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9 かわいい姪っ子ができた日












   9 かわいい姪っ子ができた日












   












   文月京香












   

「おかえり」

「ただいま」

「どこ行ってたの?お父さんもお母さんも揃って」

「ちょっとね」


 父はつまらない顔してわたしの横をスッと通って奥へ消えた。


「なに?」

「つまらないのよ。娘をもつ父親はさ」

「どうして?」

「片方はこんな歳で子供産むし、片方もお嫁に行くしさ」

「え?」

「あら、言ってなかったっけ?」


 母はカバンをダイニングテーブルの椅子に置きながらニコニコとわたしを見る。


「嘘?それって……」

「玲ちゃんから、相談されて、それで今日斉藤先生にどう思うか聞いてたんです」


 その母の言葉に、姉がわたしの助言を受け入れたことを知った。


「やった。わたしのおかげだね」

「はぁ?」


 わたしがガッツポーズをとると、母は眉間に皺を寄せた。


「え?だって、わたしがお姉ちゃんに斉藤先生とかいいんじゃないって言ったんだよ」

「玲香は別にそんなこと言ってなかったわよ」


 なんですと?お姉ちゃん、そこはちゃんと言っておいてくれないと。親に借りを返したことにならんじゃん。


「そんなん、お姉ちゃんに聞いてみてよ。嘘じゃないもん」


 じいっと疑いの目で見られた。


「いや、ナイスタイミング見逃さなかったの、わたしだもん。ちょっと落ち込んでるとこにつけ込んだんだよっ!いつもの元気なお姉ちゃんだったら、ありえなーいで一蹴されてたかも」

「ふうん」

「ね、役に立ったっしょ?」

「そうねぇ」


 しらっとしている母。


「でも、別に京香が頑張んなくたってお母さんが勧めたら、お姉ちゃん、その気になったんじゃないかな?」

「それは、後から思えばそう思えるだけで、そんな簡単じゃないよ。お姉ちゃんは」

「はいはい」

「ね、わたしのおかげだよね?わたしもこの文月医院の役に立ったよね」

「その前にハラハラさせてるから、プラマイゼロでチャラってとこね」


 ちっ


 心の中で舌打ちをした。その次の瞬間、え?と思った。下を見る。


「やだ!おもらししちゃった」


 じょわーっと下着からタイツから温かい水で濡れた。


「あらー、京香、それ」

「え?」

「おもらしじゃない。破水」

「……」


 頭が真っ白になる。


「え?だって、予定日って来週……」

「ばかね。あんた今まで何人の妊婦見てんのよ。予定日通りになんか生まれないって子供は」

「どうしよー」

「どうするも何も、病院に電話する必要も向かう必要もないじゃない。慌てんな」

「えー」

「とりあえず着替えてきなさい。あ、あとお父さんに言っといて。お母さんは斉藤くん呼び出すから。それと太一君に電話」


 玲香はどうしようと言って迷ってる。


「え?うそ。でも、陣痛とか感じないんだけど」

「お腹、重くない?」

「……そういえばちょっと」


 生理痛みたいな感じのおもーい感じがする。


「でも、陣痛ってこんなもんじゃないでしょ?」

「最初っからクライマックスの痛みになるわけないでしょ?最初は生理痛みたいな感じなんだって」

「え……、じゃ、これ」

「そう。陣痛。始まったね」


 お姉ちゃんどころじゃなくなりました。


***


「ほれ、京香大丈夫か?」

「……」


 口がきけません。痛みの波と波の合間にいて、教わった呼吸法も何も、もう、痛みの合間に考えるのは次の痛みのピークをどう乗り切るかだけ。ただ、耳はちゃんと機能していて母親と子供の頃から馴染みのうちのベテラン看護師のおしゃべりは耳で拾ってる。


「わたしなんかさー。痛い痛い叫んで母親に怒られたわ。玲香の時」

「覚えてます」

「あらやだ」

「……これ」

「ん?なに?京香」

「まだ、痛く……なるの?」


 息と息の合間に聞いた。初産は痛みのピークが見えないのが怖い。もう既にこの時、相当な痛みでした。あと何回痛みをやり過ごせばいいのかわからなくて地獄だった。


「京香、天井の模様が見えるか?」

「……」


 何を言ってんだ?お母さんと思いながら天井を見る。


「天井の模様がちゃんと見えるうちはまだだ」


 なんですと?しかし、反論をする余裕はもはやない。


「あ、太一君」


 母がドアのあたりをみて叫ぶ。


「ね、京香、太一君来たわよ」


 主人がうんうん唸ってるわたしのベッドの横に寄ってきて、青い顔して覗き込む。


「京ちゃん、大丈夫?」

「……」


 大丈夫なわけねえだろ。しかし、この人が悪いわけではない。堪えた。というか、口がきけなかった。その様子を見て、太一さんはますますオロオロした。その様子に気が散った。


「邪魔」

「え?」


 微かな声しか出なかったので聞こえなかったらしい。顔をわたしの口元に寄せてきた。


「邪魔……外、行って」


 若干ショックを受けた顔をしてる。母が主人の腕を掴む。


「太一君、お産は女の戦場だからさ。男は何もできないんだって。ね、外で待ってよ」


 そして、外へと連れ出した。わたしは天井を見上げる。まだ、見えるし。模様……。


***


 その後、痛みは更に何段階かに分けてグレードアップし、もう死ぬと思うような頃にやっと分娩台に上がる。それからはもう、何も考えなかった。子供の頃からそばにいた看護師さんや斉藤先生に囲まれて、わたしは女の子を出産しました。


「ほら、京香ちゃんよくやったわね」


 カンガルーケア、生まれたばかりの子は体を洗われた後にほんのわずかな時間わたしの体の上にのせられた。それはまだ目の見えない小さな、本当に小さな、だけどちゃんとした人間だった。その馬鹿みたいな軽さを感じた。軽さと生きている証の温かさ。


 わたしが産むと決めて、そして、太一さんが味方になってくれて、生まれてきた子。


 香音


 あきらめないでよかった。会えた。ちゃんと、会えた。

 ふっと緊張が切れて泣いてしまった。悩んで思い詰めた時のことを思い出して。分娩室でみんなによしよしされてしまった。


***


 翌日、病室でうとうととして目を覚ますと香音のベッドの横に太一さんがいた。ずっと傍で赤ちゃんを覗いている。


「そんなにずっと眺めてて飽きないの?」

「起きたの?」

「うん」

「こんなにちっちゃいんだね。足なんておもちゃみたい」

「ほんとだね」


 また黙ってずっと見ている。その背中に向かって声をかけた。


「太一さん」

「ん?」

「ありがとう」

「え?なに?」


 何に対するありがとうかわからなかったみたい。


「あなたがいなきゃ産めなかった」


 そう言うと、太一さんは何も言わずに笑った。この人の優しい笑顔が好きだ。本人に言ったことはないけれど。


「きょうかー」


 明るい声がして、ドアがカラカラと開く。


「お、太一。そして、こっちが、あー、香音ちゃーん」


 姉が満面の笑みで突進してくる。


「うわぁ、ちっちゃい。かわいいっ。かわいいっ」


 これでもかと興奮してる。


「なんだろ?今まで何回も生まれたての赤ちゃん見たことあるのに。すごい特別」


 そおっと手を伸ばして、姉は香音を抱っこした。


「妹が産んだ子は家族だからかなぁ。なんか違う。他の赤ちゃんと」


 姉は抱っこした香音にそっと顔を近づけて彼女の香りを嗅いだ。


「お日様の香りがする」

「なんだそりゃ」

「そうとしか言いようがない。いい香り。赤ちゃんって」


 しばらく姉と香音を見ていた太一さんが立ち上がる。


「飲み物かなんか買ってこよっか。何のみたい?」

「うーん」

「わたし、ミルクティーがいいな」

「わたしは麦茶かなぁ」


 カフェインの少ないものを選ばないとならない。それを聞くと太一さんはお財布を持って部屋を出てった。姉は香音をベッドに戻した。


「ね、お姉ちゃん」

「ん?」

「聞いたよ。お母さんに」

「聞いたって、何?」

「とぼけちゃって。斉藤君の話」

「あ、ああ……」


 わたしはニンマリと笑った。


「で?本人と話したの?」

「話すって何を?」

「ん?」

「ん?」

「もしかして知らない?オッケーだったって」

「え、そうなんだ」


 姉はあっさりとそういった。


「もっと喜びなよ」

「ああ、ははは。わーい」


 力のない笑顔だった。


「もっと喜びなよ」

「ええ?なんか実感湧かない」


 不意に何とも言えない気分になって、姉を見つめた。つい、斉藤君の気持ちを知ってしまって良かれと奔走しましたが、初めて考えた。お姉ちゃんの気持ち。

 

 姉は幸せなんでしょうか?


「なに?京ちゃん急にそんな顔して」

「お姉ちゃん……」

「ん?」

「幸せ?」

「は?あったりまえじゃん。かわいい姪っ子ができた日だよ。最高だよ。幸せだよ」

「そうじゃなくて、自分のこと」

「うーん」


 姉は軽く目を瞑った。


「幸せと言い切るとちょっと無理があるかな。どっちかというとホッとしたかも」

「ほっとした?」


 パチリと目を開けるとこちらを見ました。


「ねぇ、京ちゃんは大恋愛の末の結婚だからピンとこないかもしれないけどさ」

「……」


 太一さんの顔が浮かぶ。だいれんあい。わたしも太一さんもその言葉は似合わないような気がするが……。大騒動は似合うと思う。まぁ、いいか。


「お見合いってこんなもんだって」

「……そうなの?」

「そうでしょ。そんなドキドキワクワクするものでないって」


 姉はもう一度香音のベッドを覗きました。そして生まれたばかりの子に諭すように話しかけた。


「恋愛と結婚は違うのよ」


 その横顔を見ながら思った。


 お姉ちゃんって、好きな人とかいなかったのかなと。お姉ちゃんに聞くといつもいなくて、そしてわたしは聞かれてもその名を答えられない人をずっと好きでした。

 でも、いないというそれは本当だったのだろうか?


 ガラガラと音がして、太一さんが何本がペットボトル抱えて帰ってきた。


「はい。麦茶。お姉さん、これ、ミルクティーです」

「あ、ありがとう。太一」


 よく考えると、太一さんの方が一つ年上なんだけど、呼び捨てされるのが自然になってしまった。


「じゃ、新婚さんの邪魔はこれくらいにしとくかな?」


 姉は微笑みながら、病室を出てく。


「太一、これ、ありがとね」

「ああ、いえ」


 カラカラパタリと閉じられた扉をしばらくそのまま眺めてた。


「どっか痛いの?」

「ん?」


 ふと横を見ると太一さんがわたしの顔を覗き込んでた。


「まだどっか痛い?」


 わたしははははと笑った。痛いと言えばね、痛いですよ。でもさ……


「もうさ、昨日の痛みに比べたら、どんな痛さも大抵の痛さはへっちゃら」

「え?」

「間違いなく人生で経験したことのない一番の痛さだったぁ」

「……お疲れ様です」

「いや、男の人だったら死ぬって」

「え?」

「タツノオトシゴは偉いね」

「ほんとだね」


 もう二度と赤ちゃんは産みたくないと言いそうになってやめた。それはわたしたちの場合、洒落にならないな。話す代わりに彼の手に自分の手を重ねた。


「どうしたの?」

「なんでもない」


 あなたがちゃんと就職して落ち着いたら、今度はあなたの子供を産んであげるね。

 心の中でだけ呟いた。


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