第五話【執務室での夢】〜傾国の鉄宰〜
ケインは夢を観ていた。
異世界の記憶を垣間見る明瞭な夢を。
合せ鏡のように補完し合う異世界。
ケインが住まうその国もやはり傾国であった。
異世界でケインは裕翔という名前で謎の万能感と無敵感を二十代後半になっても持ち続ける能天気な若者であった。
誰かに護られているなんて思いもしない。幸せを見つめる事もしない短慮で愚かな、それでいて幸福な若者だった。
ケインは裕翔の夢だと気付いていた。
それでも掻き毟る様な後悔を感じ、やり直せるものならばと思わずには居られない。
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「違うんだよ。そうじゃないんだよ」
コンビニ弁当片手に一人呟く。
濃紺のスーツに糊の効いたワイシャツを着た40歳前後の男性は話を続ける。
「職員は書類送検、法人に対しては行政指導が行われました」
無表情に話は続けられる。
「それじゃぁ何も変わらないどころか悪化するだけだよ」
「先輩どうしました」
後輩の桐山が隣に座りながら声を掛けてきた。
「いや先月の隣町の事件でさ」
「あぁ介護施設の」
桐山と話をする間も画面の中でスーツの男性は話を進める。
いつの間にやら話題は明日の天気に変わっている。
「介護施設の虐待も保育園の虐待も教育現場での虐待も根幹は人手不足と責任負担の歪さにあるんだよ。
行政指導だなんて結局はあれこれ言うだけで何の助けにも成らないんだよ。
システムは補完されず、やる事だけ増えて携わる人は増えない。
負担を増やす為に行政指導ってのはやるのかな?
負担だけ増えるから同じ様な事件がまた起きるに決まってるさ。
無責任に責任を追求する奴はいるけど本当に責任を取ろうって人間が居ないんだから改善なんてされる訳が無いって」
真剣に宣う裕翔を見つめて桐山が言う。
「先輩選挙でましょうよ」
「嫌だよ。面倒くさい」
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実家のリビングのテレビで感染病関連のニュースを見ながら母に語り掛けた。
「『旅行に行くぞ!キャンペーン』ってなんだよ。金の使い方が間違ってるよ。
補助金で料金を安くするんじゃなくてホテルや飛行機、超特急の座席の半分を国が買い上げて残り半分を利用者がいつも通り使えば良いんだよ」
母はお茶を飲みながら疑問を投げかける。
「旅行代金の半額になったほうが人が増えるじゃない。それじゃあ駄目なの?」
「感染病禍での観光支援だよ。観光客が増えてまたまたロックダウンじゃ目も当てられないよ。
補助金額は変わらないけど人出を半分にする方が感染抑止になるよ。
空いている観光地を巡れるなら正規の価格でも旅行に行きたい人間は大勢いるさ」
「確かにね」
母はいつの間にか羊羹を口にしている。
美味そうだなと思いながらも話を続ける。
「それに競争原理は損なわないからね。
金額ベースで平等に補助金を割り当てるって本当に平等なのかな?
感染病禍でも営業努力をして10件の予約を入れるホテルがあれば国からの補助も10件分。営業努力が足りないホテルで5件しか予約がなければ国の予約も5件分。此方の方が公平だし、感染病なんて関係無しでサービスが向上するから未来志向じゃない?」
「あんた難しい言葉知ってるわね」
母が紅茶を差し出す。
有り難く紅茶を味わいながら話を進める。
「そして一番大事なのが消費者心理だよ。 補助金で半額の旅行をしてしまった人間が補助がなくなって通常の金額で旅行に行く気持ちになるまでどれ位の時間がかかるんだろうね?」
母がティーカップを置いて此方をジッと見てくる。
「あんた選挙に出るんじゃ無いでしょうね」
羊羹を一切れ奪いながら答える。
「出ないよ。面倒くさい」
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昼休みピークを過ぎた社員食堂で後輩の桐山は少し贅沢に紙パックのコーヒーを飲んでいる。
「先輩いつまでこの物価高と外貨高は続くんでしょうね。独身の俺は正直なところ生活はできますよ。
でも旅行や高い買い物は控えないと貯金も出来ないッス。
今の総理大臣なんて名前でしたかね?あのメガネの…ほらあの人の経済対策って何かズレてる気がするんですよ」
桐山の話を聴きながらコーヒーを飲む、後輩の手前ブラックを頼んだのを後悔しながら。
「桐山自分が選んだ首相の名前ぐらい覚えておけよ」
「自慢じゃないですが僕は選挙に行ったことないですからね。あんな眼鏡の人選んだことは無いですよ」
「選挙に行かないってことは今この状況 全てを受け入れてるって事だからあのメガネの首相はお前が選んだんだよ」
「えぇ目茶苦茶じゃないですか。正直政治に興味も無いし選挙に行く時間も惜しいんですよ」
「まぁ政府自体が国民から政治を遠ざけて来たからなぁ。桐山の感覚は当然なのかもな」
「政府が?どういう事です?」
桐山がミルク、砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら尋ねてくる。
俺も今度はそいつを頼もう。
「一億総中流って知ってるか」
「何ですか?」
「少し昔のこの国は大半の人の生活水準が中流階級位だったて話だよ。大好景気の真ん中ぐらいまでかな?桐山はまだ生まれてないな」
「今は違うんですか?」
「今は金持ちと貧乏人の2極化が進んでるな。勿論政府主導で」
「えっ!政府が貧乏人を増やしてるんですか?何の為に?」
「理由は色々あるけど。効率の良い徴税と政治に参加をされたくないってのが2本柱かな。
桐山質問な。3333人の意見纏めるのと10人の意見纏めるどっちが楽かな?」
「そりゃあ10人でしょ」
「そうだよな。じゃあこの国の税金と社会保険料の合算金額が1番高いのは誰か?
A.年収1億の人間1人からの徴収額。
B.年収700万の人間15人からの徴収額。
C.年収250万の人間40人からの徴収額
誰だと思う?」
「う〜ん。B.700万×15人で1億500万だから年収700万の人からが一番多いんじゃないですか」
「残念。正解は年収1億1人からの徴収額が圧倒的に多い。
大まかに言えば
年収1億の人間は税金を4000万
年収700万の人間は税金を171万
年収250万の人間は税金を49万払ってる。効率厨な政治家や役人がいればこう考えるんじゃないかな『年収700万の人間が23人減っても年収1億の人間が1人いれば徴収額は減らない。何より徴収の手間が23分の1になるから効率がいい』ってな」
「先輩俺なんだか怖いんですけど…」
慄く桐山をよそに話を進める。
「民主主義で1番大変な事は何だと思う?」
「先輩、これって知ってはいけない類の話じゃないんですか?嫌ですよ俺、明日小汚い運河に浮かんでるとか」
「それは意見を纏める事だよ。グローバル化で文化、生活、宗教ありとあらゆるものが多様化していれるのに世界中でナショナリズムが台頭し始めただろ。
これを誰がどうやってまとめるんだろう」
「先輩無視して話を進めないで下さいよ」
桐山が顔を引き攣らせて話を遮る。
「冗談だよ。全ては俺の妄想さ。その方が納得がいく事が多過ぎてついな」
「納得がいく事って?」
「中流階級が減って低所得者が増えると選挙に行く時間がある人間や政治活動に時間を費やせる余裕のある人間が激減する。
投票率は下がり野党、新党の結党等が困難になる。
結果金持ちだけで政治が動かせるようになる。
桐山はこの国にある会社の何%が大企業か知ってるか」
「さっぱり分かりません」
自信満々の表情で答える桐山。
人の話をちゃんと聴いているのか…後でテストでもしてやろうか。
「企業数ベースで僅か0.3%だよ。次に年収1億ある人間は何%いると思う?」
「分かりません」
「データベースにもよるけど概ね0.3%だよ。じゃぁ与党の政党員で実際に活動していると推定される人数は何%いると思う?」
「…まさか0.3%ですか」
「大正解。よく分かったな。
政府は大好景気崩壊後徹底して0.3%の為の政治を推し進めてきた。
大企業は過去最高のプール金を持ち、富裕層は今も増え続けている。
大企業優遇の税制や高所得者が有利な補助体系。一々説明してると膨大で昼休みどころか1日が終わるから話さないけど。
政府の思惑通り国民の2極化は進んでいった。
ここで政府の想定外の事が起きた。簡単に言うとこの国は貧乏国になった」
「お金持ちと貧乏人に2極化したなら国自体のお金は変わらないでしょ」
「昔ならそれで良かったんだが今はネット、仮想通貨等の普及でお金も物も人も全てがグローバル化したんだ」
「確かにスマホが有れば海外への投資も買物も直ぐに出来ますね。友達なんて就活もスマホで始めて海外にそのまま就職しましたよ」
桐山が便利便利と独り頷く。
「桐山偶にはいい事を言うな。当に資金と人材の海外流出が始まったんだよ。
物価の上昇を認めない大企業、うちの会社でも大手企業◯◯電機に再三コストアップをお願いしているが30年間価格アップを認められない製品が結構ある。
製品の価格アップができない一般企業が人件費を上げられる訳もない。
人件費と物価が上昇しないこの国では大企業は自社の人件費さえ上げなければ例年通りの売上げで優遇税制効果でしっかり利益が出るんだよ。
これって資本主義の競争原理から逸脱してないか?
山国の3分の1、軍事共和国や西共和国の2分の1、先進国家連合や隣国、資源産出国より給料が安いんだよ。20年給料の上がらない国で働き続ける意味があるのか?
グローバル化が進んで技術者や若者は海外で働く事を選び始めたんだよ。
大企業の協力会社として海外進出した一般企業も大企業の下請けをやるよりも独立独歩で海外企業と仕事をする可能性に気付き始めた。
優遇され続けてきた大企業と富裕層さえもこの国を見限り始めた現在…」
朗々と持論を展開し続け、裕翔は唐突に気恥ずかしさに襲われ桐山をチラリと見遣る。意外な事に桐山は真剣な眼差しで裕翔を見つめていた。
桐山の真剣な眼差しに押されて裕翔は持論の纏めに掛かる。
「桐山長々と妄想を聴かせて悪かったな。ご質問の物価高がいつまで続くかだが20年間無理矢理堰き止められた分が是正されるまで続くと思うし、続くべきだと俺は思う。
1番拙いのが物価高を理由に製品価格を引き上げた大企業が下請けの中小企業の値上げを認めず自分達の値上げした分を自社の利益にする事だな。それを認めたらこの国は詰みかもな」
「詰みって…」
桐山の表情が曇る。
「外貨高は俺達には厳しいがこの国を見捨てた富裕層には美味しい話だ。
優遇税制や補助金等で潤った金で詰みかけの国内では無く海外に投資する。
上げた利益で物価の上がらない国内で好き放題やる。大好景気の時に海外でやっていた事を今度は国内でやれるんだ。」
「海外成金ならぬ国内成金ですか。外国人が我が物顔で観光地を荒らし回っているとは聞きますが日本人がそれをやるんですね」
桐山がうんざりといった感じで長い息を吐いた。
「まぁ好き放題荒らし回って、この国がいよいよヤバくなったら海外移住。それが新たな富裕層『シン富裕層』ってね。以上俺達の妄想でした」
「先輩の妄想100%。笑い話で流せないない気が俺はします。
俺八月末で会社を辞めて南東国の企業に転職するんです。
当分は南西国勤めですけど。
今迄ありがとうございました」
「あぁそんな気はしていたよ。お疲れ様。南東国かぁ。この国に近い状況から国勢を立て直した逞しい国だよ。良いところを見つけたね。おめでとう。
退職するまで後少し俺の愚痴に付き合ってよ」
「はい。先輩、選挙出ましょうよ」
「嫌だよ。面倒くさい」
トントントン規則的なノックの音がする。
何気ない 。それでいて幸せな日常の夢から目が覚める。