第1話 推しの未来が地獄すぎる件
推しが、不幸になる未来を知っている。
しかも、それを止められる位置にいる。
——なら、やることは一つだ。
推しが、不幸になる未来を知っている。
しかも、それを止められる場所にいる。
——そんな状況、普通は来ない。来ないはずだった。
目を覚ましたとき、最初に思ったのは。
(……静かすぎる)
見慣れない天井。木目のやわらかい色。
耳を澄ましても、生活音がまるでしない。
肌に触れるのは、薄い布一枚。
(軽い)
(ここ、どこ)
身体を起こそうとした、そのとき。
「お目覚めでございますか」
(誰?)
見知らぬ女性が、当然のように控えていた。
「お支度をいたします」
(お支度って何)
数刻後。
(……重い)
肩に重なる布が、一枚、また一枚と増えていく。
(ちょっと待って)
(今、何枚目?)
「もう少しで整います」
(整うって何)
けれど、思ったほど動けないわけではない。
(……あ、軽い)
(これ、動けるやつだ)
鏡の前に座らされる。
映った自分を見て、思考が一瞬止まる。
長い黒髪。見知らぬ顔。
重なり合う衣の色。
(……時代劇?)
(いや、それにしては——)
言葉遣い。
さっきの女性の所作。まとう空気。
(平安……?)
胸の奥が、ざわりとする。
縁側に出ると、庭が広がっていた。
見たことのない景色なのに、どこか“知っている気がする”。
(貴族階級、だよねこれ)
(装いも、言葉も)
断片的な知識が、勝手に繋がっていく。
(でも、まだ——)
(作品までは、特定できない)
そのとき。
庭の隅に、小さな影が見えた。
ひとりの少女が、静かに立っている。
誰もいない場所で、ただそこにいる。
(……あれ)
胸の奥が、ひっかかる。
「あなたは、誰?」
振り向いた少女は、整った顔立ちをしていた。
けれど、その目は妙に落ち着いている。
「通りすがりの者にございます」
(未来から来たオタクだけれど)
「ここは、あまり来る人がいないの」
「……そうでございますか」
少しだけ、間が落ちる。
「……おひとりは、寂しくありませんか」
少女は、ほんの一瞬だけ考えて。
「……慣れております」
(今、“慣れてる”って言った)
(この年で?)
胸の奥が、わずかに痛む。
(この言い方)
(この距離感)
(そう、この場所が、あの)
断片が、つながる。
(……まさか)
目の前の少女を見る。
愛らしさの中に、誰かの面影があるような。
(この子)
(——紫の上?)
息が、静かに止まる。
(じゃあここ)
(……『源氏物語』の中?)
ぞわりと現実感が引いていく。
でも、目の前の少女の体温だけが、やけにリアルだった。
(かわいい、とは少し違う)
(この子は)
(ちゃんと分かってるのに、選べない)
気づけば、口が動いていた。
「また、お話ししてもよろしいでしょうか」
少女は少しだけ目を見開いて、それから小さく頷く。
その仕草が、ほんのちょっぴり幼い。
(……ああ)
(完全に大人じゃない)
(でも)
(子どもでもいられなかった)
胸の奥で、何かが決まる。
(好き、じゃない)
(これは——)
(放っておけない、だ)
そのとき。
廊下の向こうから、足音が近づいてきた。
迷いのない、軽い足取り。
「見かけない顔だね。どこの君?」
(……来た)
振り向くと、やたらと顔のいい少年が立っていた。
(はい出た、全女子対応テンプレ男)
「小侍従にございます」
「なるほど」
柔らかく笑う。
「では、私とも少し言葉を交わしてみないか」
(イベント発生条件:単独・会話・美形)
(はい回避対象)
「恐れながら、務めがございますので」
「つれないな。では、和歌だけでも」
(うわ来たメイン攻撃)
一瞬だけ考えて、答える。
「心のままに寄せる言葉は、美しくも、ときに人を傷つけるものにございます」
空気が、わずかに張る。
「……面白いことを言う」
(刺さった。やばい)
「あなた、ただの女房ではないね」
(いや、むしろ関わらない方がいいタイプはそっち)
「過分なお言葉にございます」
わざとゆっくりと言い、距離を取る。
これ以上は危険だ。
それでも、視線を感じる。
(ロックオンされたな、これ)
小さく息を吐く。
守りたい子がいて。
止めるべき男がいる。
なら、やることは一つ。
(ハーレム、解体します)




