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物理学魔法で解く異世界方程式 ~物理最強だと勘違い召喚された天才物理学者の異世界冒険譚~  作者: 航太郎
第11章 オスタネス大迷宮Ⅱ

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欺瞞の間

 しばらくは何事もなく進み、やがて大きな広間に出る。

 そこで小休止となった。

 マリエルと宮廷魔導士団の回復術士が、すぐさまメンバーの状態を確認しはじめる。

「こちらに来てください。順番に診ていきますね」

 マリエルの穏やかな声が、張り詰めていた空気を和らげていく。金色の光が次々とメンバーたちを包み、打撲や擦り傷が癒やされていった。

 理一郎はマリエルの動きを観察していた。彼女はすでに第一層から何度も回復魔法を使い、休む間もなく働き続けている。

「マリエル」理一郎が声をかけた。「魔力の残量は大丈夫か」

「え? はい、まだ余裕はあります。回復の水薬(ポーション)もいただきましたし」

 マリエルは笑顔で答えたが、理一郎は見逃していなかった。彼女は時々、胸元の太陽神のペンダントに無意識に手を当てている。不安を感じたときの彼女の癖だ。

「無理をするな。ここから先が本番だ。温存できるものは温存しておけ」

「……ありがとうございます」マリエルは少し驚いたようにまばたきをし、それから柔らかく微笑んだ。「理一郎さんにそう言っていただけると、心強いです」

 広間の隅では、カイラが大剣を磨いていた。

「リチロー、こっち来いよ」

 呼ばれて近づくと、カイラは大剣を脇に置き、岩に腰を下ろした。

「さっきの縛蛇戦、見事だったぜ。お前がいなかったら、女二人は捕まってただろう」

「俺は壁に叩きつけられただけだ。助けに来てくれたのはお前たちだろう」

「謙遜すんな。お前が時間を稼いだから、オレたちが間に合ったんだ」

 それからカイラがにやりと笑う。

「それに、オレは見てたぜ。お前、自分が吹っ飛ばされる前に、マリエルとメリッサをかばおうとしてただろ」

 理一郎は何も答えなかった。

「お前、戦闘向きの体じゃないのに、いつも前に出ようとするよな。それは美徳かもしれないが、無茶はすんなよ。お前が倒れたら、アリアが泣くぜ」

「……気をつけよう」

「よし、いい返事だ」

 カイラは満足げにうなずくと、立ち上がって理一郎の首に腕を回し、自分の体へ強引に引き寄せた。

「無茶は禁物だが、お前のその根性は嫌いじゃないぜ。これからもオレの背中を預けてやるからな、相棒!」

 カイラはもう片方の手で理一郎の背中をバンバンと遠慮なく叩く。

 虎人族の力強いボディコンタクトに、理一郎は思わずむせ返った。鍛え上げられたしなやかな肉体が密着し、特有の甘い匂いが鼻をくすぐる。カイラのカラッとした笑顔を見る限り、完全に〝戦士仲間のスキンシップ〟のつもりらしいのだが……。

「わ、わかった……だから、腕を緩めてくれ。骨がきしむ」

 理一郎が苦しい息の下で訴えていると、慌ただしい足音が近づいてきた。

「カイラさん! 理一郎くんにあんまり構わないでください。まだけが人なんですから!」

 アリアだった。いつもは温厚な彼女だが、今はカイラに回された腕と密着した体を不満そうににらみ付け、ぷくりと頬を膨らませている。

「おっと、悪い悪い。じゃあな、リチロー」

 カイラがからからと笑って腕を解くと、アリアはすかさずカイラと理一郎の間に割り込むように立った。

「傷はもう大丈夫?」

 アリアが心配そうにのぞき込んでくる。

「ああ。問題ない」

「よかった……」アリアはほっとしたように息を吐いた。「あなたが落ちていった時、わたし、頭が真っ白になって……」

「心配をかけた」

「謝らないで」アリアは首を振った。「わたしこそ、なにもできなくて……。カイラさんに抱えられて、ただ見ているしかなかった」

「君が俺たちを見つけてくれたのではないか? あの金貨が道を示したのだろう?」

 アリアの表情が少し明るくなった。

「うん」

 メリッサが髪をかき上げながら、理一郎の横に立った。

「理一郎、あなたってほんとに不思議な人ね」

「なにがだ」

「あの状況で、冷静に大蛇の弱点を分析していたでしょう? 普通、壁に叩きつけられそうになっているのに、そんなことできないわ」

「考えることしかできなかっただけだ」

「そうできるのがすごいのよ」メリッサが妖艶に微笑む。「私、あなたのそういうところ、好きよ。どんな状況でも諦めない。必ず活路を見いだそうとする」

「……褒めすぎだ」

「褒めてないわ。事実を言っているだけ」メリッサは理一郎の目をまっすぐに見つめた。「あなたのためなら、私はなんでもするわ。忘れないでね」

 その言葉に、アリアが少し眉をひそめる。

「メリッサさん、その言い方だと誤解を招きますよ」

「あら、あなたはどんな誤解をしてるのかしら?」

「メリッサさん!」

 アリアの顔が真っ赤になる。

 二人のやり取りを見ていたカイラが、豪快に笑った。

「ハハハ! リチロー、お前もてるなぁ!」

「……そんな場合ではないだろう」

 理一郎は呆れたように息を吐いた。

 四十二年の人生を持つ身としては、彼女たちにこのような話題を振られるのが気恥ずかしい。メリッサの言葉に深い意味がないことはわかっているし、アリアの反応も年相応の純粋さゆえだろう。

 だが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 ほんの数ヶ月前まで、自分は完全な孤独の中にいた。

 見知らぬ世界に放り出され、記憶を消され、誰も信用できない日々。それが今はどうだ。命懸けの探索の最中、自分を心配し、認め、ときこうしてたわいない言葉を交わしてくれる仲間がいる。

 ――俺は、一人じゃない。

 その事実に、思いのほか心が温められている。

 カイラの豪快な笑い声が、広間に響いている。

 アリアがメリッサに何か言い返している。

 その光景を眺めながら、理一郎は自分の口元がわずかに緩んでいることに気づいた。

 ふいに、背後から声がかかった。

「おい、物部」

 振り返ると、セリウスが腕を組んで立っていた。

「なんだ」

「さっきの縛蛇戦、見てたぜ。お前の魔法、あの守護者には効かなかったじゃん」

「ああ、幾何障壁で減衰された」

「ふーん」セリウスは不敵な笑みを浮かべた。「つまり、お前の物理学魔法にも同じような弱点があるってことだろ? オレ様の魔法なら、あの蛇、一発で灼き尽くせたかもしれないのにな」

「君の火焔魔法も、おそらく減衰されていただろう。熱は典型的な放射エネルギーだ」

「なっ……」セリウスの顔が引きつった。「う、うるさい! とにかく、お前だって万能じゃないってことがわかったんだよ! オレ様はまだ勝負を諦めてないからな!」

「諦める必要はない。君の魔法は確かに強力だ」

「当たり前じゃん! って、え? 今、褒めた?」

「事実を言っただけだ」

 セリウスは一瞬言葉に詰まり、それから顔を赤くした。

「べ、別にうれしくないし! お前の評価なんか、オレ様の価値になんの影響も与えないし!」

 そう言い捨てて、セリウスは足早に離れていった。

 カイラが呆れたように首を振る。

「あいつ、素直じゃねえな」

「まだ子供だからな」

「お前だって十分子供だろ、リチロー?」

「……そうだな」

 理一郎は小さくため息をついた。

 十七歳の体に、四十二年分の記憶。その齟齬は、いまだに理一郎を悩ませることがある。

 だが、こうして仲間たちと言葉を交わしていると、不思議と心が軽くなる気がした。


       *   *   *


「ここから先は最深部だ」

 バルドリックが調査団を見回しながら告げた。疲労の色が濃い者が何人かいた。

「ここまでの戦闘で魔力や体力を消耗した者は、ここで待機とする。消耗した状態で入れば、足手まといになるだけではない。倒れた者を助けるために、他の戦力まで削がれる。それは避けたい」

 バルドリックの言葉に、異論を唱える者はいなかった。

「帰路の安全を確保するためにも、この広間を拠点として維持する必要がある。残った者は休息を取りつつ、退路を守ってくれ」

 そう言って、バルドリックは八名を指名した。

 メンバーはバルドリック自身、セリウス、宮廷魔導士二名、カイラ、マリエル、メリッサ、そして理一郎とアリアの九人。

「では、向かおう!」


       *   *   *


 第三層への階段は、これまでとは明らかに雰囲気が違っていた。

 壁面は鏡のようになめらかな黒曜石で、松明の光を反射している。

 一歩進むごとに、自分たちの姿が壁に映り込んでいた。

「イヤな感じ……」メリッサがつぶやいた。「まるで、壁の向こうから見られているみたい」

 階段を下りきると、広大な円形の広間に出た。

 その入り口にも古代文字が刻まれている。

〈欺瞞の広間:疑念に心惑わされし者は、真(まこと)を見失わん〉

 この広間でも何らかの試練が待ち受けているのだろう。

 広間に足を踏み入れた一行は、ここでも息を呑む。

 広間は円形で、壁一面が天井まで届く巨大な鏡だった。

 前を見ても、横を見ても、自分たちの姿が映り込んでいる。

 バルドリックが周囲を警戒しながら言った。

「油断するな。確実になにか仕掛けられている」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、異変が起きた。

「なんだ、これは……」セリウスがつぶやいた。

 鏡の中のセリウスが、揺らいだ。

 最初は水面に石を投げ込んだような、かすかな波紋だった。

 だが、その波紋は急速に広がり、鏡面全体を歪ませていく。

「鏡が動いてる……?」

 鏡に映ったセリウスの姿が、立体的に膨らみはじめた。

 まるで水中から水面に浮かび上がるように、人の形をした何かがせり出してくる。

 最初は銀色の塊だった。顔も、体も、すべてが鏡と同じ金属質の銀色。

 のっぺりとした人型が、あちらこちらでゆっくりと鏡から抜け出し、広間へと足を踏み出す。

「なんだ、これは……!」カイラが大剣を構えた。

 するとカイラと対峙した銀色の人型が、同様に大剣を構える。

 同時に、一瞬にしてカイラそっくりに変身した。

 精悍な目鼻、頭部の虎の耳、鍛え上げられた褐色の肌と、虎縞のビキニ・アーマー――。

 本物と寸分違わぬ姿。引き締まった筋肉の輪郭も、琥珀色の瞳も、完璧に複製されている。

 どこからどう見ても、それは〝カイラ〟だった。

「なっ……!」本物のカイラが目を見開いた。「オレが、二人……!?」

 広間を囲む鏡のあちこちで、同じ混乱が起きていた。

 銀色の人型が次々と鏡面から浮かび上がり、調査団員の姿を写し取っていく。セリウス、バルドリック、宮廷魔導士たち――次々と複製体が生まれていった。

「『鏡像の兵士(スペクリゲル)』……!」

 理一郎が古文書の記述を思い出した。侵入者の姿を複製し、同士討ちを誘発する心理攪乱型の守護者。

 だが、一人だけ例外があった。

「わたしの複製体が……ない?」

 アリアが困惑したように周囲を見回した。鏡には彼女の姿も映っているのに、そこから複製が生まれる気配はない。

「オスタネスの血だろう。この守護者もアルタイルの血を持つ者は、敵と認識しないようだ」

 理一郎はそう考察したが、確認している余裕はなかった。

「待てっ!」

 カイラが叫んだ瞬間、複製カイラが大剣を振りかぶって魔導士の一人に襲いかかった。魔導士はなんとか防護結界を張って一撃目を防いだが、二撃目には耐えられそうもない。

 カイラは素早く大きく跳躍して魔導士の前に立ちはだかり、複製カイラの斬撃を受け止めた。

 金属音が広間に響き渡る。カイラと鏡像のカイラが、まったく同じ構えで剣を交えていた。

「くっ……こいつ、オレの技を、いつの間に盗みやがった!」

「なに言ってやがる。お前こそ、オレのサル真似しやがって」

 ほかの鏡像たちも一斉に動き出した。

 セリウスの鏡像が杖を掲げる。

「まさか、魔法まで――」

 セリウスが言い終わる前に、鏡像の杖先から火炎弾がバルドリックに向けて放たれた。

 バルドリックはとっさに障壁を展開し、炎を防ぐ。

「嘘だろ!? こいつら魔法まで使えるじゃん!」

「威力も複製元と同等だ!」バルドリックが鋭く分析した。「油断するな!」

 だが、混戦になると、誰が本物で、どれが複製体かわからなくなる。

「変ぢゃのう、奴らは魔力を持っとらんぞ」リリスが肩でささやいた。

「なぜ魔法が使える?」

「この広間には濃密な環境魔力が満ちておる。地脈から湧き出る力ぢゃ。鏡像どもはそれを吸い上げて魔法を発動しておるようぢゃな」

 ――環境魔力?

 迷宮そのものが魔力の供給源となっている。鏡像兵士は、いわば迷宮と一体化した存在なのだ。自前の魔力を持たない代わりに、この場所にいる限り無尽蔵に魔法を使い続けられる。しかも、複製元の技術をそのまま再現できる。

「厄介だな……」

 理一郎がつぶやいた時、背後から気配を感じた。

 振り返ると、そこに自分がいた。

 同じ顔、同じメガネ、同じ黒髪。理一郎の鏡像が、冷たい目でこちらを見据えている。

 だが、鏡像の理一郎は動かなかった。

 こちらをにらみ付けたまま、ただ立ち尽くしている。他の鏡像たちが魔法や武器で攻撃を仕掛けているのとは対照的だ。

「主よ」リリスがささやいた。「あの複製体、物理学魔法は使えんようぢゃな」

 理一郎は納得した。

 物理学魔法は魔力を使わない。〝理力〟とでも言うような別の力によって物理法則を書き換える。この世界では異質な魔法体系だ。環境魔力をいくら吸い上げても、理力の代わりにはならない。

 姿形は完璧に複製できても、理一郎の頭の中身までは複製できないのだ。

「つまり、あいつは俺を模倣した〝抜け殻〟のようなものか」

 複製体理一郎は為す術がないのか、ただ理一郎を睨み続けるだけだ。

 一方、広間は瞬く間に混戦状態となっていた。

「誰が本物だ!?」

「あっちのセリウスを援護しろ!」

「違う、そっちが偽物だ!」

「バカ! オレ様が本物じゃん!」

 怒号が飛び交う。本物と偽物が入り乱れ、誰が味方で誰が敵かもわからない。鏡像たちは巧みに本物の間に紛れ込み、同士討ちを誘発しようとしていた。複製体は互いを識別できるらしく、同士討ちにはならないようだった。

 さらに厄介なのが、鏡がある限り現れ続けることだった。

 カイラの大剣が、鏡像のカイラを両断した。銀色の破片が飛び散り、複製体が崩れ落ちる。

「よし! やった!」

 カイラが勝利の声を上げる。

 だが、すぐさま鏡に映るカイラの姿が再び波打ち、新たな銀色の人型として鏡面から盛り上がってくる。それは鏡から抜け出すと、あっという間にカイラそっくりの形をなした。

「なっ……!? また出てきやがった!」

 同じことが広間のあちこちで起きていた。

 倒しても、倒しても、鏡に姿が映る限り、新たな鏡像が生まれてくる。

 だが、壁一面が鏡では逃げ場がない。一人につき一体しか複製されないのが、幸いと言えば幸いだった。

「きりがないじゃん!」セリウスが悲鳴を上げる。「いくら倒しても湧いてくる!」

「落ち着くのだ!」バルドリックが叫ぶ。だが、混乱の中でその声は届かない。

「鏡を壊したらいいのかな?」アリアが理一郎に問う。

「物理的に破壊しても、破片に姿は映る」

「熱で溶かしてしまえばよいのぢゃ」リリスが提案した。

「ここは狭すぎてみんなを巻き込みそうだ。アリアの結界があればしのげるだろうが……」

 今必要なのは、壁面の鏡を無効化するとともに、本物と偽物を簡単に見分ける手段だ。

 理一郎はメガネを押し上げ、ゾーンに入った。脳の処理速度が跳ね上がる。

 広間全体を俯瞰し、観察する。

 鏡像は形態も動作も完璧に複製している。視覚情報だけでは真贋を判定できない。

 ほかに識別できる要素があるとしたら――。

 ――体温だ!

「リリス、鏡像の体温を感知できるか」

「ふふん。良いところに気がついたのう」

 リリスの瞳が紅く輝いた。

「鏡像どもには体温がない。周りの空気と同じ温度ぢゃ」

 ――やはり。

 生命活動には代謝熱と呼吸が伴う。だが、鏡像は外見と動作を模倣しているだけで、熱を生み出す代謝も、温かく湿った息を吐く呼吸もない。

 ――ならば。

 広間を氷点下まで冷やせば、本物だけが白い息を吐く。さらに鏡面を霜で覆えば、新たな鏡像の出現も防げる。

 理一郎の視界に方程式が浮かんだ。

 

 E_bar = (1/2)m v_rms^2 = (3/2)k_B T

挿絵(By みてみん)

 

 気体分子運動論の基本式だ。

 overline{E}は分子一個あたりの平均運動エネルギー、mは空気分子の平均質量、v_rmsは分子の二乗平均平方根速度、k_Bはボルツマン定数、Tは絶対温度を表す。

 気体の温度は、分子の無秩序な熱運動の激しさによって決まる。明滅しているのはv_rms。これを下げれば、温度Tも低下する。

「リリス、現在の気温は?」

「二九三ケルビン、摂氏二十度ほどぢゃな」

「空気分子のv_rmsは、約秒速五百二メートル。二百六十八ケルビンまで下げるなら、約四百八十メートルだ」

「リリス、この広間のすべての空気分子を減速させるぞ」

「ふん。任せよ。だが、重労働ぢゃ。対価はいただくぞ」

「迷宮を出たら払う」

「よかろう」

 vrmsを、秒速四百八十メートルへ書き換える。

「ではリリス、その理(ことわり)を、操れ!」

 広間の空気が、一瞬にして冷え込んだ。

 まるで真冬の雪原に放り出されたかのような冷気が全員を包み込む。

 吐く息が白く染まり、耳を寒さが突き刺す。

 鏡面にも変化が起きた。

 冷え込んだ空気に熱を奪われ、鏡面は急速に冷えていく。

 ほどなく空気中の水蒸気が霜となって付着し、銀色の光沢を白く覆い隠した。

「全員、息を止めるな! むしろ大きく呼吸しろ!」

 理一郎の指示が響いた。

 混戦状態だった広間に、一瞬の静寂が訪れる。

 本物の調査団員たちは、全員が白い息を吐いている。だが、鏡像たちの口からは何も出ていない。呼吸する必要がないのだから当然だ。

「見えた! 奴らが偽物だ!」カイラが叫んだ。

「よし、やるぞ!」セリウスが杖を構える。

「セリウス、使うなら氷魔法だ! 白い息を吐かない奴らの動きを止めろ!」

「くそっ! 癪だけど今だけは言うことを聞いてやるよ!」

 セリウスが鏡像を凍りつかせる。

 一方、理一郎は等速直線運動の式x(t) = x0 + vtを呼び出し、速度vをゼロに書き換えて、複製体を静止させる。

 理一郎とセリウスの働きで、すべての鏡像が動きを止めた。

「カイラ! 今だ! 一気に叩け!」

「おうよ!」

 カイラの大剣が閃いた。静止した鏡像たちを一刀のもとに両断していく。

 セリウスとバルドリックも魔法の氷槍で鏡像を貫く。

 やがて、広間には本物の調査団員だけが残された。

「やった……」アリアが息を吐いた。白い呼気が、ゆっくりと空中に溶けていく。

「見事だ、物部殿」バルドリックが深くうなずいた。「気温を下げて真偽を判別し、同時に鏡面を封じるとは。一石二鳥の策であるな」

「さ、寒いんだけど……」セリウスが身を縮めながら文句を言う。「早く元に戻してよ」

「少し待て。鏡の霜が溶けたら、また鏡像が生まれる可能性がある」

 理一郎は広間の奥を見据えた。出口に続く通路が見える。

「今のうちに抜けるぞ。全員、走れ!」

 調査団は白い息を吐きながら、霜に覆われた広間を駆け抜けていった。


       *   *   *


 鏡像の広間を抜けると、再び下りの階段が現れた。

 その入り口には古代文字で警告が刻まれていた。

 理一郎だけが読めるその文字は、こう告げている。

〈此処(ここ)より先は、理(ことわり)の核心なり。偽りの心を持つ者は、永遠に彷徨うべし〉

 理一郎は一度だけ振り返り、仲間たちの顔を見た。

 疲労の色は濃いが、全員の目にまだ闘志が宿っている。

「行こう」

 『理の書』は、もう目前だった。

 一行は、最深部への階段を下りていく。


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