4. 異界を映す光
ふと、昨日の夕方のことを思い出した。
13個のランタン入りかぼちゃを倉庫から森の奥まで運び出し、はあはあと息を整えた。
「こっから、ランタンを取らないと……」
ふと、昨日の夕方のことを思い出した。
彼はナイフを握り直し、必死にかぼちゃを切り刻んでいく。
「このゴミは、埋めよう」
ナイフと自分の手を使って土を必死に掘り、バラバラになったかぼちゃを埋める。
「もう、18時……。お父さん帰ってきちゃう、戻らないと」
「……ん、まぶしい」
カーテンの隙間から漏れる光が気になり、ノエルは目を覚ました。
寝返りを打ち、音を立てないように身を起こす。
窓の向こうを見ると、白い光が1列に並んで庭の周りをふよふよ移動していた。
「……!?なに、あれ……」
庭の照明は切れたままで、何がいるのかは見えない。
息を殺してしばらく見つめていると、光たちは円を描いて歩いたのち、音もなく消えていった。
「やばいやばい……少なくなったのバレないように置いたのに、そういえば、鍵壊したままだ……どうしよう……」
布団を頭までかぶり、いくつもの考えが頭をぐるぐると巡る。
気づけば、窓の外が白み始めていた。
ノエルは庭の様子を見て誰もいないことを確認し、静かに倉庫の方へと向かった。
恐る恐る倉庫を開けると、倉庫に残しておいてあるジャックの灯が1つ残らず消えていた。
「……無くなってる??」
盗んだランタンが戻っているどころか、倉庫からすべて消えている。
毎年、昼頃にランタンの点火を行うので、この時間に動かすはずがない。
「ノエル? こんな朝早くに何してんだ」
「あ、と、父さん!! 昨日の夜、庭に変なものがいたんだ!」
「変なもの……? あれ、倉庫の鍵は?」
「僕が来た時にはもう壊されてた!」
「……なんだって?」
「ノエルお兄ちゃん、こっちは何もないよ……?」
「この先に僕の秘密基地があるんだ。カルムにも教えてないから、静かにね」
「うん!」
教会の飾り付けが一段落したあと、町全体を使ったかくれんぼが始まった。
提案したのはノエルだった。
「ナミちゃん! 足音が聞こえるから、目を閉じて、ゆっくり僕についてきて。僕の服を掴んで」
「うん」
いけにえにするのは無垢な人間なら何でもいいとノートに記されていたので、ノエルに懐いているナミを適当に選んだ。
扉を開けている間、意識が無くなるそうだが、眠るのが大好きなナミならやはり好都合だろう。
円を描くようにランタンを並べ、ナミをその中心に座らせた。
ノエルはそっと髪を切り、灰色の着火剤の上に散らす。
火が灯ると、焦げた匂いが辺りに満ちた。
灰色の煙が立ちのぼり、意志を持つようにナミのまわりを回り始める。
その手の甲に、不思議な紋様が浮かび上がった。
「ノエルー」
「……!」
カルムの声、草が揺れる音がする。
「ここが見つかるのはまずい……カルムくんはともかく、それ以外の人も一緒だったら……」
ノエルはナミを抱き起こし、手を取って走り出した。
「……ナミちゃん、近くに来てるかも、逃げよう!」
「えっ! うん!」
ノエルは声がしたほうに走り、わざとかくれんぼを終わらせようとした。
しかし、音がした方を見てもカルムの姿は見当たらない。
「……?いない」
胸の鼓動が速くなる。
風にまぎれて、がさがさと何かが歩く音がする。
「うわあ!!」
「アリャ、バレチャッタ」
草むらから、緑の皮膚に尖った耳、鋭い爪を持つゴブリンのような異者が何匹も出てきた。
「サッキノコドモハウマクイッタノニ」
「コノアタリ、キョウカイガフアンテイ。キヲツケテネ」
「ああ、ありがとう……」
「そろそろ、日が落ちてきた」
ノートに書いてある通りなら、日没後ならいつでも異界への扉が作れるはずだった。
17時の鐘が鳴り、父に屋台の休憩をもらうと、ノエルは山の方へと足を向けた。
早歩きで通りを歩いていると、後ろから声を掛けられる。
探偵事務所の2人だった。
その場しのぎと思い、カルムの行方が分からないと伝えると、2人がついていくと言い出した。
ノエルは焦りながらも笑顔を作り、うまく2人を巻こうとする。
やがて、曲がり角を過ぎたところで、ノエルは思い切って走り出した。
異者に連れ去られたふりをして2人の視線から外れ、そのまま山へと駆け上がる。
「はあ、はあ、はあ」
息を切らしながらも、足を止められない。
胸の奥で何かがずっとざわついていた。
本当にこれでいいのか。
ランタンを勝手に使い、ナミちゃんを巻き込んで、もし失敗したら……。
「でも、もうここまで来ちゃった。途中でやめるなんて、できない……」
ノエルは震える手でマッチを擦った。
炎が灯り、ランタンの光が中央へと集まり始める。
その光は彼を包み込み、世界が反転する感覚とともに、意識が遠のいた。
「……さん、ノエルさん」
「……ん」
誰かの声がして、ノエルはゆっくりと目を開けた。
視界に映ったのは、淡い光を背にしたリオの姿だった。
「詳しいことは後で話しましょう。とりあえず、私たちの世界へ戻りましょう」
「え、ここ……」
「ここは、異界です。ここにとどまっていては、異者に襲われかねません。立てますか?」
ノエルは慌てて立ち上がるが、足が震えていた。
それでも、必死に言葉を絞り出す。
「あ、あの、少しだけ時間をください!」
「なぜですか?」
「妹に、もう一度会いたくて、あの詠唱を行いました。ランタンも返すし、ナミちゃんにも謝ります。だから、少しだけ会わせてください!」
リオは静かにまばたきをした。
「ノエルさん、妹さんがいたんですね」
「はい。リュカっていいます。6月に事故で亡くなって……。探偵さんのノートに死者は異界に行くって書いてあって、それで…ずっと調べて、やっとここに来たんです!」
「……」
「探偵さんの日記を勝手に見てごめんなさい。でも、本当に異界に行くことが出来るんですね」
「そうですね。本当に異界に行くことが出来るのに、なぜ私がこの方法を広めなかったか、分かりますか?」
「……え?」
「人間が異界に来たからと言って、死者に会える保証はありません。そもそも、死者が異界に現れるという確証は、まだどこにもないのです」
「え、そ、そんな」
「そして、異者は私たち人間のことをどう思っていると思いますか?」
「え、あの、種族の違う生き物……?」
「人間は、異者の捕食対象です。異者は人間を食べるんです」
リオの言葉が途切れた瞬間、あたりの空気がひどく冷たくなった。
まるで世界そのものが呼吸を止めたかのようだった。
次の瞬間、どこかでぱきっと乾いた音が響く。
路地裏の壁の影が、ゆっくりと膨らみ、形を変えていく。
ノエルは息を呑んだ。
それは、人のようでいて人ではなかった。
腕は細長く、手の指は何本も枝分かれし、まるで地を探るように蠢いている。
黒く滲む輪郭の内側で、赤い光がいくつも瞬いた。
「……っ、リ、リオさん……」
「ノエルくん、目を合わせないで。下を見て、後ろに下がって」
リオが静かに指示を出す。
その声だけが、この世界で唯一の現実のように響いた。
異者のひとつが、濁った声を漏らした。
それは言葉のようでもあり、嗤いのようでもある。
リオが1歩前に出た瞬間、異者が一斉に飛びかかってきた。
「走って!」
ノエルの腕を掴み、リオは路地を駆け出す。
背後では何かが地面を這うような音と、粘ついた息遣いが迫る。
ノエルは涙をこらえながら、必死にリオの背中を追った。
リオは息を整えながら、静かに呟いた。
「……これが、異者の本性です。あなたが行こうとしていた世界は、こういう場所なんですよ」
ノエルは言葉を失い、ただ震える手でリオの袖を握った。
路地を抜けると、そこはもういつもの町ではなかった。
建物の影がゆがみ、街灯の光がねじれ、遠くで祭りの音が歪んで響いている。
人々の笑い声も、太鼓の音も、まるで水の底から聞こえてくるようだった。
ノエルは肩で息をしながら、リオの袖を掴んだ。
「リオさん……ここ、どこなんですか……? 町が……」
「異界と現実の境界が混ざり合ってる。いま私たちはその狭間にいるんです」
リオは路地の奥を睨みつける。
先ほどまで異者がいた方向は、まるで黒い霧で覆われているように見えた。
もう、あの中に戻るのは不可能だった。
「帰る道……あるんですか……?」
「あります。ただし、見つけられれば、の話です」
リオはポケットから懐中時計を取り出した。
秒針は、揺らめく光を追うように、時折くるくると回転して止まる。
「境界のゆがみを検知できる特別な時計です。ただし、この場所では方向感覚も時間の流れも不安定です。進むたびに地形そのものが変わっているかもしれません」
ノエルは喉を鳴らしてうなずいた。
足元の地面は黒い砂のようになり、足跡を残してもすぐに掻き消える。
「……こっちです」
リオが時計の針の向きを頼りに歩き出す。
ノエルもその背中を追う。
しばらく進むと、空気が少しだけ澄んでいくのを感じた。
遠くに、ぼんやりとオレンジ色の灯りが見える。
「見て、あれ……ランタン?」
「ええ。おそらく、現実の祭りの光が届いている。あそこが戻れる場所です」
しかし、その道の途中には、無数の影が道をふさいでいた。
かすれた笑い声がこだまする。
異者たちはまるで境界を守る門番のように、ゆっくりと姿を現す。
リオはノエルを背に庇い、ひとつ息を吐いた。
「ノエルくん、怖くても、決して立ち止まらないでください。私が前を開けます」
闇の中を進むほど、灯りは確かに近づいてくる。
けれど、その一歩ごとに異者の影も濃くなっていった。
空気が冷たく粘りつき、足を動かすたびに見えない何かが絡みつく。
ノエルは必死に走る。
その顔に浮かぶ恐怖は、もう人間の世界に近いものではなかった。
リオは一瞬だけ後ろを振り返った。
「ノエルくん——」
呼びかけかけたその声は、闇に吸い込まれる。
代わりに、低い笑い声が耳元で囁いた。
“かえりたいのかい、にんげん?”
ノエルは足を止め、背後を見た。
無数の影がうごめいている。輪郭を持たないはずのそれらが、今は人の形に似ていた。
ある者は子ども、ある者は老人、ある者は泣き顔のまま笑っている。
“きみのほうからきてくれたのに”
「……約束を破ってごめんなさい。どうか、帰してください」
ノエルがふらつきながら灯りの方へと進んでいく。
あと少しで境界に辿り着く。
「ノエルくん、そのまま走って!」
ノエルはその声に押されるように駆け出した。
ランタンの光が目前に迫り、指先が届く。
触れた瞬間、世界がひっくり返った。
音も、風も、痛みも、すべて遠のく。
最後に見たのは、リオさんの背中だった。
彼は光の向こうで、振り返らなかった。
ただ静かに、闇の中で微笑んでいた気がした。
白い光が弾けた瞬間、ノエルは息を飲んだ。
足元の感覚がふっと消え、耳鳴りだけが残る。
光が収まったとき、彼は森の中に倒れていた。
湿った土の匂い、夜明け前の冷たい空気。
“きみは?”
「……私はどうなっても構いません。あの子を人間のまま帰してくれるなら、私はこの世界に残ってもいい」
“でもねえ、きみはあっちのせかいでやるべきことがある”
「わがままばかりですみません。人間は欲望のままに生きる悪い生き物なのです」
“まあいいよ。そのかわり、つぎのハロウィンまでに”
「分かっています。『契約』は必ず」
“じゃあ、きょうのところはかえってもいいよ”
「本当にありがとうございます」
戻ってきた。現世だ。
「リオさん…?」
振り返ると、少し離れた場所にリオが横たわっていた。
その体は、ぼろぼろだった。
服は裂け、腕には黒い痕がいくつも走っている。
頬に触れると、かすかに熱があった。
けれど呼吸は浅く、今にも消えてしまいそうだった。
「リオさん! ねえ、起きてください……!」
ノエルの声が震える。
肩を揺らしても、返事はない。
リオの指先から、黒い霧のようなものがゆっくりとほどけていく。
それは異界の名残のようで、空気に触れるとすぐに消えた。
夜明けの光が差し込む。
森の端で、リオの髪が淡く輝いた。
それは異界の光の名残にも、彼がまだ生きている証にも見えた。
ノエルは震える手でリオの手を握った。
「……絶対に、助けますから」
遠くで人の声が聞こえた。
サンナたちが駆けつけてくる。
ノエルは声を張り上げた。
「ここです! リオさんを運んでください!」
風が吹き抜け、森を包む光がゆっくりと広がっていく。
夜と異界の残響が、静かに消えていった。
診療所の白いカーテンが、朝の風に揺れていた。
鳥の声が遠くで響く。
リオは包帯の巻かれた腕をそっと撫で、深く息をついた。
「……ようやく、外に出られますね」
医師にそう告げられたとき、ようやく自分が生きて帰ってきたのだと実感した。
外に出ると、眩しい日差しの中でサンナが待っていた。
彼女は、見つけた瞬間、表情をくしゃりと崩した。
次の瞬間、勢いよく駆け寄ってきてリオを抱きしめる。
「ほんとに……よかった……!」
「サンナさん」
彼女の腕の力が強くなる。
リオは少し驚いたように息を飲み、それから静かに笑った。
「心配をかけましたね」
「心配どころじゃないです。もう会えないのかと思ってました」
サンナの声が震える。
その言葉に、リオはゆっくりと片手を上げ、彼女の背を軽く叩いた。
「もう、あんな無茶はしませんよ」
「約束ですよ」
「ええ」
短いやり取りのあと、ふたりはしばらく言葉を交わさずにいた。
風が通り抜け、木々がやわらかくざわめく。
リオは空を見上げる。
そこには、あの日の裂け目も、光も、何もなかった。
「町は?」
「所長の指示ですぐに裂け目を閉じたからか、最小限の被害で済みました。まだ、町民の心の傷は癒えていませんが」
「……そうですか」
「でも、仲良くなった異者たちとの信頼関係もあります。みんな、異者の暴走がわざとではないことは理解しているはずです」
「私としては、それが1番気がかりです」
「ミストリアはそういう町ですからね」
「そういえば、どうしてノエルくんが事件と深く関わっていると気づいたんですか?」
「……なぜだと思いますか?」
「う」
サンナは少し考え込み、口を開けずにいた。
「……最初にノエルくんに話を聞いたとき」
「あ」
「はい?」
「いや、分かんないのでいいです……」
「はい。最初にノエルくんに話を聞いたとき、ノエルくんは『かぼちゃが盗まれていた』、『南京錠が壊されていた』と言っていましたね。無くなった、壊れていたではなく」
「……えええ!?ちゃんと聞いてなかった……」
「鍵を壊して13個のかぼちゃを盗んだのはノエルくん、その姿を見て、善意で残りのかぼちゃを運んだのは蜘蛛の異者たち」
「はいはい、それは分かります、話聞いたんで」
「ナミちゃんの件ですが、サンナさんと一瞬別れて親御さんのところへ行った際、何をしても眠りから覚めなかったことから、その時点で詠唱を唱えようとしていることは推測できました。昼頃カルムくんがかくれんぼでノエルくんとナミちゃんを探していたことから、その時ランタンのそばにいたのだろうと考えました」
「なるほど……」
「それで、お二人は今?」
「ああ、カルムくんは相当落ち込んでいましたが、カルムくんを責める人なんてこの町にはいません。妹のリュカちゃんへの希望を失っていましたが、事件が終わってひとまず吹っ切れたようです」
「そうですか」
「今度、教会に遊びに行きましょうね。あの2人と、ちゃんと向き合いたいです」
「賛成です」
彼らの背後で、遠くの街が静かに息づいていた。
新しい朝の光が、穏やかにふたりを包んでいた。
退院して数日後、リオは町長室の前に呼び出された。
中に入ると、町長、町内会会長、そしてダリウスが並んでいた。
「まったく、あなたって人はいつも無鉄砲で、もう少し考えてから行動してくださいね!?」
「境界監視官をやめたからって、何でも勝手にやっていいわけじゃないんだぞ。俺がすぐに駆け付けたから良かったものの」
町長とダリウスから飛んでくる説教に、リオは苦笑しながら頭を下げた。
「はい…以後、気をつけます」
ダリウスが溜息をつき、手を振る。
「まったく。まあ…生きて帰ってきたことだけは、褒めてやる」
「この町を守るために動いてくれて、ありがとうございました。リオさんも無事でよかった」
「ありがとうございます」
「だからと言って、また無茶しないでくださいね!?」
「あ、ああ、はい」
町内会会長がリオの元に駆け寄り、リオの手を掴んだ。
「本当に、うちの息子が大変ご迷惑をおかけしました。本当にありがとうございました。感謝してもしきれません」
部屋を出ると、外ではサンナが待っていた。
「どうでした?」
「……とりあえず、許してもらえました」
「とりあえずですか」
「はい。次に何かあったら、今度こそ町ごと追い出されるかもしれません」
ふたりは顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
遠くでは、修復作業の進む街の音が響いている。
焦げた屋根瓦の匂いと、焼き直されたパンの香り。
少しずつ、日常が戻りつつあった。
リオは空を見上げて、静かに言った。
「来年は、もっといいハロウィンにしましょう」
サンナが頷く。
「はい。きっと、みんなそう思ってます」
「1つ依頼が来ています。飼い犬が迷子になったと」
「よし、行きますか!」
風が吹き抜ける。
青い空の下で、ふたりの影が寄り添って揺れた。




