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捨てたいもの  作者: 青子
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クリスマスのおはなし 後編

 思えば滝岡と喧嘩したことがない。これが喧嘩なのかと言われると、疑問だが。

 彼と付き合うまで恋愛経験のなかった私には、これをどうやって乗り切るべきなのか分からない。涙も乾いた私はようやく冷静になり、ゆっくりと深呼吸をする。落ち着かなければ。きっと滝岡も動揺してあんなふうに言っただけだ。お互いに少し時間をおいて会えば、きっと元通りになれるはず。

 頭の中ではそう考えるのに、もう一方でもし滝岡に振られたらどうしようということばかり考えている。また彼氏のいない日々に戻るのが怖いんじゃない。滝岡という人間と、これっきり話せない、会えない、触れないのが怖いのだ。

「こういうとき、どうすればいいんだ」

 途方に暮れた私は、『彼氏 喧嘩 仲直り』などというワードでインターネット検索してみるも、書いてることが自分に当てはまっていないように感じ参考にならない。そもそも今回はこちらが100%悪いのだから、私が謝ればいいのだ。

 でも「結婚する?」と言われたことが引っかかり、行動にうつせない。

 夢にまで見ていた好きな人との結婚。あんなふうにあっさりと、するりと口にされたことによって幻にも思えていた。しかも全然嬉しくない。なんで、どうして。結婚するなら滝岡だって、考えたこともあるというのに。


 その夜、また陽子から電話が入った。滝岡かもしれない、なんて淡い期待を懲りずに抱く自分が恨めしい。

『理子、今日は本当にありがとう! 無理言ってごめんねー』

「あ……うん、陽子が楽しそうで良かったよ」

『今度なんかおごるからね。彼氏は大丈夫だそう? バレてないよね?』

 ああ、気にかけて電話してくれてるんだ。陽子はそういうところは変わらない。大学時代に私が慣れないお酒で潰れたときには、家まで送ったあとにも様子うかがいの電話をくれたっけ。

 そんな彼女に正直なところを話すのは気が引けるのだが、誰かに聞いてほしくて仕方なかった。少なくとも私よりは恋愛経験のある彼女には、もしかしたら突破口が分かるかもしれない。

「いや……実はさ」

 暗いトーンをできるだけ隠しながら、今さっきのできごとを話す。

『……すごい偶然だね。あの中に、理子の彼氏の知り合いがいるなんて』

「そうなんだよー。私フェイスブックとかやらないし、そんなのに写真晒される可能性なんて考えてもみなくて……」

『うん、私もそこまで気が回らなかった……私も知らない間に晒されたりしてるのかなあ』

 世の中怖いねえ、なんてやや見当違いな世間話を挟み、話題は滝岡に戻る。

「でさあ、どうしたらいいだろう。謝る……謝るんだけど、これってプロポーズなのかな? でも何か最後のほう怒って帰っちゃった感じだし、何て言うべきなのか、分かんなくて」

『理子はその彼氏と結婚したいの?』

「うん」

 これは本当に素直に、頷ける。

 今すぐじゃなくてもいい。いつか、そんな希望を抱くだけでむず痒い嬉しさに見舞われる。

『じゃあ、私も結婚したいって言えばいいのよ。見切り発車のプロポーズだとしても、普段からそのこと考えてなければ、そんなふうに言わないはずだし』

「ああ……そうなのかな。結婚、考えてくれてたのかな」

『多分ね。結婚考えてない男はその話題は避けるんじゃない』

 私が聞きたいことって、これ?

 確かめたいことって、こういうこと?

 もちろん滝岡の私に対する気持ちは知りたい。普段好きとか滅多に言わない人だから、余計に。

「あのね、陽子。そうじゃなくて……えっと……」

『ん?』

「結婚って、何?」

 訪れた沈黙によって、電話の向こうで陽子の目がまるくなっているのが分かった。

 変な質問だよなあ、と自分でも分かってはいるのだが聞かずにはいられなかった。

「陽子? ねえ、結婚って……」

『うん、うん……そうだね。確かに、急に結婚が現実になった理子がその質問をしてしまうことは何となく理解できるけど、質問する相手間違ってるから。結婚っていうジャンルで成功も失敗もしてない私に、そんな奥の深い疑問答えられるわけがないでしょう』

「ああ、まあ、でも。でも、陽子、婚活してるし。結婚のこと、ちゃんと考えてるでしょ?」

 29歳になっても彼氏ができないでいた数ヶ月前、私に婚活をしようという気力はなかった。そこまで真剣に結婚なんて考えてなかったのだ。そんなことよりも男を知らない自分が惨めで、どうにかしたいと思っていた。

『……分からないけどさ。でも妥協するもんじゃないと思ってるし、自分から掴むものだとも思ってるよ。だって家族になるわけでしょ、父親とか母親とか、兄弟と同じくらい大切になるんだから、自分がこの人じゃなきゃだめだって思う相手を見つけたいじゃない』

 陽子のその話を聞いて、ふと思う。私は滝岡しか知らない。しかも半年ちょっと付き合っただけ。友だち期間はそれなりにあったが、お互いの関係を深める期間ではなかった。集団の中で浅く付き合っていたに過ぎない。目的が先にくるんじゃだめなんだ。結婚したいから滝岡と……じゃなくて、滝岡とこの先ずっと一緒にいたいから結婚したいと思うものなんだ。

「陽子、私」

 あんなに頑なに持っていた、捨てたいものは私の中にもうなかった。

「私ね、嘘ついてた。彼氏なんてできたことなかったんだ。今付き合ってる彼氏が、初めての人なんだ」

『え……そうなの?』

「嘘ついていたことは謝る。でもね、今の彼氏と付き合わなかったら、私今でも陽子に嘘ついてたままだったと思う。くだらないプライド捨てられなくて、見栄っ張りのまま……」

 陽子の鼻がすんと鳴った。

「でもね、だからって結婚したいからするじゃなくて、自分がちゃんと相手を大事にできるって、色んな部分を知ってもやっぱり一緒にいたんだって自信を持てるまで、決めるべきじゃないんじゃないかって思うんだ」

『結婚したいほど好きなんじゃないの?』

「今は……今は、そうだけど。そんなに簡単じゃないと思う。滝岡と家族になる覚悟があるのかって言われたら、分からない。だってそんな実感まったくないんだもん。喧嘩だってしたことないし、滝岡の嫌だなって部分も全然知らない」

『うん』

「さっきだって滝岡に強く言われても何も言い返せなかった。泣いてるしか、なかった」

 そんなんじゃ夫婦になって、家族になって、ちゃんとやっていけない。そう考えたとき、結婚が何なのかという疑問にほんの少しだけ光が見えた気がした。

『理子がそう言うなら止めないよ。でもね、少し現実的な話をすると、プロポーズしてもらえるなんてそうそうあることじゃないのよ。世の中には結婚考えてない男なんてごまんといるんだから』

「あー……うん。そうだよね。それは、分かってる」

 滝岡がいつか心変わりすることだって、私を嫌いになることだって、あり得る。でもそんなの、結婚してからだって可能性は生き続ける。

 それが分かったら私がやるべきことはただ一つ。滝岡と仲直りをして、きちんと向き合うことだ。私の今の気持ちを知ってもらうことが、必要だ。


 日曜日のお昼に、『直接会って話をしたい』というメールを送った。返信は夜になるまで返って来ず、吐き気をもよおし始めたころにようやく『返事遅くなってごめん。今週は余裕ない』という素っ気ないメールが返ってきた。滝岡はもともとこういうものは簡潔に済ませるタイプだから、と自分に言い聞かせて携帯を閉じる。

 時間がたつにつれ、自分の考えに自信がなくなっていく。

 陽子はああ言っていたけれど、滝岡は結婚なんて考えてもいなかったらどうしよう。見事なまでの独り相撲だ。日に日に心が沈んでいくのを、自分で止めることはできなかった。


 社内回覧板で今年の大掃除の日程が発表された。

「12月25日か……」

 私が思わず呟くと、隣に座っている営業の古野さんが苦笑いをこぼす。

「今年は仕事納めがちょっと早いもんなあ。クリスマスに大掃除なんて、若い子は色気なくっていやでしょう」

「あはは、色気なんて、仕事に求めてないですよ」

 25日……24日の約束は結局取り付けられないまま、もうあと数日に迫っている。その日私はどんな気分で大掃除しているのだろうか、なんて神にも予測のつかない想像をめぐらせてはこっそりと溜め息を吐く。

 回覧板をよく読むと、古い型番のパソコンを回収すると付け加えられている。先日行ったアンケート結果から、古い型番かつ使用頻度の低いパソコンは情報システム部で引き取るというのだ。

「……パソコンの回収先、情シスなんですね」

「あー……それねえ。どうしようかなあ。めんどくさいよねえ、丸山さ……」

「私やります!!」

 思い立ったが吉日と言わんばかりに立ち上がり、指定された型番のパソコンを手際よく回収していく。こういう雑用は営業の若手か、事務職員が引き受けるものだ。すなわち私がやっていてもまったく違和感はない。ただ営業一課の回収パソコンは意外に多く、一人で運ぶには少し無理がありそうだが……。

 いや、そんなこと、滝岡に一目でも会えることに比べたらなんでもない。

「内田さーん、総務から台車借りてきましたから」

 古野さんのありがたい手助けも借り、私は意気揚々とエレベーターに乗って1階にある情報システム部と目指した。

「失礼します、営業一課です」

 情報システム部なんて滅多に足を踏み入れない場所に、私は緊張していた。開けっ放しのドアを前に一応断ってみるものの、誰もその挨拶は聞いてないようだった。誰もが忙しそうにパソコンに向かったり、電話で何やら話をしていたりする。滝岡はいないのか……見える背中のすべては私が探している人のものとは違う。がっくりとしながら、一番近くに座っている社員へ声をかけた。

「すみません、パソコンの回収にきたんですけども」

「あ、回覧板のですよね。すみません、こちらにお願いできますか」

 すでにいくつかのパソコンが段ボールに入った状態で山積みになっている。

 数台のパソコンを台車から移していると、背後で聞いたことのある声がする。滝岡だ!と、変に思われるのも承知のうえで辺りを見回した。

「……じゃあ今度教えてくださいよ。私、本当パソコンのこと分かんなくて」

「いや、俺もそんな、詳しくないけど……」

 仲良く段ボールをひとつずつ抱えた男女は、2人同じように笑顔を浮かべている。

「家のパソコンすごく古くて、ネットしてたら勝手に電源落ちちゃったりとかして困ってるんですよねえ。年末のセールで買い替えようかなあなんて思ってるんですけどね」

 嬉しそうに話す女の子は私のことなんて見向きもしてない。滝岡は私を見て数秒固まったあと、静かに視線をそらしてゆっくりとこちらに向かってきた。

「滝岡さん?」

 誰だろ、総務の若い子かな。ぼんやりとしていると、私の隣に並んだ滝岡は自分の持っている段ボールをその場に積むと、今度は私が持ってきた荷台の上の段ボールをそちらに移し始める。

「それも下さい」

「え、ああ……はい」

 女の子は言われるがまま段ボールを手渡し、滝岡はそれも手際よく整理しつつ積んでいく。

「これ、総務から借りてきた台車?」

 今度は私に急に話しかけてきた。咄嗟のことに、「うん」と返事をする。

「悪いんですけど、戻るついでにこれも持って行ってもらっていい? ごめんね」

「ええ、構いませんよ」

 女の子は私に軽く会釈をしてから、その台車を押して情シスから出て行ってしまう。

 滝岡と社内の女の子の、単なる世間話を聞いただけなのに落ち着かない。なんて心が狭いんだろう。こんなことじゃ、まだまだだめだ。大きく温かく受け入れられる人にならないと。

「どうも、ありがとうございました」

「ああ」

 短い返事を聞いて、満足する。これで良かった。社内でプライベートな話をするつもりはないし、そもそも姿を見られただけで目的は果たしたのだ。私はうんと頷いて歩き出した。


 24日、定時には手持ちの仕事がなくなった私は、帰るかどうか迷っていた。滝岡が遅番だという20時まで粘ってみるか、諦めて帰るか。もし連絡がきても、私が家に帰ってしまっていたんじゃ意味がない。でも滝岡の性格上、当日に当日のことを言ってくるなんて考えにくい。今日までその連絡がなかったということは、やはりイルミネーションを見に行く余裕がないのだろう。今日はさすがに課の人間も退社するのが早い。あっという間にまばらになった部署は寂しい雰囲気に包まれていた。

 あんまりここにいても、気が滅入る。待つんだとしても、会社の外で待とう。そう決めて退社の準備をし、とりあえず会社を出ることにした。エントランスには、いつもより人が多い。ここで待ち合わせてあのイルミネーションを見に行く人もいるのかな。ぼうっとその様子を眺めながら歩いていると、見慣れたハーフコートを着た滝岡が私のほうをじっと見ていた。まるで、待っているみたいに。

 思わず立ち止まる。遅番だって言ってたのに。20時まで帰られないはずなのに。

 滝岡はあっという間に私の目の前まで歩いてきて、鞄を持っていないほうの手をとる。ここはまだ社内で、エントランスで、人がたくさんいて。視界の隅の営業一課の知った顔があることに気をとられながら、私は滝岡に引っ張られる形で駅前に向かって歩き出した。


 イルミネーションの周りにはもうたくさんの人がいた。携帯のカメラで何回も写真を撮っていたり、カップルが2人並んで楽しそうに話をしていたり。子ども連れのファミリーもいるし、年配のご夫婦もいる。こうやってみると、クリスマスはカップルだけじゃなくて、たくさんの人の特別なんだと思い知る。

「理子」

 騒がしい中から滝岡の声を見つけるのは簡単だ。決して大きくないそれは、いつだって私の中に心地よく優しく響いてくれる。私が視線を返すと、少し強ばった表情の彼がいた。

「理子が話したいこと、全部聞く。全部聞くから、先に俺の話を聞いてくれないか」

 また強く手を引かれ、イルミネーションの中心から離れる。大通りや公園を横目に過ぎながら、たどり着いたのはオープンスペースのあるカフェだった。1階の入り口には『本日貸切』という札が掲げられている。

 滝岡はそのドアを躊躇なく開き中に入る。がやがやと人の声がして、クリスマスパーティーでもやっているのだろうと思わせる雰囲気だ。

「2階にあがって」

 手を繋いだまま狭い階段をあがると、大きめのキッチンがある。そこには初老の男性がゆっくりと料理の用意をしていた。

「よろしくお願いします」

「どうぞ、用意できてますよ」

「すみません、ありがとうございます」

 明らかにお客様を招く場所ではないだろう。たくさんの食材や食器が並んでおり、ここで準備をして、1階が食事をするスペースになっているのだろう。滝岡に連れられたところは2階のバルコニー。ちゃんとテーブルと椅子が2人分セットされていて、テーブルの上には花束が置かれていた。

「え……えー……」

 あまりの予想外のことにそんな言葉しか出ずに、滝岡に手を引っ張られてもバルコニーの入り口から動くことができない。

「寒いのが難点だけど。とりあえず座って」

「え、え? これ、どうしたの」

「いいから。いったん座れ」

 滝岡に促されて、手前のほうの椅子に座る。膝掛けの毛布が用意されていて、足元にはヒーターもセットされていた。花束は大きすぎないものだが、ボリュームがあって、私の好きな色が中心に添えられた素敵なものだ。花束なんてもらったの、高校の卒業式以来だ……と感動していると滝岡がある方向を指差す。

「ほら」

 指の先を辿ると、駅前を彩るイルミネーションが真正面に見える。近づきすぎると全部を見ることができないそれを、こうやって一望できるなんて想像もしてなかった。

「……すごい。すごいね。こんなふうに、きれいなんだね」

 自分が何を言っているのかも分からず、その風景に見入った。写真なんかじゃなくて、自分自身の目にしっかりと焼き付けたい。寒さなんて忘れるくらいのサプライズだ。

「普通はさ、ここは貸してもらえるような場所じゃないんだけど、無理言って使わせてもらった。だから下がちょっと騒がしいけど」

「ううん、そんなの気にならないよ。それに、このバルコニーもすごい素敵だし、あのイルミネーションをこんな場所から独り占めできるなんて知らなかった」

「一応簡単にお酒とケーキも頼んでるんだけど、その前にちょっとだけ話していいか」

 私の話よりも先に聞いてほしいと言った滝岡は、今までにないくらい真剣な顔をしていた。


「この前の、結婚とか言ったの、けいそつだった。それを撤回したいんだ」

 何となく分かっていた。あんなふうに言った言葉を彼が後悔しているのを。私だって自分なりに出した結論はその方向を向いていないのに、改めて分かると悲しい気持ちになる。

「うん、大丈夫だよ」

 できる限りの笑顔で応える。こんなことも乗り越えられないで、結婚なんて夢見ちゃいけないんだ。強くならなきゃ、とまたひとつ力をこめる。

「ちゃんと言いたいんだ」

「え……?」

「俺は、理子と結婚したい」

 滝岡のまなざしは、強くたくましい。照れ屋なのかなとか、シャイだなって思うときもあるけれど、決めるときはちゃんと自分で決める。滝岡はいつだってそうだ。

「理子がどうとかじゃなくて、俺が、そうしたいと思ってることを伝えなくちゃいけないと思ったんだ。断られる可能性も分かってる」

「断るなんて……そんな」

 私だって同じ気持ちなのに、せっかく固めた決心が揺らぐ。

 でもきっと私のはただの願望で、滝岡とはまた重さが違う。結婚というものを知らないからこそ、もっと考えなくちゃいけないと思う。もっと滝岡のことを知って、私のことも知ってもらって、結婚したいと思いたい。

 まさに今、こんなことでも乗り越えられないと。私の望む未来は手に入らないんだ。

「……じゃあ、私の話も聞いてくれる?」

 滝岡の表情が強ばったのが分かった。ふいと視線を落とし、身を乗り出して私の手を握る。

「うん」

「ありがとう。あのね」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。私がもともとおしゃべりで、まとまりのつかないことを話すのは知られている。だからかっこつけずに、分かってもらいたい。

「結婚したいよ、私も。いつか結婚したいと思ってる。でも結婚ってなんだろうって考えたときに、もっと滝岡のこと大事にしたいと思いながら決めたい……今も滝岡のこと大事なんだけど、そうじゃなくて、もっともっと、自然に思えるようになったら結婚したい」

 私の言葉に、滝岡は首をひねる。

「時間をかけなくちゃいけないってことか」

「ううん、時間じゃないんだよ。結果的に時間は必要なのかもしれないんだけど、もっと必要なのは、私と滝岡がちゃんと向き合うことなんだよ」

「今だって、向き合ってる」

 私は見ないふりしたり、ぶつかることを怖がったりしたくないのだ。今までの私たちは、お互いの限られた時間を丁寧に過ごしてきた。ぶつかる時間がもったいなんて思ったこともある。でもそれじゃいつまで経っても上辺だけの付き合いからは脱せない。

「滝岡も遠慮しないでいいんだよ。この前のことだって私が全部悪いのに、私が謝らなきゃいけないのに、こうやってプロポーズしてくれるなんて優しすぎるよ。もっと怒って、ぶつかってほしい」

 ぎゅっと強く手を握る感触が、急に愛おしくなった。照れ屋なのに会社のエントランスで堂々と接してくれたことも。今こうやって私の一言一言に耳を傾けてくれることも。付き合い始めてからは穏やかな道をゆっくりと歩いてきた私たちだけれど、その中にもお互いを見つめ直すきっかけが必要なんだ。


「そろそろお酒はいかがですか?」

 さきほどの初老の男性が、会話の途切れ目を見つけ声をかけてくれた。

「はい、お願いします」

 返事をしたのは私で、滝岡はまだそのままの姿勢で動けないでいる。

「あんまりクリスマスっぽくないんだけれど、ごめんなさいね、一応ケーキもあるんですよ」

「いえ、とても可愛いです。ありがとうございます」

 陶器のグラスにいれられたお酒と、サンタクロースの砂糖菓子が乗ったミニサイズのクリスマスケーキ。男性はテーブルに並べるとすぐに奥へ戻り、また2人の時間になった。

「ね、食べない? ケーキ可愛いよ」

 結局ケーキは予約しなかったし、料理の準備もしなかった。プレゼントだけ用意はしてみたけれど、会えなかったらつらいなと思って家に置いてきっぱなしだ。でも滝岡からのサプライズは私が準備しようと思っていたものをすべて上回った。こうやって私のことを考えてくれていたことが嬉しい。

「……理子の言ってること、よく分からない部分もあるけど」

「うん、そうかもしれない」

 私だって、この結論が正しいのかはよく分からない。陽子の言うように、自分の好きな人にプロポーズしてもらえることは有り難い話に間違いないのだ。

「でもお互いの分かり合えなかったり、譲れなかったりする部分を、話し合って、納得し合っていくってことなのかな」

 ぽつりと呟いた滝岡に、私は思わず笑みを返す。

 私を捕まえていた彼の手は離れ、セッティングされたフォークへ伸びる。

「……じゃあ、理子が折れてくれるまで頑張るか」

「え?」

「俺だって、その覚悟はある」

 にやりと笑ったその顔は、どこかすっきりとして見えた。

 そっか、私が説得されてしまうってこともあるんだ。でもそれでもいい。滝岡が考えてること全部知って、喧嘩もして、ぶつかって、その上で彼についていくと決めるならそれが私の答えなんだろう。

 イルミネーションはいつの間にか色を変えて、さきほどよりも遠くに見えた。滝岡はすぐそばでケーキを頬張っている。ケーキの上で座ったままのサンタクロースは、私のほうを向いて笑っていた。

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