あの貌を見てると、心臓のあたりがザワザワする。
ネルの横にいるのは…子供?
あ、でもあの赤毛はもしかして。
「ネル?」
人だかりに歩み寄って声をかけると、ネルは真剣な顔のままこちらを見ると驚いたように目を見開いた。
「ヴィオ!なんでこんなところにいるんだ!ここは爆発物もある危険な場所なんだぞ!」
「っ!」
あの優しいネルがアタシを叱りつけた。
顔も真剣な顔のままだ。
で、でもアタシが悪いんだもんな。
約束の時間よりだいぶ早いし、勝手にここまで入って来ちゃったし。
「ご、ごめんなさい…」
自分でもびっくりするほどしおらしい小声が出ちゃった。
しかもその瞬間下半身に違和感を感じた。
一瞬漏らしちゃったかと思ったけど、その感覚はおりものが出た時の感覚だった。
生理はまだのはずだけど、どうしちゃったんだろ。
人前で叱られて漏らすなんて最悪な事態にはならなかったけどさ。
私がうつむくと、ネルは大きなため息を一つついた。
「まぁ入ってきてしまったのはしょうがない。そもそも私が呼んだのだしな」
「ア、アタシが早く来すぎちゃったから」
「せっかくだから案内しよう。ヴィオは初対面だったな、この者が工廠長のジーニアスだ」
あれっ?
小柄な赤毛でてっきりユーリカかと思ったけど正面から見たら全く別人だった。
というか男だった。ドワーフだけど。
ユーリカと違ってピンピン跳ねた髪型だし。
「初めまして。工廠長を拝命しておりますジーニアスと申します」
ドワーフ訛りもあんまりないし、ユーリカよりも垢抜けた印象だな。
大きな一つ目もユーリカより黒目勝ちだし。
「こちらこそ初めまして。アタシはヴィオレッタってんだ。ドワーフってことはユーリカと?」
「はい。ユーリカ姉…ゲフン、ユーリカさんとは同じ村の出身でして。宮廷での仕事もユーリカさんの紹介なのです」
あー…。
きっとジーニアスさんに泣きついたんだな。
「ジーニアスは武器職人でな。細工職人のユーリカとはまた違った技術を持っているのだ」
「技術かぁ。その筒もその技術のなんかなのか」
筒というかなんというか、円筒形の金属塊の周りにネルたちは陣取っている。
皆がそれに注目しているのは一目瞭然だ。
「あ、いえ。これは殿下の御指示で…」
「ジーニアスは天才だな!これで帝国の歴史が変わるぞ!」
ネルが大声でジーニアスのセリフを断ち切った。
しばしジーニアスは口をパクパクさせていたが、諦めたような顔になってため息をついた。
「ユーリカ姉の言っていたこと本当だったんだ…冗談だと思ってた」
「何をぶつくさ言っているのだジーニアスよ。ヴィオに説明して差し上げなさい。開発者として!」
なんでそこでネルがふんぞり返るんだか。
「えーっと…、この装置は『オートクレーブ』といいます。水魔法で内部に霧を充満させて火魔法によってそれを熱し、さらに風魔法で内部の空気を圧縮するものです」
水魔法と火魔法と風魔法?
3種の魔法を使ってるのか。それは大がかりだなぁ。
それで筒に手をかざしている人がいるのか。魔導師だったんだな。
あれ?でもそれって…。
「じゃあこの筒自体はただの筒?」
魔導師が外から魔法を使ってるってことは筒自体に仕掛けがあるわけじゃないのか。
「まぁそう言ってしまえば身も蓋もないのですが…高温高圧に10日以上も耐える筒なのでかなり特殊なものですよ。ドワーフの精錬技術の粋を凝らしてやっと完成させたものです」
「え?10日も?」
「うむ。魔導師は10日間3交代で絶えず魔法を放ち続けてもらっている」
一瞬驚いたけど交代制か。まぁ当然だよな。
「でもそれって何の意味があるんだ?」
「ふっふっふ!よくぞ聞いてくれた!『オートクレーブ』はいわば釜。これを使って作るのは…魔石だ!」
ハァ?
なぜかネルが説明しだしたのでジーニアスに聞き返した。
「魔石って作れるものなのか?」
「いいえ」
もう一度ネルを見た。
「だから歴史が代わるのだよ。今まで魔石はすべて天然産出に依っていたのだ。それが人工的に作り出せるとしたら、どうだ?」
「えーと…便利になる?」
「クックック!間違ってはいないので及第点をやろう!正解はな、『魔石が安くなる』だ!」
「あー、確かにそうだよな」
「魔石が安くなることによって魔導具は量産されてその恩恵は帝国の隅々まで行き渡る。そうなれば世の中はもっともっと便利になる。さしあたっての目標はド辺境の農奴にまで魔導具の恩恵を行き届かせることだな」
ネルは軽い感じでいうけど、それってものすごく高い目標じゃないか?
「でも本当に魔石が作れるのか?」
「おっと、そうだった。これから釜揚げをするところだったのだ。すまない職人たちよ。準備はよいかな?」
「「「「はっ!」」」」
職人と魔導師たちが一斉に返事をした。
ふふっ、なんだか印刷機を開発した時みたい。
「よし、回せ!」
釜の蓋の上の突起に開いていた穴に長い棒を差し込み、貫通させて、数人がかりで回す。
この光景を見ていればさっきジーニアスが言っていた特殊なものだということも納得がいくな。
なにせ開けるのに大の大人が数人がかりだなんて。
プシューーーーーーーーーーッ
勢いよく釜の横から蒸気が噴き出した。
「っく!風魔導師!」
ネルがとっさにそう叫ぶと、蒸気が不自然に上へ流れて行った。
風魔導師が風でそらしたようだ。
「ジーニアス!排気弁は!?」
「歪みによって開かなかったようです!」
周囲が蒸気によってじんわりと湿った熱気に包まれだす中、ジーニアスは釜に駆け寄ってあれこれ調べだした。
門外漢だから全然わかんなかったけど、今のはトラブルだったみたい。
「ネル?大丈夫なのか?」
「風魔導師がとっさに風魔法を放ってくれたので助かった。本来なら排気弁によって蒸気は真上に向かうはずだったんだが、釜が歪んでうまく作動しなかったようだな」
「蒸気って湯気だろ?服の上からなら平気なんじゃねぇのか?」
湯気に当たってダメなら厨房で働く母さんはどうなんだって話だ。
「蒸気をなめてはいかんぞヴィオ。そうさなぁ、沸いた湯の何倍も熱い蒸気だからな、当たれば大火傷だ」
「マジか」
「蒸気は湯より熱くすることができるからな」
へぇぇ~。
ん?だったらそれ料理に生かせないかな?
「蒸気はすべて抜けきってしまいました」
ジーニアスがネルにそう報告すると、一人の職人?魔導師?が熱心にメモを取り出した。
「設計上の問題というよりはやはり歪みによるトラブルですね」
「そうか。ロッペン、ドラゴンの骨は?」
「支援装備棟に運び込んであります」
「ジーニアス、明日あたりからドラゴンの骨の製錬を頼む」
「いえ!明日と言わず今日から始めましょう!族長から伝授されたドラゴンの骨の製錬法がやっと試せるのです!くぅ~!帝都に来てよかった!ドラゴンの骨なんて手に入らないのに製錬法だけ知っているなんて生殺しもいいとこですよ!それが!その鬱憤がやっと晴らせるというのに我慢なんてできません!」
ドラゴンの骨の話題が出たとたんジーニアスが豹変した。
目が光魔石のようにキラキラ輝いている。
あまりの代わり様にネルも若干引いてるし。
「そ、そうか。しかし今は人工魔石のほうが先だぞ?」
「そうでした!魔導兵器に魔石は欠かせませんものね!」
「よし、上げろ!」
ネルの号令と共に筒から蓋が開けられた。
どうやら蓋に金属板が吊り下げられていたらしく、蓋と共に持ち上げられた。
蓋に差し込んだ棒の両端の下に台が置かれ、あぶり肉のように吊られている。
「こっ、これは!?」
金属板にはいくつか穴が開いていて、その穴に紐で魔石が吊るされていた。
何の変哲もない魔石…あれ?なんか変だぞ?
「「「透明!?」」」
魔石は普通、その属性を示す色をしているはず。
だけど、筒から出てきた魔石はそのどれもがガラスみたいに透き通ってる。
ざわめく職人たちをよそにネルはジーニアスに指示を出した。
「ジーニアス、取り出して洗浄してくれ」
「はっ」
手袋をはめたジーニアスが筒から魔石を取り外し、隅にあった水桶で洗った後恭しくネルに差し出した。
ネルはそれを受け取ると色々な角度から見たけど、すぐに隣に控えていた人に渡した。
「ロッペン、どうだ?」
ロッペンと呼ばれたその人はポケットからルーペを取り出して魔石をしげしげと眺めながら答えた。
「…この魔石、種に使ったものは風魔石だったはず。しかし…魔力が抜けたわけではない、ようです。これは一体…?」
ロッペンさんもこの事態には動揺しているらしく、さぐりさぐりの回答になったみたい。
「そうだよなぁ、魔力自体は感じる。しかし透明では属性は分からん。ならば放ってみるしかないか」
「殿下、危険です。暴発の危険性もあります。私がやりましょう。君、防護服セットを」
「はっ」
ロッペンさんが職人に持ってきてもらった防護服とかいうのをいそいそと装着しだした。
厚手の皮の前掛け、肩口まである皮手袋、鉄仮面付きの鉄帽…皮の全身鎧みたいだなぁ。
「では、お下がりください。まず魔力を込めてみます」
鉄仮面を着けてくぐもり気味の声でロッペンさんがそういうと、皆が十数歩下がり、ネルとアタシの前を魔導師たちが固めてくれた。
それを確認したロッペンさんが魔石を目の高さへ持っていくと…。
「「「「おおっ!?」」」」
色の無かった魔石が黄色く色づいていく!
あれは土魔石の色!?
「放ちます」
ロッペンさんが短くそう宣言すると…。
「「「…………」」」
何も起こらな…あっ!
色が消えて透明に戻っていく。どういうこと?
「で、殿下!他の魔石が!」
ジーニアスが半ば叫ぶように大きな声を出した。
とっさにそちらのほうを見ると…他の透明な魔石が全て黄色く色づいていた。
「どういうことだ?」
ネルもわけが分からないといった表情だ。
「…もう一度、放ってみましょう」
ロッペンさんは何か思い至るものがあったらしく、今度は他の魔石に背を向けてもう一度魔石に魔力を込めていった。
そして…。
ボゴン!
今度は床に穴が開いた。
土魔法はきちんと発動したみたい。じゃあさっきは何で何も起こらなかったんだろう?
「殿下、少し試したいことがあります」
「うむ。やってみなさい」
ロッペンさんが伺いを立てると、ネルはすぐさま許可を出した。
「ビード、この魔石に魔法を放ってみなさい」
「えっ!?ロッペン班長?」
突然のロッペンさんの指示にビードと呼ばれた魔導師も面喰ったようだ。
魔石に魔法を放ってどうするんだろう?
ロッペンさんは足元に持っていた魔石を置き、アタシたちの方へやってきた。
「ロッペン、やはりそういうことなのか?」
「流石は殿下、お気づきですか」
二人はそんなやり取りをしたけど、どういうこと?
ビードさんはもう一度ロッペンさんの方を見遣ったが、ロッペンさんとネルが二人して頷いたので戸惑いながらも魔石に向きなおった。
「ナムダイシヘンジョウコンゴウ!」
ゴウッ!
「あ、あれっ?」
ビードさんの手から放たれた人の頭ほどある火球は魔石に当たる前に消えた。
何の痕跡も残さず、フッと消失しちまった。
そして魔石は…。
「赤くなってる!?」
「魔力吸収…だな」
「おそらくは。そして内包する魔力は込めた魔力に染まる性質がありそうです」
「汎用性がありそうだな…そうだ、そもそも魔石の成長はどうなんだ?」
「15ミリメイター…ですね」
「むう、予測より大きいな。これも魔力の影響か?本来なら1日1ミリメーターくらいのはずだが」
ミリメイター?
話の流れからすると長さの単位かな。ロッペンさんも物差しのようなものを魔石に当てているし。
そういやうちの店が贔屓にしている香辛料屋のジイさんに聞いたけど、帝都以外の地方都市はそれぞれに長さや重さの単位が違ってて、行商人はそれを暗記することから始めるらしいんだよな。
帝国全土で統一単位ができたらすごく便利だと思うんだけどなー。
「これは研究する必要がありそうだな。魔力の吸収・放出の特性は使いこなせれば魔導具の発展に大きく寄与しそうだ。この透明な魔石は『無属性魔石』と仮称する」
「「はっ!」」
ロッペンさんとジーニアスが声をそろえてネルに答えた。
「…待てよ?土属性魔導師のロッペンが魔力を込めると魔石は黄色に、火魔法を当てると赤くなった。ならば…?」
ネルは無属性魔石の一つを手に取り、土魔力を抜いてから魔力を込めた。
「「「「こ、これは!?」」」」
ネルの手にしていた魔石は青より深い…群青色に染まっていた。
水魔石の青色より明らかに深い色だ。しかも揺らめくように色が波打っている。
「むう!やはりか!これで海属性魔石が作れるわけか。海属性魔石の効果を試したいが…フィンが里帰りしているのがあだになったな」
「殿下!それではもしや!?」
ロッペンさんがネルに詰め寄るように近づいた。
表情にあまり変化はないが、その動きでロッペンさんが興奮していることがよくわかる。
「う、うむ。無属性魔石は火水土風以外の自然産出しない稀少属性の魔石も造れることが証明された。これで魔導技術も更なる躍進が望めるだろう」
「はっ!」
「ふむ。もしかしたら今まで魔力の才がないと思われていた者の中にも実は稀少属性持ちがおるのかもしれんな。魔法を発現できるほどの魔力量がなくとも、属性は関係ないからな」
「はっ!ただちに調査に取り掛かります!」
相変わらず表情に出ないロッペンさんだが、フンスフンスと出される鼻息の荒さが興奮度合いを知らせてくれている。
「さ、ヴィオ。あとはロッペンとジーニアスに任せて我々は退散しよう。ロッペンは無属性魔石の研究、ジーニアスはドラゴンの骨の製錬の準備で忙しくなるだろうしな」
「ご高配賜り感謝いたします」
「お任せください!ドワーフの誇りにかけて全力で当たります!」
門外漢のアタシにはよくわからなかったけど、今日は多くの発見があったみたいだな。
魔導師や職人たちが何回「「「「おおっ!」」」」って言ったかわからなくなるくらいだもんな。
ネルは凄いな。
ドラゴン退治をしたり、新技術を推進したり。
立派に皇太子として国のために働いてる。
アタシもネルの力になりたいな…。
ネルと連れ立って動力棟の出口へと向かう。
「ヴィオに土産を用意したんだ。今日はそれを渡したくてな。わざわざ呼び立ててすまない」
「いいって!昨日は忙しそうだっ…」
「退避!退避!緊急退避!総員緊急退避!!!!」
突然、動力棟の廊下に怒声が響いた。
「いかん!ヴィオ伏せろ!」
「えっ!?」
ドガアアアァァァァ!!!
ネルがアタシを押し倒すと、目の前はベージュ色の壁で覆われた。
あっ、相変わらずネルは花みたいな匂いがするな…。
パラパラパラ… カランカランカラン
もうもうと砂煙が立ち込める中、次第にあたりの様子が見えてきた。
どうやらちょうど通りかかった扉の向こうから爆発か何かがあったらしく、ひしゃげた扉が傍に落ちている。
天井にも亀裂が入ってしまっているみたい。
「殿下!殿下!!どこにおわしますか!?殿下!」
さっきまでアタシたちがいた部屋からロッペンさんたちが大声を上げながら駆けつけてきた。
そうだ!ネルは!?
「ネル!?」
「あ痛っ!」
し、しまった!
アタシが勢いよく立ち上がったせいで背中に覆いかぶさってくれていたネルを振り落としちまったみたい。
「あつつつ…ヴィオ、大事ないか?」
「ご、ごめん!アタシは何ともないよ!ネルは?」
「とっさに水塊を召喚して爆風と飛散物を防いだから何ともない」
「殿下!ご無事ですか!」
「大事ない!ただちに被害を調査せよ!」
「はっ!爆発は発動機実験室からのようです。発動機班!返事をしろ!無事か!?」
「ゲフッ!ごほごほ!は、発動機班、死傷者なし!ごほっ!緊急退避プログラムに従い、非常用水魔力フィールドを発動しましたので人的被害はありません!」
呼びかけからしばらく後、扉が吹き飛んだ部屋の中から数人の男たちがまろびでてきた。
「なにがあった?報告しなさい」
ロッペンさんが問いかけると、リーダー格らしき一人がいきさつを話しだした。
「は、発動機稼働実験中に発動機が暴走しました」
「型番は?」
「実験機番号35です」
「4ストローク直接噴射式のものか…」
「おそらくは出力が高すぎたのだろう?現行の火魔石では爆発力が大きすぎるのだ」
「殿下!?」
ネルが口をはさむと、そこで部屋から出てきた男性はネルの存在に気付いたらしく、一瞬にして顔を青くさせた。
ネルもアタシも土埃まみれになってるからなぁ。
皇族に爆風を浴びせちまったとなれば血の気も引くか。
「発動機の暴走はかれこれ…十数回に及ぶか」
「18回です、殿下。殿下の御推察通り、どれも出力が強すぎるためにコントロール不能に陥った末の暴走です」
「ふむ…ならば無属性魔石の吸収能力を使ってみるのはどうか?もしくは人工魔石の段階から出力調整を行うか」
「はっ」
「そしてジーニアスよ。発動機自体をドラゴンの骨から製錬した…長くて言いづらいな。竜骸金属と仮称しようか。発動機自体を竜骸金属で造ってはどうか?」
「はい!現行の鉄鋼より丈夫になるはずですから、高出力にも耐えられるでしょう」
18回も爆発してるのか…。
そりゃネルものこのこ入ってきたアタシを叱るよなぁ。
かつん
ん?足に何かあたった?
見てみると金属版のようだけど…表面に何か彫ってあるな。
『ディズエルに感謝を』…?
「なあネル?コレなんだ?」
金属板を摘み上げ、ネルに見せてみる。
あ、縁がひしゃげてんな。ってことは爆発で吹き飛んだ破片か?
「ん?ああ、それは発動機の破片だな。扉が吹き飛んだ時に一緒に飛んで来たものだろう」
「ここに彫ってある…ディズ、エル?って何だ?」
「それはディーゼルと読むんだが…帝国語ではディズエルと発音しなくもないな。この発動機の形式の名称だな。『ディーゼルエンジン』というのだ」
「形式の名前?形式の名前に感謝をって言い回しは変じゃないか?」
~に感謝を、ってのは精霊様への祈りの文句に使われる決まり文句みたいなものだよな。
火の精霊に感謝を、とか。
「ディーゼルの発明を勝手に使ってしまったからな…それにディーゼルは非業の死を遂げているから、な。まぁ一種の成功への願掛けのようなものだ。あまり気にしなくていいぞ。発動機には全てこの刻印が刻まれているからな」
「ふーん??」
よくわかんないけど。
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「あー!久々だけど上空の空気は気持ちいいなー!」
兵器工廠でほこりだらけになったアタシとネルは後宮の風呂を借りて汚れを落とした。
も、もちろん一緒には入ってないからな!
そのあとネルがシャチ乗りに誘ってくれたんだ。
昔からネルはちょくちょくシャチ乗りに誘ってくれる。
初めて乗った時は初飛行にビビったりしたけど、慣れれば楽しい。
宮廷の尖塔をくるりと周り、帝都の上空を旋回する。
「ヴィオと初めてシャチに乗った時より、背の高い建物が増えてきたな」
ネルはアタシの後ろに乗ってる。
シャチはネルの召喚獣だけど、コントロールはアタシに任せてくれてる。
「ユーリカの店が5階建ての建物を建ててから皆マネしてるみたいだな。展望喫茶だっけ?帝都の中で眺めをウリにするなんて斬新だなって思ったけど、あれもネルの差し金なんだろ?」
「さあ?何のことやら」
予想通りネルははぐらかしやがった。
久々にネルと再会してドキマギしてた自分が恥かしいぜ。
ネルとは昔からこうやって隣に…今は前後ろだけど、座っていろんな話をしたじゃないか。
高々数か月会わなかったからなんだってんだ。
どんだけ離れてたって、ネルとアタシは大事な友達だよ!
洗い髪が上空の澄んだ空気に梳かれる。
髪が完全に乾くまでシャチ乗りを楽しむと、太陽は既に傾きかける時間になっていた。
「ヴィオ、そろそろ降りよう」
「そうだな。暗くなる前にもどろっか」
宮廷の尖塔に横にシャチをつけ、テラスへと降り立つ。
「キュィユィユィ~」
シャチが別れの挨拶をするように鳴いた。
「こ、こら!ヴィオの前でそんな下品なこと言うんじゃない!」
ネルがシャチの頭をぺしっとはたいた。
…どうやら別れの挨拶じゃなかったらしい。
「風呂に入ったりしてちょっと遅くなってしまったが、ヴィオへの土産を渡そう」
尖塔のテラスからネルの私室へ移動した後、ネルがそう切り出した。
なんだろう?旧都の方のお土産って。
あっちは砂糖がよくとれるから飴かな?
パンパン!とネルが手を叩くと、奥から侍女の人がワゴンを押して現れた。
そのワゴンの上には湯気の立つカップと皿に乗せられた白い玉があった。
ソファに腰掛けてサーブされるのを待つと…。
「な、なにコレ?」
目の前に出されたカップの中身は…黒?いや、茶色?とにかく禍々しいほど深い色をした液体のようなものだった。
見た目に戸惑っているとフワッっと甘い香りを感じた。
焦がし砂糖でもない、はちみつでもない、香ばしさと入り混じった何とも言えない蠱惑的な香り。
もしかして…いや、もしかしなくてもこのカップの中身から漂ってきてるんだよな?
この温めた泥水みたいなモノから。
「ネル?これは?」
「うむ。これはホットチョコレートというものだ。季節的にはちょっと早いんだが、体がとても温まる飲み物だ。西側山脈で新たに見つかったカカオという作物から作ったものでな、運よく熟成が始まっていたものが一つだけあったので1杯分だけ作ることができたのだ。つまりこれは帝国に1杯しかない飲み物なのだよ」
帝国に1杯しかない飲み物をアタシに…?
それは嬉しいけど…コレ、飲んでも平気、なのか?
「ククク、心配せずとも毒見係も私もちゃんと味見をしているぞ。帝国に1杯といってもあくまで饗される1杯という意味だよ」
「なんだ、そっか!ったく、おどかすなよ」
ネルが味見したんなら心配ないか。
でも、ネルのすることにはいつも驚かされるから、味に驚かないように少し口に含む。
「!!!!!!」
あ、甘~い!
な、なんだこれ!凄く甘い!
でも砂糖をなめた時みたいなどぎつい甘さじゃなく、すんなりと舌の上でとろける甘さ!
きっとこのほんのりした香ばしい苦みが甘さを受け入れやすくしてるんだ。
ほあ~。
なんだか体の力が抜けていくような甘さだなぁ~。
「そしてその白い玉はマシュマロ。ホットチョコレートと一緒に饗される菓子でな、本来はホットチョコレートに乗せて出されるのだが、今回は別々に味わってほしくて別にしてみた」
ネルに促されてマシュマロとかいうお菓子に手を伸ばす。
スプーンも何も出されていないということは手づかみでいいんだよな?
ふにゅん
「おわっ!?なんだこの感触!?柔らかいのに弾力があって崩れない。まるで赤ちゃんのほっぺみたいだな」
初めての感触に驚くアタシをネルがニコニコしてみているのがなんだか気恥ずかしくなってマシュマロを一気に口に放り込んだ。
噛むとジュワッというか、くにゅんというか、なんともいえない面白い感触がほのかな甘さと一緒に歯を楽しませてくれる。
ホットチョコレートを飲んだ後だから甘さをそんなに感じないのかな?
でもアタシも料理人の娘だ。
この菓子が食感を楽しむものだってわかるぞ。
「マシュマロはホットチョコレートと違って一般的な食材から作れるのでな、冬の新作菓子としてユーリカ堂喫茶で売りに出される予定だ。その時はイチゴ味とブルーベリー味も同時に発売するぞ」
へぇぇ~。新作のお菓子をいち早く出してくれたのか。
この面白い食感でいろんな味が楽しめるなら帝都の女たちは飛びつくだろうな。
またユーリカのヤツ儲かっちまうのかぁ。
また一口ホットチョコレートを飲む。
はぁぁ~ 甘さが体に染み渡るなぁ。
ネルの言うとおり、なんだか体もポカポカしてきた。
まだ秋口にかかったばかりの時期だから、ちょっと暑いくらい。
「ヴィオ、いつもありがとう」
不意にネルがアタシの目を見て神妙な面持ちでそう言った。
「どうしたんだよ、急に」
「いやなに、こうしてなんの気兼ねもなく一緒に茶を飲める同年代の者はヴィオくらいだからな。感謝してもし足りないくらいだろう」
…そっか。
そうだよな。
ネルは生まれた時からこの国では2番目の地位にあるんだから。
小さいころからずっと周りの大人たちに傅ずかれるのが日常で、同年代の友達なんてできようはずもない。
でもネルは頭がいいから、その地位に増長することもなく、自分の立場を理解して、帝国の発展に寄与してる。
それがどれだけ負担になるんだろう?アタシだったら耐えられない。
…ん?ネルとアタシが同年代?
アタシはもう20歳で、14歳のネルとは6つも年が離れてるのに。
ネルは言動も態度も大人びてるから、そこらの14歳の男がガキに見えちゃうってのもあるか。
そっか、ネルはアタシのこと同年代だと思ってるんだ。
歳の差なんて、ネルにとっては些細なことなんだろうな。
少し熱が冷めて飲みやすくなったホットチョコレートを、今度は少し多めに飲む。
ああ、どんどん体が熱くなってく。これもホットチョコレートのせいだ。
アタシはネルの正面のソファから、ネルの座っているソファに移動した。
ネルははじめ驚いたような顔をしていたが、すぐに微笑みを浮かべて受け入れてくれた。
「ヴィオ、私はこれからもヴィオの店に通うよ。私の皇太子としての立場がヴィオの迷惑にならないよう配慮する」
「いいよ。そんなに気にしなくてもさ。皇太子だろうが何だろうがネルはネルだし、アタシはアタシ。でしょ?」
アタシの存在がネルの心を少しでも軽くできるんなら、これほど嬉しいこともない。
そう思った瞬間、ソファに座ったままアタシはネルに抱き着いていた。
「そ、そうだチョコレートは古代においては媚薬とされていたという伝説があるのだが、これはあくまで伝説であって本来は強壮剤として…んんっ」
初めてのキスは甘い味がした。
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宮廷からの帰り道、アタシの足取りは決して軽くはなかった。
太陽ももう昇りきってしまっている。
…やっちまった。
二十歳も過ぎた娘が朝帰りって…絶対バレてるよなぁ、そういうことがあった、って。
そういうこと…。
聞くとやるとじゃ大違いだったな…。
まさか自分にあんな…あんな癖があったなんて。
ネルに悪いことしちゃったな…あ、アレのときにネルの背中に思いっきり爪立てちゃったし、肩口に噛みついちゃったし。
絶対跡残っちゃったよな…。
ネル、きっと引いたよなぁ…嫌われちゃったかなぁ…。
というか、『大事な友達だ!』とか思った矢先にこんなことになっちゃうなんて。
「はぁぁぁ~」
でもネルのやつ、なんか手馴れてたなぁ。
なんていうか、その…上手かった、し。
ネル、かっこいいもんな。
婚約者もいるらしいし、きっと経験豊富なんだろうなぁ。
アタシ、ちゃんとできたのかなぁ。
ネルはちゃんと気持ちよかったのかなぁ。
「はぁぁぁ~」
いや、落ち込んでちゃダメだ!
ネルはその…アタシのさっぱりした明るい性格が好きって言ってくれたんだ、うじうじしてたらもっと嫌われちまうよ!
パァン!
「よっし!」
自分で自分の両頬を張って気合を入れなおすと、ちょうどウチの店の前に着いたところだった。
「あれ?『臨時休業』?」
店のドアの前には休業の看板が出ていた。
今日は定休日でもないし、これからお昼時に入るってぇのに。
いぶかしみながら店のドアをくぐるとカウンターの中でオヤジと母さんが眉間にしわを寄せて向かい合っていた。
なんだかおかしな雰囲気だ。よくないことがあった後みたいな。
「オヤジ!母さん!なんかあったのか?」
アタシは親に顔を合わせづらい朝帰りであることを一瞬忘れて声をかけた。
「ああ、ヴィオ。おかえり」「おかえりなさいヴィオちゃん」
アタシは娘だからわかってるけど、はたから見たら大男が女の子を泣かせてるみたいに見えるなぁ。
あいかわらずうちの両親は身長差がありすぎだ。
アタシも母さんくらいの身長だったらきっと女の子らしく…いやでもネルは大きい女の子のほうが好きみたいだし…じゃなくって!
ああもう!
夕べあんなことした後だからってネルのこと考えすぎだぞアタシ!
「どうしたんだよ?臨時休業って」
「ああ…。やられたよ」
オヤジが答えるけど言葉少なだ。
オヤジ自身もどういっていいかわからないって感じだな。
「やられたって…泥棒でも入ったのか?」
「ち、ちがうのヴィオちゃん。お母さんがちゃんとしてなかったから…」
「いや母ちゃん、こりゃちゃんとしてたってどうしようもねぇよ」
「だから何があったんだって」
「これだよ」
オヤジは一枚の巻紙を差し出した。
これって…麻紙じゃない、羊皮紙だ。
ってことはなんかの公式文書?
巻紙を開いて内容を見てみると…。
「汝、リム。汝の息女が皇太子の寵愛を受けた功績により汝を子爵に叙す。これに伴いプラティーヌの姓を与うるものなり…?って、ええええええええ?!」
ちなみにリムは母さんの名だ。
って!それどこじゃないよ!
「オヤジ!これってまさか!?」
「そうだ。これでうちの母ちゃんは貴族様ってわけだ」
「や、やめてよあなた!あ、あのねヴィオちゃん、お父さんが開店準備でちょっと酒屋さんに行ってる間に騎士様が来てね、それであの、お母さん知らない人と話すの苦手だから喋れないでいる間に騎士様がこの文書を読み上げてね、お母さんに渡してったの」
「まぁ、そういうわけだ。…受けちまったんだろ、寵愛」
うわああああああ!
こ、こんな形で親バレするなんてぇぇぇ!
自分でも顔がカッと赤くなるのが分かった。
オヤジはそれを見ただけで理解したらしく鷹揚に頷いた。
「で、でもネルはアタシの重荷になるからそういうのはしないって言ってたのに!」
「何!?そりゃ本当か!?」
「そ、そうだよ。確かにそう言ってた」
ベッドの中での会話だったけど…ちゃんとした約束だよな?
「一つ謎が解けたぜ。以前小僧が俺に爵位を与えようとしてたけど本気じゃなかったぽいからな、今回の強引さはちょっと腑に落ちなかったんだ。これは小僧の差し金じゃねぇ」
「え?だったらこんなこと他に誰が…?」
「叙任状の署名を見てみな」
「署名?…えーっと、ベルフィルド帝国皇后シンクレア…!!?」
こ、皇后様!?
え?え?え?
どういうこと?
つまりアタシとネルがそういうことシたってネルのお母さん、皇后さまにはもうバレてて、え?でもしたのは昨日が初めてで…叙任状が来たのが今朝で…?え?
「…あの小僧にしてあの母親ありってことか。小僧の性格は母親似だったんだなぁ」
顔を真っ赤にして混乱のあまり硬直するアタシにオヤジが益体もないことを言い放った
。




