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後編

 乙女ゲームというものが何なのかという説明を宇美野さんからしてもらって以降、私と創生は何とも複雑な感情を抱きながら相変わらず台本を読んでいた。

 正直、そんな脚本だったのかと頭を抱えたくなったが、この作りの甘さも予算の都合上仕方なかったらしいと宇美野さんが熱弁していた。どうやらこのゲーム会社というのが元々は無名もいいところの潰れかけていた会社で、しかしどうにかヒット作をと考えられたものだそうで。が、時間もなかった為にどうしても細かい設定は熟成出来ず、とにかく『萌え』なるものを第一に考えた結果、キャラクターにのみ心血を注がれたという事らしい。無駄な難しいゲーム性もないから、プレイしていた側は不満もなく、楽しんでいたとの事だ。結果的にはすっごい人気作になったんですよ! と、各キャラクターを語る宇美野さんの瞳はきらきらしていたが、創生はそれはそれは複雑な顔で話を聞いていたのをよく憶えている。

 宇美野さんに他の攻略対象者にも台本が用意されているのではないかと言われて、私たちはまず宇美野さんに『フラグ』というものを立ててもらい、それぞれの攻略者に近付いた。するとその読みはばっちり当たっていたらしく、皆驚いていたもののそれを受け入れていた。いわく、何となくそんな気がしていたというのだ。やはり、宇美野さん以外は皆、前世という感覚がないらしかった。


「今の所は平和だけどさ、これって要はある程度は想定されているけれど、エンディングはわからないって事なんだよね?」

「そうですね、誰のフラグをどう立てるかによってなので……今のところ、星さんが有力ですかね」

「それがいちばん無難、なんだっけ?」

「ですねえ」

 私たちが唯一救いだと思えたのは、学園を卒業すればこの茶番劇は終わるという事だった。とにかくこのまま台本を読み続ければ、問題なさそうだ。

 私と宇美野さんの会話に、それにしても、とため息を吐いたのは攻略対象者のひとりである、(はやし)(まもる)だ。身分でいうと中の上といったところだろうか。しかし林ってなんか普通でずるい。

「まさかこんなくっそくだらない事だと思わなかったよねえ」

「林さんてゲームと同じくちょっと腹黒っぽいキャラですよねー」

 あはは、と笑う宇美野さんに、よしてよ、と林が弱弱しい声で呟く。濃い緑の髪をしており、きらりと光る眼鏡は腹黒のテンプレートだそうである。

「ていうか俺だけ時間取り辛いから勘弁してほしいんだけど」

「教師まで攻略対象になるのって普通なの?」

「ごくごく普通ですよ。まあ先生は一度全教科赤点を取った後に学年で一番の成績を取るっていうフラグをきちんと立てないと攻略出来ない隠しキャラクターなんですけどねー」

 私の質問に頷く宇美野さんに、そうかい、と肩を落とす。

 攻略対象者である我が特進クラス担任の(なみ)(かわ)(けい)が面倒だとぼやいている。彼もけっこう普通な苗字だ。階級的には上の下くらい。年齢は我々が高校三年生になり十八歳になった現在で二十二なので、まあ許容範囲内――なのだろうか。日本からすると若いが、この世界だと教師になるには学園を卒業した時に一定の成績をおさめており、テストに合格するとなれるらしく、大学みたいなものがないので、まあ一応、矛盾はしていない。

「それにしても、俺以外は皆もう卒業間近って実感があまりないね」

「そうそう。いちばん期待を裏切ったのは(やま)くんですよ」

「いや、知らないから後輩キャラとか知らないからね?」

 恐らくいちばん酷い苗字であるのが(やま)(かける)。やまをかけるって! おい! 

 唯一の後輩で、台本一発目にやっぱりなあ、と呟いたのが昔の自分たちを見ているようだった。階級はまあ、山だからけっこう高い。茶髪に茶目だから容姿がいちばんしっくりくるかも。しかしこの設定全然いかされてないからけっこうどうでもいい。いつだったか宇美野さんにそう言ったら難易度に反映しているのだと言われて私はまたため息を吐いた。

「もうさすがにルートってやつは確定してるものなんじゃないの?」

「いや、もうひとつイベントがありましてですね。それで誰ルートなのかが確定するんですよ」

 ()(がみ)(ともる)はこの中でいちばん階級は下だ。最初からけっこう好かれていて、彼を攻略するルートはいいが他のキャラのルートだとかなり面倒で、油断するとすぐに仲良くなってしまうのだとぼやいていた。それを聞いた赤い髪に緑の瞳をしている田神は、何だか複雑そうな顔をしていた。

 それぞれキャラクター設定というものがあり、『腹黒』『チャラ男』『ツンデレ』『普通』『完璧』という位置付けらしい。チャラ男とツンデレは解説を付けてもらってやっと理解したが、普通って何だ普通って。しかしその普通キャラこそが珍しい枠なのだとまたも熱弁された。邪魔なキャラとか言ってたのに。

「そのイベントっていうのが毎年やってる年始のお祭りなんだっけ」

 完璧というキャラクターを引っ提げた男が星創生だ。難易度はダントツで高いらしいがまったくもってぴんとこない。

「そうですそうです。いちばん好感度が高い人と出かける仕様なんです。で、三年目のそれはルート確定イベントで特別なんです。それでエンディングの分岐もわかるんですよー」

 私たちは卒業も間近という事で、ルートが確定する前に、という宇美野さんの呼び出しで一席設けたのだ。とあるカフェを貸し切りにして、なおかつ二階の個室にて密談を交わしている。従業員すらも締め出して、私の屋敷の使用人が給仕にあたってくれているのだ。誰かに聞かれるとまずいどころの話ではない会話なので念には念を。

 宇美野さんの話で分かったのは、それぞれの人に対し二つのエンディングが用意されているらしく、それがトゥルーエンドとノーマルエンドであるらしい。ちなみにバッドエンドは誰のルートに入っていようがたったひとつで同じらしいが悲惨なのであまり語りたくないとの事である。とにかく全員が不幸になるらしい。気にはなるがもうその可能性は潰えたとの事なので安堵している。

「ちなみにノーマルエンドの場合は婚約者である麗華さんもお祭りにくっついてくるんですけど、その可能性は低いかもしれません」

「どうして?」

 コーヒーを飲みつつ創生が首を傾げる。壁に沿うようにソファが配置されており、四角いテーブルが等間隔で置かれている。大きい物を真ん中にどかっと置いたんじゃ駄目なのだろうかとも思ったが、何となくインテリア的にそぐわないのだろうか。私と創生は隣同士で座っている。その隣に宇美野さんが座り、その隣には林さん。あとのメンバーは向かい合う形で反対側のソファに腰かけている。こちらは壁に沿っているわけではなく、入り口付近はやや空間があるつくりになっていた。

 宇美野さんはシフォンケーキをもぐもぐと咀嚼しながら、それはですねえ、とあまり緊張感のない声で先を続ける。

「星さんのノーマルエンドって、実はトゥルーエンドを見るよりも難易度が高いんです。何せある程度の好感度を上げつつ、それでも恋愛フラグを立ててはいけないんですから。トゥルーエンドにはそれぞれ必要なパラメーターがありますが、ノーマルルートに入るにはどれかひとつのパラメーターを条件に満たないように下げておけばいいんです。もちろん下げすぎても駄目なのでそこまで簡単ってわけでもないんですがまあそれでどうにでもなります。しかし星さんのルートではこれが出来ません」

「え、なんで?」

「星さんの場合、そもそもがトゥルーエンドを満たすまでの数値上げをしない限り、好感度が上がりません。そしてそれは卒業までの途中過程でも必須条件で、どれかひとつでも数値が満たされていない状態であれば、最良の選択肢をしたとしても好感度が上がらないままだから、バッドエンドに一直線なんです」

「へえー。え、でもそれまでに好感度って上げてあるわけでしょ? 問題なくない?」

「いえ、星さんの場合、どんなに好感度を上げていても数値が下がると一気に好感度が『普通』まで戻っちゃうんですよ。でもきちんと条件を満たしたパラメーターであれば、また元に戻るんです。変な話、ずっと正しい選択肢を選択していればそれまでパラメーターの問題で好感度が一切上がっていない状態だったとしても、その分はきちんと蓄積されているので一気に好感度が上がるんです。卒業間近までギリギリの調整をして最後に数値上げする攻略してる人けっこういましたよ。ただその場合は途中のイベントがあまり回収出来ませんのでちょっと物足りないですけど。それでも完璧なパラメーターにするとどうしても他のキャラがうようよ出てきちゃうので、それが面倒で」

「――それ、創生が単なるろくでもない男じゃない」

「うん、本当にその通りすぎて何も言えない」

「それに前にも言いましたけどゲームの最初にクイズ――まあ現実ですと入学テストがあるでしょ? あれでクラス決まりますけど、特進クラスじゃなければ回収出来ないイベントがたくさんあって、星さんはまずそこに入っておかないと攻略はほぼ絶望的なんです。出来ないわけではないんですけど選択肢をひとつでも間違えるとアウトってくらいに」

「しかも自分と同じくらい成績良くないと恋愛対象じゃないんですって」

「やめてくれよ、もうかなりの勢いで落ち込んでるんだから!」

「あと好感度が低い内だとライバルキャラの麗華さんにしょっちゅう妨害されたりだとか、最初はなんか麗華さんをかばうような事を言いますし、なんだかんだお前ら仲良しじゃねえかとやさぐれたプレイヤーは多いはずですよ」

「え、そうなの?」

 私はどう返事をしたものかと悩みながら、凹む創生を横目で見る。そんな私たちにお構いなく、まあゲームですからねえ、と宇美野さんはあっけらかんとした口調で言った。

「だから星さんのルートって選択肢で調整するしかないんですよ。友情っていう好感度のままで終わらせるの案外難しいんです。攻略対象者で唯一婚約者っていうライバルキャラがいるから、それの取り扱いだって難しいですし。だというのに台本はもうトゥルーエンド一直線なものです。ゲームは選択肢が三つあるわけですけど、台本にはひとつしか台詞がありません。恐らくはどのルートもノーマルにさせる気はないのではないでしょうか」

「ええーそうなんだ。ちなみにノーマルエンドってどう終わるの?」

 田神さんが興味深そうに紅茶を飲む。それに宇美野さんはぐふふ、と妙な笑い声を上げた。

「皆普通に無難に卒業していきますよ。私は確かこの学園の教師になって、星さんと麗華さんは結婚するはずです。他のキャラもそれぞれが夢に向かって真っ当に進んでいくんですよね。で、ルートを確定するお祭りの時に和解するイベントがあるんですよねえ。今までは意地悪な令嬢だった麗華さんが途端に可愛くなるし、そもそもが色々と誤解していたっていう設定になるのでけっこうよくできているんですよこのルートのシナリオ。実際にこれがいちばん人気ありますし。私も実はヒロインと創生よりも麗華と創生のカップリングのが萌えるんですよねー」

 だからこれを生で見たかったのに、とがっかりした口調でまだケーキを頬張る彼女の口は、そんなに甘味を欲していたのだろうかと戸惑えるほどだ。どんどんお皿からお菓子が消えていく。

「ちなみにトゥルーエンドだと私ってまずい状況になるの?」

「あー…………その、はい。まあ、ある程度は想像出来るかと思うんですが、その」

 少し言葉を濁した宇美野さんに、苦笑する。そこまで気を使わなくてもいいのに。

「卒業パーティーがありますよね。まあ、そこでその。大々的に今までの悪事を糾弾されて、婚約破棄を言い渡されるんです。それでまあ、ご両親の怒りを買ったお嬢様は、辺境の地で何年かの奉仕活動を言い渡されます。市井に下って見聞を深めよ、みたいな事ですね」

「え、それだけ?」

「いやほら。奉仕活動ってけっこう大変なんじゃないでしょうか。それこそ身体的に辛い労働が多いんじゃないかと」

「別にかまわないけど」

「んー……まあ具体的には明言されてはいないんですけどね。もちろん卒業式以降のお話は語られておりませんので。何か孤児院とかで働くみたいな事だったかもしれないんですけど」

「へえー……どうなのかしらね。それこそ学生の身分から社会人になるわけだしいいんじゃないのかな」

「たくましいな。俺だったらそんな割り切れないかもしれないけど。むしろ帰ってきた後とか面倒くさいんじゃないの? 色々と」

 ちょっと呆れた口調で創生が言う。……何だか拗ねたような口調なのは気のせいだろうか。

「そうねえ……家の利になる存在ではなくなるわけだしねえ」

「まあ、年始のお祭りでどうなるかですね。結局、好感度といっても私たちは台本を読んでいるだけなので本当に心が動いているわけではないし、今現在の好感度はどうですかって皆さんに聞いてもどうしようもないですしねえ」

 苦笑する宇美野さんに、皆が同じような表情で返した。これはある意味、助かったと感じた瞬間だったと攻略対象者たちは言う。

 乙女ゲームというものの内容を知って以降、その選択肢とやらで自分が強制的に恋をしてしまったらどうしようとかなり恐れていたようだ。創生はそれが特に顕著で、大丈夫かな? と情けない顔をしてしょっちゅう私に縋り付いてきた。落ち着いて、とか、今はどういう感情を宇美野さんに抱いているの? とか、繰り返し質問をすると、やがて安心したように好きにはなっていないと笑う。創生は、何というか……時折、幼いのかそうでもないのかよくわからなくなる。

「あとこれ本当に最後の確認なんだけどさ。その、卒業パーティーが終わったっていうか婚約破棄だっけ? そのイベントが終わって、具体的にどこでエンディングになるの?」

「あーそうですね。トゥルーエンドだと、びっくりしているヒロインに星創生が改めて自分と恋人になってくれないかって告白するんです」

「…………で、終わり?」

「そうですね。まずは麗華さんが屋敷の方に取り押さえられて、そこで償いの内容みたいなのを星さんから言われてから告白があって、で、エンディングだったかと思います」

「ふーん…………じゃあさ、麗華って別にちゃんと屋敷に帰らなくても、その場に留まっててもエンディングになるかもしれないの?」

「ああ、そうですね。そうじゃないでしょうか」

 なるほど、と頷く創生の横顔が妙に真剣だ。どうしたの? と首を傾げながら彼に問うと、ちょっとね、と創生は笑った。なんだ? と思って周囲の人間を見ると、どこか悪戯っぽく笑う表情をしていたり、憐憫の情を向けるような表情をしていたりと統一性がない。ただ、創生の考えを私以外は察したらしい事だけはわかった。それがほんの少し悲しかった。

 いや、ほんとうにちょっと、だけど。


 年始のお祭りイベントというのは、こっちでいう所のまあ、初詣というかお正月というかとにかくそういうものだと思う。もっと賑やかに新しい一年をお祝いするんだけど、とにかく創生と出かける事が出来ればノーマルエンドが確定するわけだ。しかし案の定とでもいうか。あっさりと台本は私に新年の挨拶へと出かける麗華と言い放った。身分的には創生だってそこそこ忙しいはずだが、そこはゲームのイベントだからもうつっこむのはやめた。とにかく私と創生の時間はその日交わる事はなく、創生はやはりというべきか宇美野さんと出かけていたらしい。遠話で皆とやっぱりこうなったかと話していた。


「婚約破棄だぁ! ぶふうっ」

「いやさすがにそれはまずいですよ星さん」

「そうだよそこ真面目にやらんと」

「どうしても真剣に読もうとすると笑っちゃうんだって!」

「そもそもがお前の茶番に付き合ってやってんだから感謝しろっつうの」

「いいかげん真っ当な人間になって恋とかしたいよね」

「まあまだ若いしなんとかなるって。そもそもお前は恋人いなかったわけ?」

「教師って案外大変だからなあ」

「とにかくある程度はご愛嬌ですけど、あくまでも麗華さんにはばれないようにしないといけないって設定なんですから、ちゃんとしないと」

「うん、ごめん、頑張る」

「はい、じゃあもう一度最初から」

 とある場所で行われた演劇練習。五人の男性と一人の女性の稽古は、その日の深夜まで終わる事はなかった。


「お前には、情もあった。なんだかんだ、ここまで同じ時を過ごしてきたんだ。きっかけはどうあれ、曲がりなりにも婚約者だったお前を、俺なりに大切だと思っていた」

「……どういう意味ですか」

「その時代錯誤な選民意識。平民だとか貴族だとか、そんなものはもう関係ない時代がきている。俺たちはその身分上、誰よりもそれを意識して戸惑う人々を引っ張っていかなければならないはずだ。それをなぜわかってくれない?」 

「そんな意識は必要ありません。私たちはあくまでも特別なのです。平民とは違う!」

「――もういい! お前には失望した。楓にここまで酷い仕打ちをしていたとは。さすがに嫌がらせの域を超えている。空家の当主もお怒りだ。お前にはこれから、数年間に渡り辺境の地で奉仕活動を行ってもらう。詳しい内容は当主から聞くがいい。市井に下り、お前が見下す人間がどんな生き方をしているか知るがいい」

 ふうん、やっぱり具体的には知らされないんだな。

『麗華「どういう事です……?」』

 おっといけない。頭の文字を追わなければ。

「どういう事です?」

「お前との婚約は破棄する。本日をもって、俺とお前には何の縁もなくなった。お前が改心してくれる事を、願っているよ」

「そんな! 創生さま! いやあっ」

「お嬢様。さあ、屋敷に帰りましょう」

 使用人が何人かで私を取り押さえる。当然だが、場は騒然としている。私はそれなりの抵抗を見せつつ、壇上に居るふたりへと視線を向けた。

「改めてお願いしたい。俺と――一緒に恋をしてくれないだろうか」

「創生さん!?」

「何の強制でもなく、ただ純粋に、君と恋人になりたい。婚約とか結婚とか、そういう事はまだ考えなくていいんだ。家同士とか身分とか、そういうものを取っ払って、君が好きだと言いたい。楓は、俺を、どう思っている?」

 なんか本当に演技なんだろうか。あんな創生の顔は初めて見る。宇美野さんも、まんざらでもないように見える。頬を染めて、瞳は潤んでいて、恋する乙女そのものではないか。

「私も……好きです。ただ、あなたが。星家の人間とか、そういうものを取っ払って、あなただけが、好きです」


『エンド』


 頭の中に、声が響いた。終わり、という実に機械的な声。ああ、終わった、やっと終わったんだ。でもなぜだろう。そんな事どうでもいい気がした。ひょっとしたらあのふたり、本当にできてんじゃないのかとか、これで創生とも何の関わりもなくなっていくんだなあとか、そんな考えばかりが浮かんできた。いや、さっきからおかしい。どうしてだか、いつもの無表情を保てない。

「お、お嬢様!?」

 ぎょっとした声で使用人である鈴本さんが声を上げる。隣で町尾さんとか三矢さんとかもなんかびっくりしてる。どうしたんだろう。

「帰る、帰りたい。こんなとこもう居たくない……」

「お嬢様……!」

 視界がぼやけるのはどうしてなんだろう。でもとにかく今は、こんな所にいたくなくて、帰りたくて、皆にお願いするんだけど、どうしてだか引っ張っていってくれない。ただただ、おろおろとするばかりだ。仕方ない、自分で足を動かすしかないだろう。

「麗華!」

「麗華さん!」

 足音が響いて、次には身体に圧迫を感じた。なんだ? と思っていると、すぐ傍に誰かの顔がある。

「ごめん、まさか泣いちゃうなんて」

「創生様! 宇美野様! いくらなんでもやりすぎですっ!!」

 使用人の怒ったような声に、周囲の何人かが非難する声。これは、卒業生だろうか。

「ご、ごめんなさい、私もまさか麗華さんが泣いちゃうだなんて」

「ごめんな麗華。でもどうしよう、嬉しい」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめる創生の顔を見ながら、どうしてこんな事になっているのだろうかとぼんやり考えていた。そうだ、これ創生だ。なんだって私は創生に抱きしめられているのだろうか。

「だって麗華、俺と婚約破棄する為に宇美野さんに協力してもらってたんだろう? 嫌がらせの事実なんてないのに」

「え?」

「そうですよ。そもそもが自分が無理やりこぎつけた婚約だからって相手の気持ちが気になるのはわかりますけど、いくらなんでも星さんに相談もしないで婚約破棄をするだなんてやりすぎです」

「え? え?」

「俺たちも協力したんだ。ねえ、先生?」

 田神に波川まで。なんだこれ、ひょっとして皆グルなの!?

「まあ、面白そうだなあとは思ったからな。クラスの連中にも事前に告知して、お前以外にはこれが盛大なドッキリだってばらしておいたんだ。じゃないと本当に婚約破棄された事になるし」

「大体がおかしいと思ったんだよ。別に空さんって高飛車でもなんでもないじゃん。なあ?」

 そこら辺にいたクラスメイトに田神が話しかけると、彼は頷いた。

「俺たちずっと不思議だった。どうして空さん、表向きはああいう態度なのかなって……宇美野さんとも実は仲良いのも知ってたし。だからひょっとしてバランス取ってくれてたのかなって。それこそ本当に選民意識持ってる連中はたくさん居たから、空さんがああしてくれないと嫌がらせとかマジでされてた気するし」

 そこは特進クラスの皆で、その言葉に多くの人がうんうんと頷いていた。え? あれ……?

 確かに、態度を変えたりしたら混乱しちゃうかもしれないけれど開き直って台本以外では自分の道徳観念で動いてはいた。それがまさかこんな結果を導くとは。

「なあ、麗華。確かに最初は強制だったかもしれない。けれど、俺はもう自分の意思で麗華が好きなんだよ? だから婚約破棄とか哀しい事言わないでよ。そもそもが虫除けにお互いに協力しようって話だったのを、俺が話を捏造したんだから、本当に責められるべきなのは俺だろ?」

 え? いつの間にそんな話に!?

「それも麗華さんが将来的に一方的に破棄されてもいいようにって考えたんでしょう? まったく星さんは麗華さんに甘えすぎなんです!」

「でも最後の賭けだったんだ。これで麗華が嫌がってくれなければ、本当に婚約破棄をしようと思った。付き纏っても、きっと迷惑になるだろうって」

「最後の最後でヘタレですねえ」

 やれやれ、と呆れた顔をする宇美野さんに、私はどう返事をしていいかわからなかった。とにかく今は頭が混乱している。とりあえずわかったのは、創生と婚約破棄をしなくてもいいという事だけだ。それだけで、それだけで私は――。

「麗華!? う……」

 まず最初に意識を手放した私を皮切りに、キャスト陣が次々と倒れていった。宇美野楓という主人公を除いて。



「おはよう」

「――佐々木くん? おはよう。このバスなの?」

「普段は歩いてるんだけどね、寝坊しちゃって」

「そうだったんだ」

「鈴木さんもこのバスだったんだ」

「うん。あれ、ひょっとして家も近い?」

「そうかも。駅前だったら良かったんだけどなー」

「そうだねえ」

 偶然会った同僚と路線バスの中で笑いながら、お互いにもう少しいいところに住めたら、なんて話していた。

「――一緒に暮らせば家賃半分になるのか」

「え!?」

「あ、え、いや、たとえば! たとえばの話!」

「あ、ああ」

 なんだ。何か意識しちゃって恥ずかしい。

 お互いに顔を赤くしながら視線を逸らしたその時だった。バスが突然急ブレーキをかける。どうしたのだろうと前を見ると、もうそこには大型トラックが見えていて。

 ああ、これは駄目かも。

 そこから私の世界は、真っ暗になった。


 学園のとにかく広い救護室のベッドで、私は目を覚ました。麗華さん! と声を上げるのは宇美野さん――いや、楓ちゃん。今までの私は、あえて創生以外の人間を世界から追い出そうとしていた。けれどもう、それはやめよう。私はもう、達観した人間でもなんでもないのだ。

「……楓ちゃん、ひょっとしてあのバスに乗ってた?」

「! お、思い出したんですか」

 頷きながら、私は上体を起こす。楓ちゃんが慌てて私を補助してくれたので、ありがとう、とお礼を告げた。どうやら他のみんなも、もれなく倒れたらしい。しばらく様子を見ていると、私と同じようにみんな次々と覚醒しはじめた。やっぱり記憶の奔流に脳が追いつけなかっただけか。

「なあ、全員あのバスで亡くなった奴なんじゃねえの?」

 先生として転生した、波川さんが言った。

「多分そうだと思う」

 普通の生徒として転生した、田神さんが言った。

「そうか、前世って事か……」

 腹黒な人間として転生した林くんが言った。

「えー、俺もうおっさんだったのかあ」

 後輩として転生した山くんが言った。

「俺と麗華って、案外若かったんだな……」

 完璧な人間として転生した創生が言った。

「ていうか佐々木くんだったのか! なんか恥ずかしいんだけど!」

 ライバルとして転生した私が言った。

「ごめんなさい!」

 そして、なぜだかヒロインは謝った。


「私あの時――ゲームしてたんです。それがこのゲームで、『今日から恋と魔法を始めます』だったんですけど……」

「え、そんな恥ずかしいタイトルだったんだ」

 私が言うと、楓ちゃんはしょんぼりとしたまま頷いた。

「その、私、意識がなくなって真っ暗になった時……声が聞こえたんです。生まれ変わりたいかって。私は頷いて、それで、ここで死んじゃった人がみんな生まれ変わったらいいのになって言っちゃったんです。そしたら、気付けば目の前に人が立っていて……わかった、と笑ってどういうわけか、私が持っていたゲーム機持っていっちゃったんです…………!」

 もちろん、一拍置いて、みんな盛大に驚いた。

「ていうか今さらだけどさ、翔くんてパーティー会場にいたの? 気付かなかった」

「おいなんで急に名前で呼んでんだよ」

「だって山って言い辛いじゃん……え、なんでそんな怖い顔してんの創生」

「勘弁してよバカップルに俺巻き込まれんのやだよ! 呼び名くらいなんでもいいじゃん!」

「とりあえず創生は麗華さんの隣行けばいいじゃん――いやだから! 睨むなよ、俺もずっと空って呼び辛かったんだよ!」

 波川さんが慌てた声を上げている。そうこうしているうちに創生が私の隣に座った。ベッドがぎしりと音を立てたと思ったら、肩を抱かれる。おい、なんだこいつ。

 林が若干呆れた表情を浮かべつつ、でもさ、と口を開く。

「楓のせいって事にはならないんじゃない? むしろ楓が願ってくれなきゃ俺らって第二の人生歩めてたかわかんないんだろ? まあこんな世界で戸惑ったりはしたけどさ、台本は終わったわけだし、これからは好きに生きれるし、なかなか快適な環境だと思うよ」

「そうだなあ。むしろ今まで黙ってたの辛かっただろう? ごめんな、気付いてやれなくて」

 田神が楓ちゃんに顔を向けると、ついに楓ちゃんは泣き出してしまった。

「泣いてもいいけど、もう謝らないで。楓ちゃんは何も悪くないんだから」

 ね? と私が立ち上がって楓ちゃんを抱きしめると、楓ちゃんはしがみついてわあわあと泣き出した。見渡しても、みんな仕方がないなって顔をしている。まだちょっと混乱しているけれど、やっと役目が終わった。前世の記憶というものが戻って、確かに生まれ変わったという感覚も芽生えた。これからは、それで苦しむ事もたくさんあるだろう。けれども、ただの人間として生きてもいける。それが今は何よりも嬉しかった。

「でもさあ、俺じゃなくて腹黒の称号って創生にこそふわしいんじゃない?」

「ああ、それは思った」

「俺も」

「うん」

 林の言葉に、他の三人が続く。私ひとり意味がよくわからずに、首を傾げる。

「だって根回し全部やったんだよ? こいつ。いかに婚約を継続させられるかって。麗華さん知らないだろうけどさ、ご両親に頭も下げたんだよ、実は自分が願った婚約で、昔は照れ臭かったから全部彼女にそういう事情にしてもらったんだって。だから出来ればずっと婚約者でいたいって。学園で実はバランス取ってるんじゃないかってのもこいつが自然に流した噂だし。じつは溺愛してるんですって態度で麗華さんだけ知らないみたいな環境をどんどん作り上げたんだから」

 私の知らない事実がざくざくと出て来て、なんと言ったらいいのかわからない。いつの間にそんな事をしていたんだこいつ。腕の中の楓さんをあやしながらも、創生へ視線を向ける。

「…………佐々木くんさあ、ひょっとしてあれって告白だった?」

「んー? 鈴木のご想像にお任せしよっかな。あ、今さらやっぱり婚約破棄したいとか言わないでね?」

 微笑む男の顔は、まさしく腹黒紳士という称号にふわしいものだと思った。周囲からも、こわっ! とかいう声がどんどん聞こえてくる。

 ああ、そろそろ下がらせたままの使用人を呼んでこないと心配しているだろうか。楓さんをなぐさめて、みんなとこれからもまた会う約束をして、帰ろうか。


 さて。

 これからの人生に台本は存在しない。どんなエンディングに進んでいくのやら。神のみぞ知るといったところか……いや。

 ひょっとすると、神様すらそれを知らないのかもしれない。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 違った視点で読めたこと。 [一言] 変わった視点で面白かった。今まで結構な数のさまぁ物を読んで来ましたが、悪役令嬢vsヒロインだと両方が転生者で片方はざまぁされない為に高飛車にならないよう…
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