Digital Transformation 第四話 三社の提案、十人の審判
第四話 三社の提案、十人の審判
会議室の予約は、午前九時から午後四時まで押さえられていた。
最高情報責任者・黒木厳は、予定表を確認すると、手元の資料を閉じた。
今日の議題は、CRMの選定である。
営業部から上がってきた報告書には、入力作業の負担、情報の重複、利用目的が不明確な項目など、いくつもの問題が記されていた。
営業パーソンが、商談の記録を残すために十数分を費やすこともある。
その時間を取り戻せないか。
今回の検討は、そこから始まった。
会議室には、黒木のほか、システム部の藪内マコト、営業部長、そして営業部から武中ユウトが参加していた。武中はトライアルの参加候補者の一人として、現場の立場から意見を述べる役割を任されている。
最初の説明が始まる前に、黒木は三人に念を押した。
「今日のプレゼンで、採用する製品を決めるつもりはありません。各社の提案と見積もりを確認したうえで、実際に使って評価する。そのための準備です」
営業部長がうなずいた。
「営業部としても、現場の意見を聞いたうえで判断していただきたいと思っています。ただ、トライアルに参加する社員の業務時間を確保する必要があります。通常の営業活動に支障が出ないようにしなければなりません」
「その点も含めて、計画を立てましょう」
黒木は答えた。
最初の会社の担当者が入室した。
名刺交換を済ませると、担当者はノートパソコンを接続し、画面を大型モニターに映し出した。
「本日は、弊社のCRMソリューションについてご説明いたします。顧客情報、商談管理、営業活動の記録、レポート作成まで、営業に必要な情報を一元的に管理できます」
説明は滑らかだった。
画面には、整然と並んだ顧客情報と商談一覧が表示される。グラフは見やすく、売上予測も一目で把握できるように作られていた。
営業部長は身を乗り出した。
「営業会議で使う資料も、この画面から作成できるのですか」
「はい。適切に設定すれば、商談の進捗や売上予測を集計し、レポートとして出力できます」
藪内は、設定という言葉に反応した。
「適切に設定する、というのは、具体的にはどの程度の作業でしょうか。現在のSalesforceにある顧客情報や商談履歴を移行する場合、項目の対応づけやデータの整理も必要になりますよね」
担当者は一瞬だけ間を置き、笑顔で答えた。
「はい。データの状態によりますが、移行前の整理と項目のマッピングが必要です。弊社の導入支援サービスをご利用いただければ、そこも含めて支援できます」
「その費用は、ライセンス料とは別ですか」
営業部長が尋ねた。
「導入支援の範囲によって異なります。詳細はお見積もりに記載しております」
黒木は資料に目を落とした。
ライセンス費用。導入支援費用。移行費用。
まだ、運用開始後の負担までは見えていない。
プレゼンが終わると、担当者は丁寧に頭を下げて退室した。
続いて、二社目の担当者が入ってきた。
こちらは、営業パーソンの操作性を前面に押し出していた。
「CRMは、営業の皆様に使っていただけなければ意味がありません。弊社では、日々の営業活動をできるだけ簡単に記録できるよう、入力画面や操作手順を工夫しています」
画面上では、顧客の基本情報から商談履歴へ移動し、次のアクションを登録するまでの流れが実演された。
武中は、黙って画面を見ていた。
操作の流れはわかりやすい。少なくとも、デモの範囲では迷う場面がなかった。
説明が終わったところで、武中が手を挙げた。
「一つ、よろしいですか」
「もちろんです」
「実際の営業では、商談が終わった直後に、メールを返したり、見積もりを作ったり、次の訪問先に移動したりします。記録をまとめて入力することもあります。その場合でも、入力の手間は減るのでしょうか」
担当者は、すぐに答えた。
「入力画面の構成や運用ルールを適切に設計することで、負担を軽減できる可能性があります」
「可能性、ですか」
武中は、少しだけ首を傾げた。
担当者は、言葉を選び直した。
「実際の操作時間は、登録する情報の種類や件数によって変わります。ですから、御社の業務に近い条件で試していただくのがよいと考えます」
黒木は、その返答を聞いてうなずいた。
「それが、今回お願いしたいことです。デモで操作が簡単に見えることと、実際の業務で入力時間が短くなることは、必ずしも同じではありませんから」
担当者は、真剣な表情でメモを取った。
最後の会社のプレゼンでは、費用と柔軟性が強調された。
「すべての企業に、大規模なCRMが必要とは限りません。必要な機能を整理し、御社の業務に合わせて構成することで、導入費用や運用負担を抑えられる場合があります」
営業部長は、見積書を見ながら尋ねた。
「ライセンス料は比較的抑えられていますが、機能を追加した場合や、外部サービスと連携した場合の費用はどうなりますか」
「利用する機能や連携方法によって変わります。お客様の要件を整理したうえで、必要な構成をご提案します」
藪内は、ここでも質問を重ねた。
「Slackやメールから商談情報を取り込みたい場合、標準機能で対応できる部分と、追加開発が必要な部分を分けて説明していただけますか。また、AIで情報を要約して登録候補を作る場合、誰が内容を確認し、どのような履歴を残せるのかも知りたいです」
「承知しました。連携方法と監査機能を整理し、追加資料として提出いたします」
三社の説明が終わった。
会議室には、三冊の提案資料と、三通の見積書が並んでいた。
営業部長は、資料を見比べながら口を開いた。
「それぞれに特徴がありますね。機能も費用も違いますから、単純に金額だけでは比較できなさそうです」
「そうですね」
藪内が答えた。
「導入費用だけでなく、データ移行、既存システムとの連携、研修、運用管理まで含めて比較する必要があります。契約条件も確認しなければなりません」
黒木は、三社の資料を横に並べた。
「ところで、皆さん」
黒木が言った。
「今日の説明で、営業の入力時間がどれだけ短くなるか、わかりましたか」
営業部長は、少し考えてから答えた。
「まだ、わかりません」
「私もです」
藪内が続けた。
武中も首を横に振った。
「画面の操作は見せてもらいました。でも、自分が実際の商談記録を入力したらどうなるのかは、使ってみないとわからないと思います」
黒木は、静かにうなずいた。
「そのとおりです。各社の説明は参考になりました。しかし、私たちが解決したいのは、営業パーソンが記録の入力に時間を取られているという問題です。プレゼンが上手だった会社を選ぶことではありません」
黒木は、藪内に向き直った。
「十人程度で、一か月のトライアルを計画してくれ。参加者には、普段の業務に近い操作を試してもらう。現行Salesforceの入力時間も測定して、比較できるようにしてほしい」
「承知しました」
「ただし、製品ごとに条件をそろえること。試す業務、評価項目、記録する時間を決めておく。参加者の感想も大切だが、感想だけで結論を出さない」
営業部長が質問した。
「十人全員に、三つの候補をすべて試してもらうのでしょうか」
「それが可能なら比較しやすい。ただし、通常業務への負担や習熟時間も考えなければならない。具体的な進め方は、システム部と営業部で相談して決めてください」
黒木は一度言葉を切った。
「それから、トライアルに入る前に、何を記録すべきなのかも整理したい。必要のない項目まで、使いやすい画面に移して入力させるだけなら、根本的な改善にはなりません」
藪内は、手元のノートを開いた。
入力時間の実測。
項目ごとの利用目的。
データ移行と運用費用。
現場の評価。
やるべきことは多かった。
だが、以前とは違う。
これまでは、システムの機能や設定を中心に考えていた。今は、実際にそのシステムを使う人々が、どのような仕事をしているのかを考え始めている。
会議が終わり、武中が立ち上がった。
「藪内さん。一か月のトライアル、楽しみというか、少し不安ですね」
「どうして?」
「もし、どの製品を使っても入力時間があまり変わらなかったら、どうなるんだろうと思って」
藪内は、すぐには答えられなかった。
操作画面の問題ではなく、入力項目そのものが多すぎるのかもしれない。記録の目的が整理されていないのかもしれない。あるいは、営業活動の流れと、システムの設計がかみ合っていないのかもしれない。
「そのときは、システムを替えるだけでは解決しない、ということがわかるんじゃないかな」
藪内は答えた。
「それも、調査の結果だと思う」
武中は、少し安心したように笑った。
「だったら、正直に使ってみます。使いやすければ使いやすいと言うし、だめなら、どこがだめなのかを伝えます」
「それが一番助かるよ」
藪内はうなずいた。
会議室を出ると、黒木が廊下で待っていた。
「藪内。今回のトライアルで、何がわかれば成功だと思う?」
藪内は、少し考えた。
「どの製品が一番よいか、でしょうか」
「それだけか?」
黒木は、穏やかに問い返した。
藪内は、先ほどの武中の言葉を思い出した。
「いえ。なぜ入力に時間がかかるのか。どの作業を減らせるのか。製品を替えれば解決するのか。それも、わからなければいけません」
「そうだ」
黒木はうなずいた。
「製品を選ぶことは、目的ではない。会社の仕事を改善するために、必要な道具を選ぶんだ」
その言葉を聞いて、藪内は改めて考えた。
一か月後、十人の営業パーソンは、どのような感想を持つだろう。
入力時間は短くなるのか。記録は正確になるのか。営業部の仕事は、本当に変わるのか。
そして、もし答えが、どの製品を選ぶかという問題の外側にあったとしたら。
藪内は、ノートを閉じた。
まずは、現場で確かめる。
DXは、製品の名前から始まるのではない。
人々が、今の仕事をどう感じ、何を変えたいと思っているのか。その問いから始まるのだった。




