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第四話【死の支度:後編】〜傾国の鉄宰〜

 やおら立ち上がり俺に近付く侍従長。

誰にも気付かれない様に警戒するマイル。 

マイルの剣士としての名声は極めて高く王宮内にも轟いている。


 侍従長は穏やかな雰囲気とやや肥満体の風貌で周囲からは『老爺』と揶揄される事もある。マイルの警戒に気付きながらも俺の隣りのソファーに深く身を沈める所作は堂々としたものである。

噂とは何と当てにならぬものだろう。


「立ち話は落ち着かぬ。座って落ち着いた気持ちで()()の話を聴いてほしい」


 威厳に満ちた普段の口調とは異なり、外部の人間に接する時に使う好々爺な雰囲気も消し去ったナーツェルさんが一個人として語りかける。

 虚飾を排して尚、長年国家の重責を担ってきた者が纏う存在感、騎士や武官とは異なる人を率いる者のカリスマ性を感じる。

 侍従長とは口調も雰囲気も別人だが俺に取っては此方の方が馴染みがある。


 マイルは静かに侍従長の観察を続けている。翁の本来の雰囲気に既視感が在るのだろう。

 リーナは何故か機嫌が良さそうだ。

自分とマイル分の椅子を準備してニコニコと俺と侍従長を見つめている。

 周りの評価と相反して論理派のマイルと直感派のリーナは対照的な反応を示した。二人が座るのを見届けるとナーツェルさんが口を開いた。


「儂とケインさんには帝国の現状に対して共通認識がある。端的に話せば上級貴族の専横と官吏の質の低下じゃ」


「・・・」


「・・・」


 現役の最高位官吏であり中級貴族でもある侍従長が帝国の現状を批判したのである。それも帝国の中枢たる皇宮内で。

2人が息を呑むのも当然だろう。


「大丈夫じゃ。ここには咎める者はおらぬ。この部屋での会話は儂とケインさんの信頼に足る者にしか聞かせぬ」


「・・・」


「・・・」


 ナーツェルさんの言葉に俺は壁に視線を向ける。俺の視線の先を見たリーナも気付いたようだな。

何気に武闘派なのかなリーナって。


 マイルは静かに床を見ている。

床下(そちら)にも気付くのか流石だな。俺は()()()()()今でも気付けないが…。


 二人の視線を確認したナーツェルさんは其れには触れずに口を開いた。


「今この瞬間も神前会議や大喪の礼の準備の為、多くの者が働いておる。不寝番で頑張る者も居るじゃろう。

 国家とは多く人々の決意と献身によって成り立っておる。それは官吏官僚だけではなく警備の兵から職士まで幅広く、職種役職を問わない。勿論、平民や貴族位を問わずじゃ」


 ナーツェルさんは紅茶を一口含むとローテーブルに置かれた包に目をやり言葉を続けた。


 「先程も話をしたがバングル女子に包んで貰ったクッキーは帝都の学校を卒業したばかりの15歳の少年と少女に渡す為のものじゃ。優秀な2人だが卒業したばかり故、官吏付き職士として働いておる。

 今は自分達に出来る事をと寝食を忘れて働いておる」


 若いなりに自らが出来ることを考えて行動するか。出自、役職、年齢など踏まえずとも得難い人材だな。


 「神前会議の開始時刻の典礼司殿への連絡も副侍従長から依頼されて『他の方々の負担が少しでも軽くなるのなら』と快諾したそうだ」


 ナーツェルさんは目を閉じ息を吐く。

そして再び口を開いた。


「一方で出自と先祖より受け継いだ広大な領地と資産、それを頼りに尊大に振る舞う者達がおる。

 その者達は地方(田舎)の受領貴族の小倅が領地での多大な(些細な)実績と皇弟殿下の信任を足掛かりにあれよあれよと言う間に高位官吏に登り詰めた事が気に食わず『国の有り様は尊き血を受け継ぐ建国よりの名門、上級貴族たる我等が決めるものだ』と事ある毎に改革の邪魔を始めた」


 感情を押し殺すように話すナーツェルさんは再び紅茶を口に含むと静かに 続きを語り始めた。


 「法衣貴族(官吏官僚)達は国家の役職をほぼ世襲で引き継ぎ、如何に楽をして自らの利権をより大きくするかだけを追い求める寄生木(ヤドリギ)と成り下がった。

 法衣貴族は自分達に国への献身を改めて問おうとする者を老害と嘲笑い妨害を始めた。

それらの行為が小倅や老害への実害に留まらず皇帝陛下の人材の刷新を目指した教育の向上と人事制度の改革をも頓挫させた。

 大貴族も官僚達も自らの行いが低劣度紛争にも似た内患を招きつつある自覚も覚悟もなしに只々恣意的に振る舞っておる」


 ナーツェルさんは一度だけ大きく息を吐いた。皇帝陛下の悲しみを思い沸き立つ怒りを鎮める為だろう。

その表情は仄かに哀しみを含むみ、声音は凪の様に平坦だ。


「今まさに帝国(この国)は存在意義を失いつつあるのじゃ」


「存在意義ですか?」


 マイルが疑問に口を開く。

予想外の展開と驚きの連続の中、平常心を保つマイルは流石だな。

 リーナは感覚的に侍従長が祖父に似ていて信頼出来そう…位の判断だろうな。こちらもある意味流石だ。


「そうだ国家の存在意義じゃ。国家の存在意義とは何か。 儂も長らく政治に携わってきたが未だに明確な答えを出せずにおる。その答えを自問し続ける事が政治を担う者が一番大事にすべき事なのやも知れぬ…。

 未来を担う若者を前にするとつい話過ぎてしまうな。次回はじっくり話をさせて貰おう」


「「はい」」


 国家の中枢に長年居られた侍従長の知識は政治論や倫理論、果ては組織論まで幅広く大変為になる。マイルとリーナも乗り気な様だし2()()には又の機会に講義を受けて貰おう。 

 俺は何度も何度も聞いた話なので遠慮させて貰おう。

この手の話はナーツェルさんをはじめ()が熱く語るから話が長引くからな。

 

「今回は時間が惜しい。大前提だけを話そう」


そう言うとナーツェルさんいつもの穏やかな微笑みに戻って話しを続けた。


「ケインさん、すまぬが続きを話してもらえないだろうか。歳を取ると話しを纏めることが難しくなっての。ハッハッハッ」


 自分と他の人間の認識に齟齬が無いかの確認する為に発言者を途中で変えるというのは常套的なやり方だ。

 素朴な笑みを浮かべるナーツェルさん。宮廷内でも常に笑みを浮かべた穏やかな印象の方だが今の飾り気の無い素の雰囲気は何とも人を惹き付ける魅力がある。

ちゃんと翁の話を日々肝に銘じていた事を証明する為にも俺は話しを始める。


「国家の存在意義の根幹は国民の生存と安全の確保。国家はそのために主権を行使して社会秩序を継続させているんだ。

 外敵の侵略を防ぎ、犯罪を抑止する。 少し詳しく話すなら対外主権の行使としての外交や軍事行動による平和の維持。

 対内主権の行使としての衛兵や治安維持軍による治安の確保。裁判所による権利の保護。

 国家は日常生活の安全や権利を確保し、食料を行き渡らせること。

 今日より明日、明日より明後日…未来がより豊かで安心な社会になる事を国民の前で明らかする事で国民の信任を得てきたんだ。

帝国だろうがゼレス共和国や獣人連合だろうが変わらない。国家は国民の信任無しには成り立たない」


 俺の答えに穏やかに微笑むナーツェルさんが続きを引継ぐ。


「強権で圧政を引いたところで国民の信任を得られなければ長くは保たん。広大な版図を誇った過去の王国も大帝国も内部から綻び、終には滅んだ。

 つまりは国家の存在意義を忘れ権利や利益の私物化や官僚機構の減衰が進めばどんな国家も滅亡する。

 民にとっては国家の政治形態など何でも良いのだ。帝政だろうが王政だろうが共和政だろうが…何でも良いのじゃ。

 民達は生存と安全が確保されて自身の権利が守られるならば国家さえも必要としない。国家を必要と妄信するのは国家から利益を享受されているている者達だけじゃ」


「・・・」


 帝国貴族であり高位官吏の俺達が口にする言葉に流石のリーナも言葉を失う。

 

再び俺が話を引き継ぐ。


「これからの世界情勢を考えると帝国は地方も中央も国家の存在意義を正面から考え直す時期が遠からず訪れる…。

 今のままでは混乱騒乱は避けられないだろうな。良くて内乱、最悪滅亡、他国の植民地に成り下がる可能性だってある」


「真逆。そんな」


リーナの呟きに同調する様にマイルも此方に視線を送ってくる。


「残念ながらこの国の実情は加速度的に悪くなっておる。下手をすれば20年と掛らずにこの国は滅びるやも知れん」


2人の戸惑いにナーツェルさんが答える。


「この国を立て直すにはあまりにも時間が無い、無さ過ぎるんだ。

組織や意識の改変、汚職の根絶。焦点を絞った速やかな改革が必要だ」


「あまり改革の裾野を広げると信念や正義等と言う胡散臭い事を言う手合が出かねんからな」


ナーツェルさんが新底面倒臭そうな口調で話をする。


「正義は胡散臭いんですか?」


リーナが怪訝そうに訊き返す。


 優しい微笑みを浮かべながら(雰囲気は変わったが祖父と孫娘スタイルは継続のようだ)ナーツェルさんは答える。


「親を敬う。子を育てる。隣人を大切にする。盗まぬ、殺さぬ。正しき行いは大切じゃ。

 個人の正しさなら個人差、価値観の相違が有っても寛容さや柔軟さで形を変え、溝を埋めて馴染んでいく。

 だが国や組織、立場で雁字搦めに固められて、正義と名がつくと途端に怪しくなる。互いの考えは正しいのに相容れず、ともすれば正義は争いの素ともなる。

言い古された言葉を借りるならば『自分に正義があるように相手にも正義がある』ということじゃ。だが互いが血を流す事は決して正しき行いとは言えまい」


「立場、状況で変わる正義を国家が一纏で守るべき物に入れるのは危うい気がしますね」


リーナが呟く。


「その通りだ。まだまだ話したい事があるが今は時間がない。政治論は次の機会にナーツェル殿の話を聴くといい」


「話を本題に戻すかの。高位官吏達は今、己が携わる仕事が何を守る事に繋がっておるかを考えておらん。上級貴族達に至っては自分達が何をする為に存在するかさえも考えておらん。そんな者達が上に有って果たして臣民(くに)を守れるのか」

ナーツェル殿が嘆息する。


「陛下がどれほど臣民の為に()()()()()()()真意を理解できないままでしたね」


「国を…民を想う陛下の御心を蔑ろにしたばかりか。自分達の下らぬ政争の具として将来有る若者の命を溝に捨てるとは…余りに愚かな」


 ナーツェルさんの発言にマイルの呼吸が僅かに乱れた。

長い付き合いの俺だから気付けた、ほんの僅かな乱れだが今までに無い事だ。

 剣技は無論、徒手空拳においても達人の域にあるマイルが目の前にいる小柄な老人の発言に呼吸を乱すなど…。

 ナーツェルさんの発言に含まれる静かな怒気。あたりを満たす僅かな気配。

マイルは侍従長の肩書きでは無くナーツェルさん個人の本質に気づいたようだ。


「ナーツェルさんは明日此処を訪れる官吏付き職士の若者が死の危険にあるとお考えですか」


「「なっ…」」


俺の発言に息を飲む2人に視線をやる事もなくナーツェルさんは眼を瞑り息を吐き出し、静かに答える。


「あちらの思惑通り進めば……恐らくはそうなるじゃろう」


「そんな馬鹿な!…」


リーナの発言を慈愛と喜びを含んだ眼差しで受け止めるナーツェルさん。


「全くもって馬鹿馬鹿しい話じゃ」


「それを食い止める為の深夜の訪問ですか」


「左様。突然の訪問で申し訳なくは思っておるが当たら若い命が失われるなど以ての外じゃ。帝国で最も神聖視される神前会議の時刻を違えるなど言語道断じゃ。直ぐに責任の追及が始まるのは火を見るより明らかじゃ」


 声が掠れた為、紅茶で喉を潤すナーツェルさんがカップを見つめて少し驚いている。

 リーナの給仕スキルは極めて高い。

 カップの紅茶を魔法で適温に保つ事や、誰にも気づかれずにカップ内に紅茶を補充するなぞ造作も無い。

 俺やマイルが淹れるお茶よりもリーナの淹れるお茶の方が圧倒的に美味しいので給仕はリーナの仕事になっている。

本人も喜色満面でやってくれているが侍従長が驚くほどのスキル、才能の無駄遣いかもな。


 ナーツェルさんが気持ちを切り替えて話し始める。


「ここ最近、儂を貶める話が至る所で蔓延しておる。それを事実と受け取る者も少なくない。

 誰かが時刻を言い間違えたとなれば()()()()(もうろく)儂が真っ先に疑われるはずじゃ」


「流言飛語に踊らされる者のなんと多いことでしょう」


リーナが静かに嘆きの声をあげる。

その声に笑顔で礼を返してナーツェルさんが話を続ける。


「疑惑を晴らそうとすれば副侍従長は子爵位、補佐は準男爵位を持つ帝国貴族で職士のみが平民じゃ。

 貴族の調査となれば貴族院に査問会を設置せねばならぬが陛下が崩御された現状でそのような時間など無い」


「その問題は一端棚上げにして神前会議が行われた後に査問会を開くという特例措置が可能なのでは」


 リーナは男爵家の息女であり、査問会の特例措置の条件を熟知しているようだ。

リーナの発言にこれまで発言を控えていたマイルが声を発した。


「疑惑を晴らさないまま神前会議に臨めば侍従長様の発言力は弱まります。

会議に最初から参加できなかったケイン様の発言力も弱まるでしょう。

まさか…中立派の侍従長様と無派閥のケイン様とが協力関係にならないように楔を打ち込む事が目的でしょうか?」


 マイルも魑魅魍魎が蠢く王宮で働くようになってから権謀術数を読む力が格段に成長したな。

本人に言えば、そんな能力付けたく無かったって嘆かれそうだが。


「そこまでは分からない。ただ職士の責任を問うて死罪を求めようが侍従長殿の立場を慮って職士自身が自死を申し出ようが侍従長殿の耳に入れば()()()()侍従長殿は若者を守る為に引責辞任をすると踏んでいるのでしょう」


俺の発言に難しい顔するナーツェルさん。


「人の噂で右往左往するなどみっともないと捨て置いた事。

 中立派の私に謀略を仕掛けてくるなど思いもよらずしっかりと対策を取らなかった事。

言い訳の余地もなく儂の失態じゃ。歳は取りたくないのう…」


「儂の失態じゃ…と嘆くばかりだと()()()()お考えでしょうな」


俺の言葉に穏やかな侍従長の雰囲気も飾らないナーツェルさんの雰囲気も霧散した。


「嘆いてはいますよ。失態を犯したのは()()()ですがね。陛下の治世を蔑ろにしたばかりか臣民の命をも軽んじた傲岸不遜な行い。もう見るに堪えない。可及的速やかに御退場頂こう」


魑魅魍魎の大群と戦い、権謀術数の海を渡り切った一人の辣腕政治家の声が聴こえる。


「宜しいので侍従長殿?」


「勿論です典礼司殿、その為に()と準備を重ねたのですから。温情なぞ一寸も必要有りません。徹底的な改革(清掃)を」


我々による【陛下の死の支度】が始まる。













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