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22日目‐2

 ようやく起きあがれるようになった頃。いまが一体どのくらいの時刻なのか、クチナは分からないまま茫然としていた。

 目の前にいるのは久々に目にする姉ミズチの姿。

 また来ると約束してくれた兄ニシキは連れておらず、一人だけで訪れていた。

 縛られることもなく向き合えることだけは、クチナにとって救いでもあった。しかしその虚しい救いも、顔色の悪い姉の様子ですぐに消え失せた。

 この間訪れた時とは全く違う様子で、ミズチはクチナの目の前に座ると深呼吸をしてからその事をクチナに告げた。


「……落ち着いて聞いてくれ、クチナ」


 そう断ってから、ミズチは項垂れた。


「八番目様が代替わりされた。旧八番目様はナバリの身分となった。もう二度と這い上がる事が出来ない、永遠のナバリに……」


 珍しく動揺している理由が、クチナにもすぐに伝わった。

 八人衆の身分を追われたとしても、再びその座を取り返す事など通常ならば出来るはず。負傷してそれが叶わぬ身となってしまったとしても、冷静沈着に物事を見てきたこの姉が此処まで青ざめ、悲しそうな顔をすることはないだろう。

 ならば、永遠のナバリとはどういうことか、クチナもまた分かってしまったのだ。


「ああ……そんな……兄さん……!」


 悲鳴を上げ、項垂れるクチナを前に、ミズチは何も言えないままただその様子を見つめていた。それでも、迷いながら手を伸ばし、震えるクチナの肩に触れた。

 だが、その感触に、クチナはすぐに反発した。


「なんで……なんでなの、姉さん!」


 噛みつくようにクチナは姉を睨みつけた。


「なんで助けてあげなかったの! 姉さんは傍にいたんじゃないの? どうして、助けてあげられなかったの! 姉さんなら助けられたでしょう?」

「男の決闘には手を出さないのが大蛇様の決められた掟……それに、まさか奴があの子の命まで奪うなんて……思わなかった……思わなかったから……」


 震えているその声を聞いて、クチナは我に返った。

 初めて見る姿だった。悲しみと恐怖に震えている。オニの頂点としてあんなに活躍していた姉が弱々しく見えたことにクチナは驚いていた。


「――すまない」


 短く言って、ミズチは項垂れた。長い髪が垂れ、白い項が曝される。いつかこの首を獲れと自ら言っていた事をクチナは思い出していた。

 今ならば、首を絞めたとしても対して抵抗しないかもしれない。クチナはそう思った。思うに留め、ただじっと弱々しく落胆し、謝罪する姉の姿を見つめていた。


 ――まるで別人みたいだ。


 オニの面をかぶり、黒霧の妖刀でネネと二人の未来を切り裂いてしまった時の筆頭の姿とは似ても似つかない。その違いが何なのか、クチナは妙に気になった。


「筆頭も近々代替わりする」


 ぽつりとそう言う姉の姿に、クチナは我に返った。


「……姉さんまで? ……そんな急に」

「大蛇様がお決めになったことだ。不慮の事故で弟が死んでしまったものだから、不穏に思われたのだろう。次の筆頭が決まるまでは私が筆頭のままだが、もう任務に行かされることもない。大蛇様の決定で八人衆のいずれかの子を身ごもり、正式にナバリとなるまで指揮を執るのみ。命を賭けるのは妹分だけとなる。私には拒否権など無いようだ」

「……姉さん」


 クチナは知っていた。退いた筆頭が次に求められる事は何なのか。知っていたからこそ、憎かったはずの姉に対して複雑なものを感じていた。


 筆頭あがりや筆頭代理あがりというナバリの女性たちには、あまり自由を約束されているとはいえない現実がある。大蛇様は彼女たちを厳しく管理し、産まれてきた子を特に期待して育て上げる。それもまた鬼灯の繁栄の為と大蛇様は言っていた。


 自由に恋を育み、真に人生を謳歌出来ている鬼灯が誰なのかと問えば、下女下男が主だろう。身分の高いものへの不平不満を仲間内で愚痴り合い、ほどほどに仕事をして恋をする。その生活は下男下女にのみ許された特権でもある。

 他に自由なものがいるとすれば、オニや若人のまま老いてしまった者くらいだろう。


 八人衆は一生ぴりぴりとした世界で生きているものであるし、上位のナバリは大蛇様により近い存在として死するまで頭を悩ませているもの。

 とりわけ、筆頭だったという女性は、狭い未来しか与えられないものだ。彼女たちの末裔の何処かより次なる黒の少女が生まれてくる可能性もまた高いとされるからだ。クチナもまた同じ。辿れば祖母の代に筆頭に昇りつめた女性がいる。


 クチナは恐る恐る姉の肩に手を伸ばした。先程は力任せに払ってしまったこともあり、負い目を感じたまま血を分けた姉の身体に触れてみた。クチナの手は払われたりしなかった。じっとその手を受け入れたまま俯いている姉に寄り添い、クチナは静かに悲しみに浸った。


 ――兄さん……どうしてこんなことに……。


 優しかった兄は死んだ。殺されてしまった。


「大蛇様はその男の人を御許しになったの……?」


 勇気を出してクチナが訊ねてみれば、力無い頷きが得られた。


「掟は掟。大蛇様であっても破れない。彼もまた私の部屋に通う事を許されている。私の前で無防備となるのなら絶好の機会だ。憎きそいつにぜひとも仇討したいところだが、大蛇様は私にも許すようにと仰ったからそんなこと出来ない。あとは奴にその気がない事を願うばかりだ」

「でもやっぱり、許しては駄目だよ。だって、その人は兄さんを殺したのでしょう?」

「……私だって許したくないさ。奴を受け入れたくない。けれど、あまり盾突けば、奴も大蛇様も何をするか分からない。嘘か本当か分からないが、八人衆を拒否した元筆頭の身内――それも本人が特に大事に思っている人物が何故か不審な死に方をしたという話を聞いたことがある」


 震えの止まらない手でクチナの肩を掴み、姉はやや感情的に言ったのだった。


「怖いのだ。クチナ、笑ってくれ。此処に来て、大蛇様のことも鬼灯のことも恐くなってしまったのだ。お前を捧げなければならないと本気で思っていた。しかし、何かがおかしい。溜めていたものが、留めていたものが、破裂しているかのようで……」


 その目を見つめ、クチナはふと気付いた。


 ――ネネの香りがする。


 ほんのわずかではあったが姉の身体に触れていると、今でも恋しいネネの気を感じたのだ。クチナはその手を触り、そっと訊ねた。


「姉さん、ネネに触れたね?」


 姉の瞳をじっと見つめ、クチナはその奥を探った。

 蟲たちがざわつかない。共鳴しない。まだいるのだとしても、非常に大人しい。蟲がそんな風に弱ってしまうことにはクチナにも心当たりがあった。


「ネネに気を貰ったね? 蟲が弱って――」


 と、そこまで言いかける妹の口を、姉は手でやさしく塞いだ。


「皆まで言うな、下女に聞かれる。……しかし、やはりそうなのだな。あの方にはそんな御力があるのか。……いい事を聞いた」


 小声でそう言ってから、やっと手を放した。


「――何をするつもり?」

「何でもない」


 短く答えてから、ミズチは立ち上がり、表情を変えた。


「お前はお前で覚悟を決めればいい。可哀そうに、ネネ様はお前をまだ信じているようだぞ。大蛇様になど、敵うはずもないのにねえ」


 閉め切られた扉の向こうを確認しながら平然とそう言う姉を見つめ、クチナもまたはっと気付いてから、答えた。


「そんなのやってみなければ分からないじゃないか!」


 まるで言い争いでもしているかのように、クチナは敢えて声を張った。

 その様子にミズチは薄っすらと微笑みを浮かべると、立ち上がり、ゆっくりと部屋の出口へと歩いて行った。


「ああ、物分かりの悪い姫児だ。だがそれも仕方ない。今宵はお互い離れて、兄弟の死を悼むとしよう。また明日、来る。それまでゆっくりと休め」


 目を細めてからミズチが扉を開けてみれば、すぐ向こうにはすでに下女が立っていた。

 ミズチを迎えに来たていだが、その立ち聞きが単なる好奇心によるものではないだろうことはクチナにも分かった。

 だが、ミズチは平然と下女に向かって言った。


「待たせたようだな。もういいぞ」


 そうしてあっさりとミズチは立ち去ってしまった。

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